第18話 化学の力
夏樹はカノンから掃除用具の入ったバケツを受け取ると地面に置く。
「まずはこいつだ」
バケツの中には幾つもの清掃用具が入っており、夏樹がその中から取り出したのは無数の緑に染まった刃で構成される武器。
ー「聖剣デュランダル」
「…デッキブラシですか」
大層な名前で呼ばれたのとは裏腹に、現れたのはどこにでもある普通のデッキブラシ。夏樹はそれを剣のようにして中段で構える。
そのままロヤテを見据え、肩の力は脱力、腕の幅は狭く伸ばしきり、呼吸を整えていく。
「いざ。ー勝負」
「え!本当にそれで行くんですか!?」
その直後驚くカノンを横目に、夏樹はロヤテへ向かってスタートを切った。
「生憎、お遊びに付き合うつもりはありませんよ」
ロヤテは長槍を振って、迎撃に移った。幾ら優れた武芸者であろうと、木の棒が鉄の矛に斬られぬ道理はない。だからこそ夏樹のデッキブラシは簡単に斬り裂かれて…
「た、戦えている!」
「そんな馬鹿な!!」
だが予想に反してデッキブラシは斬られなかった。いや、確かに斬られてはいるのだ…その証拠に夏樹がロヤテを押し切る事はない。なのに二人は激しい攻防を繰り広げていた。
「根元まで矛先が届きませんね」
その絡繰はデッキブラシの先端に位置する無数の穂がロヤテの長槍による攻撃を軽減しているのだ。その結果、緑の穂ばかりが地面へと散っていく。
「ですが、いずれは全て消えるでしょう」
そのまま、確かにロヤテの考え通り穂先はどんどんと削れていった。しかしここで…
パンッ
ロヤテの視界は突如暗闇に包まれてしまう。一体何が起こったのか、衝撃と共に彼の顔は冷んやりとした感触に包まれる。
その隙に夏樹が迫った。
「これがデッキブラシの使い方だ」
そう言うと、ロヤテの鎧に思い切り振り抜く。
…だが軽い。その攻撃はロヤテにダメージを与えるどころか、あまりの衝撃にデッキブラシは棒の真ん中の辺りで折れ曲がってしまった。
「…これは濡れた雑巾?いつの間に」
今の攻撃を特に気に止める様子もなく、ロヤテは自分の視界を覆っていた物を兜から引き離す。見ると、ただの水で濡れた雑巾であった。
折れたデッキブラシを地面に置く夏樹。小細工を重ねた割に何も成果がなく、再び手ぶらになった彼を見てロヤテが話す。
「薄々勘づいてはいましたが…貴方、頭がおかしいのですか?芸術の破壊といい、何故戦闘に意味の無い行為を繰り返して…」
「いいや、意味はあった。今もさっきもな」
その直後、ロヤテを襲うのは鋭い刺突の蓮撃。
「貴婦人の嗜み」
カノンが手に纏わせたリュウゼツランによる攻撃だった。ロヤテに当たりはしたものの、やはりというべきか直接的なダメージはない。
顔は兜に包まれて表情こそ分からないものの、ギロリとでも睨むかのようにロヤテはカノンの方を見る。
「捕縛対象といえど、近づくならば容赦はしません」
繰り返される刺突に対して、ロヤテは優雅に長槍で捌いていく。ほとんど戦闘経験のないカノンにとってはかなり荷が重い相手のようだ。そのままロヤテは長槍で攻撃を弾くと、体制が狂った彼女へ矛先を向けた。
殺意はない。それでも尚、カノンが余計な真似を出来ないようにするのが最善策と判断したのだろう。そのままリュウゼツランのある手に長槍を沿わせようとする。
ー刃先が当たる直前。
ポンッ
間抜けな音共にロヤテの攻撃の軌道が微妙にズレてしまった。その原因は他でもない。
「お似合いの姿だな。天聖騎士」
今の攻防の間に再び掃除用具を回収した夏樹だった。ロヤテの首からは何故か棒状の物が飛び出していて何ともおかしな姿になっている。
「…もはや一周回って笑えて来ますね」
度重なる予想外に怒るどころか、自嘲してしまうロヤテ。彼の首に刺さっているのはラバーカップ。又の名を"すっぽん"と呼ばれる道具だった。
そのまま斬り合いに雪崩れ込もうとするロヤテではあるが、無駄に飛び出たすっぽんのせいで長槍が振りにくい上、カノンとの間合いが掴みにくくなっている。
そのため、先程と異なりカノンはある程度渡り合えるようになっているようだ。幾つかの応酬の末、ついにロヤテが痺れを切らす。
「かなり邪魔ですね。これ!」
そのまま何処かへと投げ飛ばした。
「…彼の行動の殆どは無意味な物。しかし、ごく稀に私にも通用する何かが飛び出して来る。難解な相手ですね」
夏樹の常識外れな戦法にロヤテは却って苦戦してしまう。ただの武器を使うだけであれば百戦錬磨のロヤテにとって簡単に対応出来る。なのに本来武器でない物ばかりを使って来るせいで先が読めなくなっていく。
何が意味のある真実で、何が意味のない虚構なのか。その二択は意外にもロヤテの精神を削っていくのであった。
「ならば、影を使うまでです」
「闇夢」内に蔓延る影を使う事でこの状況からの脱却を目指すロヤテ。
依然としてこの空間内は彼の制御下に置かれており、相手が一人から二人になったところで何も変わりはしなかった。
周囲から溢れ出して来る無数の影たち。数はざっと目視しただけでも20を超えおり、その大半は夏樹へと向けられていた。カノンの事は歯牙にもかけていないらしい。
確かにこれまでの戦いを見ればロヤテに殆どダメージを与えられていないカノンより夏樹の事を優先するのは当たり前だろう。
…だが影たちが夏樹を襲う瞬間、突然カノンの腕を覆っていたリュウゼツランの葉っぱが身体からから分離し始めた。それは回転しながら二人の周囲を周り出す。
「踊る貴婦人」
剣の様に尖った葉っぱたちは、物質化していた影をあっという間に切り裂いていき、空間内に天からの光が差し込んだ。
「…!ただの葉如きのどこにこんな力が!」
「リュウゼツランの葉は鋭く、金属でも断ち切れないくらい強固なんです」
上を覆っていた木の葉ごと斬られてしまい、一時的に影の操作を封じられたロヤテ。空で舞続けるリュウゼツランの葉っぱたちが、そのまま彼に襲い来る。
「それはつまり…逆に、金属をも断てる力を秘めているって事ですよ!」
巻き起こるの斬撃の嵐。凄まじい金切り音が一帯に鳴り響いていく。
カノンの目論見通り、ロヤテの漆黒の鎧は周り続けるリュウゼツランの葉たちのダンスパーティーによって削られていった。
ーしかし、嵐が吹き止む頃にそこにいたのは…
「…そう簡単には斬り切れませんか」
堂々と立ち尽くすロヤテだった。
真っ黒だった鎧には幾つか銀色の傷痕が残ってはいるものの、肉体にまでは攻撃が届いていない。
「硬い鎧を突破するには、後一押し何かが…」
「なら、これの出番のようだな」
ロヤテは倒し切るには恐らく、鎧を通しての攻撃だけでは足りない事はこれまでの戦いで充分身に染みた。だからこそ、ここでその鎧を攻略するしかない。
そう判断して飛び出した夏樹が手に握っていたのは、なんとモップである。
「これがお前を倒す為の切り札だ!」
「流石にそれは、無意味な行いでしょう!」
ロヤテはモップを持ったまま突撃して来る夏樹に対し、相手にする必要がないと判断したのか直接身体に向かって長槍を振るう。
迫る刃、夏樹はそれをモップで受け止めると…
シュー。まるで熱々の鉄板に乗せたハンバーグが水分を放出するかのように小さな音がどこかから鳴った。その音に気を取られた刹那、ロヤテの視界が霞み、攻撃が僅かにモップから逸れてしまう。
「……!!」
直ぐに手を裏返して、長槍の向きを戻そうとするロヤテだったが、夏樹の攻撃の方が早い。
「葉落一心流 『桜百景』」
モップを使って叩くというより、塗りたくるように繊細な蓮撃がロヤテの鎧へと打ち込まれる。
即座に戻した長槍で薙いで、ロヤテは夏樹を後退させる。
「一体何を…」
驚愕に身体が硬直するロヤテ。今の攻撃を受けた長槍や身体の鎧自体には何も起こっていない。…だが問題は、彼の漆黒の兜だけが音共に泡をブクブクと噴き出して、
ー溶けていたのだから。
「確かにお前の言う通り、さっきまでは意味の無い動き…時間稼ぎだった」
モップを地面に突き立てて着地した夏樹が悪戯に笑う。
「だが最初に投げた雑巾を覚えているか?あれに"ある物"を染み込ませていたんだよ」
そう言って夏樹が懐から取り出したのは一つのボトルに入った液体。
「本命はこれだ」
「強酸性洗剤アカシニ君?…まさか!」
手に握られていたのは、一般家庭で愛用される事も多い水垢やトイレの黄ばみを除去するための洗剤"アカシニ君"。その主成分となっているのは強力な化学物質。
ー「塩酸」
「…最初から仕込んでいたとでもいうのですか」
「あぁ。最もお前の鎧に通用するかは分からなかったがな。だから待った」
塩酸とは塩化水素と呼ばれる気体が水に溶ける事で生まれる酸性溶液の一つである。その特性として鉄やアルミニウムといった一部の金属を溶かすことが出来た。
ロヤテは腕を伸ばし、攻撃の直前に自身の視界を遮った何かに触れる。それは瞼の上から流れる自分の血だった。
「なるほど、"あの少女の攻撃"ですね。この血は…それを確認した上で私に突っ込んで来たと」
先程カノンが放った「踊る貴婦人」はロヤテの鎧こそ貫通し切れなかったが、唯一塩酸によって強度の落ちた兜にだけは通じていたのだ。
それを理解した夏樹が次に行ったのは本格的にロヤテの鎧を突破する為の本命。
「そしてモップでの攻撃。一見無意味な行動に見えましたが、一連の流れを考えると中に含まれていたのは…」
「アカシヌ君だ」
「ーやはり」
夏樹がロヤテへと打ち込んだモップの蓮撃。それはダメージを与える為ではなく、モップの中に仕込んだ塩酸を塗りたくる事により、鎧全体を溶かす為の行動であった。
「えー……そんなのでいけちゃうんですか?」
苦笑するカノン。
理屈分からなくもないが、刃物のぶつかり合いが跋扈する戦場では、なんとも馬鹿らしい。
「でもこれなら…」
「大した量じゃないが、お前の攻撃ならその内通る」
長らく見えなかった活路を見出した夏樹とカノン。塩酸の濃度こそ高いものの、鎧に塗った量自体はそれ程多くはない。だがロヤテの漆黒の鎧を溶かしていくのはもはや時間の問題である。
天聖騎士となって以来久方ぶりに訪れたピンチ。しかしこの男、ロヤテはそれでも尚焦る事なく笑って見せた。
「なるほど。私が血を流すなどいつ以来でしょうか」
刻一刻と迫って来るタイムリミット。だと言うのに話すスピードが一切変わりはしない。
「…思考を相手に読ませず、敵を奇想天外な発想で討つ。それ自体は感服です」
それは"呪影の天聖騎士"としての矜持故か、或いは目の前の若き少年達への賞賛故か。
「ですが……だからこそ。私も貴方達には敬意を持って応える事に致しました」
突如、二人を襲うのは凄まじい悪寒。それは恐ろしい何かが今から来る事を予感させる。
ロヤテが行ったのは影の展延。ただし、その距離は彼が本来伸ばせるだけの距離を優に超えていた。
夢覚<常闇>。それが操れる闇の距離は本来、使用時にロヤテが触れている闇の大きさへと依存する。光と闇が表裏一体である様に、仮に制限を超えて伸ばしてしまうと、ロヤテ自身の肉体も伸ばされるように裂けていってしまうのだ。
しかし今、太陽の光に照らされる空間でロヤテは一歩も引く事はなく、あえてその場所に留まり自身の影を照らされぬ闇の方へと伸ばしていく。
「フゥゥゥ!」
中は鎧に包まれていて見えないが、それでも痛ましい音が辺りへ広がっていく。肉が裂け血を流し、そして漸くロヤテの影が庭園に広がる影へと届いた。
ーその瞬間。周囲が再び闇に包まれる。
「少年。"彼"が目を付けるのも納得するほどに、貴方との戦いは中々に刺激的でしたよ」
ロヤテが地面と並行に真っ直ぐ構えるのは長槍。それと同時、世界が歪んでいく。
グニャリ。空間を覆っていた闇が渦巻くかのようにして、一斉にロヤテの長槍へと集まっていった。
「これが、今の私が出せる最大限の全力」
一点へと集中し、集まった闇は巨大な質量と共に、凄まじいエネルギーを秘めていた。
ーそれが今、夏樹達に向かって放たれる。
「──闇哮」
刹那。世界から音が消えた。
次に気づいた時、そこに存在していたのは全てを呑み込む巨大な闇のトルネード。それは大地を抉り取り、木を吹き飛ばし、瞬く間に夏樹達をも喰らっていった。
…………
…激しい轟音と共に闇の大災が消失した時、その場所に残っていたのは削られた大地、そして。
「貴方ならまた、その少女を庇うと。そう信じていましたよ」
カノンの前に立ち塞がったまま、一歩も動かない夏樹の姿であった。
「夏樹…くん?」
呼び声も虚しく夏樹が応える事はない。そのままパタリと地面へうつ伏せに倒れ込む。
「何で…私は……また」
「悔いる事などありませんよ。その少年が力を発揮出来たのは貴方がいたからでしょう」
ピクリともしなくなった夏樹の前で絶望に打ちひしがれるカノン。だがロヤテは体裁の良い言葉を並べながらも段々と近づいて来る。
「少女の為に戦い、少女の為に死ぬ。殺すには惜しい信念でした」
夏樹を賞賛するロヤテ。されど彼がやるべき事は最初から何も変わっていない。
「しかし、それとこれとは別です。早速ですが、この私と一緒に来て頂きましょう」
余計な邪魔がいなくなった今、ロヤテはカノンへと腕を伸ばし、当初の目的通り彼女の捕縛を遂行する。
もはやそれどころではないカノンに抵抗の術などはなく…
「あら?誰か忘れているんじゃないかしら?」
その時、破壊されきった庭園に一つの声が響いた。
「おや。貴方は」
虚を突かれたロヤテが振り向くと、そこにいたのはピンク色の髪をサイドテールに結び、手には筆を握った少女。
「…どうしてここに」
それはここにいるはずのない人物だった。何故なら彼女は今アジトで不貞腐れていたはずなのだ。いや、だとしてもこんな戦場の中心に来るはずが…
「ふふ。私がどこにいようと私の自由でしょ?」
その人は「パトロン相互会」のリーダーにして、「贋作師」、そして今は一人の少女の"友達"。
「待たせたわね。カノン、あんたのパトロン登場よ!」
ー現れたのは「芸術家」ショコラ・ヴェリテ。




