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距離感ゼロの如月さんと自己評価ゼロのオレ  作者: 空色いろはに
文化祭当日 編

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103/111

文化祭1日目 ~見つけた景色と拾った嫉妬3~'

「ねぇ」


 リサが前を見たまま言う。


「3時のバンド、そろそろ体育館行こっか」


 マサキは視線を上げる。


「まだ早くないか」


「いい場所なくなっちゃうじゃん」


 リサは繋いだ手を軽く握り直して、少しだけ歩く速度を上げた。

 そのまま少し歩いてから、マサキがぽつりと言う。


「別に、後ろでもいい」


 リサの足が一瞬だけ緩む。


「え?」


 マサキは前を見たまま続ける。


「音聴ければいいから」


 マサキにとっては、それで十分なのだろう。

 ステージが見えるかどうかより、音が届くかどうか。

 前に行く理由も、後ろにいる理由も、そこまで大きな違いではない。


 リサはそれを分かっている。

 でも、せっかく一緒に文化祭を回っているのに、後ろで音だけ拾って終わるのは少しもったいない気がした。


 ステージの近さ。

 人の声。

 体育館の熱気。

 そういうものまで含めて、マサキにも少しだけ味わってほしかった。


「うん」


 一度うなずいてから、何でもないように続ける。


「あたしは前の方がいいなー」


 軽い言い方だった。

 ただの好みみたいに聞こえるようにした。

 マサキが自分から選ばないなら、自分の行きたい場所という形にすればいい。


 マサキは横を見る。

 リサは視線を前に戻したまま、タピオカのカップを揺らす。


(ほんとは別にどこでもいいんだけどね)


 でも、それを言う必要はない気がした。


「せっかくだから」


 付け足すように言う。

 マサキはすぐには返さない。

 リサの言葉を、無理に押し通そうとしているものとは受け取っていない。

 ただ、リサが前の方へ行きたいと言っている。

 それだけでいいらしい。


 少し歩いたあと、マサキが言う。


「オレはどこでもいい」


「うん」


 リサは即答する。

 それなら、決めるのは自分でいい。


 リサはそのまま、軽く手を握り直して歩く速度を少しだけ上げた。


「じゃ、前の方行こっか」


 明るい声だった。

 二人はそのまま、体育館へ向かって歩いていった。


 ◇


 ドラムが一発、空気を叩いた。


 体育館のざわつきが、一気に引き締まる。

 ギターが入り、少し遅れてベースが重なる。リズムはところどころズレていて、音も綺麗にまとまっているわけではない。


 正直、上手くはない。


 リサにもそれは分かる。

 それでも、ステージの上の音は止まらなかった。

 ボーカルの声が少し外れかけても、そのまま前へ出てくる。ドラムが走って、ギターが遅れて、それでも誰も止まらない。


 そのズレごと、体育館の空気を巻き込んでいく。


(下手だなぁ)


 ちゃんとそう思う。

 でも、不思議と嫌ではなかった。


 完成されたものじゃない。

 作り込まれたものでもない。

 それでも、その場の勢いだけで空間を持っていく感じが、リサは好きだった。


 隣を見ると、マサキは最初からずっとステージを見ていた。

 表情は変わらない。

 でも、ちゃんと見ているのは分かる。


 リサは小さく笑って、もう一度ステージへ視線を戻した。


(こういうの、たまんないよね)


 上手さじゃなく、熱だけで体育館を満たしていた。


 ◇


 最後の音が、少しだけ伸びて消えた。


 ドラムが余韻を叩き切るみたいに軽く鳴って、それから静かになる。

 一拍遅れて、体育館の空気が戻ってきた。


 次の瞬間、爆発みたいに拍手が起きる。

 歓声と笑い声と拍手が混ざって、さっきまで音で満たされていた空間が、一気に人の声へ変わっていく。


 リサはまだ少しだけ、ステージを見ていた。


(終わった)


 上手いとか下手とか、さっきまで頭の中で分けていたものが、拍手の中でどうでもよくなっていく。


 隣で、マサキが小さく息を吐いた。


「……疲れるタイプのバンドだな」


 リサはその言葉を聞いて、横を向く。


 悪く言っている声ではなかった。

 ただ、本当に疲れたみたいな声だった。


 ズレた音も、走ったリズムも、外れかけた声も、たぶんマサキは流さずに聴いていた。

 だから疲れたのだと、リサには分かった。


「マサキくん、こういうアマチュアの演奏もちゃんと聴いちゃうんだ」


 マサキは間を置いて、視線をステージから外さないまま言う。


「別に」


 リサはすぐに小さく息を吐いて、軽く笑った。


「うん、さすがだねー」


 マサキがようやく横目でリサを見る。


「何が」


 リサは繋いだ手を軽く揺らした。


「音楽わかる人なら特にさ、もっと雑に聴くこともできるのに、そうしないじゃん」


 視線はステージの方へ戻したまま、続ける。


「ズレてる演奏でも、真剣に聴こうとするのはさすがだなって」


 その言葉のあと、少しだけ間が空く。


 マサキはすぐには返さなかった。

 否定もしない。

 今の言葉を、初めてそう言われたみたいに、そのまま受け取っている。


 リサはそれを見て、軽く息を吐いた。


「あ、無意識だった?」


 その瞬間、マサキの目がほんの少しだけ動く。

 ステージの方を見たまま、数秒止まる。


「意識してない」


 リサは「やっぱりね」という顔をして、少しだけ笑った。


 ◇


「そういえば、明日のステージ。うちのクラスもバンドやる人いるんだって、見に行く?」


 繋いだ手をそのまま、リサが揺らしながら聞く。


「出来れば」


「明日はねー、午前中」


 マサキは視線を横にずらす。


「腹減りそうだな、リサが」


 リサはきょとんとして、それから口元を押さえるみたいに笑う。


「偏見すご」


 言い返しているのに、声は少し弾んでいた。

 マサキは前を見たまま続ける。


「午前中って、だいたい何か食ってる時間だろ」


「言い訳できないねー」


 リサは笑いながら、繋いだ手を軽く揺らす。


「でもさ、見に行くのはいいんだ」


 マサキは頷く。


「音出てるなら」


 その返事は、さっきまでの「音聴ければいい」とは少し違って聞こえた。

 上手いとか下手とかではなく、誰かが音を出している場所そのものに、少しだけ意識が向いている。


 リサは間を置いてから、ふっと笑った。


「出てる出てる、たぶんちゃんと」


 マサキが引っかかりを返す。


「ちゃんと?」


「うちのクラスの人が言ってた。普通に上手いって」


 その瞬間、マサキの足がほんのわずかだけ遅れた。

 リサは気づかないまま続ける。


「ギターの人とか、結構安定してるらしくてさ」


 マサキはすぐには返さない。

 視線は前のまま。

 ただ、繋いだ手にほんの少しだけ力が入った。


(……誰だよ)


 言葉になったのは、それだけだった。


(上手いって、誰にでも向けるのか)


 リサがそれに気づいて、首を傾げる。


「興味ない感じ?」


「別に」


 興味がないわけではない。

 かといって、聞きたいとも言い切れない。

 その半端なものが口に出る前に、マサキは言葉を切った。

 でも手は離さないまま、少しだけ力の強さが変わった。


 リサは繋いだ手を見て、それからマサキの横顔を見た。


「あたしが上手いって言ったんじゃないよ。そう聞いただけ」


 マサキはようやく横目でリサを見る。


「分かってる」


 その声はいつも通りだった。

 少なくとも、そう聞こえるようにはした。


 けれど、さっきからずっと手だけが少し強い。

 リサはそれに気づいているのか、繋いだ手をわざと揺らした。


「ねー、違うって。そんなつもりで言ったんじゃないから」


 マサキは返す。


「じゃあ何」


 言ったあとで、自分でも少しだけ止まる。

 何を聞きたいのか、はっきりしていなかった。


 リサは言葉を探す。

 手を揺らすのをやめる。


「だから、マサキくんが見るって言うから」


 少しだけ間。


「事前情報あった方がいいかなって思っただけ」


 マサキは小さく息を吐く。


「……あ、そう」


 それ以上は追わない。

 追わないけど、まだ完全にはほどけていない。


 リサは一拍置いてから、少しだけ困った顔になる。


「えー、待って」


 マサキが横目で見る。

 リサは軽く首を振る。


「他の男の話したからってそこまで嫉妬する?」


 言い方は冗談っぽいのに、押しすぎない。

 むしろ、確認に近い声だった。


 マサキは止まる。


「してない」


 はっきりと言い切った。

 リサはその返事を聞いて、目を細める。


 リサが何か言いかける前に、マサキが先に口を開いた。


「別に、そういうのじゃない」


 少し間。


「そこは、どうでもいいし」


 言っている内容はいつも通りのはずなのに、妙に引っかかる。

 リサは首を傾げる。


「してないの?」


 軽く聞いたつもりだった。

 でも次の言葉には、少しだけ意地が混ざる。


「じゃあ、あたしが他の男の話しても平気なんだ」


 マサキは返そうとして、言葉を落とした。


「……それは」


 リサはそこで一拍置かずに続ける。


「別にいい」


 マサキの手から、ほんの少しだけ力が抜けた。


「……」


「いいんだ」


 マサキは一度息を止める。


「……別に、全部ダメとは言ってない」


 ようやく出た言葉は、逃げ道の形をしていた。

 リサはすぐに拾う。


「じゃあ」


 楽しそうに、でも意地悪すぎない温度で続ける。


「何ならいいの? 条件とかある?」


 マサキは黙る。

 そこで初めて、質問の意味がちゃんと刺さった。


(条件、とかじゃなくて)


 そう思いながらも、言葉がまとまらない。

 リサが他の男の話をすること自体は、どうでもいい。

 そういう話をしたとしても、別に気にならない。

 でもさっきの言葉だけが残っている。


「普通に上手いって言ってた」


 それが引っかかっていた。


 マサキは視線を落とす。


「別にそれが悪いとかじゃなくて」


 言い直すように、声を落とす。


「そういうのを、他のやつにも同じ感じで言うんだなって」


 言葉にしてから、ようやく少しだけ形が見えた。

 リサの言葉の中にあった「上手い」が、自分だけに向けられていたものじゃなかったみたいに感じた。


 そう思った瞬間、マサキは口を閉じる。


「……ああいうの、オレだけじゃないんだって思っただけ」


 そこでようやく、本音の形になる。


「悪い、忘れてくれ…」


 言ってから、自分で何を気にしていたのかがはっきり繋がった。


(これ、嫉妬だよな。カッコ悪すぎる…)


 リサは息を吐いて、普通の声に戻す。


「忘れないけど」


 さらっと言う。

 マサキの肩がわずかに動く。


 リサはそこで、ようやくちゃんと繋がる。

 他の男の話をしたからじゃない。

 『上手い』って言ったから。

 しかも、自分が褒めたわけじゃない。

 聞いた話をそのまま言っただけだ。


(それなのに怒っちゃうの?)


 少しだけ拗ねたみたいに、リサはストローを軽く噛む。



(あたしが言ったわけじゃないのに……)


 でも同時に、胸の奥が少しだけ熱い。

 リサはその感情を隠すみたいに、小さく息を吐いた。


「安心していいよ。あたし、マサキくんの歌めちゃくちゃ好きだから」


 リサは繋いだ手を大きく揺らした。

 軽い言い方だった。

 でも誤魔化してはいない。


「そこは特別だよ」


 そこで初めて、少しだけ柔らかくなる。

 マサキの胸の奥で、さっきまで引っかかっていたものが一気にほどける。

 その代わり、別の熱が残る。

 <特別>って言葉だけが、やけに残った。


「あと嫉妬とか、そういうの普通に嬉しいよ?」


 マサキはただ聞いている。

 返事が出ない。

 耳の奥が少し熱い。

 自分の面倒くさい感情を、そのまま肯定された感じがして、うまく処理できなかった。


 リサはそんなマサキの反応を見て、小さく笑う。


「マサキくんってさ」


 手を軽く揺らす。


「けっこーめんどくさいタイプだよね」


 マサキはすぐに否定しない。

 できない。

 否定すると、さっきの全部がもっとダサくなるのが分かっている。


「でも…そういうとこがさ、ちょっとくすぐられるっていうか」


 マサキの足がほんのわずかに止まりかける。

 そういう不器用な独占欲を見せられると、好きな気持ちを刺激されてしまう。


(めんどくさいけど可愛い)


 そう思ってリサは続ける。


「放っとけないんだけど。わざとじゃないからタチ悪いよね」


 嫉妬は無自覚で、勝手に拗れて、でも真面目で、こっちが拾ってあげたくなっちゃうところがずるい。



 マサキは何も言わない。

 胸の奥が、さっきからずっと落ち着かなかった。


 嫉妬して、勝手に引っかかって。

 自分だけだと思っていた言葉に、勝手に特別感を持って。

 そんな面倒な感情を見せたのに、リサは引かない。

 それどころか、困ったみたいに笑って、ちゃんと受け止めてくる。


(なんでそんな優しいんだ……)


 マサキは視線を落とす。

 普通なら、めんどくさいと思われたら、そこで終わりだ。

 重いとか、ダサいとか、そういう方向へ転がっても変じゃないのに。

 でもリサは、『嬉しい』って言った。

 『特別』だって、あっさり口にした。


 そのせいで、逆に分からなくなる。


(オレ、甘えすぎじゃないか……?)


 リサは人気者で、誰とでも話せて、空気も回せる。

 なのに今、自分みたいなやつの面倒くさい感情に付き合っている。

 そこまでさせる理由が、本気で分からなかった。


 だからマサキは何も返せない。

 リサはその横顔を見て、少しだけ困ったように笑う。


「ねぇ」


 軽く呼ぶ。

 マサキは視線だけを少し動かす。

 リサはそのまま続ける。


「今の、褒めてるんだからね」


 少し間。


「普通に、どうもって言っとけばいいよ」


 マサキはまだ少しだけ、処理が追いついていなかった。

 嫉妬を見抜かれて、受け止められて、しかも嫌がられていない。

 その事実が、変に胸へ残っている。


 考えてから、言う。


「……どうも」


 それだけ。

 でもマサキの中では、それが限界だった。


 リサはそれを聞いて、満足したみたいに軽く笑う。


「はい、おしまい」


 これ以上マサキが考え込まないように、そこで話を閉じるみたいな言い方だった。


 繋いだ手を軽く揺らして、歩く速度を少しだけ戻した。

 マサキはそれ以上何も言わない。

 ただ、手の温度だけが少しだけそのままだった。


挿絵(By みてみん)

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