幕間 絵描きの憂鬱
──7月。芸術都市フラン
夏樹とカノンが去ってから、数日が経過した芸術都市の一角にて…
一人の少女が息を上げながら、街中を走っていた。
「はぁ…はぁ……」
手に紙袋を持ち、急ぎ足で駆けるピンク色のサイドポニーテールにベレー帽を被った少女──元贋作師にして、芸術家のショコラ・ヴェリテである。
「とうっ!──おっと」
ショコラが段差を乗り越えて、分かれ道に出ようとした時、ふと目に入った男たちの姿に思わず後ろへ一歩下がってしまった。
「(危ない危ない。こんなところにもいるのね)」
壁から少しだけ顔を出し、ショコラが向こう側の道を覗き込む。
そこには一般市民からだいぶかけ離れた特徴的な格好をする者たちが何人も立っている。
「(軍の奴ら…何をしているのかしら?)」
ショコラは彼らが世界統一戦線の兵士であると、すぐに気づいた。
仲間のシェパードから情報はある程度聞いていたが、実際に目にすると中々に異様な雰囲気を纏っており、ショコラは気づかれないよう慎重に観察を行う。
「(確か、黒い軍服を着たのが『滅悪師団』…よね」
初めに目に映ったのは、ショコラから見て一番近くに立っている真っ黒な服に、軍帽を頭へ被せた屈強な男たち。
肩に乗せた銃を斜めに構える彼らは、戦線に所属する兵士の四割を占める部隊の一員。
治安維持を目的として、いまだ内戦の続く戦場やテロ組織の鎮圧にも派遣される戦闘のエキスパート。
人呼んで──滅悪師団。
「(なら、向こうに居る青いのは『慟哭師団』の連中?)」
滅悪師団から少し離れた場所に居るのは、夏樹たちが永世平和都市ジュネイスで出会った「怪人」フィアワールドが率いる部隊。
青い軍服を着込んだ彼らは、災害地域や紛争地帯における人命の救助を目的として動く。
滅悪師団に次ぐ規模を誇る世界統一戦線、五つの師団のうちの一つ。──慟哭師団。
「芸術都市への救援に来たなら、慟哭師団だけで充分なはずでしょ。なのに、滅悪師団まであんなに来たってことは──」
息を殺しながら、ショコラが観察を続けて思考を巡らせる。
「呪影の天聖騎士」ロヤテ・フィルヴィエンスによる大規模な人災が発生したこの場所に、慟哭師団が来たのは理解できる。
しかし、問題は銃を構えてお明らかに穏やかな雰囲気ではない滅悪師団。本来…悪への抑止力としても働く彼らだが、混乱に乗じて悪事を働こうとする者たちを取り締まるにしては少し……数が多すぎる。
「(……うん。カノンたちを逃して、正解だったわね)」
滅悪師団の背後には戦車が停められている。
ロヤテの死亡が確認された今となっては、彼らがここで"誰"との戦いを想定しているのか。
ショコラの頭には最悪の想像が過ぎるのと同時に、無事に二人を逃がせたことへの安堵が湧き上がった。
「(とはいえ、長居するのは得策じゃないわ。さっさと私も帰りましょう)」
現場には自分たち以外に誰も居なかったのだから、そう簡単に足が付くことはないと思うが、一応ショコラ自身もあの戦いに参加した一人である。
面倒くさい事態になる前に、「パトロン相互会」のところへ帰るのが一番だろう。
──ショコラは後ろを振り向き、回り道をすることに決める。
ーーーーーーーー
「(ここも、だいぶ変わったわね)」
フランの街中を歩くショコラ。
辺りを見渡すと、以前より変わってしまった街の景色になんともいえない感情を抱く。
普段は、壁や床にいろいろ落書きされた絵が描かれているが、この静寂に包まれた世界の中では、それが却って荒廃的な雰囲気を生み出しているように思う。
道に並べられた芸術品の数々も、誰かが持ち出そうとしたのか、鬱憤ばらしに破壊しようとしたのかは分からないが、所々欠けていてさらにショコラの想像を加速させた。
「(う〜。ちょっと、描いてみたいかも…)」
湧き上がるインスピレーションに、ショコラはつい筆を手に取って白いキャンバスにこの景色を収めたい衝動に駆られる。
しかし……
「(…まぁ今は、そんな暇ないか」
諦めたように肩を落として、残念そうな顔で前に進み出す。
何が起こるか分からない中、ショコラ自身の安全もそうだが、家族にも近い仲間であるパトロン相互会メンバーの子供たちの安全が第一だ。
ショコラが手に持つ紙袋には、軍から配給された食料などが入れられており、出来る限り早めに届ける必要がある。
だから、ショコラがみんなのリーダーとして頑張らなければならず、急いで帰ろうとする。が──
「…ん?」
その時、ショコラの目にしゃがみ込むようにして地面に座り込む女の子が映った。
「(あの子…大丈夫かしら?)」
物憂い気な顔で、下を見つめる小柄な茶髪の女の子に、ショコラは不安を覚える。
今自分は急いで帰らなくてはならないが、その子を見ていると、パトロン相互会の子供たちを思い出すようで少し放って置けない気分になった。
ショコラが女の子のほうへと向かう。
「ねぇ…あんた、どうしたの?」
ショコラは屈んで、膝に手をついて目線の高さを女の子に合わせながら、唐突に話しかけた。
「……え?」
「そんなところに座って変じゃない。何か困ったことでもあるのかしら?」
素っ気ない言葉とは裏腹に、女の子が怖がらないよう慎重に様子を伺いながらショコラが尋ねると、驚いた表情を浮かべる女の子。
「誰ですか?」
「…あー。えっと……私はたまたま通っただけの芸術家よ!悪い人じゃないから安心しなさい!」
ショコラは軽い自己紹介をする。
「あんたが悲しそうな顔してたから、気になったの」
「アラが…?んーー」
自分の名前を一人称にして呼ぶ彼女が、考え込むような表情をするとやがて口を開いた。
「今、お母さんがご飯を取りに行ってくれているから、ここで待ってるの」
その言葉に、ショコラが少し反応を見せる。
「…お母さん?そいつが、あんたをこんな外で一人にさせて、待たせてるっていうの!?」
怒りを含んだ声で、ショコラが声を荒げる。
軍が徘徊しているとはいえ、まだまだ復興からは遠い芸術都市だ。そんな中で子供を外に放置させるなんてショコラは信じられない。
「う、ううん!お母さんは悪くないの。アラの家はすぐそこなんだけど、一人でいるのが寂しかったから出てきただけだもん」
「…あんた、一人だけで?」
「うん」
女の子から返ってきた答えを聞き、ショコラが沈黙する。
この子の行動力に驚いたのもそうだが、何よりショコラを悩ませたのは、少しだけ自分にも覚えがある話だったからだ。
……かつて、ショコラがお母さんに家に閉じ込められて過ごしていた幼少期。
結局、大好きなお母さんはショコラを置いて、おそらくは新しい家族たちとどこかへ消えてしまったが、それから初めて自分の部屋を飛び出して家の外に出た時の古い記憶が思い出される。
「そうなの。…頑張ったわね」
「………?」
女の子が困惑した表情を浮かべる。
彼女のような少女にとって家を出るのはよくあることだが、ずっと自分の部屋に居たショコラには、それがとても勇敢に見えた。
「だけど…今、外に居るのは危ないわ。早くお家に帰りなさい」
ショコラはもっと褒めてあげたかったが、心を鬼にして、安全な場所に行くように女の子を促す。
「…いやだ。寂しい」
「なるほど…?でも、私もずっとは一緒に居てあげられないわ」
わがままを話す女の子に、ショコラは頭を悩ませる。
「(うーん。こういう時って落ち着くまで側に居るか、たいてい他のやつに押し付けるから、分かんないのよね。……もしカノンなら、どうするんだろ)」
結論の出ない問題に、別の視点から考えてみようと、友人になって何日かを共に過ごしたカノンのことを思い出し、彼女の立場から考えてみる。
「(アイツなら『じゃあ、この花を上げますから、それを私だと思ってください!』…なんて。言うのかしら?)」
ちょっと馬鹿っぽいところのあるカノンが言いそうな言葉が頭の中に思い浮かんで、ショコラが愉快気に笑う。
だが、この手順は彼女の<花天>の能力あってのもので、ショコラには実現が難しそうに思えるが──
「(あ、そうだ。…私も夢覚者なんだから、いけるじゃない)」
自分も夢覚を持っていることに気づき、ショコラは閃いた。
「よし。ならお姉ちゃんが、あんたにプレゼントを上げるわ!それで満足しなさい!」
こちらを見つめてくる女の子に対して、ショコラは宣告すると、悪戯に笑って能力を発動する。
「夢覚 <絵空>」
ショコラの手に一本の筆が現れた。
そして、呆然としている女の子を前にショコラは空をキャンバスに絵を描き出していく。
「んー、こんな感じかしら」
目指すのは、彼女が喜んでくれそうな贈り物であり、筆をあっちこっちに動かしながら、自分のイメージを形へ──
「出来たわ!名付けて『天空の孤魂昇』」
歓喜の声が上がったのと同時、空に描かれた絵が光を放って実体化する。
女の子が眩しさに目を閉じた次の瞬間、そこには。
「──わぁぁ!」
可愛らしい兎の形をしたピンクの風船が、すぐに目を開けた彼女の前に浮いていた。
「ふふん。どうかしら?結構な力作だと思うんだけど」
「可愛い!」
「そうでしょう!中々に見所がある子じゃない』
大喜びしてくれた女の子に、ショコラは額を拭い、髪を軽く流しながら、自分の作品が褒められたことに満足そうな顔を浮かべる。
「じゃあこれを持って、家へ帰りなさい」
「……あ、えっと……」
「大丈夫!あんたの母親だって、すぐに帰ってくるわよ。だから元気を出すの!」
女の子が不安な顔を浮かべるも、ショコラが肩を叩いて励ました。
「うん…分かった」
その声に力を貰って、女の子は小さな腕に力を振り絞ると、ショコラの顔を見上げながら立ち上がって、大地を踏みしめる。
「ありがとう!芸術家のお姉ちゃん!」
「どういたしまして」
女の子はショコラの描いた風船の紐を大事に握って、満面の笑みを放ちながら、何度も頭を下げて、後ろを振り向くと帰っていった。
やがて遠くに消えていく彼女。
「…お母さんを大切にね」
ショコラは優しい目をしながら、そんな女の子に微笑みを溢し、一人呟いた。
遠い昔の自分に重ね合わせながら、女の子が走った先で曲がって自分の家のほうに向かったのを見届けると、ショコラは一息を吐く。
「(……さて、私も早く帰らないと)」
予想以上に時間を使ってしまったと、ショコラは紙袋を持ち直して、再び歩き出すが…
『──お嬢さん。私にも一つ、描いてくれないか』
後ろから突然、声が飛び込んできた。
ショコラはいきなりの出来事に身体を震わせて、反射的に後ろを振り向く。すると…
「…誰よ」
「あぁ、すまないね。私はただの通行人なんだが」
白く染まった長髪に、シルクハットを被せた身なりの良い格好をする眼鏡をかけた壮年の男性。
見知らぬ彼はにこやかに目を細めて、ショコラの前に杖を付きながら立っていた。
「君の筆捌きを勝手ながら見せてもらったよ。なかなかに素晴らしい腕だったので、どうか私にも、と思ってね」
警戒心を露わにするショコラに対して、男は怖じけることなく、どこか落ち着きのある声を放つ。
「……悪いんだけど、私も時間はないの」
「ほう、あの子には描いてあげたのにかい?」
「あれは子供だけの特別サービスよ。それに…」
ショコラが男に向かって、瞼を鋭く尖らせて睨みつける。
『今の芸術都市で羽織りがいいやつに、描いてあげる絵なんかないわ』
拒絶するようにショコラが冷たく告げる。
汚れ一つないような、綺麗に整えられた紳士らしい服装。状況を鑑みれば復興中のこの場所で、そんな格好をするのはリスクのある行為だが、ショコラが何よりも懸念していたのは──
「おや。見かけによらず、気の強い子だね」
「…あんた、この都市の人間じゃないでしょ」
「そこまで見抜くのか。君はお絵描きが好きなようだが、優れているのは腕だけじゃないようだ」
細まった目を怪し気に見開く男。
ショコラの推測は正しかったようで、返されたのは肯定。
すると、自分の素性に一瞬で気づいたショコラに賞賛を送りつつも、どことなく胡散臭い雰囲気を含んだ顔を露わにする。
「君の言うとおり、私は外から人間だよ。こう見えて軍人でね…君も知ってるだろ?呪影の天聖騎士が起こしたことは」
「…はっ!あんたが?軍服も着てないのに」
男が本当の身分を明かすと、わずかにショコラが動揺を見せる。
しかし、彼の服装がさっき見た滅悪師団や慟哭師団の軍服とは異なることに気づくと、自分を脅かすためのはったりかと思い、馬鹿にするように言葉を返した。
「……あぁ。軍服。言われてみればそんなのもあったね」
「軍ってお堅いんでしょ?あんたみたいなジジイにだけ好きな服を着させるとかありえないじゃない。下らない冗談はやめて、老人ホームに帰りなさい」
不機嫌そうに嫌味ったらしい言葉を並べるショコラに男が肩をすぼめる。
「酷いね君…まぁ、これでも軍で長いこと頑張ってきたんだよ。とはいえ、近頃は暇してるんだが」
「年中暇。の間違いなんじゃない?」
「最近の若者はみんな優秀でね、私のような老人の出る幕はあまりないんだ」
悲しそうな顔を浮かべるも、ショコラの皮肉に屈するどころか、男は冷静に返事をした。
すると、眉をしかめるショコラ。
「ふーん。だからって、好き勝手させるとは思えないんだけど」
「実際、そのとおり。軍服の件もそうだが、だからこそ私やフィアワールドは、みんなに嫌われるんだろう」
聞いてもないことを好き放題まくしたてる男に、ショコラは彼が何を言いたいのか理解できない。
年寄りの長話に付き合わされるのも勘弁したいので、男を放り出して帰ろうとするが、そこで男はようやく本題に入る。
「とにかく、私はみんなからの好意を取り戻したいと思っているんだ。何より軍務ばかりじゃ、彼らも心で荒んでしまうだろう?」
軍人が何の用だと思っていだが、男の意図に勘づいたショコラは嫌な顔をする。
「だから絵を使う気なの?私に描かせて?」
「この老先短い命に免じて頼むよ」
両手を顔の前で合わせて、細身の身体を折り曲げながら男がショコラにお願いをした。
ショコラはその様子に少し苛立ちを覚えるも、数秒黙り込んで思考を巡らせた後に決意する。
「…まぁ、あんたはともかく、他の軍人のためだったら、適当に描いてあげてもいいわ」
「本当かい…優しい子だ」
目を細めて男が微笑んでくるも、ショコラは鬱陶しそうに払い除けた。
しかし、軍人だってこの街のために働いているのだ。手に持っている食料の恩もあるし、ちょっとくらいならいいか。とショコラが紙袋を床に置く。
「何かリクエストはあるのかしら?」
「なんでもいい。君の思うがままに描いてくれ」
「……そう」
男の要求にショコラは興味がなさそうに相槌を打つと、手に握った筆を掲げて能力を発動する。
「キャンバスがないから、普通の絵とは違うものになっちゃうけど我慢してね」
筆を口に咥えて、両手の指で四角形を作ると、まず初めに枠組みを決める。
絵を描くために必要な、画材の大きさと形。
大体、頭に浮かべ終わると、それからショコラは手に持ち直した筆で、イメージした線をなぞるように動かしながら、空にキャンバスを描き出した。
ショコラの能力で物体が具現化された様子を見ると、感嘆の声を上げる男。
「ほお。筆で描いた絵を現実にする夢覚、といったところか」
「そうなるわね」
「…しかし、これほどの精度を誇るのは、君の想像力と絵の才能があってのものだろう」
本物の紙と寸分違わぬ質感に見えるキャンバスを見て、男が絶賛した。
自分の絵を褒めてくれたことに、ショコラは素直に嬉しい気持ちになるも、目線を絵に向けながら手を動かす。
「褒めても何も出ないわよ」
「構わない。むしろお礼をするのは私のほうだからね。…そうだ代わりといってはなんだが、少し話を聞かせてあげよう」
ショコラがキャンバスに絵を描き続けるのを眺めながら、男は杖なんか必要ないくらいに姿勢よく立ち尽くして話し始める。
「君は呪影の天聖騎士が誰かに殺害された、という話を聞いたことがあるかい?」
男が下を向いて太陽の光を反射させると、眼鏡の奥を光らせて、一人ごとのように呟いた。
ショコラは突然の話題に、焦ることなく手を動かしつつ淡々と返す。
「さぁ…知らないわ」
「そうか。実は数日前に遺体が発見されたんだけど、かなり酷い有様でね…首がちょん切られていたんだ」
ショコラの頭に以前の記憶が蘇る。
それは確か、夏樹が彼女の描いた大鎌でロヤテの首を斬り落とした時のことだ。
正直、ショコラからしても、自分の絵が人殺しの道具に使われるのは、あまり気分がいいものではなかったし、悲惨な光景だったが、友人を救うためには仕方なかったと思う。
──二人が芸術都市を去る際、夏樹に再度描き直した「諸刃の大鎌」を渡したのも、これからの旅でカノンを守らせるためだった。
「それと夢覚で思い出したんだけど、その事件には複数の夢覚者の関与が疑われているそうだよ」
その間にも、男はロヤテの殺害に関する情報を話し続けているが、ショコラは適当に聞き流す。
「軍が現場の調査をしたところ、呪影の天聖騎士による被害に加え、幾つもの強力な夢覚がぶつかり合った痕跡。…中には隕石のようなものが落ちた跡まであったとか」
すると、ショコラの身体が一瞬動く。
男が今言ったのは間違いなく、ショコラがあの戦いで描いた「永遠の星夜」のことだろう。
自分が犯人だとバレている可能性はまだないと思うが、少し言葉に気をつけたほうがいいかもしれないとショコラは考える。
「怖いわね。そんな危険なやつがいるなんて」
「全くだ。世の中、そこまでの夢覚者ばかりじゃあ、社会がまともに機能しなくなる」
男がうんうん。と頷きながら、ショコラのでまかせに肯定を示した。
「軍としても、二次被害を防ぐために犯人は必ずしや捕まえたくてね。私も探しているんだ」
その言葉に、仕上げに入ったショコラが目を細める。
なんとなく予想はしていたが、自分を捕まえようとする軍人にたまたま出会してしまうなんて、実に運が悪い。
ここは早く離れるべきだと、すぐに絵を完成させた。
「へぇー……はい、出来たわよ」
「もう出来たのかい。ふむふむ…やはり素晴らしい腕だね」
ショコラの手から渡されたキャンバスを受け取って、中に描かれていた風景画らしきものに、満足そうな笑みを浮かべる男。
「これは、今の芸術都市の惨状を描いた絵。といったなのかな?」
どこか不安さを感じさせる暗い色をベースに、幻想的な明るい色を所々に忍ばせながら、縦に長い四角の建物や、屋根付きの家を一部欠けさせた絵。
奥深くへと吸い込まれていくような、道路との遠近感が臨場感を生み出しており、まるで生きた世界が二次元空間に広がっているかのようだ。
「ま、そんなところね」
「ありがとう。気に入ったよ…軍の駐屯地で大切に飾らせてもらおう」
男が絵を脇に抱え込んで、お礼を述べた。
だが、ショコラは特に気にする様子もなく地面に置いた紙袋を再び手に取ると、帰路に着こうとする。
しかし──
「あぁ…そうだ。さっきの話の続きなんだが」
男が突然、ショコラを呼び止めた。
「君の夢覚ってさ、もしかして隕石とか…描けちゃったり、しないよね?」
ショコラが動きを止める。
空気が滞るように冷たく変化した。
「……私があんたの言う隕石を落とした犯人か疑っているの?…ただの絵描きがそんなこと出来ると思う?」
「はははっ!それもそうだ」
何かがおかしい。
いきなり核心を突いてきたこともそうだが、男のわざとらしい笑い声が、なんともいえない恐怖を場に生み出す。
「悪いけど、暇じゃないから帰らせて…」
ここに居るのは不味い。
だから、ショコラは早くこの場を離れ──
「まぁ待ちなさい。人生急いだって得することはない。君もそう思うだろう?──ショコラ・ヴェリテくん」
突如、名前が呼ばれた。
「───っ!!あんた……うっ!」
急いで後ろを振り向いて、状況を確認しようとしたショコラ。
だがその瞬間、どういうわけか身体から力が抜けてしまい、地面に倒れ伏してしまった。
「すまないね。
私には正義に燃えて、悪を討つ『滅悪』の意思もなければ、世界のために嘆き、悲痛の声を上げる『慟哭』の意思もない。しかし、仕事は仕事なんだ」
紙袋の中から食料を溢しながら、手を付いたまま地面から起き上がれないショコラを見下ろし、男が話す。
「とはいえ、悪いようにはしないさ。私は君から話を聞きたいだけだからね」
男の声音に、ショコラは戸惑いと怒りを覚え、瞼を鋭く尖らせて、なんとか腹の底から叫ぶ。
「…あんたは、誰」
「そうか。自己紹介がまだだったか。私だけが一方的に君のことを知っているというのもフェアじゃない」
重ねて尋ねられる、そんなショコラの問いに答えるように、男が口を開くと…
「では改めて、名乗ろうか」
余裕綽々とした表情で、男が自身の身分を明かす。
背中まで真っ直ぐに伸びた、毛先の長い白髪が光を遮り、ショコラの前に立ちはだかるのは影。
「世界統一戦線。司令部所属」
怪しく光った男の眼鏡が、指で押し上げられる。
『──私は『機造師団』師団長"エンジェル"という者だ』
……………
この日起こった奇妙で、怪し気な男との出会い。
それは良くも悪くも、ショコラの今後の人生に大きな変化を与えることになるのだが…
──それはまた、別の話。




