第30話 過ぎ去った筈の地平線
呆然と立ち尽くす夏樹。目の前に立っていたのは死んだ筈の父"空亡元"と、母"空亡伊月"であった。
「何で…本当に父さんと母さんなのか!?」
夏樹は目の前の状況に頭が追いつかずに混乱する。
「「……?」」
二人で顔を見合わせて、訳が分からないと言った表情を浮かべる元と伊月。
「そんなの当たり前だろ」
「だって、二人は俺のせいで死んだ筈じゃ…」
思い出すのは、二人の最期の瞬間。燃え盛る村々…家の戸棚の中に匿われた後に、夏樹が見た焼かれて骨に成りつつあった元と伊月の姿である。
「おいおい勝手に殺すなよ。まだ寝ぼけんのか?」
呆れたように話すのは筋骨隆々の身体を持ち、髪を短く揃えた元。記憶のままの姿をしている彼を見て夏樹は戸惑いを隠せず、本当に死んだ両親なのだと一瞬信じ掛けてしまう。しかし…
「(違う。そんな訳が無い)」
頭を手で抑えると、苦しそうな顔を浮かべながらも夏樹は何とか冷静さを取り戻した。
「(…何がどうなってる)」
状況を理解する為、必死に頭を回転させる。
「(俺はさっきまでフィアワールドと戦っていた筈)」
思い出すのは先程の出来事。夏樹はカノンと一緒にジュネイスからの脱出を目指し、立ちはだかったフィアワールド達と交戦していたのだ。
「(ならこれは奴の仕業か?…早く戻らんと)」
外の状況が分からない以上、急いでこの空間から出る必要が有ると判断した夏樹。
「どうした?」
「…アンタらはただの幻だ。本物の父さんと母さんはもうこの世に居ない」
夏樹は鋭い目で二人を睨むと、拒絶するように冷たい言葉を言い放つ。
「─さっさと俺の前から…」
何かを言い掛けた夏樹であったが、その前に元の隣に居た伊月が動き出したのを視界に捉える。
すると、彼女は夏樹の方に駆け寄って来た。
「止めろ!何をするつもりだ」
「………」
警戒して身を後ろに引く夏樹。段々近づいて来る伊月を相手に、幾ら母と同じ見た目をしていようが容赦するつもりは無いとばかりに拳を握りしめ…
「もう、また怖い夢を見たの?」
──だが、その時。夏樹の小さな身体が優しく抱きしめられた。
「………!」
目を見開く夏樹。
「…母さん?」
伊月の顔と、ちっちゃな自分の腕を交互に見比べながら困惑する。
「(何を言ってるんだ俺は…違うに決まっているだろ)」
夏樹は抱き締められて不意に「母さん」と呼んでしまった事に動揺を覚えるも、直ぐに視線を戻す。
「離せ…偽物!」
「大丈夫だから。お母さんはちゃんと此処にいるからね」
だが、偽物と呼ばれてなお、目の前の伊月は一向に母を名乗る事を止めない。
「違う!お前は母さんじゃ無い!本当の…本当の母さんは、俺を庇ったせいでとっくの昔に死んだんだ!!」
語気を強めて罵る夏樹。それでも伊月は夏樹を抱き締め続け、むしろ抱き締める力が一層強くなって行く。
「…そんなに酷い夢だったの?でも、もう夏樹を怖がらせる物なんか此処には無いわ」
掛けられたのは慈愛に満ちた母の優しい言葉。
「ふざけるなよ。今まで起きた事が夢な訳…」
それを必死に否定するも、夏樹の目に映るのは…綺麗に澄み渡った瞳で此方を真っ直ぐ見つめる伊月の目だけだった。
「……あ?」
嘘偽りなど含まれているようには到底見えない。静かで強かな視線に、動きが止まってしまう。
「(夢じゃない!そんな筈が無い!コイツは偽物に決まっている)」
夏樹の背を伝ったのは冷や汗。
「(俺は見たんだ。父さんと母さんが火に焼かれていたのを…それに、その後彼処に立っていた"アイツ"の事だって)」
必死に頭の中で否定する。此れはフィアワールドが自分に見せている幻覚なのだと。本当の二人はとっくに死んだのだと。
「(早く出て行かないといけんな。夢なのはこっち側で絶対に間違ってない。だってそうじゃなきゃ全ての辻褄が合わないだろ)」
感傷的になりながらも選択を間違えないように思考を続ける夏樹。しかし…
「(だが何故)」
鋭く尖らせていた瞼が段々硬さを失い、身体からは力が抜け落ちて行く。
「(何故、夢にも関わらず、コイツの抱擁はこんなにも…)」
『(──温かいんだ?)」
身体の力が完全に無くなるのと同時に、目から零れ落ちたのは一滴の涙。
「(違う!違う!コイツはただの幻で…)」
目の前に居る伊月の存在を否定しようと、ただひたすらに、此れが夢である証拠を探そうと頭を回し続ける。だが、考えれば考える程に一つの壁へとぶつかってしまう。
「(なら…この温もりは何なんだ?)」
それは夢では有り得ない。記憶の中にあるのと全く同じ母の体温であった。
『(…夢?今までのが全部夢だったのか?)』
そんな筈がない。ないと分かっているのに…夏樹は目の前の光景が嘘だと、どうしても否定し切れない。
「…母さん」
「怖がらなくていいのよ。何があったのかゆっくり話してみて?」
母の抱擁により、段々と安心感に包まれて行き、目頭は熱を帯びて行く。
「(…そっか、そうだよな。こんなにも温かいのに…嘘な訳が無い。俺が見ていたのが最初から全部)」
穏やかに微笑む伊月を見て、ずっと心の底で抑えていた夏樹の何かが決壊した。
やがて夏樹は段々と口を開き、話し始める。
「…今まで、二人は俺を助ける為に死んだと思っていたんだ」
「うんうん」
母の胸の中で目に涙を迸らせて、徐々に鼻水が混じる事で聞き取りにくくなった夏樹の話を、伊月は相槌を打ちながら聴いていた。
「怖かった。寂しかった。何度も嘘であって欲しいって願ったよ…でも、幾ら目を擦ったって何も変わらなかった」
誰にも告げる事が出来なかった本音を、漸く口に出す事が出来た夏樹。どれだけ自制しようとしても、溢れ出す感情は決して止められない。
「俺はその現実が嫌でずっと…ずっと一人で戦い続けてた。だけど」
辛い現実なんかどうでもいい。今の夏樹にとって、真実はただ一つ。
「それは全部俺の…───僕の悪い夢だったみたいだ」
…望むのは両親が生きてくれている。ただそれだけの幸せな世界。
もはや「復讐者」空亡夏樹など、とうに消え去った。其処に立っているのは一人の…何処にでも居る普通の少年である。
「よしよし。本当、しょうがない子なんだから」
「良かった…二人が生きていてくれて良かった!」
少年は自分の見ていた悪夢が、ただの悪夢に過ぎなかった事に歓喜した。
「お母さん達はぜーったい何処にも行かないからね」
「あぁ。お前の側にずっと居るって約束するさ」
泣き崩れる少年を強く抱きしめる伊月と隣で静かに告げる元。そんな二人を見て少年は、とっくの昔に忘れていた、満面の笑みを溢す。
「─うん。約束だよ!」
ーーーーーーー
「…邪魔するようで悪いんだが。そいつはアンタらのお子さんか?」
夏樹にとって久方ぶりとなる母との抱擁を交わすのも束の間に、病室内のベッドの方から突然声が掛かった。
思わず驚いた夏樹が視線を向けると、その上で身体を起こして此方を見つめる男の姿がある。
だが、夏樹は彼の事を"知っていた"。
「──師匠」
深い緑色の長髪を肩に掛かるくらい伸ばした目つきの悪い男。それは"師匠"と呼ばれ、かつて夏樹に葉落一心流を教えた人物である。
「あ?師匠って俺の事か?…お前とは初対面の筈だが」
「ううん。知らない」
「…変なガキだな」
夏樹の答えに怪訝そうな顔を浮かべる男。身体を善く善く見てみれば、全身に包帯を巻いていて幾つかの部位からは血が染み込んでいる。
「この子は私達の息子で夏樹って言うんです。ほら、ちゃんと挨拶しなさい」
「……えっと。空亡夏樹です」
「そうかい。俺の名前は"西園寺影蛉"だ」
影蛉と名乗った男は、じーっと夏樹の方を見つめる。
「…なんですか?」
「いや、俺の顔を見てもビビらないんだなと思って」
「別に慣れ……そんなに怖い顔じゃ無いし」
「ククク。なかなか見所の有るガキじゃねえか!」
険しい悪人面を歪めて、楽しそうにケラケラと笑う影蛉。そんな彼の姿を見た夏樹は、やはり自分の知る師匠なのだと益々確信した。
だが影蛉は夏樹の事を一切覚えていないらしく、その態度は何処か他人行儀である。
「それで、そろそろ話を戻すぞ」
影蛉が思い出したように顔を向けると、その先には白髪の老人が立っていた。
「俺を助けてくれた事…感謝している」
「いえいえ。気になさらんでくれ」
そう話す老人は確か、極東地方に位置する夏樹の生まれ故郷「風吹村」の村長を務めていた男だ。
となれば…やはり此処は。
「して、名家たる「西園寺家」の貴方が何故村の近くで倒れておられたのですかな?」
好々爺とでも言うべき屈託のない顔で事情を尋ねる村長。すると影蛉は困った顔を一瞬しながらも話し始める。
「まぁ少し"トラブル"に巻き込まれちまってな。追手から逃げてたんだがソイツが中々の曲者で…気づけば意識を失ってたみたいだ」
頭を掻いて、目を天井にへと向けながら経緯を説明した影蛉。
「正直、其処の二人が助けてくれなきゃヤバかったぜ」
視線が向く先に居るのは、元と伊月である。
「おう!目ぇ覚まして良かったな!」
どうやら夏樹の両親である二人が、倒れていた影蛉の事を助けていたらしい。
「(そう言えば、前にもこんな事が会った気がする)」
不思議と湧き起こる既視感に違和感を感じる夏樹。しかし、そんな事は直ぐにどうでも良くなった。
「…追手ですかい。詳しい事情は聞きませんが、何やら大変なご様子」
「…どうだろうな」
「ならば、これから如何なさるので?』
見極めるように影蛉を凝視する村長の問いに対して、少し頭を悩ませた後に影蛉は口を開く。
「分からん」
「でしたら暫くはこの村に泊まっていってはどうですかな?…当然対価は頂きますが」
ニヤリ。と突然下卑た表情を浮かべて、親指と人差し指で輪っかを作りながら腕を上下させる村長に、影蛉は金目的かと警戒して、目つきを鋭くしながら睨む。
「悪いが、俺の家はもう」
「そっちではないですな。コレです、コレ」
変わらず手を上下させる村長。影蛉がその輪っかをじっくり覗いてみると…
「…ハート?」
困惑する影蛉。輪っかの穴は丸ではなく、ハートの形になっていた。
「その通り。ハート…つまりは親愛という訳ですのう!」
「どう言う事だよ…」
「親愛=友人=協力と言う方程式でござんして。故にワシが求める対価は…」
『労働、と言ったところ』
虚を突かれたように目を丸くさせる影蛉。
「…そんだけか?」
「うむ。今時こんな辺鄙な村には誰も来ませんのでな。誰か畑仕事でも手伝ってくれる者が必要なのですよ」
さっきの下卑た顔はジョークのつもりだったらしい。村長の顔は相も変わらず穏やかなままで、人の良さそうな笑みを浮かべている。
「ハハハ!良いじゃねぇか!同舟あいすくりーむって言うし、暫く此処にいろよ!」
「同舟相救う…だと思いますよ?」
影蛉の滞在に賛成する元と誤ったことわざに突っ込む伊月。夏樹は久しぶりに見る気がする父と母のコントじみた遣り取りに、どこか嬉しさを感じた。
「夏樹もそう思うだろ?」
「え、僕?……良いと思うけど」
突然話を割り振られて夏樹は驚いてしまう。しどろもどろになりながらも、とりあえず影蛉の滞在を肯定しておいた。
「皆歓迎のようですのう。して影蛉殿のお考えは?」
「…まぁ、アンタらが構わないって言うのなら」
「決まりだな!」
影蛉の方に寄ると遠慮なく肩を組む元。
─こうして影蛉は暫くの間、風吹村に滞在する事となったのだった。
ーーーーーーーー
「………」
「おいどうした?行くぞ」
診療所を出た夏樹達。そのまま村の中を歩いて家までの帰路に着くも、所々で夏樹が歩みを止めていた。
「待って。…すぐ追いつくね」
耳を澄まながら夏樹は周りを見渡す。
年季の入った古民家がまばらに並ぶ村内の辺り一面では蝉がミンミンミンと鳴き、川の方からは蛙だかコオロギの声が聞こえていた。
此処は極東地方でも北の方に位置する為、夏でもそれほど蒸し暑くはないが、緑豊かな自然に囲まれたこの場所では虫が多い。
「相変わらず広いなぁ」
夏樹の目に映るのは何処までも続く田畑。それは青い空が見えなくなる地平線の先を超えて、ずっと広がっている。
「お〜い?」
「…はっ」
そうやってボーッと見ていたら、呼び声が掛かった。ハッとして振り向くと、其処には既に遠くの方へ行った元と伊月の姿があった。
夏樹は急いで二人の方へと走り出す。
それから少し歩いて一行は、一軒の家に辿り着いた。
石垣に囲まれたフェンスのような門が入り口を守っている木造建築の家。正面から見た感じ、小さな畑に、少し飛び出した瓦の屋根が生み出す日影…その間には縁側が置かれており、何処にでもありそうな家だ。
ガチャガチャガチャ
伊月が門を開けると、幾つかの細い線で区切られたガラス張りの扉が三人を出迎える。
「あっ、コラ!」
その瞬間、夏樹が伊月の脇下を通り抜けて家の方へ駆け出した。扉に手を添えて力を加えると、顔見知りばかりの田舎だからか不用心にも鍵を掛けていなかったらしく、スライドして開く扉。
全開になると最初に薄暗い玄関が目に入って来た。独特な檜の香りが夏樹の鼻を通り過ぎるのと同時に、堪え切れない興奮に背中を押されて、夏樹は足早に中へと踏み込んで行く。
「何か良い事でもあったのか?アイツ」
「…さぁ」
後ろの方に居た元と伊月は、そんな何時も以上に楽しそうな息子の様子を不思議そうに見つめているようだ。
そして夏樹は玄関で靴を脱ぐと、並びをちゃんと揃えもせずに飛び出して家の廊下を渡り、リビングやトイレの入り口を超えて記憶のままに奥に聳え立つ階段を目指す。
ドンドンと音を立てながら上に登って行くと、廊下の壁に扉が一つ立てかけられていた。緊張に胸を躍らせながら慎重にドアを開けると…
「─おぉ」
飛び込んで来たのは明るい色をした木の壁に囲まれる部屋。中には机やベッド、本棚等が置かれており、一般的な少年の部屋と言う感じがする。
「えい!」
そのまま青いカバーが掛けられたベッドの上へダイブする夏樹。小さな少年の体重が軽く押し返され、少し揺れた後に静止した。
そして枕に顔を押し付けながら、夏樹はふかふかのマットレスを精一杯堪能する。
「やっぱり気持ちいいなぁ…うん?」
ふと目を向けると、枕元に置いてあった本が目に入った。
「これは!『アヴァロン戦国日記』!!」
それは夏樹が愛読している漫画の一つ。前世で勇者と呼ばれていた男…武田アーサー(19)が、滅亡した自身の国"鬼八滅露吐"を救う為…戦国時代へタイムスリップをし、現代知識で無双する新感覚爽快アクション!【全2巻】
夏樹はアヴァロン戦国日記の1巻を手に取ると、ページをパラパラとめくり始める。
目に煌めきを宿らせながら、次のページ、また次のページへと…そうしていると、あっという間に1巻を読み終えてしまった。直ぐに続きの本に腕を伸ばすと、今度は2巻に目を通して行く。
…………
ベッドの上でゴロゴロと寝転びながら、窓の外から差し込む日光に照らされて、怠惰に過ごす夏樹。
何度見ても驚くアヴァロン戦国日記の結末に衝撃を覚えながらも読了し、今度はまた別の漫画を読んでいるらしい。
…それからどれくらいの時間が経ったのだろうか。
気づけば、ベッドの上に漫画が幾つも散乱しており、ついさっきまで綺麗に整えられた部屋が何とも見苦しい姿になっている。
「ふぅ…」
一通り興味のある漫画を読んだ夏樹はボーッと寝転がっていた。
「(次は何をしようかな)」
部屋を見渡しながら、他にやりたい事はないかと探し回る夏樹。目に映るのはどれも彼の好奇心を刺激する懐かしい物ばかりで有る。しかし…
「夏樹〜。そろそろご飯よー」
1階の方から母の呼ぶ声が耳に響き渡った。ふと時計を見てみれば、時計の針は既に12時10分を指している。
「あ…今は昼だったんだ」
今更ながら現在の時刻を把握した夏樹はベッドから飛び起きると、急いで部屋を飛び出し、昼食に向かうのであった。




