第3話 人形の街
山頂を降りてから、数日。
苦界往生遍路巡りを始めてから、一週間と少しばかり。
夏樹とカノンは、ロズアルプ山脈の鼠色に塗装された道路の上を歩いていた。
ほんの少し前までは、近道をする都合上、険しい山道を進まざるを得なかったが、技術の発達により、開拓の進んだ現代社会において、その全てが岩場で作られた道ばかりではない。
むしろ、ロズアルプ山脈の中には数多くの街々が並びたっており、人が営みを築き上げているのだ。
──そういった街で補給を済ませながら、聞き込みもしつつ、夏樹たちは今日も、涅槃都市を目指して旅を続ける…
「……あれ?」
カノンがふと、動きを止める。
その声と同時に夏樹もまた足を止めると、カノンのほうを振り向く。
「どうした?」
「うーん、何かおかしい…」
変わり映えしない山の道路を歩く二人だったが、それから少しして、準備を整えようと近くの街に降りてきた。
しかし、そこでカノンが異変に気づく。
「ここって、街…?ですよね。なのに他のところとは少し違わないですか?…それに匂いも変ですし」
「…そうか?だが、確かに臭いな」
「ですよね」
遠目に映る景色。
今までの街は綺麗に家々が整えられていたのに対し、この街はどこか寂れてみえる上、悪臭が二人の鼻に漂ってきた。
「流石に道を間違えたってことは、ないと思いますけど…」
カノンたちは、山に沿って歩いていたはずだ。
──途中で分かれ道があったりもしたが、当然二人は何度も人に尋ねて確認した上で進み、曲がった先でもまた、間違いがないかは確かめていた。
加えて、ここに来るまでは特にそういった分岐点もなかったはずである。
「こういう街なんでしょうか」
「…分からん」
何一つ聞いていなかった情報に、二人が顔を見合わせる。
「──まぁ、どのみち準備はしておきたいし、ひとまず行ってみましょう!」
違和感を感じつつも、二人は街の中へ進んでいった。
その広さ自体は、山中にある街にしては、なかなかであり、建物同士に距離はあったりするが、それを加味しても、村というには少し大きいかもしれない。
…だが、本当に取り上げるべきは街の様子のほうだろう。今にも崩れ落ちそうなほどに、破損して汚れた家や街の造物。
さらに下を見てみると、酷いのは散乱したゴミの数々だ。プラスチック用品から、砂のような粒…他には誰かが食べ残した残りカスも。
近づくにつれて、確信に近づいてくる匂いの存在に夏樹とカノンは何事だろうかと思う。
「えっ?あれって山…いや、ゴミで作られた山ですか!?」
周囲を見渡せば、巨大な金属片や、廃棄されたビニール、ガラス瓶などで構成された山がいくつも並び立っている。
その中には古くなった車や、電子機器まで、ありとあらゆる物が放置されていた。
カノンが家を正面から見ると、それもまともな木材ではなく、倒壊した枠に適当なゴミを固めただけの簡易的な小屋だと気づく。
屋根もまた、ビニールシートを乗せられていて、本当にそれっぽいだけに過ぎない。
「ん、うん…?この街の家……家じゃないですよ」
「街も荒れていて、人が住む場所には見えん。…到底、現代社会とは思えんな」
一風変わった様子に、そういうのをウリにしている観光スポットかとも思ったが……にしては、あまりに荒廃しすぎている。
一応、家がある以上、人は暮らしてはいそうだが、ゴミ山ばかりがどこまでも広がる街に、困惑する二人。
「…ここは、紛争地帯なのか?」
「紛争…?北方区域で紛争なんて聞いたことありませんけど…」
夏樹は以前に西方区域を旅していた時、多少似た光景は見たことがある。
絶望行軍の進行によって、崩壊した街々。
その景色がまさに、ここと同じような光景だった。
──しかし、この場所は北方区域であり、絶望行軍の闊歩する西方区域ではないはずだ。
「そもそも、前の街と全然違いすぎますよ!しかも、ちょっとどころじゃないですし!」
「わけが分からん。──ここまで酷いとは思っても見なかった」
「街でいい、んですよね?それすら私…不安になってきました…」
悪臭の漂う中、困り果てた二人が歩いていると。
「……!?」
油断はしていなかった。なのに、あまりにも唐突。
突如として、目の前に大きな人影が立ちはだかった。
二人はこの街の住人かとも一瞬思ったが、それにしては少し…いや、本当にでかすぎる。
「…誰だ!」
「……ん? …!」
二人は戸惑う。
「これって、もしかして」
叫ぶ夏樹だったが、カノンがその正体に気づく。
二人の身長、横幅をともに大きく超える存在…それはまさに。
『えっ……──着ぐるみ?』
可愛らしいマスコットキャラクターだった。
荒れた街に似合わぬ姿に度肝を抜かれる夏樹とカノン。何故、こんな場所に立っているのだろうか。
「着ぐるみだな」
「着ぐるみですよね…」
「………んん??」
白い形を取った単純なデザインをじっーと二人が観察する。
「あのぉ〜、こんにちは!この街の方ですか?」
「…………」
カノンが話しかけるも、着ぐるみは返事をしない。
熱狂都市のようなお祭りで、カノンは僅かながら目にしたことがあるだけだが、こういう物の中には、人が入っているものだと思う。
だが、少しも動かない様子に変だと感じるカノン。
「こんにちは〜?こんにちはー」
何度試してみても、やはり無言ばかりが返ってくる。
「誰か入っていらっしゃいませんか〜?」
真ん丸の黒目で、遠くを見つめ続ける着ぐるみに尋ね続けるが、相手にすらされない。
「…ダメだな、ただの抜け殻なのかもしれん」
「着ぐるみって、中に人が居なくても真っ直ぐ立てるものなんですか…?」
「分厚い構造ならいけそうだが」
直立した状態の着ぐるみ。
見れば見るほどに、自然と呼ぶには不自然な姿であり、誰かが放棄したにせよ、あまりにも丁寧に置かれすぎだろう。
「…………」
なんのために捨てられたのかは分からないが、全身真っ白な身体には汚れ一つついておらず、──時間はあまり経っていないのかもしれない。
「まぁ…ただのゴミなら、放っておくか」
「うーん…うーん? そうなんですかね…」
違和感が残りつつも、二人は何度も振り返り、着ぐるみから離れていく──
………………
「……! 誰か人が居ますよ!」
少しして、すぐにカノンたちの目に人の形が入った。
街の老朽化した壁にもたれかかるようにして、適当に布で作ったらしい簡易な拠点に倒れる人や、ゴミ山を漁る手で漁っている人々。
その様相に、カノンは目を見開きながら驚いた表情を浮かべる。
「皆さん…何をしているんでしょうか…」
「まさかな」
夏樹は何かに勘づく。
二人が目を真っ直ぐに向けると、一番近くにある少年が目に入った。
「……子供?どうしてこんなところに。──ひとまず話を聞きに行ってみますか」
他の人と同じようにゴミを漁る小さな少年を見て、二人は歩き出す。
…その少年は、髪を好き勝手伸ばし、乱しており、着ている服も、まるで捨てられていたのを拾ってきたかのように汚い。
何よりも、近づいただけで独特の匂いが漂ってくる。
「こんにちは!君は何をしているんですか?」
カノンが話しかけると、ゆっくり振り向いて、少年は何度か瞬きした。
「えっ?」
「あ、すみません。私たち外から来たんですけど、みんな揃って何をしてるのかなって…」
声を詰まらせる少年に、カノンが自分たちの状況を説明する。
やがて、少年は口を開き始め──
「ご飯を探してるだけだけど…」
当たり前のように二人へと告げられる。
それを聞いて、動きが固まるカノン。
「…ん?ご飯……?」
「うん」
変わらずに出てきた「ご飯」という単語に、カノンはわけが分からずに、夏樹のほうを振り向いた。
どうしてこんな食料がないような場所で、ご飯なんてものが出てくるのか、どこを見たって廃棄物ばかりであろうに。
そんなカノンへ、夏樹はただ相槌だけを返す。
「えーっと…君の名前は?」
「名前って、"ご飯"みたいなの?」
「多分、それです!」
カノンが少年を尋ねると、少年は首を横に向けた。
「僕に名前はないよ……」
「えぇ?名前って、誰にでもあるものですよ」
「ん、ある人も居るけど、なくても生きられる」
「…そういう問題ですか?」
うーん。とカノンが頭を悩ませる。
今までの旅の中で、名前を聞いて、名前がないなんて人には会ったことがない。
それだけに、この状況はおかしなことであった。
「おい…じゃあ、この街の名前は?」
「街は誰の名前?」
続いて、夏樹が少年へ話しかける。
他の街とは、どう見ても景色の異なる場所について確認しようと尋ねるが、返ってきたちんぷんかんな答えに眉をひそめる。
「違う。この場所……いや、お前らが今立っているところの名だ」
夏樹が指を差して、辺り一面に広がる光景に目を向ける。
それに対し、少年は何がなんだか分からない表情であったが、やがて夏樹の指を見ていると理解したように、あぁ。と頷いた。
「ここは──『ゴミ捨て場』だよ」
当たり前のように呟かれる少年の声。
唐突に飛び出してきた、夏樹の質問に対する答えにしてはやけに聞き覚えのある単語に耳を疑う二人。
普通、街につけられる名前といえば、あまり具体的ではないと思うが…
「…それが、この街の名前…ですか?」
「ゴミ捨て場…いや」
困惑するカノンに、夏樹は顔を強張らせる。
「おそらくだが、ここは正式な街じゃないな。文字通り、ただのゴミ捨て場なのかもしれん」
そう夏樹は静かに呟いた。
カノンは、どういうことだろう。と夏樹の目を見つめて次の言葉を待つ。
「前に芸術都市で、ショコラとかいうガキに会っただろ」
「え?…はい!でも、どうして急にショコラさん?」
すると、夏樹の口から友達の名前が出てきたことに驚き、カノンは呆気に取られる。
「多分、こいつらも"同じ"だ」
「………?」
ちょっと回りくどい言い方をする夏樹に、カノンはやはり何を言ってるのか分からない。
だが、それをよそに夏樹は真剣な顔で告げた。
『ショコラどもと同じで、住む家がない人間。それがこいつらの正体だろうな』
──そこで、ようやくカノンは気づく。
「…つまり、この子たちはホームレスの方々?」
「あぁ、間違いない」
目の前に立つ、みすぼらしい格好の少年や近くの人々は、ストリートチルドレンのショコラと同じような帰る家のない人間たちであるということに。
彼らは何らかの事情があってか、この場所で暮らしていたのだ。
「なんでこんなに小さい子が……ううん。それはショコラさんたちだって、同じですよね…」
一度、カノンは彼らが何故、こんなゴミ捨て場で暮らしているのかと疑問に思うも、人にはそれぞれ自分では分かりっこない理由があるのだと悟る。
「じゃあ、待ってください。"ご飯"っていうのも…もしかして──」
次に、カノンの脳裏に過ぎるのは、ある可能性。
「…ねぇ、君のいうご飯って。ここに"捨てられている"ものから探しているってことですか?」
「うん、そうだよ。この前、新しく持ってきてたから…まだ残ってないかなと思って」
その少年の答えにカノンは目を見開いて絶句する。
ゴミなんて食べるものじゃないだろうに、本気で捨てられたゴミをご飯と見做して食べているとはにわかに信じ難い。
…いや、知識としては知っている。そういう人が居ることも知ってはいたけども、事実だとは実際に目にするまで思ってもみなかった。
「そうだったんですね…すみません。変なこと聞いちゃって」
「なんで謝るの?」
「いや、ちが……ごめんなさい…」
カノンは言葉に詰まって、ただ謝罪を述べるしかない。
そんな様子を隣の夏樹は見かねてか、苦言を呈す。
「別に、お前が何かしたわけじゃないだろ」
「でも、私は自分がこの子たちより、楽に生きているのが申し訳ないです」
「世の中、誰だって裕福とは限らん。…そういうやつも居る」
冷たく吐き捨てられる夏樹の言葉。
しかし、カノンは理屈では分かっていても、頭で簡単には割り切れなかった。
「確かに、そうかもしれないですよ。そうかもしれないけれど……あ、そうだ」
カノンが何かを思い出すと、自分の鞄を漁り始める。やがて、取り出したのは幾つの袋。
「こんなのしかないけど、よかったらどうぞ!」
「……?」
無理矢理に笑いながら、カノンが少年へそれを差し出した。
一見、何の変哲もない白い袋の中身はお菓子や携帯食などの入ったものである。
「何これ…」
「新鮮な食べ物です!美味しいので、ぜひ食べてください!」
目を大きく見開いて、軽快の眼差しを向ける少年にカノンは淀みのない声で話す。
「そこの人たちもどうぞ!みんなでいっぱい、分けあってくださいね」
「…お前、何してる」
カノンが、遠くからこちら側を見ながら、聞き耳を立てていたホームレスたちにもお裾分けとでも言いたそうに大きな声で食料を指差す。
しかし、その間に夏樹の怒りを含んだ声が割り込んだ。
「そいつらに飯を上げたら、お前の分はどうするんだ」
睨みつけるように、カノンの瞳を射抜く夏樹の視線。カノンは内心驚きつつも、小さな声で返す。
「私は少し我慢するくらい平気です。…それに、ご飯はまた次の街で買えばいいだけですし」
「…そうじゃない」
夏樹がカノンの楽観的な言葉を聞いて、口を挟もうとするも、彼女の悲しげな顔を見ていると腹から湧き上がっていた厳しい言葉が霧散してしまった。
だがそれでも、いざという時の二人の分は残しておかなければならないため、夏樹が冷たく告げる。
「…俺はこいつらには何もやらんぞ」
「大丈夫ですよ。こんなの…──私のエゴなんですから」
困ったように笑うカノンに、夏樹は黙り込んだまま表情を強張らせるしかない。
「じゃあ…そろそろ引き返しましょう。特にお店とかもなさそうですもんね」
カノンは鞄の蓋を閉めると、周囲を見渡した後に夏樹に向かって話しかけた。
そのまま二人がこの場を去ろうとする。すると…
「…あ、ご飯ありがとう!!」
「いえ、気にしないでください」
必死な形相で袋の中身を漁っていた少年は、入れられていた動物の図柄が描かれるスナック菓子の袋を取り出し、手に持つとカノンたちへ見せるようにして礼を言った。
カノンはそんな少年へ、軽く手を振り返しながら前へと進む。
やがて、少年たちの居た場所から段々と離れていく二人──
「あのガキどもに飯をやったって、それはあいつらのためにはならない」
夏樹が改めて、カノンに向かって静かに声を漏らした。その場しのぎにすぎない中途半端な優しさによる善意。一体、なんの意味があるというのか…
だが、カノンは変わらずに信念を曲げない。
「それでいいんです。たとえ一時でも幸せな気持ちになってくれたのなら、それでいいんですよ」
夏樹はカノンのそんな言葉を偽善だと思う。
しかし、それを口に出来なかったのは、ただ単に彼女を不用意には傷つけたくないと、感じたからなのかもしれない。
──もし、少し前の自分ならカノンを堂々と咎められたのだろうか。
そんな、以前より弱くなった自分に、憤りを感じつつも夏樹はカノンとともに来た道を引き返していく…
……………
「……ん?」
すると、二人が途中で足を止めた。
「これって、さっきの着ぐるみですよね?」
「…だな」
夏樹とカノンの目に映ったのは、ここへ最初に来る時にも見た白いマスコットキャラクターの着ぐるみ。
来た道を引き返しているのだから、それがあること自体は何もおかしくないはずだ。だが…
「──こんな、場所にありましたっけ?」
そう、着ぐるみの位置が微妙に変わっている。
つい先程ここを通った時には、もっと人目のつきやすいど真ん中の辺りに立っていたが、今二人が見てみると着ぐるみは壁のほうに移動していた。
「俺の記憶だと、もっと不自然なところにあったはずだが」
「うん…私もそうだったと思います」
「さっきの住民の誰かが退かしたのか?」
口々に二人が呟く。もしかすると、ゴミ漁りをしていたこの街の人間が邪魔だと思って別の場所に動かしたのかもしれない。
「ちょっとホラーですね…」
カノンが着ぐるみを眺めながら、目を細める。
「というか、これってどうなってるんでしょう?やっぱり私、中が気になります」
そう言って、カノンが手を伸ばした。
正直な話、カノンは着ぐるみというものを初めて見た時からずっと、「中に何が入っているのだろう?」と単純な好奇心から、疑問に思っている。
だからこそ、カノンは警戒もせずに着ぐるみに触れ──
「……!」
「──うわっ!」
突如、驚いた声を上げ、カノンは後ろに倒れかける。
いきなりの出来事に目を見開く二人。何故ならそこに立っているのは、"両腕を交差させて抱きしめるようにポーズを取った着ぐるみ"。
だが、さっきまでそこに居たのは、間違いなく直立していただけの、何の変哲もない着ぐるみだった。
巻き起こった風にカノンたちの髪が揺れる。
そして、押しつぶすほどの勢いで腕を重ねる"それ"。
二人を前にして、着ぐるみは突如…「明確」な敵意を持ち、ひとりでに動き出す──




