第26話 追悼師団
三人は境界線を超え、遂に都市の内部へと入った。
《やっぱり。外とあまり変わらず静かな場所ですね》
夏樹とフィアワールドに向けて思念を飛ばすカノン。予想通りと言うべきか、ジュネイスの中に入って尚静けさだけがどこまでも続いている。
《まぁ此処で騒ぐ様な方はそう居ませんので》
人との話し合いすら許されないこの場所ではむしろ、それこそが日常なのだろう。
《さて、都市の紹介でもして行くとしますか》
少し歩くと、大きな湖が見えて来る。
《わぁ。駅前から見た時も思ったけど凄く綺麗な湖…》
《ジュネイスは湖の畔に位置する都市。ルールさえ無ければ『水の都』に数えられる程の絶景なんですよ》
永世平和都市ジュネイスが位置するロマン地方。その由来にもなった場所が、この"ロマン湖"である。今から一万年前、近郊に聳え立つロズアルプ山脈の氷河が流れ出した事で地形が削られて出来た淡水湖であり、比較的不純物の少ない透明な水は光を散乱させ、青々とした遠くの山々も相まってか空の様に美しい青色を映し出していた。
《一部の物好きは死んででも此処に訪れたいと思うそうです…文字通り死んでしまった方もいらっしゃるでしょうが!》
《…………》
フィアワールドにとっては軽いジョークのつもりだったのかも知れないが、少なくとも夏樹とカノンにはそれが冗談に思えず、余り笑えなかった。
《…戦前は船も多く行き渡っていたそうですが、今でこそ何も無いですね。この辺りには固有種の魚も多く、どれも絶品だとは噂されているのですが》
《やはり、レストランもこの都市には無いんだな》
《えぇ。お金のやり取りすら違反に捉えかねられないので》
少し残念に感じる夏樹。思い返すのはクヌギ港で食した「アミーゴ・ドゥ・マール」の料理だろうか。あの店で使われていた魚達は皆新鮮で身が引き締まっており、料理人の腕もあってか非常に美味しかった事を覚えている。それだけに此処の魚料理もぜひ味わってみたかったと思うが…
《くんくん。あれ?何だか急に美味しそうな魚料理のイメージが頭に浮かび上がって…ってもしかして誰かわざとやってます?》
《…いや、気のせいだろ》
顔を背ける夏樹。以前食べた料理を自慢したかったらしい。
《それよりお金が使えないなら、此処のやつらはどうやって生きているんだ?》
お腹を鳴らしながら不思議そうに周りを見渡すカノンを無視して、夏樹はフィアワールドに尋ねる。
《…そうですね。まぁ自給自足でしょうか。此処の魚を釣って食べられる方もいれば、都市内部に生えている果実を収穫して生きる方もいらっしゃいますよ》
何でもこの都市では法律がない以上、全ての物に所有物としての権利が無く、その為個人で何をどうしようが問題はないらしい。
《良く争いにならないな》
《状況次第ですが、基本的に人と関わりたがらない方が多いですからね》
そのまま三人が湖沿いに歩くと、ちらほらと堤防の近くから釣竿を片手に釣りに勤しむ人間が見えて来た。
《あ、彼処に人がいますよ!》
都市に入ってから初めて出会う人達。話しかける事は出来ないが、カノンは何か手掛かりが有るのではないかと僅かな可能性に期待して近づく。
《ん?うーん》
だが直ぐに表情を曇らせるカノン。
《…暗い》
《確かにな》
彼らの表情は皆下を向いており、先程のラルペス同様虚な目をしている事が遠めながらに確認出来た。
《彼らの多くは退役軍人なんですよ》
フィアワールドに言われて善く善く見ると、確かに白髪混じりの老人が多い。
《軍を引退しても尚本拠地に住んでるのか》
《いえ、少し違いますね…実際正規の軍人は都市周辺に滞在していますし》
《……?》
《自分から望んで移住して来た方が殆どかと》
その面を向ける先には、湖だけで無く家の前や路地裏に倒れ込む人達の姿がある。
《まぁそれは軍人に限った話ではありませんが》
彼らの多くは老若問わず多種多様な人種で構成されており、その出立ちからも全く異なる立場の人間である事が予想される。唯一共通する点と言えば、やはり生気が無い虚な目だろうか。
《何だアイツら》
《皆さん平等を求めてこの街にやって来たのですよ》
《…平等、ですか?》
《えぇ。この都市のルールである『誰も助けない』とは、そもそもどう言う意味かご存知で?》
顔を見合わせる夏樹とカノン。
《…いや、知らん》
《それはある種の絶対的平等を体現していましてね。例えば…目の前に転んだ幼子がいれば、誰だって手を差し伸べるでしょう?でもそれが同時に三人も四人もいた場合はどうなると思います?》
《適当な奴から順番に助けるんじゃないか》
その答えにフィアワールドは肯定を示す。
《えぇ当然。しかし…それでは助けるまでの時間と言う"差"が人によって生まれてしまい、平等には成り得ません。》
《…まさか》
嫌な予感が過ぎる夏樹。
《なら平等に接するにはどうすればいいのか!答えは単純…─最初から誰も助けない事ですよ》
フィアワールド曰く、何をするにしても優劣を付ける必要があるならば、そもそもそんな行い自体をしなければ良いと言う考え方らしい。
《芸術革命、アメリア独立戦争…人類はいつだって自由と平等を求めて戦って来ました。その答えの一つがこの都市の在り方です》
夏樹とカノンの間に戦慄が走る。
《…流石に冗談だろ?》
《で、ですよね》
またフィアワールドの下らないジョークである事を疑う二人。仮にも政府公認の軍隊がそんな馬鹿げた理由で一つの都市を生み出したなど到底信じられないのだ。だが。フィアワールドがネタバラシをする気配は一向にない。
《本気…なのか》
半信半疑な目で、改めて事の審議を問う。
《えぇ。狂おしいほどに》
だが返ってきたのは苦笑のみ。
《言わば、この都市は平等を追い求める者達にとっての理想郷なのです》
永世平和都市ジュネイス。その都市に刻まれたルールの本当の意味を知った夏樹達だが、未だにその現実を受け止めきれないでいた。
《だとしてもおかしいですよ。そんなの…》
カノンの目の先に映るのは無気力な人々の姿である。
《誰も助けない平等なんて、誰も幸せになれないじゃないですか》
理想郷などと言っている割に、この都市の人間は一人として嬉しそうな顔を浮かべていないのだ。そんな平等に一体何の意味があるのか、カノンは理解出来ない。
《幸せ、ねぇ》
《何より…同時に助けられなくても、一人でも多くの人を助ける事自体に意味があるはずですよ。だからこんな都市を態々作らなくたって…》
《それについては…こうお答えしましょう!》
─《世の中には平等でしか救えない人間が存在するのだと》
《……?》
フィアワールドの言っている事がよく分からず、首を傾げる二人。
「フフ。今はまだ気にしなくて良いですよ。…それよりも彼方の方が見えますか?》
彼が指を向ける先へ視線を向けると、修道服に身を包んだ女性が立っていた。
《こんな所にシスターさん?あれ…でも聖方教会と世界統一戦線って仲が悪かったんじゃ》
《いえいえ!よーく見てください》
《うーん?》
目をじっくり凝らすと、女性は正面に何かを構えていることが確認できた。
《あれは…剣?それに何か頭から変な物が垂れ下がって…》
女性が自分の身体と並行になるようにして構えているのは西洋剣と思しき物体。更には修道服の頭巾から白い布の様な物が垂れ下がり、顔を覆っていた。
《彼女らが『追悼師団』の兵士です》
異様な姿をした女性。それこそが5つの師団の一つであり、このジュネイスを管轄とする追悼師団であった。
《アレが…》
《ずいぶん変わった格好ですね》
《彼女らは私達と違って、"元帥"直下の師団なので役割が少し異なるのですよ》
師団としての歴史は古く、世界統一戦線が創設される前には既に存在していたとされている。その実態は師団長を含めた全ての兵士が元帥のみに忠誠を誓う、言わば元帥直属の親衛隊の様な物であった。
《追悼師団の役割は、ジュネイスにおける治安と景観の維持のみ。有事の際には元帥と共に戦場へ繰り出すそうですが…基本的に、この都市を離れる事はありません》
身体を震わせる事すら無く、その場で立ち尽くす女性はまるで何かを一心に考え続けているようだ。
《…少し移動しましょうか》
《え?別にもう少し、ここにいても…》
《嗚呼。急かして申し訳有りません…ですがワタシ、追悼師団の事が苦手でして》
珍しく弱音を吐くフィアワールド。そのまま三人は別の場所へと向かう。
ーーーーー
《しかし、法律が無い。なんて割には意外と荒れてはいないな》
家々が並び立つ街中を歩く三人。この都市は前評判に聞いていた割には危険だと言う感じがしない。確かにルールを一回破るだけで死刑にされるのだから、危険なのは間違いないのだが…表面上は平和そのものである。
《外で犯罪と見做される行為自体、大体が"人との関わり"に関係する物ですからね。此処でそれを行うのはリスクが有るのでしょう》
人への善意が許されない事は、何も悪意が許されると言う意味では無い。良くも悪くも平等なのだろう。
《都市へ入る事自体は悪党だろうと、誰も咎めませんが…それはそれとして罪を清算していない者は外の軍人に捕えられますし、中で違法な取引をしようにも追悼師団が見逃しませんからね》
捕まることで、戦線に目を付けられる可能性を考えれば、わざわざ手を出すメリットよりデメリットの方が大きく、犯罪組織ですら余り関わりたがらないらしい。
《まぁ完全にいないと言う訳ではありませんが…》
「きゃっ!」
その時、突然カノンの驚き声が辺りに響き渡った。二人が其方を見ると、思わずと言った様子でカノンが口元を手で覆っている。
《どうした?》
《あ、いや…そのぉ》
若干震えた目で身体を後ろに引きながら、カノンが視線を向けた先。
《……!》
そこには真っ黒な殻に身を包んで、カサカサと無数の足で身を揺らしながら歩く小さな虫が居た。
《何だ。ゴキ…》
《おや?屍虫ですね》
それは屍虫と呼ばれる存在だ。夏樹の記憶が確かなら、蒸し暑い極東地方はともかく、冷涼な北方区域では滅多に見る事のない虫のはずである。
《屍虫…そんな名前だったか?》
《えぇ。この都市ではあの様な昆虫を屍虫と呼ぶのですよ…しかしアレがいると言う事は"近い"のかもしれませんね》
─その直後、夏樹達の鼻を凄まじい激臭が襲う。
《くさ!》
即座に手で鼻を摘む夏樹とカノン。何かが腐敗した様な悪臭は二人の気管を通るのと同時に、胃液を逆流させ、吐き気を催す。
《…この匂い。まさか!》
何か心当たりがある様で、辺りを見渡す夏樹。
《やはり近い様ですね》
《さっきから近い、って何の…》
《嗚呼!知りたいですか?》
確認する様に尋ねるフィアワールド。それに対してカノンはよく分からないながらも、首を縦に振る。
《ならば教えて差し上げましょう!この近くに在るのは…》
《─人間の死体ですよ》
…………
「ゲホッ、ケホ」
家々の隙間に出来ていた路地裏を進む夏樹達。しかし、どんどんと強くなる悪臭に吐き気と咳き込みが止まらない。
《うぅ。かなり酷いですね》
《おやおや、大丈夫ですか?別に無理してみる程のものでもありませんよ」
《いえ!気にしないで下さい》
体調を悪くしながらも、何とか強がるカノン。だが…
「ヒッ」
前から向かって来る屍虫の大群に、その場で足をバタバタと踏み鳴らす。
《…気持ち悪》
《案外虫、苦手なんだな》
カノンが不快に感じていることを少し意外に感じる夏樹。村の花園にも虫は多くいたが、蝶々や蜂は兎も角、ああ言う類の虫は嫌いらしい。
しばらく進むと、声が掛けられる。
《着きましたよ》
悪臭を辿った先に見えてきたのはその根元。流れ出た液体が染み込む石造りの地面、屍虫達が足下で這い回る中でフィアワールドが淡々と告げる。
《これが、この都市に住んだ人間の末路です》
《…想像以上だな》
そこにあったのは、辛うじて人の形を留めているだけの腐敗した遺体。ドロドロに溶けた肉体は目視でも悪臭の原因だと分かる程の凄惨さを発し、一部の肉からは既に白い骨を露出させている。
夏樹が中に目を凝らすと、身体の中では無数の白く細い屍虫がクネクネと蠢いており、その上には黒光りの屍虫達が捕食のためか、あるいは産卵のためか…身を小刻みに揺らしているのが分かった。
《見ていられん。平気かカノ……カノン?》
余りの酷さに目を背ける夏樹。後ろのカノンが心配になり振り向くと、彼女は顔面を蒼白に染めていた。
「うっ」
襲い来る吐き気に、カノンは胸の辺りを右手で押さえ地面に膝を突く。
「おぇぇ!」
直後、身体から胃の中身が溢れ出し嘔吐した。
悪臭に次ぐ悪臭の環境下で既に催していた吐き気が、目の前の惨たらしい遺体を見たことにより彼女の中で限界を迎えてしまったのだ。
「かはっ、がっ!ぼぉえ」
「カノン!」
地面に倒れ込み、咳と嘔吐の止まらないカノン。それを見た夏樹は急いで彼女へ駆け寄ろうとする。が…
《─止まりなさい!!》
頭に強く響いたフィアワールドの声に動きを封じられてしまった。何故止めるのかと夏樹は鋭く尖らせた目で彼を睨む。
「お前…何が!」
《"見られていますよ"》
夏樹は驚き周囲を見渡す。一見誰も居ないようだが、こんな所にまで監視の目が届いていると言うのだろうか。
「…ちっ」
再び目を向けると、カノンは目に涙を滲ませながら、苦しそうな顔で透明色の液体を吐き続けていた。
《ふむ、ここから早急に立ち去った方が良さそうですが…立てますか?》
《カノン!おいカノン!》
必死に呼び掛け続ける夏樹だが、彼女から返事が返ってくる事はない。
《クソ…どうすれば》
何も出来ないこの現状に反比例し、夏樹の頭の中がカノンを助けたい思いでどんどん溢れかえっていく。
苦しむ彼女の背中を摩ってあげたい。肩を支えてあげたい。涙を拭いてあげたい。震える手を握ってあげたい。休ませてあげたい。口元を抑えてあげたい。優しい言葉を掛けてあげたい。
だと言うのに、それだけ無数の願いを抱いてもこの都市で実現されることは決して叶わず、夏樹は唯見守りつつ続ける他なかった。
そんな状況に遣る瀬無さを覚える夏樹。しかし…
「はぁはぁ…はぁ。うぷっ」
《……!》
カノンが身体をフラつかせながらも何とか立ち上がった。
《わ、わた…私はだ、大丈夫で…す》
苦痛で混濁する意識の中、明らかに平気ではなかったが、今にも襲い来る吐き気を堪えつつ、カノンは夏樹へ精一杯笑って見せる。
《だ、だから早く行きましょう…ね?》
今にも再び倒れそうな彼女を見守りつつ、三人は路地裏を後にするのだった。




