文化祭2日目 ~ステージは後ろで聴くはずだった2~'
一曲目のイントロが始まる。
マサキはマイクを持ったまま、目線をほんの少し落とした。
知らない曲。
数十分前に渡された音源。
リハーサルなし。
準備なしなら、形にするだけで手一杯だった。
最初の入りは、さすがに慎重だった。
音を探るように、浅く呼吸を合わせる。
けれど数小節後には、もう声の置き方が変わっていた。
音程やリズムの正確さだけじゃない。
声の抜き差しが異様に自然だった。
サビ前で息を薄くする。
盛り上がる瞬間だけ、芯を通す。
だから張り上げていないのに、声が奥まで届く。
しかもマサキは、知らない曲特有の不安定さすら利用していた。
入りを探るように揺れた音を、そのまま歌の癖みたいに処理する。
少しズレた語尾を、<そういうタメ>として成立させ、次の音へ滑らせる。
歌詞が一瞬飛びかけたところもあったが、呼吸を薄く挟んで、そのままメロディへ繋いでしまった。
だから聴いている側には、誤魔化した感じが残らない。
最初からそういうアレンジだったみたいに聞こえる。
揺れ方ごとリズムへ変えてしまうような安定感だった。
演奏しているクラスのメンバーですら、途中から顔を見合わせていた。
(なんで合わせられるんだ)
気づけば全員が、マサキの歌へ合わせにいっている。
一曲目が終わる頃には、<代打感>がほとんど消えていた。
◇ ◇
そして二曲目。
今度はマサキも知っている曲だった。
様子が変わる。
さっきまでの、<探りながら合わせる歌>じゃない。
最初から全部ハマっていた。
リズムの取り方が異様に滑らかだった。
ドラムの跳ね方へ乗りながら、ギターの入りにもぴたりと呼吸を合わせる。
しかも余裕がある。
高音を力で押さない。
抜く場所を知っているから、逆に伸びる。
サビの終わり。
少し掠れた声が混ざる。
そのままなら崩れる部分。
でもマサキは、そのザラつきをそのまま感情みたいに使ってしまう。
観客側には、むしろ<ライブっぽさ>として届いていた。
◇ ◇
三曲目は、バラード寄りだった。
ここで完全に空気を持っていく。
語尾を置くタイミング。
息を混ぜる量。
言葉を切る位置。
全部が自然なのに、妙に耳へ残る。
感情を剥き出しに歌うタイプじゃない。
なのに、抑えている感じが逆に引っかかる。
静かな曲なのに、体育館全体が、息を飲んだみたいに静かだった。
最後のロングトーンが伸びる。
演奏が終わる。
一瞬の空白。
数秒遅れて、歓声が爆発した。
バンドメンバーたちが、呆然とした顔でマサキを見る。
◇ ◇
ステージが終わると、裏側だけは一気に日常へ戻った。
拍手の余韻だけがまだ耳に残っている。
その中で、機材の片付けと人の流れが同時に動き出す。
マサキはマイクを返し、ケーブルを外し、そのまま特に何も言わず通路へ引っ込もうとしていた。
その背中へ、バンドメンバーが軽い調子で声を掛ける。
「松前、今日の打ち上げ来るだろ」
マサキは振り返らずに答えた。
「無理」
「いや早っ」
別の男子がすかさず食いつく。
「さっきのステージ何だったんだよ!?」
「それとこれは別」
マサキは少し振り返り、淡々と言う。
あれだけ歓声を浴びた本人だけが、もう完全に終わった顔をしている。
男子たちは、置いていかれたみたいな顔で眺めるしかない。
「ステージあれで、打ち上げ無理って」
「逆に怖いわ」
「ブレなさすぎだろあいつ…」
◇ ◇
体育館から一番近い教室。
長机とパイプ椅子が整然と並ぶだけの空間に、文化祭特有のざわついた音が遠くから流れ込んでくる。
窓の外ではまだ遠くで拍手や笑い声が断続的に響いていた。
ステージの控え室として使われてるこの部屋には、さっきまで一緒に演奏していたクラスの男子たちが休憩をしている。
マサキは少し離れた壁際のパイプ椅子へ座り、軽く息を吐いた。
アンプのノイズ、スピーカーの余韻だけが耳の奥に残っている。
その時。
廊下側から、ノックが二回。
コン、コン。
返事を待たず、ドアが開く。
マサキは反射的に入口を見る。
リサだった。
片手にたこ焼きのパック。
もう片方にコーラ。
明るい表情のまま、軽く駆けるように教室へ入ってくる。
歩幅は大きくないのに、その動きに合わせて、制服のスカートがふわりと揺れた。
細い脚と、膝上で覗く太ももの白さ。
夏制服のシャツ越しにも、身体のラインがはっきりしていた。
胸の柔らかい輪郭が軽く弾むたび、マサキの目線が引っ張られる。
が、すぐリサの顔へ戻した。
「おつかれさまー!かっこ良かったよ!」
ぱっと空気を明るくするみたいな声だった。
「差し入れにたこ焼き買ってきた!」
「コーラもあるよ!」
笑いながら続ける。
いつも通りのリサのようにも見えた。
せっかく差し入れを持ってきた相手へ、いきなり変なことを聞くのも違う気がした。
「……どうも」
マサキが受け取る。
リサはそのまま隣へ座った。
「失敗する気は最初からなかったんだね」
「……なにが」
「失敗するに決まってるとか言ってたから」
マサキはコーラの缶を開ける。
炭酸の抜ける音。
「あれは断り文句だろ」
リサは目を丸くしたあと、ふっと笑った。
マサキは、出来るのに前へ出ない。
失敗が怖くて立てなかったわけじゃない。
ただ、目立ちたくないから避けていただけ。
それを、さっきステージの上で見せつけられた気がした。
歌っているマサキは、リサには別人に見えていた。
いつも隣で、短く返事をして、目立たないようにしている人と同じはずなのに、全然違って見えた。
眩しいライトの中でマイクを持って、体育館の空気ごと引っ張っていく姿が、まだ目の奥に残っている。
(なんか、遠い…)
そう思いかけて、リサはすぐにその言葉を飲み込んだ。
そんなこと、言えるわけがない。
マサキの才能を、自分の不安で止めるみたいになる。
「ね、心配して損したよ。ほんとすごかった」
「……そうか」
短い返事。
でもマサキは、そのあと少しだけリサを見る。
「リサ、なんか無理してる?」
「へ」
間の抜けた声が漏れる。
リサは目線を戻した。
「んー……軽く嫉妬」
「嫉妬?」
「違うか」
リサは自分で言って、少しだけ首を傾ける。
「マサキくんの、ほんとは出来るのに前に出ないだけっていうのが……んー、眩しいっていうか」
言いながら、リサは笑おうとした。
軽く言えば、ただの冗談みたいに流せると思った。
マサキは出来ないから避けているのではなく、出来るものを隠していただけ。
それが、リサには少しだけ眩しかった。
「実力とか才能ある人って、やっぱ隠すんだなーって」
マサキは顔をしかめる。
その言い方が、リサにしては少しだけ変だった。
「あたしみたいに能力ない人って、すぐ大口叩くじゃん?」
「え」
マサキが珍しく即座に反応した。
リサはその反応に気づきながらも、止まれなかった。
そういうふうに言いたかったわけじゃない。
自分はそっち側じゃないと、そういう言い方にするしかなかった。
「同じ目線にいるつもりだったのが、恥ずかしいなぁみたいな」
軽く笑って言った。
軽くしないと、声が沈みそうだった。
マサキはすぐには返せなかった。
(能力ないってなんだよ)
リサみたいにいつも明るくて、人の中に自然に入っていける相手が、自分を見て眩しいなんて言うのは、どう考えてもおかしかった。
リサが自分を下げる理由が分からない。
それをそのまま流すのは違うと思った。
「いや、リサの方が人間としてはすごいだろ」
「慰めてくれるの? ありがとー」
「そうじゃなくて」
言葉を少し探した。
慰めたいわけではない。
違うものを違うと言いたかっただけだった。
「リサの……空気を読んで和らげる的な」
リサがいつも人の前でやっていることの方が、マサキにはずっと難しく見える。
まだ自分でも上手く言語化出来ていない感じのまま続ける。
「オレみたいなのと喋るのに、話を途切れさせないようにするとか」
「最近はちょっと言い返せるようになってきたし」
リサはきょとんとして、それからくすっと笑う。
「それは、才能と違うよ」
その声は明るかった。
けれど、言い切るほどには強くなかった。
マサキはそこでまた少し止まる。
才能と違う。
そう言われると、返す言葉が少しずれる。
でも、リサが何も持っていないみたいに言うのは、やっぱり違う。
「モデルとして頑張ってるだろ。目標も高いし」
「知ってるでしょ。あたし……オーディション何回も落ちてるんだよ」
声が少しだけ小さくなる。
「実力とかじゃない」
マサキはコーラを一口飲む。
炭酸の冷たさだけが、喉を通った。
オーディションは落ちている。
それでも受け続けた。
なら、それは何もないことにはならないはずだ。
ただ、どう言えばいいのかが分からない。
「いま頑張ってるなら、それで良くないか?」
リサはすぐには答えなかった。
マサキが適当に言っているわけじゃないことは分かる。
本心で言ってくれているのも分かる。
だからこそ、少しだけ困った。
頑張っていることを見てくれているのは嬉しい。
でも、頑張っているだけでは、さっき見た場所には届かない気がした。
ステージの上で、たった数曲で体育館の空気を変えたマサキ。
そんな人に言われると、うまく受け取れなかった。
「……」
「同級生が雑誌に載ってるって、実際すごいことだぞ?」
それも嘘じゃない。
褒めてくれているのも分かる。
でも、リサの頭には、まだライトの中に立っていたマサキが残っていた。
あんな才能があって隠す人に言われても、どうしても思ってしまう。
(マサキくんの方が、すごいじゃん)
その言葉は、口には出さない。
出したら、また違う形でマサキを困らせる気がした。
リサは息を吐き、目線を落とした。
「うん、そうだね……」
嬉しいはずだった。
ちゃんと笑っている。
口元だけなら、いつものリサだった。
マサキはその返事を聞いて、また少し黙る。
たぶん、言い方を間違えた。
いや、間違えたというより、きっと足りていない。
リサが自分を低く言うのは違うと思うのに、何を言えばその違いが届くのか、まるで分からない。
慰め方なんて知らない。
気の利いた言葉も出てこない。
それでも、目の前でリサがいつも通りに戻ろうとしているのを、見なかったことにはできなかった。
教室の外では、まだ文化祭の音が続いている。
けれど、この机の上だけ、少しだけ静かだった。
◇ ◇
(これ、オレのせいか?)
最初に教室へ入ってきた時の明るさはもうない。
自分が『なんか無理してる?』と聞いたあたりから、明らかに沈んでいる。
(いま、変なことは言ってないよな?)
同級生が雑誌に載っているのはすごい。
モデルとして頑張っているのも本当だ。
リサが自分を能力ないみたいに言うのは違う。
事実を言っただけのはずだった。
(なのに、これ追撃くらわせてないか?)
マサキは数秒、言葉を探した。
嘘を言ったわけじゃない。
慰めのつもりで適当なことを言ったわけでもない。
ただ、リサが自分を低く言うのは違うと思って、そこだけ否定しようとした。
なのに、結果としてリサはいつも通りに戻りきれていない。
(こういうとき、なんて言えばいい?)
他のやつなら、こういうときどうする。
優しい言葉のひとつでも出すんだろう。
つらかったな、とか。
よく頑張ってるよ、とか。
見てる人は見てる、とか。
お前はお前のままでいい、とか。
オレは分かってるから、とか。
(いや、最後のやつ誰だよ)
脳内に出てきた慰め役の人格が、自分とあまりにも違いすぎて即座に消えた。
そんな自然に女の子を励ませるなら、そもそも今ここで詰まっていない。
それに、頑張っているとか、すごいとか、その辺はもう言った。
言ったうえで、今この状態になっている。
マサキはリサの方を見る。
リサはいつも通りに戻ろうとしている。
戻ろうとしているのに、戻りきれていない。
それが分かるのに、何を言えばいいのかが分からない。
(女の子を慰めたことなんかないんだが)
経験値がない。
ゼロだ。
むしろ、今まで避けてきた分類のイベントだった。
何か言わないといけない。
でも、これ以上言葉を足しても、また違う場所に刺さる気がする。
(たこ焼き……)
机の上のパックに目が行った。
リサは食べ物に弱い。
ここで「たこ焼き食うか」とか言えば、少しは戻るかもしれない。
(空気読め)
自分で即座に切った。
それはさすがに違う。
いま食べ物で釣る場面ではない。
マサキは息を吐く。
これ以上言っても、多分違う。
でも何も言わないのも違う。
思考が一瞬詰まる。
その前に、手の方が動いた。
ぽん、と。
リサの頭へ触れる。
そのまま、不器用に一度だけ撫でた。
「…え」
リサの思考が止まる。
頭へ触れられた感覚だけが、やけにはっきり残っていた。
マサキの手も、そこで止まった。
(いや、慰めようと思っただけだ)
その直後に、自分が何をしているのかが遅れて追いつく。
(普通に考えたら、いきなり女の子の頭なでるって…)
しかも相手はリサだった。
さっきまで落ち込んでいて、無理に笑おうとしていたリサの頭に、自分の手が乗っている。
(距離感おかしいだろ)
やらかした。
「間違えた」
横を向いたまま、マサキが小さく言う。
間違えた、の意味はリサにもはっきりとは分からない。
たぶんマサキは、自分がどれくらい距離の近いことをしたのか、遅れて気づいたのだと思う。
慰めようとして。
言葉が見つからなくて。
それで、先に手が伸びた。
ただ、それだけなのかもしれない。
それでも、リサには十分だった。
頭に触れている手の重さが、やけにはっきりしていた。
ステージの上にいたマサキは、まだ少し遠い。
あのライトの中で歌っていた姿は、簡単には消えない。
けれど、今のマサキはここにいる。
手を伸ばしても届かない場所にいるように見えた人が、自分が落ち込んだときには、自分のところまで降りてきてくれたような気がした。
それが、思ったよりずっと熱かった。
みぞおちのあたりが、変にぎゅっとなる。
落ち込んでいたはずなのに、そこだけが急にあたたかくなっていく。
リサは数秒黙ったあと、少しだけ身体を寄せた。
「もっと撫でて」
「いつまで」
そこでようやく、リサがマサキを見る。
少し赤い顔のまま。
でも、笑っていた。
さっきみたいに、無理に明るくしている笑い方じゃなかった。
言葉を軽くして誤魔化す顔でもない。
ちゃんと嬉しそうで、少し恥ずかしそうで。
「いいって言うまで」
マサキは数秒黙る。
逃げる理由も、断る理由も、上手く出てこない。
結局、もう一度、リサの頭へ手を置いた。
今度は、さっきより少しゆっくりだった。
リサは何も言わない。
ただ、さっきよりずっと自然な顔で、嬉しそうに目を細めていた。
…その時。
◇
「……え?」
すぐ近くから、引いた声が聞こえた。
マサキの手が止まる。
振り向くと、教室の入口で、さっきまでステージで一緒に演奏していたクラスの男子たちが固まっていた。
休憩の途中だったのか、手には紙コップやペットボトルを持っている。
「……」
「……」
マサキはようやく自分の行動を客観視した。
男子たちが、ぎこちなく目を逸らす。
「あー……その、ごめん」
「どうぞ……続けて」
手はまだリサの頭の上にあった。
(離せ)
そう思った瞬間、リサがわずかに動く。
逃げるのではなく、むしろ少しだけ頭を寄せてきた。
さっきリサは言った。
いいって言うまで、と。
マサキの思考が完全に止まる。
(勝手に離すのは違う)
男子たちは男子たちで、見てはいけないものを見たみたいな顔のまま、紙コップを持った手だけが宙で止まっていた。
評価くれるのメチャクチャ嬉しいです(^▽^)





