文化祭1日目 ~見つけた景色と拾った嫉妬2~'
「おばけやーしきー」
リサが入口の黒布を見上げながら、楽しそうに声を弾ませる。
「大したことないと分かっていながら気になってしまうやつー」
一息で言い切るように続けた。
「リサは怖がりだから、大したことなくてもビビりそう」
「えー?」
不満そうな声なのに、口元は少し緩んでいた。
マサキがそんなふうにからかってきたことを、少しだけ楽しんでいるみたいだった。
そのまま、二人は中へ入った。
◇ ◇
中は思った以上に暗い。
黒い遮光カーテンで区切られた教室の中に、うめき声のような環境音が低く流れている。
足元の感覚が少しだけ曖昧になる。
「ふーん、こんなもん?」
リサは最初、余裕そうに笑った。
だが、次の瞬間だった。
ガシャァンッ!!
横で突然、皿が割れるような大きな音。
「わっ」
リサの肩が跳ねる。
勢いで、反射的にマサキの腕を掴む。
「音で驚かせてくるなんて常套手段ね」
声だけは落ち着いている。
「そうだな」
マサキも返す。
(……当たってる)
一拍遅れて、そう認識だけが浮かぶ。
腕を掴んだまま歩き出すと、動きに合わせてリサの胸の形が微妙に変わる。
潰れたり戻ったりして、感触が一定にならない。
柔らかさと圧力が、体温と一緒にまとわりついてくる。
進む。
天井から血で汚れたような少女の人形が落ち、その場でぶら下がる。
「ひゃ!」
人形には青白いライトがくくりつけられ、揺れながら不気味に浮かび上がる。
しばらくして紐が引かれ、人形は消える。
「ああ、そういうあれね。これは反則」
言いながら、リサの手の力が一段強くなる。
次の瞬間、腕を掴んでいた手がそのままマサキの腕全体を抱き込むように変わった。
(…っ!)
ぎゅと力が入り、胸の谷間に腕が挟まれる。
痛いほどではないが、確かに<離す気がない強さ>だった。
怯えて、反射的に捕まりやすいところを掴んだ。
それがたまたま、自分の腕だった。
それだけのこと。
リサは怖がってる。
それなら手をほどかせる理由はない。
リサは前を見たまま、声だけ落ち着いている。
「今のはね、怖いんじゃなくてビックリしただけ」
「……そうだな」
マサキはそれ以上何も言わない。
そのまま歩こうとした瞬間、視界の端で何かが動いた。
黒カーテンの隙間。
そこに……白い顔が一瞬だけ覗き、リサと目が合う。
「……っわ」
リサの肩がもう一度跳ねる。
腕を掴む力がさらに強くなった。
ぎゅ、と一段深く抱え込まれる。
(……)
白い顔はもういない。
カーテンの向こうに消えている。
リサはまだ離れない。
呼吸だけが少し速いまま、腕にしがみついている。
「今の見た?」
声は強がっているのに、間は明らかに詰まっていた。
マサキは見ていた。
黒カーテンの隙間に、白い顔が覗いたのも。
目が合ったのも。
でも、口に出す前に考える。
(見たって言うと、余計に怖がる)
本当にいる・いないの話じゃない。
今この場で「見た」と言えば、それが<確定した出来事>になる。
リサの中では、ただの演出じゃなくなる。
だから、言わない方がいい。
その判断だけで、マサキは返した。
「見てない」
「え、うそ。いたでしょ、今」
リサの声が一段上ずる。
「いなかった」
余計な間も説明もない。
リサはまだ腕を離さないまま、周囲を確かめるように視線を動かしている。
「あたしだけ見えてたとかやばくない?」
その一言で、状況が少しずれる。
もしリサが<自分だけ見えた>と思ったら、それはそれで怖さが増える。
共有されなかった恐怖は、現実より質が悪い。
どっちに転んでも面倒だった、と思う。
だから、それ以上は言わない。
ただ、腕に残る柔らかさだけをそのまま受け取った。
リサは早くここを抜けたい気持ちのまま、マサキの腕をぐいっと引いて前へ進む。
その一歩に合わせて、床が……
ギシッ。
不自然に重い音を立てた。
「……え?」
リサの動きが止まる。
ギ、ィィ……
明らかに<普通の床じゃない音>が返ってくる。
「なにこ……」
声が少しだけ裏返る。
その瞬間……
バツン、と照明が一部だけ落ちた。
真上のライトが一瞬消える。
暗さが一段増す。
「っ……!」
リサの体が跳ねた。
反射で、迷いが消える。
腕を掴んでいた手が一度だけ離れる。
「きゃーっ」
跳ねる声と一緒に、リサの身体が前へ出た。
次の瞬間、離れたはずの距離がもう一度詰まる。
今度は腕ではなく、そのままマサキの正面へ飛び込むように両腕が伸びる。
マサキの腕と胴体の間に、身体ごと滑り込むように入ってきた。
ぎゅっと力が入る腕。
押し込まれた瞬間、リサの胸がどふっとマサキの上半身に強く当たり、呼吸と一緒に一度深く沈み、そのまま押し返すように戻った。
距離は変わらず、密着したままの位置に留まっている。
正面から抱き込まれて、身体全体が前から押される形だ。
マサキは止まる。
腕が宙に浮いたまま、数秒だけ動かない。
暗い中で、リサの呼吸だけが近い。
押されるたびに同じ位置に柔らかい圧が繰り返し当たり続けていた。
「むりむりむり、今の無理!」
叫ぶように言いながらも、腕は離れない。
むしろ一瞬だけ強く締まる。
(オレも無理……)
理性が、そこで一回だけ途切れかける。
すぐに『それ以上考えるな』と別の理屈で押さえ込む。
リサはまだ離れない。
というより、離れ方が分からなくなっているだけの動きだった。
「今のさ、絶対やりすぎでしょ……!」
声は強がりに戻りかけているのに、呼吸はまだ整っていない。
怖さをごまかすための言葉だけが先に出ている。
マサキはそれを見て、すぐに分かった。
(落ち着け、これは怖がってるだけだ)
離させるか、落ち着かせるか、進むか。
選べるのは一つだけになる。
「……大丈夫だから」
根拠はない。安心させるための言葉でもあるし、自分に言い聞かせるためでもある。
リサはその言葉に少しだけ反応して、小さく息を吐いた。
「うん…」
ようやく、腕の力が少しずつ抜けていく。
それでもすぐには離れない。
離れ方を思い出すみたいに、ゆっくり時間をかけて戻していく。
マサキはその間、動かないまま待っていた。
その途中で、リサの腕が一度だけ止まる。
次の瞬間、抜けかけた力がもう一度だけ戻って、短くぎゅっと抱き直された。
一度離れた胸の圧が、もう一度押し付けられる。
「……」
すぐにまた、力がほどけていく。
今度は本当に離れていく動きだった。
マサキは息を止めかけて、それから小さく吐いた。
(……今のは事故だ。事故でいい)
そうやって一つずつ分類していくのに、
心臓の音だけがやけに大きく残っていた。
出口の黒布をくぐった瞬間、空気が一気に変わる。
明るい。
うるさい。
人の声が普通に聞こえる。
さっきまでの暗さと静けさが嘘みたいに途切れて、現実に戻された感じがした。
リサは一拍遅れて息を吐く。
それから、ようやく表情を整えて笑った。
「いい出来だったね」
強がりだと分かる声。
「普通だった」
「普通って何」
すぐ返ってくる。
いつもの軽口。
でもその目はまだ少しだけ奥を探していた。
(……まだ掴んでる)
マサキの腕は、さっきのままホールドされたままだった。
暗い中で積み上がった緊張の名残みたいに、離れるタイミングだけが曖昧なまま残っている。
リサはそこでようやく、自分の手の位置に気づく。
「あ、ごめん」
力が抜けて、腕がゆっくり解放される。
離れかけた手が、でも少しだけ止まる。
「掴みすぎたかも」
そう言いながら、リサはマサキの腕に軽く触れる。
指先で確かめるみたいに、そっと撫でる。
さっきまでの強さとは違う。
今度は、ちゃんと加減を知っている触れ方だった。
「痛かった」
マサキが言う。
一拍だけ遅れて、リサの動きが止まる。
「え、ごめん。強くしすぎたー?」
声がすぐに小さくなった。
さっきまでのテンションが、そこだけストンと落ちる。
マサキはそれを見てから、小さく息を吐いた。
(……違う)
さっきまで腕に残っていた感覚が、まだ少しだけ抜けない。
柔らかさとか、体温とか、そういう<言葉にしたくないもの>が混ざっている。
それを自覚した瞬間に、うまく処理できなくなる。
だから、その代わりに別の言葉が出る。
「いまの冗談だから」
それだけ言う。
リサが固まる。
「……なにそれ」
呆れたように言うけど、声はもう軽く戻っている。
ただ、さっきの<本気で心配した間>だけは少しだけ残っていた。
「びっくりするじゃん」
リサは何でもないふりをしながら、マサキの手を取る。
指先が一度だけ触れて、確かめるように位置を合わせる。
それから、指と指の間にすっと入り込む。
リサはそのまま前を向いたまま、軽く手を揺らした。
マサキは視線を落としてから、何も言わずそのまま歩き出した。
◇
文化祭の廊下は、相変わらず人の流れが切れなかった。
焼きそばの匂い、ステージの音、すれ違う笑い声。
それらが全部混ざって、ひとつの大きな騒音みたいになっている。
リサはタピオカミルクティーを片手に持ちながら、もう片方の手でマサキの手を握っていた。
文化祭を歩き回ったあとだからこそ、リサの中では少しだけ見え方が変わっていた。
どの展示も、どの部活の出し物も、さっきまで見てきたものは全部「工夫してる」「面白い」「すごい」で終わっていたはずなのに、どこかでずっと引っかかっているものがある。
(ああいうの、マサキくん得意そうなんだよな)
ロボットを見てたときのことを思い出す。
部員の説明より先に、マサキが動きを見ただけで仕組みを言い当てていた。
「自分で考えて動いてる」とか、「センサーで段差見てる」とか。
専門用語じゃなくて、見たままの理解でそこに届いてた。
(ああいうの、見ただけじゃわからなくない?)
でもマサキは<分かってる側>に自然にいる。
知識をひけらかす感じじゃなくて、ただ見えたものをそのまま言ってるだけ。
前にゲームセンターでUFOキャッチャーをしたときも、そうだった。
マサキは筐体が確率機だと判断して、景品の置き方が初期位置だと読んで、今はまだ取れないとか、さらっと言っていた。
夏休み終盤で人が多いから店側の設定が悪い、人気キャラなら天井三千円くらい、なんてことまで見ていた。
仕組みと設定を知っていて、取れるタイミングを見つけて、そのうえで景品を取った。
実際、ミオにちょっと教わっただけで成績が一気に上がっていた。
あのときの「理解する速さ」は、努力とか根性とかとは別のところにある。
(でも、それだけできるのに)
リサは横をちらっと見る。
マサキは今も、ただ歩いているだけだ。
人混みの中でも、何かに急かされる感じがない。
やればできるのに、やっている場所がそこじゃないみたいな、妙な余白がある。
リサはストローを口にくわえたまま、何気なく聞く。
「そういえばさ…マサキくんって、なんで部活入らなかったの?」
マサキは少しだけ視線を上げる。
「……しんどい」
リサは数秒だけマサキを見て、それから「あー……」と納得したように笑った。
「まぁ、確かに放課後も集団行動ってきついか」
「……ん」
マサキはそれ以上説明しない。
でもリサにはもう分かっていた。
毎日同じ空間。
ずっと誰かがいる。
気を遣う距離。
帰るタイミングまで集団。
部活動には、マサキが苦手そうなものが、だいたい全部入っている。
リサはそれ以上踏み込まない。
(うーん、ここで無理になにかを勧めるのは危ない気がする)
マサキは今度は逆に聞いた。
「リサは? モデルやる前とか」
「家庭科部」
マサキの足が、ほんの少しだけ止まりかける。
「……はまりすぎてて怖いな」
「そう?」
リサは首をかしげる。
マサキは言葉を足した。
「料理できるし裁縫もできるのに、もっとちゃんとやろうとして入ったんだろ」
あまりにも自然な言い方だった。
リサは一瞬、言葉を失う。
マサキは特に照れた様子もなく続けた。
「すでに生活能力高いのにすごいよな、向上心ってやつ」
リサは少しだけ目を逸らした。
「……いや、そんな立派な理由じゃないけど」
目を泳がせてから、観念したみたいに続ける。
「違うのか」
「見学行ったら先輩がシフォンケーキ焼いてて」
リサは当時を思い出したのか、ぱっと表情を明るくする。
「えー、お菓子食べれるの?って思ったの」
その声だけ、少しだけ当時に戻ったみたいに弾んでいた。
数秒、沈黙。
マサキがゆっくり瞬きをする。
「……急に親近感わいたな」
「なにそれぇ」
リサは肩を揺らして笑った。
「でも実際、お菓子食べれるの週一くらいでさ」
「詐欺だな」
「ほんとだよ!」
リサは少し前に出るようにして、タピオカのカップを軽く揺らしながら続ける。
手は繋いだままなので、動きは控えめになる。
「ずっと、パッチワークとか小物づくりばっかりだったし」
「へぇ」
マサキは短く返す。
(ほんとに釣られやすいんだな…)
食べ物に弱くて、しょうもない理由で部活を選んだりもする。
そういうところは、自分が勝手に思っていた『完璧な女の子』よりずっと普通で、少しだけ近く見えた。





