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忘却のアナタシスア   作者: 風鈴鳴梅
序章 僕と君の三千世界
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第14話 好きだから

 それから幾許かして、少し落ち着いたカノンは、アジトの壁際へと足を運んでいた。

 そこには、ダンボールが乱雑に敷かれており、その上で糸の切れた人形のように倒れ込んでいる人物がいる。


「ショコラさん…」

「あぁ…カノンね」


 声を掛けられて何とか反応を見せるショコラ。そこに前のように元気に溢れ他様子はなく、虚な目でこちらを見つめていた。


「…目が赤いわね。泣いていたの?」

「はい。けどもう大丈夫です。私がクヨクヨしている間にも、あの人に迷惑をかけてしまいますから」


 そう話すカノンではあるものの、少し無理をしているように感じさせる。

 

「それで何の用?…一人になりたいんだけれど」

「ショコラさんと少し話をしようと思って」


 その言葉にショコラは眉を顰める。


「…あんたが犠牲になるって話?」

「いえ、それはもういいんです」


 しかし、予想に反してカノンは自嘲するように笑った。


「今はただショコラさんが心配なだけですよ。…だって、あの日から碌にご飯も食べていないじゃないですか」

「別にどうでもいいわ」


 心底興味なさそうに、ショコラは突き放した。今の彼女の状態はまるで燃え尽きた白炭のように、色を失っている。


「それでも…皆心配しているんですよ?だって皆さんショコラさんの事が大好きなんですから」

「…そんなの知らない」


 ずっと心を閉ざしたままのショコラに対し、カノンは話を切り出す。


「もし、絵が贋作だってバレた事を気にしているんだったら、それは…」

「うるさい!!!」


 だがショコラの怒号によって遮られてしまった。あまりの迫力にカノンは目を見開く。


「どうでもいい…もう絵の事なんてどうでもいいのよ!だから放っておいて!!」


 それだけ叫ぶと、不貞腐れたようにそっぽを向いてしまった。今の彼女は少し涙ぐむような声でいて、どこか子供の我儘のような、幼さを感じさせる。きっと、自分を取り繕う余裕すらないのだろう。


 少し戸惑いはしたが、そんなショコラを見て、カノンはまた口を開き始める。


「…それなら、今から言う事は全部独り言です」


 返事は返って来ない。それでも話を続ける。


「私は、ショコラさんの絵。すごく好きですよ」


 そう告げるカノン。


「確かにあの絵は贋作かもしれませんが、私にとってはルド・ホーギャンの物ではなく、ショコラさんの描いた作品なんですよ。…それに見ているだけで優しい気持ちになるんです」


 贋作である以上は、人の名を騙った悪質な作品でしかない。それでもカノンにとっては少し違う意味があった。…何故なら彼女は知っているから。


「だって私は普段のショコラさんを知っていますもん。怒りっぽいショコラさん。優しいショコラさん。…それに以外と弱虫なショコラさん。そんな貴方の事を知っているから。だから私は、たとえ贋物(にせもの)でもあの絵が好きなんです」


 ショコラの身体がピクリと動く。


「それに、前に言ってたじゃないですか、嘘も最後まで隠し通せば本物と変わらない。って」

「…でも結局バレたのだから、偽物でしかなかったのよ」


 依然としてそっぽを向きながらも、漸く口を開いたショコラ。

 

「そう。それなんです」


 カノンは彼女が話してくれた事に喜びつつも、語気を少し強める。


「あの絵は、偽物ってバレた以上、完璧には再現出来ていなかったんですよ。それは何故だと思います?」

「そんなの、私が未熟だっただけでしょ」


 しかしカノンは首を横に振って、笑いかける。


「違いますよ。ショコラさんは完全にルド・ホーギャンを演じ切る事が出来なかったんです。それは多分、自分で絵を描こうとしたから」


 その答えに、訳が分からないといった表情を浮かべるショコラ。


「完全に演じ切れていたなら、それは本物の『静寂の畔』になっていたんですよ。でも、そうはならなかった。ショコラさんがショコラさんである事を捨て切れなかったからだと私は思います。その理由はきっと…」


「ショコラさんは絵を描くのが好きだから」


 脳裏に蘇るのは、あの男性に言われた言葉。彼も確か、ショコラは絵を描く事が好きなんだと言っていた。しかし分からない。ショコラにとって、絵を描く事など金儲けの手段でしかなかったはずなのだ。


「理解できないわ。絵を描く事が好きだから失敗しただなんて、そんな理由…」

「だって、他にないですよ?あんなに絵の上手いショコラさんがヘマする理由なんて」


 ある意味、カノンからショコラへの信頼なのだろう。


「多分、どこかの"誰か"としてではなく、"ショコラさん"。貴方自身として、あの絵を描いてみたくなったんじゃないですか?」


 絵を描く事が好き。だからこそ自分の描きたい物を描きたくなってしまった。そういう事なのだろう。

 つまりは、完璧に再現していたはずのルド・ホーギャンに、ショコラとしての自分を入らせてしまったのだ。


「…絵を描くのはただの金稼ぎなのよ」

「お金を稼がなければいけないのなら、盗みや強請でもよかったじゃないですか。それでも同じ犯罪の中で、贋作作りなんて回りくどいやり方を選んだ事。それこそ絵を描きたかった事の証明だと思いますよ」


 ショコラは身体を起こして、暫し沈黙する。


「だから、ほら。何も落ち込む事はないんです。それはショコラさんが、ショコラさんである証なんですから」


 カノンの言葉に嘘偽りなどなく、ただ真っ直ぐにショコラを見つめていた。そんな彼女に答えるように…


「…私は、あの時どうしようもなく悔しかったの」


 ショコラが話す。


「絵には自信があった。誰にも見抜かれる事はないって思ってた。あんなに時間を掛けたんだからって。」


 彼女の顔は下を向いていて、その表情は読み取れない。


「でも、結局はバレてしまった。あの男が言うには絵に込められている心が違うんだ…って」


 ルド・ホーギャンの絵に比べて、彼女の作品は楽しそうに描かれているのだとそう言っていた。もしかしたら、あの男性も見抜いていたのかもしれない。ショコラの本当の想いを。


「訳が分からなかったわ。…でも今なら少しは分かる、かも。あんたの言うとおり、もしかすると私は…」


 ショコラが何かを言い掛けたその時。

 

 パトロン相互会の面々と話を終えた夏樹が、アジトから出て行こうとするのが目に入った。


「…!夏樹くん!」


 何か嫌な予感がしたカノンは急いで夏樹の方へと駆け出して行く。


「…カノンか」


 夏樹はカノンの方を振り向く。


「さっきまで何を話していたんですか?それに今からどこへ…」

「これから呪影の天聖騎士の元へ行ってくる」


 まるで、何でもない事かのように言う夏樹であったが、その目には強い決意が宿っている。それに対し、嫌な予感の当たってしまったカノンは複雑そうな顔を浮かべる。


「そんなことしたら、きっと今度こそ…」


 二人は一度、ロヤテに敗北を喫したのだ。ましてや、夏樹は武器であった斧を失っている。だからこそ勝ち目など極めて薄いだろう。だが、


「奴の能力が分かった」


 凛として夏樹が告げる。


「能力…あの、死んだ人を操る力の事ですか?」

「そうだ。恐らくその根本は… とにかく、今の時間は力を存分に発揮できない筈だ。だからこそ、叩くなら今しかない」


 パトロン相互会のメンバーとの話から何かを掴んだらしい夏樹。しかし、それでも不安は拭えない。


「…けど、あれは武器だけでも凄い強さなんですよ?傷もひどいですし、援軍が来るまで、ここで待っていた方がきっと安全です」

「確かにな。だが俺の予想が正しければ、ここも安全とは限らない。奴がお前を探している以上、いつかは必ず見つかる」


 そう言って、夏樹は出て行こうとする。が…


「なら、私も連れて行って下さい!」


 カノンに止められてしまった。


「…さっきも言っただろ。お前の事は」

「いえ、そうじゃないんです。」


 カノンには、自分がどうなってでも大勢の人を助けたい。そんな気持ちとは、また別の本心があった。

 

「初めは分かりませんでした。皆を助けたいなら、自分から早く捕まりに行けばよかったのに、何故夏樹くんの目が覚めるまで待っていたのか」


 三日も昏倒する原因になってしまった事への罪悪感も当然あった。でも、それ以上にカノンが自身を最低だと思ってしまうほどに、別の理由が存在する。…ただ構って欲しかったのだ。


「きっと不安だったから。お姉ちゃんみたいに、あなたが私から離れてしまうことが」


 夏樹は自分に関心がないんじゃないかと不安だった。…それでは姉のように、何れ自分を置いて何処かへ消えてしまうのかもしれない。

 だからこそ知りたかったのだ。本当は彼がカノンの事をどう思っているのかを。"あれ"は夏樹の口からそれを聞くための、ちょっとしたわがまま。


「私は夏樹くんと一緒にいたい。それだけなんです」


 そう言ってカノンは照れくさそうに、はにかんだ。


「だから…一緒に行ってもいいですか?」

 

 少し言いづらそうな目で、自分を見つめてくるカノンに、夏樹は思わず顔を逸らしてしまう。そのまま、表情の読み取れなくなった夏樹は、ただ一言。


「…好きにしろ」


 それだけ言い残し、外へ向かって歩き始める。


 すると、その答えにカノンは顔をパァっと明るくした。


「はい!!ちゃんと着いて行きますよ!」


 そう言って、彼女もまた夏樹の後を追いかけ出す。道中、後ろを少し振り返る。


「…私はショコラさんなら大丈夫だって信じていますからね」


 ──こうして、二人は呪影の天聖騎士の討伐へと向かうのであった。









「大丈夫か?ショコラ」


 夏樹とカノンの出発を見送ったパトロン相互会のメンバーたちはショコラの元へと集まっていた。


「…えぇ。さっきまでに比べたらね」


 そう話すショコラの顔色は、まだ暗さが残りつつもかなり良くなっている。


「なら良かった。…だが俺たちはお前に謝らなければならない事がある」


 シェパードがショコラの顔を覗き込む。


「ずっと、無理をさせてすまなかった」


 それだけ言って、相互会のメンバーは皆頭を下げた。


「…なんで、あんた達が頭を下げるのよ」


 状況が分からずに困惑するショコラ。


「にゃはは。だって私たちは、ずっとショコラさん頼りでしたからね」

「そうだぜ、俺たちは『パトロン"相互会"』なんだ。ショコラにばっか頼ってたら、ただの『ショコラパトロン会』だろ?」


 互いをパトロンとして、支援し合うという規則に反して、彼らへの金銭面での援助や、世話の大部分はショコラが占めていた。そのため、実質彼女頼りの組織であったと言える。


「…本当は気づいていたんだ。ショコラがずっとやりたかった事を」


 再び口を開くシェパード。


「俺たちを初めてここへ連れて来た時に言っていただろう?『私たち皆で助け合って、お絵描きでもしながら幸せに暮らしましょう』って」


 パトロン相互会。その原点となったのが、ショコラのその一言であった。


「あの時の俺たちはその日を生きるのに精一杯で、誰も絵を描く事なんか興味はなかったんだ。でも…」


 シェパードが笑って告げる。


「ショコラの描いた何でもない。この都市の風景画。あれを見た途端、どうしようもなく魅了されてしまったんだよ」


 ショコラの身体が軽く揺れた。


「ショコラの楽しそうに描いた絵が俺たちは大好きなんだ」


 シェパードの声に同意するように、辺りから声が溢れ出した。


「俺もできる限り頑張るから。だから、もう贋作なんて描かなくていいんだよ!」

「この子達だって何時迄も子供じゃないんだから、一人で抱えこまなくたっていいのにゃん」

「また、ショコラお姉ちゃんの綺麗な絵見てみたいなぁ」


 口々にショコラへの想いを告げるパトロン相互会のメンバーたち。彼女が今思い返すのは、かつて言われた"一つの言葉"。


『本当にそれがあなたの夢ですか?』


 あの時は何を言われているのか分からなかった。でも今なら分かる。


「私の…私の本当の夢は…!」



ー漸く気付けた自分の本当の願い。それを聞いた仲間たちはたった一言。


「あぁ。ずっと知っていたさ」


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