第5話③ 夜
─そして時は経ち、その日の夜。
「…まさか宿にすら泊まれないなんて」
時刻は現在9時頃。とっくに日も沈んでしまった暗闇の中を夏樹とカノンは肩を窄めながら歩いていた。
二人は今日の夜を超えるための寝床を探していたのだが、見つけた宿泊所では、どこも未成年だということもあって断られてしまう。
そのうえ、警察を呼ばれそうになったことも何度かあり、もはや逃げるしかなかった。
「これじゃあ犯罪者以前の問題ですね…」
「いい加減諦めろよ」
夏樹のうんざりした声が飛ばされる。
それにカノンが反論を唱える。
「だって、ベッドが無いと寝る場所がないじゃないですか」
「…………」
だが、その言葉を聞いた夏樹の様子がおかしいことに気づいた。
またいつもの、「何言ってるんだコイツ?」とでも言いたそうな顔で、カノンのことを見てきているのだ。
何か嫌な予感を覚えるカノン。
「あれ…夏樹さんって、そういえばいつもどこで寝てるんですか?」
「地面」
あっさり返ってきた夏樹の答えに、カノンが夜の静けさに包まれる街の中で叫んでしまう。
「地面!?冗談ですよね!」
「どこにでも宿があるとは限らん。仮眠さえ取れれば、俺はいい」
「…どうなってるんですか。それ──」
もはや驚きすぎて、まともな言葉さえ繋げられない。流石にそんな所で寝るわけにはいかない。が…
「でも、今日一日ですごく疲れちゃいましたし…早く寝たい気持ちも」
カノンが眠たそうな顔を浮かべて、欠伸を漏らしかけながら、ギブアップしたい衝動に襲われる。
「行くあてがなければ、公園にでも行くぞ」
「ちょっと待ってください。流石に外は……うん!やっぱりもう少しだけ探しましょう!」
とはいえ、嫌なものは嫌だ。
だからカノンは身体をなんとか踏ん張らせながら、まだ諦めないと決意する。
しかし──
…………
「…って、ダメでしたね」
結局、泊まれる場所は見つからなかった二人。
そのまま夜も段々と深まってきたため、タイムリミットとなり、近くにあった公園の中へやってきてしまった。
「これ本当に地面で寝ないと、ダメなんですか……?嘘ですよね…」
「別にベンチで寝ればいいだろ」
憂鬱そうな顔で話すカノンに、夏樹がすぐそこに置かれたベンチを指す。
「うぅ。まぁ…地面よりはマシ、なのかな」
目線を向けたカノンが肩を落とした。
そんな彼女を傍目に、夏樹が一人で歩き出す。
「ん?どこに行く気ですか?」
「俺は向こうで寝てくる。お前はそこで寝てろ」
夏樹が視線を送ったのは、今居るベンチの前から少し離れた場所。
「ダメですよ?」
「…なんでだ」
「だって、あんな遠くに行ったら、また夏樹さん勝手にどこかへ行っちゃいそうですもん」
「…………」
だが、途中でカノンに止められてしまう。
「なら、どうしろと?」
「せめて…寝るにしても、もうちょっとだけ私の近くにしてくれませんか?」
ずっと我儘ばかり言うカノンに、呆れてものも言えなくなる夏樹。
そろそろ苛立つのすら疲れてきた。
「…ふんっ」
夏樹が不貞腐れたように、鼻息を鳴らす。
「なら俺はここで寝る。お前は上で寝ろ」
そう言って、夏樹がベンチの横側へもたれかかった。
「…いや、それもダメです!」
「──あぁ!?」
なのに、それもカノンに否定されてしまい、思わず飛び起きてしまった。もはや絶句という範疇では収まらない。自分に一体どうしろというのか。
「夏樹さんがベンチで寝てください!」
「そんなのどうでもいいだろ」
「よくないですよ!人に不快な思いをさせてまで、自分だけ良い思いをするとか、私は嫌なんです」
「知るか。俺は座って寝るほうが身体が鈍らんで楽だ。だからほっとけ」
カノンが必死に訴えかけてくるも、夏樹が冷たくあしらう。するとそんな彼を見てか…
「─じゃあ、私も地面で寝ます」
「……地べたは嫌なんじゃなかったのか」
負けじとカノンも地面へ腰を下ろし、夏樹を混乱させる。
「嫌ですけど、仕方ないですもん。私だけが得するくらいなら地面のほうがマシです」
「…そうか」
どうでもよさそうにカノンの反対側を向く夏樹。
そのままヘソを曲げたように頭を下へ向けたのを見て、夏樹はもう寝てしまうのか、とカノンが思った。
なら自分も寝ようと、カノンは地面に身体を倒して睡眠に入ろうとするが。
「痛てっ」
カノンの頭に少し弾力のあるものが飛んできた。
思わず目を向けてみると。
「使え」
何か物が地面に落ちていたのと同時に、夏樹のぶっきらぼうな声が入ってくる。
「これは…鞄?」
「お前は寝転ぶんだろ。なら枕の代わりにしろ」
普段使っている。武器の斧を収納していたボロボロのバッグから中身だけを抜き取り、カノンへ投げつけた夏樹。そして彼女のほうを振り向きもせずに、淡々と告げた。
「いや、いいですよ!夏樹さんの大切な鞄じゃないですか!」
「…別に。それは、その辺に捨てられていたのを拾っただけのゴミだ。思い入れなんざ一つもない」
その声に嘘偽りなどはなく、揺るがない声色で不機嫌そうに話す。
「だから、好きに使え」
驚いたまま固まるカノンは、そんな夏樹の様子を見て呆然とした。
夏樹が自分に何かしてくれるとは思ってもみなかったため、思考の整理がいまだに追いつかない。
「…汚かったら、放って構わん」
「ううん。それは気にしてませんけど…」
なんとなく感じる違和感に、カノンは言葉に出来ない不安を覚える。
しかし…
「──ありがとうございます」
きっと気のせいだと信じて、今日は眠ることにする。これは善意であり、別れの挨拶などではないと。
そう祈りながら……
……深夜。
カノンが寝息を立てながら、寝静まった頃に。
「悪いな」
夏樹は一人立ち上がると、地面の上で自分の鞄を枕にしながら睡眠に入ったカノンを見て一人呟いた。
「この旅に、足手まといは要らん」
そう、冷え切った目を浮かべる。
カノンが寝る前に考えていた最悪の予想は、決して間違っていなかった。
…結局のところ、夏樹はどこまでいっても冷酷な復讐鬼に過ぎない。
誰かに絆されることはなく、自分の目的のためであれば人を平気で傷つけ、場合によっては殺すことさえ厭わない残酷非道で悪辣無比。
それが空亡夏樹という男なのだ。
──さっきまでカノンに大人しく付き従っていたのも、少しだけ見せた善意も、全てはこの時まで、カノンを欺くための滑稽な演技である。
あのまま放っていれば、きっとカノンはどこまでも。…それこそ地の果てまで追いかけてきただろう。
そんなのは死んでも御免。実際にはまだ死ぬわけにはいかないが、限りなく死に近い状態になったとしても御免被るのだ。
だからこそカノン・エーデルスはここで捨て置く。それが夏樹の導き出した唯一の結論であり、最初から分かりきっていたエピローグ。
──夏樹が一歩を進める。
カノンには多少の感謝もある。
熱狂都市の教会で、聖方教会が誇る守護騎士と交戦していたところを援護してもらい、結果として大した労力を使わずにアンプールを撃退することが出来た。
その成果が、あんな下賤な本だったとはとんだ笑い話ではあるが、それでも己が助けられたという事実に変わりはないだろう。
だが、それはそれ。これはこれ。カノンが夏樹のことを助けたのも、彼女が自白していたようにただの恩返しなのであり、二人の間には貸し借りの関係など存在していない。
…仮にあったところで、返すほどの義理人情など持ち合わせていないが。
──夏樹が再び一歩を進める。
今思えばとんだ厄日だったと。夏樹は憤怒する。
こんなわけの分からない常識知らずで、恥の「は」の字も知らなさそうな女の世話で一日を浪費させら、れたとは全くもって腹立たしい。
考えてみれば、全ての元凶は襲いかかってきた猛牛から己の身を守ろうとしたことにある。
他人になど露も興味はなかったのに、たまたまそこへカノンが居て、狂気じみた勘違いから教会までの道を付き纏われ、ようやく別れられたと思えば、常軌を逸した思考回路により、また一日中付き纏われる。
神を信じる気など毛頭もないが、これだけ最悪の偶然が続くと、神はどれだけ自分のことが嫌いなのだと夏樹はやり場のない怒りを神に覚える。
教会を襲撃した身であるのだから、当然といえば当然であるのに。
──夏樹がまた一歩を進める。
そうだ。カノンの行動の中でも、とりわけ夏樹を不快にさせるのは、彼女の言動そのものである。
何が仲間だというのだ。この俺が仲間だと思い込まれるなど腹立しさ極まりない。
自分はあんな小娘とは根底から違うのだ。
姉が居なくなっただか、なんだか知らないが、家族も友達も知り合いも全てを失い、復讐のためだけに誰彼構わず傷つけることを選んだ俺と、温い平穏の中で人の悪意に一切晒されることなく過ごしてきただろう彼女。
はっきり言って仲間だという共通点など一つもない。俺をお前なんかと一緒にするな。
怒りは四六時中ずっと滞ることなく溢れてくるが、腹立たしいという意味では、こんなにも腹立たしい気分になったのは生まれて初めてだ。あぁ、本当に腹立たしい!
だから、だから、だから、だから。
──だからこそ、夏樹は平然とその一歩を。
「…お姉ちゃん」
「──っ!」
しかし、夏樹は足を止めてしまった。
後ろを振り向くと、視線の先に映るのは疲れて眠り込むカノンの姿。
今の弱々しさを感じさせる声は、彼女の寝言だったらしい。
白い街灯に照らされる彼女は、どこか切なさを漂わせていて、吹けば簡単に消えてしまう風前の灯火のように寂しく見える。
【夏樹さんは…私と同じで──ひとりぼっちだから】
花屋の前でカノンに言われた言葉が、今になって何故か夏樹の頭に響き渡っていった。
…彼女は今、どこかへ消えてしまった自分の姉を思い浮かべて夢を見ているのだろうか。己が失った家族たちを夢で見る時のように。
彼女の夢が孤独の悲しみから来るものなのだとすれば、カノンが自分たちを、ひとりぼっちどうしの仲間だと呼ぶのも仕方ないのかもしれない。が…
「そんなわけ…ないだろ」
本当に同じだと思い込んでいるのなら、それは愚鈍としかいえない推測であり、勘違いもいいところ。
お前に俺の何が分かるのかと夏樹は一笑に付してやりたい。
夏樹はもはや自分の大切だった人間たちの顔を見ることすら嫌で、嫌で、嫌で、堪らなく嫌なのだ。
だから夢なんて幻想を見てしまうものは見たくないし、夢を見てしまう睡眠など取りたくない。
お前のように気楽に寝てられなんかいられないから、俺とお前は仲間でもなんでもないのだ。と吐き捨ててやりたくなるほどに、夏樹にとって、カノンは癪に触る女である。
なのに──。
「…馬鹿じゃないのか」
地面で無防備に横になるカノンは間抜けみたいだ。そんな様が夏樹の苛立ちをさらに加速させる。
もし夏樹が今すぐにでも、ここを去って仕舞えばこんな場所で一人になって、そのうち人攫いだの、スリだのに合うかもしれないのに…
だが、そんなことにすら考えが向かないで呑気に寝ていて、カノンに警戒心というものはないのか。
腹立たしい腹立たしい。どこまでも夏樹を腹立たさせてくる。
「──ちっ」
忌々しそうに舌打ちをすると、夏樹は湧き上がる苛立ちを抱えながら、ついに歩いてきた距離を引き返してしまった。
やがて、そのまま元居たベンチ横にある地面へ座り込むと、変わらずに寂しげなカノンの顔を見つめる。
…相変わらず、何度見ても腹立たしい。
カノンのことなど、どうでもいいのに。
己は誰も顧みず、自分のためだけに生きるのだと、とっくの昔に決めただろうに。
──何故己はこんな行動を取ってしまうのか…
そんな自分への疑問と、果てしない苛立ちに憤怒しながら、結局、夏樹は眠りへ入るしかないのだった。
ーーーーーーー
「おい、起きろ女!!」
朝になって、周辺に響き渡るほどの大きな怒声が、ぐっすり寝ていたカノンの耳をつんざく。
「わっ……!」
目が覚めて、驚きのあまり飛び起きたカノンが、思わず目を向けると。
「さっさと行くぞ」
そこには夏樹の姿があった。
「………」
「…なんだ」
自分を静かに見つめてくるカノンに、いつも通り無愛想な表情で夏樹が声を出すと。
「──夏樹さん」
眠たそうな顔でカノンが笑う。
『今度はちゃんと、逃げないでくれたんですね』
その言葉に夏樹は一瞬、目を見開くも…それを取り繕うかのように、すぐに元の表情へと戻る。
「…別に、俺はやっぱり自分の鞄が惜しくなっただけだ」
そう言って、夏樹は背中を向けると前へ進み始めた。
カノンはすぐに立ち上がって、自分のそばに置かれたままの鞄を拾い上げると、そんな夏樹を追いかけて告げる。
「大丈夫ですよ。私は最初から知っていましたから!」




