第8話 イチジクの葉論法
都市を見て回ったカノンは街を歩きながら、夏樹のことを探していた。
「夏樹くん、どこですかー?」
しかし返事は返って来ない。
「あの人ちゃんと帰って来られるかな…教会は流石に見に行けないか」
現在カノンたちは先日の事件から教会に指名手配されている可能性が高いため、迂闊には近づけない。また漫画ではこうだのと言って、問題を起こしていなければいいが…
「うん。ひとまず駅の方に戻ってみよう」
もしかすると、最後に別れたあたりで待ってくれているのかもしれない。一度駅へ戻ってみることにした。
ーーーーー
「やっぱりいないみたいだね」
駅前の道には人が多く通っているものの、夏樹の姿はどこにもない。
「まぁ、ここに帰って来てくれるかもしれないし、もうちょっと待ってみても…」
カノンは立ち止まる。そして考え込んでいると
バンッ
「きゃっ!」
「おっとと、危ないぜ姉ちゃん」
前から走ってきていた小さな少年とぶつかってしまう。しかし少年はかなり急いでいるようで、そのまま近くにあった路地裏の中に入っていく。
「いたた…もう少し気をつけないと…うん?」
下に目を向けると、筆の入ったケースが一つ落ちていた。
「これは、さっきの子が落とした物?」
どうやらぶつかった時にあの少年が落としてしまった物らしい。カノンはそれを拾い上げると
「あそこに入って行ったよね…大事な物かもしれないし、届けに行かなきゃ!」
少年を追いかけて、路地裏の中へ入っていくのだった。
「暗いなー。こんなところに何があるんだろ」
狭く暗い一歩道を進む。中にはゴミ箱や換気扇がある物のゴミは大して散乱しておらず、それなりに綺麗だ。
「ん?別れ道?」
途中別れ道に出会す。どちらに行けば迷うものの、カノンの持論では困った時は右に進めばいいと決まっている。そのため右へ行く。しかしすぐに別の別れ道が現れる。
「まただ…」
再び右へ行くカノン。その後も別れ道は続いたが、全て右へ進んだ。
「本当に合っているのかな、これ。もしかして…同じところをぐるぐる回っているんじゃ」
しかし、一向に終わりが見えて来ない。そのため不安がまとわりつくが、それでも歩き続けていると
「あ、出口が見えてきた!」
奥から光が差し込んでいる。そのまま足早に駆け出し、路地裏を抜けた先に待っていたものは
「こんなところに木…?」
ー四方を街壁に囲まれた空間に佇む大きな木であった。
地面から少し盛り上がった場所に生えている木の周りを見渡すと、真っ白なキャンパスが立てられており、小さな子供から、青年まで男女問わず絵を描いているようだ。
「ん?あんたは…どこの誰だ?」
カノンの存在に気づいた青年がキャンパスから離れて、声を掛けてくる。
「こんにちは!カノン・エーデルスです!えーっと、小さな男の子を探しているんですけど…この筆の持ち主の」
すると、近くにいた少年が、顔を横から出す。
「あ!俺の筆ケース!やっぱ落としてたんだな」
それはさっきカノンとぶつかった少年だった。彼は近づいて筆をまじまじと見つめる。
「間違いないや!ありがとうな、姉ちゃん!これがないと絵を描けず困ってたんだよ」
キャンパスが置いてあるから、薄々察していたが、みんなここで絵を描いているらしい。しかし何故こんなところにいるのだろう。
「あの、ここって何の集まりなんですか?
「ここは、絵が好きだが、貧しくて絵の具すら買えない。そんなやつらの集まりさ」
青年は木の方に顔を向ける。
「その名も『パトロン相互会』この木の下、皆んなで金を出し合って画材を購入しては絵を描いているんだ」
聞くところによると、ここ芸術都市は華やかな面が目立つ一方、移民も多く存在するため仕事に就けなかったり、親に捨てられた子供も多くいるらしい。
元々ここは誰もいない寂れた場所だったが、居場所のない子供たちが自然と集まっていったという。
「芸術都市なんて名前だが、誰もが芸術活動を出来るほど裕福じゃないのさ」
自嘲するように呟く青年。
「それでも、僕たちは創作への渇望を抑えきれないんだ。『芸術とは人であり、世界であり、私たちの生きた証なのである。誰も自身の存在証明を止めることなどできない』芸術革命の時代から続く有名な言葉だ」
青年はカノンを手招きすると、他の子供たちのいるところへ案内してくれる。
「すごく綺麗な絵ですね…これは海?」
キャンパスに描かれていたのは、青色で出来た海であった。空には真ん丸の太陽と雲だけが浮かんでおり、海のそばには、鼠色のコンクリートのような見た目をした砂浜がある。
「うん、そうだよ。でも私はこの街を出たことがないから海を見たことないんだけどね」
絵を描いていた女の子が話してくれる。衣服はあまり綺麗ではないが、その目は汚れ一つなく輝いてカノンを見つめていた。
「お姉ちゃんは遠くから来た人なんだよね?海を見たことがあるの?」
「はい、ありますよ!といっても私もつい最近初めて見たんですけどね…でも、ブルステンの街で見た海はエメラルドグリーン色をしていてすごく綺麗でした」
すると女の子はびっくりした顔をして、カノンに尋ねる。
「エメラルドグリーン?海って青色じゃなかったんだ…」
「青の海もあるらしいですけどね。確か私が昔読んだ本だと海底の砂などに光が反射して緑に近い色になるそうです」
「そうなんだ…いつか行ってみたいなぁ!」
まだ見ぬ夢の景色を想像し、両腕を自分の前で縦に重ねる可愛いらしい仕草をして、嬉しそうに笑う彼女。
「あ、筆を落としたぞ」
「ほんとだ!えへへ…」
少女はうっかりして筆を落としてしまった。そんなに嬉しかったのだろうか。そもそもこんな幼気な少女まで『パトロン相互会』に入らなければならない程困窮しているなんて…
「君たちは普段どこで暮らしているんですか?」
「普段からここで寝泊まりしているよ。ここならスリや人攫いも来ないしな。来るための道は一つしかないんだが、まさか別れ道で全部右に曲がるようなアホはいないだろ」
それを聞いたカノンは動揺する。
「(えっ?私ってアホなんですか…)」
突然様子がおかしくなった少女を見て不審に思ったのか青年が声を掛ける。
「ん?どうしたんだ?」
「いえいえ!私は決して大した理由もなく右に曲がり続けるようなアホではありませんよ!私のような頭の良い人じゃない限り、まともには辿り着けませんよねー!ははは」
早口で言い訳をするカノン。本人は上手く誤魔化したつもりだが、そもそも聞かれてすらない事を話した時点で手遅れである。
「…そうか」
青年は気を遣って、これ以上この話題に触れないようにする。カノンもそれを察したのか何とか話を変えようと…
「あ、あと相互会のお金って皆どうやって…」
「ショコラお姉ちゃんが帰ってきた!!」
その時、木の下で絵を描いていた子供たちが一斉に立ち上がり、路地裏の方へ向かっていく。
「ショコラお姉ちゃん?」
カノンが路地裏の方に目を向けると、そこにいたのはペレー帽を被り、綺麗なピンク色の髪をサイドテールに結んだ女の子。
「あら?あんたは…」
ーーそれはまさに、ついさっきカノンが絵の具屋で店主と揉めていたあの女の子だった。
「さっきのムラサキツユクサ!何でここに…」
「ム、ムラサキツユクサ!?」
ムラサキツユクサとはカノンのことようだ。名前がわからないから仕方ないとは言え、他にもっと良い呼び方はないのかと心の中でカノンは思う。例えばエーデルワイスとか、いやそれも変わらないか。
「私の名前はカノンです!」
即座に抗議の声を上げるものの、今周りを取り囲んでいる子供たちにショコラと呼ばれた女の子。彼女は特に気にも止めていない。
「えっと…ショコラさん?でいいんですかね。わたしはそこの男の子に落とし物を届けようと追いかけたんです」
「なるほど。それで右ばかり曲がっていたら、ここに辿り着いたと…あんた見た目通りバカなのね」
「なっ!誰がバカですか!」
そんなに仲良くもないのにいきなりバカ呼ばわりとは何て酷い人なのだろう。絵の具屋の店主への態度からしてかなり性格が悪いのだろうか。
「ぷっ。気にしなくていいのよ。私も初めてここに来た時は適当に右に曲がり続けてたんだから。つまりあんたと同じバカってことよ」
意地悪な顔で笑うショコラ。前言撤回…案外愉快な人かもしれないとカノンは心の中で思った。
「しかし…ショコラさんこそ何故ここへ?」
ショコラは少しキョトンとした後、納得したように頷いた。
「あぁ、そういうことね。ここにいるやつらは元々、私が連れて来たのよ」
「私が…って、え?つまりショコラさんがこの会の創設者ってことですか?」
なんと目の前の可愛らしい少女こそ、この『パトロン相互会』の創設者だったらしい。見た目はカノンと同じくらいの歳のようだが案外見かけによらない。
「しかも。ショコラお姉ちゃんは私たちの面倒を見てくれてるんだよ〜」
「ふんっ。あんたたちがまだ働けもしないようなガキだから私が仕方なくお金を出してあげてるだけよ」
相互会という名前だが、こんなに小さな子供たちにお金を出せるのかと疑問に思っていた。しかしショコラこそその理由のようだ。
「ならショコラ。そろそろ俺も…」
「ダメよ。あんたはお絵描きでもしてガキどもを見張ってなさい。私はずっとここにいられる程暇じゃないからね」
「だが…」
青年が何か訴えようとしたところ、すぐに引き離すショコラ。よく分からないが何か複雑な事情があるようだ。
「ここにいるってことはショコラさんも絵を描くんですよね?よければ見せてもらえませんか?」
芸術都市に来てからいくつか芸術と呼ばれる物を見て来た。人それぞれに個性があり、だからこそショコラがどんな物を作るのか気になる。
「私の絵なんて、大して面白い物じゃないわ。…丁度いい。あんたのムラサキツユクサを使って、仕上げに入る頃だし見せて上げる」
そう言うと、小さな丘の一番上、木の幹に置いてあったキャンパスに案内してくれる。
「これは…」
近づいてキャンパスを覗きこむと、そこに描かれていたのは山を背景に木々の中から湖を見渡すようにして描かれた絵。一見すると普通の風景画である。
しかしカノンは"それ"を知っていた。
「確か、ルド・ホーギャン作の『静寂の畔』ですよね?」
カノンの疑問に答えるように、ショコラは首を縦に振った。
「そうね。確かにこれは『静寂の畔』だわ」
「つまり、模倣画ですか?それにしては本物に似すぎな気が…」
アールグレイ村の家には昔、姉が買って来てくれた本がたくさんあった。その中に芸術の載った本もいくつかあったのだが、これはあまりにも、そこで見たルド・ホーギャンの作品と似ている。
「模倣画と言えば、模倣画ね。でもこれは"本物"になるの」
首を傾げて、未だ理解しきれていない様子のカノンへ、ショコラは告げる。
「自己紹介がまだだったわね」
「私は『贋作師』ショコラ・ヴェリテよ」




