第35話 僕は、君に会えて──
見渡す限り、記憶と同じ暗闇。同じ景色。
あの日から、今も夢に見ることがある。この村で過ごした最後の日を。
燃え盛る炎の中で、二人は死に物狂いになって命を賭してまで僕を救ってくれた。でも、その時に見る二人の顔はいつも、なんだか僕のことを恨んでいるように見えるんだ。
──なんで、お前だけが…
──私たちの代わりに死んでよ
絶対に二人が言わない怨みの言葉。なのに、そればかりが頭の中に延々と響き渡る。
ごめんなさい。ごめんなさい。
懺悔を唱え、悪夢から目が覚めると、大量の冷や汗が全身から流れ続けた。
多分、僕は後悔し続けていたんだと思う。
自分だけが助かって、図々しくも生きている。そんな事実がどうしようもなく許せなかったから。
もし、あの時に死んだのが僕だったら良かったのに。そう考えたのも一度や二度じゃない。
だって、あんなに優しかった父さんと母さんが死んでいい理由なんてどこにもないよ。何も出来ない弱虫の僕より、二人のほうがいっぱい生きて、幸せになるべきだったんだ。
なのに、生き残ったのは僕一人だけ。
…僕がもっと強ければ、全部守れたのかな。
あれから八年が経って、前よりずっと強くなったけど、その答えは未だに分からない。
この手は誰かに差し伸べるためのものじゃなくなっちゃったし、代わりにたくさんのものを失ってしまったし、何より…
──結局、僕は今も弱虫のままだから。
気づくと、二人の願いから逃げることを選んでいた。
お前にまともに生きる資格なんてない。幸せになる権利なんてない。って、それだけが父さんと母さんに出来る唯一の償いなんだと信じて。
けれど本当は、最初から分かっていたよ。
二人が僕に、ありふれた幸せを享受できるような普通の生活を送ってほしかったことくらい。
…僕が持つ記憶の世界。
初めてこの夢に連れてこられて、ここが偽物なのは、ずっと分かりきっていたことだった。
それでも久しぶりに母さんや父さん、みんなに会えたのが嬉しくて…だからこそ、時間も忘れるくらいに没頭してた。
たとえ現実が、変わることはないと知っていても、幸せな夢の中でいつまでも過ごしていたかった。
でも夢は所詮、夢なんだ。
もう父さんや母さんが戻ってはこない。
揺れて動く暗闇の中で、木と木が擦り合わさるれるような音が鳴る。
外から聞こえるのは、誰かが話す声。きっと父さんたちだろう。これがあの日の再現だというのならば、二人は今、僕の入っている箱を押して、炎に包まれる家から逃そうとしてくれている。
なのに、僕はその中で、ただうずくまって震えているだけ。
扉を開けようとしても、外からの力に押さえつけられていて簡単には開かない。…ううん、今はまだ開けるべきじゃないんだ。
その途中で、地面がまた大きな震動を立てて震え出す。だけど、それでも箱は動き続ける。
しばらくして中の空気が、熱さに支配されていった。外の炎こそ入り込まないけど、僕は熱気が身体を蒸し焼く感触に襲われる。
そして外から聞こえる声が、苦痛に悶え苦しむ声へ移り変わっていく。なのに、箱は動き続ける。
…二人に比べたら、僕の痛みなんて全然へっちゃらだ。
動いて、踠いて、抗って、嘆いて、動き続けて。
どれだけ経ったんだろう。やがて箱が動くのが止まった。暗闇には僕の掠れた声だけが響き渡る。
手を伸ばして、扉に腕押ししてみると、さっきとは違って驚くほど簡単に扉が開いた。
力はどうしてか、うまく入れられなかったけど、身体を使いながらも静かに開けて、全開にする。
視線は外へ。
その先には、夜だとは思えないほどに煌々しい、炎の世界がどこまでも広がっていた。
下に目を向けると、もう誰かも分からないくらいに黒焦げになって、所々から白い骨を露出させた焼死体が二つ倒れ込んでいる。
「……ありがとう」
感謝の言葉だけじゃ全然足りないほどに、二人に救われた。二人が居てくれたから、僕は今日まで恥知らずに生きてこられた。ありがとう。って、どれだけお礼を言っても二人の苦しみを拭ってあげることなんか、もう出来ないけど、感謝ばかりが心から漏れ続ける。
僕は二人の子供に生まれて幸せでした。
…だけど、ごめんなさい。
それでも僕は。
──二人が望んでくれたような良い子になれない。
倒壊した家屋。
炎の向こう側から声が聞こえる。
『ふむ。地を均してみたはいいものの、まだ出てこんか』
それは、永遠に忘れることはない外道の声。
『この程度で死ぬほど脆弱だとは思わんが。吾輩の存在に気づき、逃亡を選んだのか?まぁ、それも構わん』
目を向けると、奥には長く伸ばした白髪を逆立てる男が立っている。
そいつが持つのは四本の腕。
右に普通の腕を、左には肩の辺りから腕を生やしてやいるが、それぞれ右の肩から生える腕と左の本来あるべき腕は途中で千切れていた。
『して、貴様は『龍の鍵』の居所に心当たりはあるのかね?』
その先に掴むようにして、掲げられているのは村長。
「ぐがぁぁ…」
『恐怖に震えるか。なんと弱く、憐れな人間よ』
男が何かを言っている。それと同時に、腕に不可思議な力が込められた。
『──ならば、安楽を与えてやろう』
足掻いていた村長の首が突如爆ぜ、鮮血が散る。
それを前にして男が淡々と言い放つと、無惨な姿になった村を見渡し始める。
『世界の本質とは、すなわち『⬜︎⬜︎』 。それはいみじく儚いが、だからこそ美しくもある』
ふざけたことを抜かすゴミクズ。
あいつがこの村をこんな目に合わせた。なのに何が美しい、だなんてふざけるな。心の底まで薄汚れ切っている獣未満にはまともな感性すらないのか?
『万物はいずれ終焉を迎えるのだ。これは、その結末が前倒しになったに過ぎん』
お前が勝手に終わらせただけだろ。どこまでも身勝手で、独善的なクソ野郎が。お前が居なければ僕たちはずっと平和に暮らせてた。誰も死ななかった。なのに、全部お前が殺した。お前のせいだ、お前が生きていたからこんな目にあった。そんなに死にたければお前が死ね。死んでみんなに詫び続けろ。死ぬ勇気すらないカスなら殺してやるし、もしもお前が幸せに笑うことがあるなら、お前を幸せにする全てのあらゆる要素も、粉微塵に破壊してやる。お前からも全てを奪い去って僕と同じ目に合わせて引き裂いて切り刻んで泣いても謝っても絶対に許さないで地獄の苦しみを合わせてからお前のことを嬲って潰して殴り殺して、それからもまた殺して永遠に殺し続けて反省して懺悔して後悔しても終わることのない絶望を死んでも喰らわせてやる。
『"龍の鍵"の継承者。貴様がどこまで逃げようと、吾輩は全てを奪い続ける。ただそれだけのこと』
塵以下が何か言ってる。憎い憎い憎い!それ以外に何も思いつかない。気色の悪い蛆虫に、殺意だけが無尽蔵に湧いてくる。
『覚えておくがいい。吾輩こそ──』
お前のことはどうやってでも殺す。その時には地獄すら生温い苦しみを味合わせてやるから、それまで首を洗って待っていろ。
──でも、今優先すべきは違う。
「…これが"俺"のトラウマだと、舐めるなよ。フィアワールド!」
僕は空に向かって叫びたてた。
この世界のどこかで、きっと観察しているだろうフィアワールドへ向かって。
…あいつが何を企んでいるのかは知らない。だが今は、早くここから出なければ。
「希望も、絶望も、平穏も、地獄も、恐怖さえも」
そのための条件は多分、ここへ来る前に言っていた「トラウマを乗り越える」こと。
そして、僕とっての"それ"にあたるのがこの光景なんだろう。
…だが、本気でそう思っているなら、勘違いも甚だしい。
『そんなものは疾に』
これは、僕のトラウマでもなんでもない。
僕は地面を蹴って、炎の中へ飛び込む。目指すのは憎き男がいる場所。
『この"炎"で』
全身が赤い炎に包まれる。
駆けていけばいくほどに、僕の記憶から作り出された世界は崩壊し…
『燃やし尽くした!!』
唸りを上げる炎とともに、空がガラス細工のように粉々に散り、赤に包まれていた闇夜に、蒼天から陽の光が差し込まれる。
やがて音を立て、完全に崩れ去る「恐面世界」
腕に握るのは「諸刃の大鎌」。
僕の視線の先に居たのは。
『───見事です』
ーーーーーーーー
恐怖の夢から脱出した夏樹。
縦一文字に放った大鎌の斬撃は、フィアワールドの胴ごと、首上にある仮面を斬り裂いた。
その一撃をまともに受け、夏樹への賞賛の言葉と同時に、仮面が割れ落ちるとフィアワールドは地面へ倒れ込む。
夢覚<焼魂>を発動させた影響か、全身を炎に包ませる夏樹。
着地すると、大鎌を横へ薙ぎ警戒の体制を取った。
すぐ後ろに振り向くと倒れたフィアワールドに加えて、黒いドーム状の空間が崩れるのが目に入る。
飛び散る漆黒の破片。さらにその奥には…
「……カノン」
その中心で一人棒立ちになっている茶髪の少女。
夏樹は、大鎌の刃を収納すると、無我夢中で駆け出した。
消えていく、夏樹の身体から溢れ出る炎。
やがて、久しぶりに見る気がするカノンの下に。
青々と澄み切った晴天の最中。
そこで彼女は…
───泣いていた。
「……!大丈夫か。お前」
悲しげな目のまま、遠くを見つめて立ち尽くすカノンに夏樹が覗き込んで、話しかける。
「─あ、え?え…」
声に反応したのか、カノンの瞳が静かに夏樹の顔へ。
「…夏樹くん」
彼女にしては珍しく小さくて元気のない声。
頬に涙を垂らしながら、潤んだ目で夏樹を見ると、身体を震わせる。
「本当に、夏樹くん…なんですか?」
「あぁ。そうだが、どうし─」
──すると、その直後、カノンが夏樹のほうへ飛び込み、細い手で服を握ってきた。
突然の出来事に、夏樹は動揺を隠せない。
「─夏樹くん。夏樹くん!…よかっだ、よがっだです。ちゃんと、夢だった…」
泣きじゃくりながら、夏樹の服に大粒の涙を幾つも溢して、カノンが声をくぐもらせる。
「いきなり夏樹くんが居なくなって、気づくと変なところにいて、ずっと暗闇の中にいる時間がいつまでも続いで、それから」
まくし立てるように焦って話すカノンに、夏樹は状況を少しだけ理解すると、彼女の背中へ手を伸ばした。
「落ち着け、大丈夫だ。俺はちゃんとここに居るから」
「………あ」
夏樹らしくもない、温もりの含まれた声がかけられ、カノンの背中が優しくさすられる。
尋常じゃない彼女の様子に、きっと自分と同じく何か悪い夢を見せられたのだろうと、考えて"もう大丈夫"なんだと、夏樹はカノンが落ち着くまでの間、彼女をなだめた。
しばらくすると、カノンは安堵に包まれて、段々と平静を取り戻していき、その口から声が漏れ始める。
「…ずっと、怖い夢を見ていたんです。私が夏樹くんと離れ離れになった後なんですけど」
自分が「恐面世界」で経験した夢の内容を語るカノン。その話を夏樹はただ静かに聞いている。
「真っ暗な世界に居たと思ったら、急に明るくなって私の身体が小さく………え?」
言葉を紡ぎながら、元気になったことを知らせるため、視線を上に向けて、カノンが夏樹の顔を見上げようとすると。
そこでようやく、あることに気づいた。
「夏樹くん」
『──どうして、泣いているんですか?』
見れば、夏樹の頬にもカノンと同じように涙が伝っている。
「……………あ?」
カノンの言葉を受けて、固まる夏樹。
本人も気づいていなかったのか、不意に手を伸ばして頬に当ててみると、不思議なぬめりを感じた。
「なんだ…これ」
夏樹が思わず意識すると、彼の目頭が熱を帯び出す。
「へ、平気ですか!?夏樹くんが涙を流すなんて…なにが」
今まで一緒に過ごしてきた中で、一度も涙など見せたことがないはずの夏樹が、泣いていることにカノンは戸惑いを覚える。
まさか、そんな機能が夏樹にも備わっていたとは…いや違う。大事なのはその理由のほうだ。
「もしかして…夏樹くんも私と同じで怖い夢を」
自分と同じタイミングで涙を流していることから、フィアワールドに見せられた夢が夏樹に関係しているのだとカノンは考えた。それを聞いて、夏樹が愕然とする。
「…夢?──そんな馬鹿な。俺は」
夢ごときで泣くはずがない。と否定する夏樹。
─そりゃそうだろう、だってあれは所詮ただのまやかしに過ぎないし、父さんや母さんたちも作られただけの偽物で、感情や記憶も持たない傀儡に過ぎない……なのに、本物の二人みたいに優しくて、命を賭けてまで自分を守ろうとしてくれただけで、それで…それで。
「なるほど、そういうことですね…」
額に汗をかきながら、一人で思い悩む夏樹に、カノンが何かを納得したような表情を浮かべる。
すると、手を夏樹の腕に伸ばして掴んだ。
「─別に気にしなくていいんですよ。"私だって"、ここに居ますから。だからもう怖いことなんかないんです!」
カノンが赤く腫れた目を細めて、夏樹に笑いかける。さっき夏樹が自分に言ってくれた言葉を繰り返して。
驚いた夏樹が目を丸くする。
「………っ」
一瞬、カノンの言葉を否定しそうになった。しかし、やっぱり夏樹は止める。
ついさっきまで自分が泣いていたのに、夏樹の涙を見た途端、そんなことも忘れて夏樹の心配をしてくれるカノン。
そんな彼女の底知れない優しさが、夏樹にはどうしようもなく──
「俺は…」
何かを悟る夏樹。
今のカノンを見ていると、あまり認めたくはないが、自分が涙を流している理由が少し、分かった気がする。
…或いは、認めるべきなのかもしれない。
「カノン」
「……?」
夏樹が彼女の名前を呼ぶ。
その過程で彼が思い返しているのは、先程の夢での出来事。
再び体験するはめになった「あの日」
それは確かにただの幻想だったのかもしれないが、夏樹の心に刻まれていた古傷を掘り起こした。
元と伊月への感謝と悔恨。それと同時に村を揺らし、滅茶苦茶にした男への激しい憎しみが湧き上がってくる。
夏樹がこの憎悪を忘れることは生涯ないだろう。
だが、それでも夏樹は。
「…俺たちが最初に会った日を覚えているか?」
「え?はい、それは覚えてますけど…どうしたんです?」
何かを決めたように目を見つめてくる夏樹に、カノンは思わず緊張する。
そして無意識に、夏樹の腕を掴んでいる手が離れかけると。
「ひぅっ!?」
今度はその腕が、夏樹に掴まれた。
「あの時のことで、お前にたった一つだけ…言いたいことがある」
身体を強張らせるカノンに夏樹が話す。
自分の隣に居てくれる大切な存在。
そんな彼女へ、夏樹にはどうしても伝えたくて、たまらない言葉があるのだ。
だって、復讐しか頭になかった一人ぼっちの世界で。
「──俺を仲間に誘ってくれて、ありがとうな」
…カノンに救われたのだから。
夏樹が珍しく穏やかな顔を浮かべて、カノンに微笑む。
「…ん?、んん!?」
その言葉を受けたカノンが目を、大きく見開いた。
さっきから、普段の夏樹からは考えられない素直な言動ばかり繰り返す彼に理解が追いつかない。
「…本当に、どうしちゃったんですか?やっぱり変な夢を見て。あ、それか熱があるとかかも」
「違う」
夏樹が病気なのかと心配したが、そうではないようだ。
「分かりません…あれ、私ってまだ夢を見てるのかな。だって、こんな…」
「だから違う」
困惑して、カノンがとんちんかんなことを言うと、夏樹は少し拗ねた顔になる。
「…俺はここに居るだろ。それにお前も」
視線を逸らしながら、小声を漏らす夏樹。
そんな彼を見て、カノンは呆気に取られる。が…
「……ふふ」
笑みが勝手に溢れだしてきた。
それを手で軽く抑えると、可愛らしい目を細める。
「それもそうですね。…もう、夏樹くんったら。いつも無愛想だから勘違いしちゃいました!」
カノンは機嫌が良さそうな顔を浮かべて、夏樹へ軽口を叩いた。
理由は分からないが普段とは少し違う夏樹の新鮮な姿を見れたことに、カノンは不思議と嬉しさを感じる。
「なら、私からも言ってあげますよ。私のほうこそ、あなたと出会えて──」
…だが、その途中で二人がおぞましい寒気を感じる。
「──!!」
反射的に振り向くと。
「嗚呼、これは失礼!お二人を邪魔する気はなかったのですが……ただ感動の再開にしては少し、冗長過ぎますね。これからは、自分たちの現状も把握したほうがいいでしょう!」
どこからともなく響き渡る男の好き勝手に話す声が聞こえる。
その正体は当然…
「──ちっ。あれで傷一つ付かんのか」
無傷のまま、その場に立つフィアワールド。
さらに一体どういうカラクリなのか、夏樹が斬ったはずの仰々しい仮面まで、すでに元の形へ戻っている。
「いえ、貴方が放った一撃は確かにワタシの芯を捉えた見事な技でした。…まぁ、強いていうのなら」
『私を殺すには、それだけじゃ足りませんがね』
フィアワールドから放たれる本能に訴えかけるような恐怖の気配がより一層強まった。
呑気な空気から一変して、身を引き締めて再び戦闘体制に戻る夏樹とカノン。
「…今から、戦えるか?」
「なんとか。…だけど、また夢の中に引きずり込まれたら、どうしようもないですよ」
二人は互いに肩を並べてフィアワールドに向かい合った。
だが、彼の言う通り、二人で再開できたことに浮かれすぎて、置かれている状況を忘れていたことを痛感してしまう。
「フフ。そう焦らないでください!ワタシとしては、見たかったものはもう見れましたので。…欲を言えばもう少し観察したかった気持ちもありますが……」
フィアワールドが戦闘の前に自分からお喋りを始めた。二人のことを咎めておきながら、なんとも言えない様子の彼。
しかし、それに釣られたのか、カノンが反応を見せる。
「観察?」
「…俺も詳しくは知らんが、あいつの目的はお前を観察することだったらしいぞ」
「えっ…私のことなんですか!?」
返ってきた疑問への夏樹の答えに、その対象が自分であったのかとカノンは衝撃を受ける。
「肯定しましょう!『恐面世界』を使ったのは貴方に対する調査のため。あれは大雑把に言うと、生み出した空間に、恐怖の記憶を反映させる技でしてね」
自分の秘密の一つを、惜しげもなく話すフィアワールド。
「とはいえ、貴方たちには干渉出来ないので、空間自体がその性質を帯びているといったほうが…」
「…ちょっと待ってください、記憶?今、私たちの記憶って言いました?」
話を続けようとしたフィアワールドだったが、カノンに途中で制止させられてしまった。
一体どうしたことかと、フィアワールドは仮面の目に当たる部分をカノンに向ける。
「えぇ。貴方がこれまでの人生で経験してきた恐怖。つまりはトラウマが再現されたものです」
「…なら、私が見た夢は実際に起こった、こと?」
「そうなりますね」
「……嘘」
フィアワールドが聞かれたことについて答えるも、カノンの様子がどこかおかしい。
「あれが、現実なら私は。ううん私と"お姉ちゃん"は…」
「カノン?」
「でも私にそんな記憶なんて…」
ひとりごとのように小さく呟きながら、身体を震わせるカノンに、夏樹が心配の声をかける。が…
「──じゃあ、私は一体、なんだっていうんですか!」
突如として、カノンが叫び立てた。
浮かんでいるのは明らかな焦燥。
「おい!急に何が─」
「あ、………すみません」
夏樹の声で、カノンはすぐに我にかえったものの動揺は依然として顔に残っている。
「だけど、本当に私…」
『──嗚呼、困惑!』
すると、フィアワールドがその間に入ってきた。
「少女。貴方は自身のルーツについて悩んでいるのでしょう」
いきなり何かを尋ねてくるフィアワールド。それにカノンは警戒を覚えながらも、小さく頷く。
「…まぁ」
「ふむ。──やはり、何も知らずにいたのですか」
「!!」
ぼやかれた言葉に、カノンが驚いた表情をする。
変わらずに思考の読めないフィアワールドであるが、その口ぶりから察するに、カノンの見たトラウマの内容に心当たりがあるらしい。
「知っているんですか!?あれがなんなのかを!」
「多少は」
カノンの張り上げた声に一言、フィアワールドは肯定を返した。
「…だったら教えてください!私はどういう─」
カノンが期待を込めた声で、彼が知る自分の秘密を尋ねる。が…
「…それに関しては、答えられません」
フィアワールドはそれを拒絶した。
間違いなく何かを知っているらしい様子の彼に、カノンはもどかしさを覚えながらも、その理由について尋ねようとする。
…だが、そこへ。
「──お前や天聖騎士がカノンを追いかける理由と関係しているからか?」
「─!」
フィアワールドとの問答に夏樹が入ってきた。
彼が問うのはただ一つ。カノンにとって身に覚えもない連中が彼女に、寄って集ってくる原因である。
「お前らの、カノンへの執着はどう考えても異常だ。こいつに"何か"があるんだろ」
それは今までの出来事から導き出される推論。
熱狂都市での事件を知らぬ間に不問としながらも、ロヤテのような天聖騎士を再度派遣してまでカノンの身柄を拘束しようとする聖方教会。
そして師団長の地位に就きながら、わざわざジュネイスに来て、最初はカノンの姉の存在を知らないと宣いながらも、何故かカノンの観察を目的にしていたフィアワールド。
もしカノンが普通の人間であるならば、ここまで大掛かりに事態が動くことはないはずだ。
「言われてみれば確かに。でも、私には全然心当たりがないですよ」
「だからこそ、こいつに聞かなくてはな。─フィアワールド。お前はカノンの何を知っている?」
自分のことを客観視しても思い当たるふしが見つからないカノンをよそに、夏樹は立ち尽くすフィアワールドへ問いを投げかけた。
そして、フィアワールドは。
「…貴方の考えは、間違っていないですが、だからといって、ワタシの答えは変わりません」
夏樹の推論を認めつつも、冷静に二人へ告げる。
「解答を拒否させていただきます」
返ってきたのは再び拒絶の言葉。
だが、それにはおふざけが一才込められていない重苦しさがあり、夏樹とカノンには困惑が溢れる。
「…なんで」
今までの軽薄な様子と異なって、頑なに口を閉ざすフィアワールド。何かがおかしい。
「幾つか理由がありますが、一番は…」
空間が歪むほどの不気味なオーラが放たれる。
『──貴方が脆いからですよ。カノン・エーデルス』
これまでになく冷徹な口調。
直に名指しされたカノンは異様な寒気を覚えた。
「意味が分かりません…」
自身が「脆い」と呼ばれることに、解せないカノンは気迫におののきながらも、言葉を振り絞る。
しかし、フィアワールドが返したのはそれと異なる話。
「…一つ言っておくとすれば、ワタシが興味あるのはあくまで、聖方教会が貴方に拘る理由のほうです」
そもそも彼にとって、カノンの存在自体はどうでもいい。
自分の追い求める何かが彼女にあるというより、個人的な信念に基づき、ただカノンと聖方教会との関連性が知りたかっただけに過ぎない。
「それを探るためだけに、ここで『恐面世界』を使いましたが、結果としては予想通り」
抑揚もない声で語るフィアワールド。
「貴方はなんの変哲もなく、特別な要素さえ何一つ持たない、ただの小娘でしたよ。そして、だからこそ!」
直後、凄まじい怒気が放出される。
『ワタシは"そんなこと"のためだけに芸術都市で犠牲になった方々が不憫でならない!』
戦慄が夏樹とカノンに走った。
初めて見るフィアワールドの激怒は、声だけしか分からないのにも関わらず、本能に訴えかけるような恐怖を孕む。
「だから、意味が分からないですって!」
「来るぞ!」
迫力を纏いながら、フィアワールドが腕を広げて優雅にこちらへ歩き始めた。
いよいよ迎えるだろう彼との戦闘に、迷いや悩みはありつつも夏樹とカノンは武器を構えて…
──だが、その時だった。
二人の頭部に突然、鋭い痛みが響く。
「ぐはっ」
「かふぅ」
間抜けな声を出すともに全身から力が抜けて、地面へ倒れ込む二人。
そのまま、激突した衝撃で何回か小刻みに跳ねると、完全に意識を失って動かなくなる。
「おやおや。急にどうされ…」
いきなりの出来事に、フィアワールドが呆気に取られていると、仮面の先に一つの影を捉えた。
倒れた二人の後ろに立っているそれは、ボリームがあるボサボサの黒い長髪にウェーブを掛け、身体に修道服を着込んだ人物。
「ん?……嗚呼」
顔は白い布で隠れて分からないが、体型を見るに小さな少女といった感じがする。すると、フィアワールドがそんな彼女を見て、納得したような表情を浮かべた。
「─誰かと思えば"オハコ"さんではありませんか!これはこれはお久しぶりですね」
どうやら知り合いだったらしく、恐ろしい気迫の消えたフィアワールドが少女へ愉快そうに話しかける。
そんな彼に反応したのかは不明だが、無言のまま、フィアワールドへ近づき始める少女。
「いやはや。助かりましたよ!規則の違反者を師団長として捕えようと思ったのですが、少し手強くて…」
端から見れば、言い訳にも近しい言葉が並べられた。
「とはいえ、ワタシが本気を出せば一瞬でしたが。まぁこれも大事な理解のため。仕方ありません」
その間にも少女は段々と近づいてくる。
「ところで、オハコさんはどうしてここに──」
眼前にまで迫った彼女へフィアワールドが尋ねると。
「こほぉ!」
フィアワールドの腹へ、少女が手に握っていた鴉の意匠の刻まれる杖が強烈に叩き込まれた。
あっさり地へひれ伏すフィアワールド。
──残ったのは、少女以外の三人が全員地面へ倒れ込んでしまった奇異な空間だけである。
そんな絵面の中で周囲を見渡すと、オハコと呼ばれる少女が一人ため息を吐き、呆れたように呟いた。
「…なにが『規則の違反者を捕まえる』だ。──お前も散々人を助けておったろうに」




