第6話 秘密の花園
西暦2026年6月
諸地方では梅雨による雨でジメジメとした空気と、気温の上昇による蒸し暑さに苦しめられる頃合いであるが
ここマメール山脈周辺では西風により元々寒暖差の少ない気候であることに加え、海の近くに位置すること相まり、比較的涼しい気温を維持していた。
「まさか…山岳鉄道が使えなくなっていただなんて」
悲しそうに顔をガクンと下げ話すのは、小さなミニシルクハットに、可愛いエーデルワイスの髪飾りを長い髪に付け、インパネスコートを着込んだ細身の少女 ーカノンだ。
現在、夏樹とカノンの二人は世界統一戦線の本拠地である。永世平和都市ジュネイスを目指してベルリア地方とハラペーニュ地方の間に跨るマメール山脈を越えようとしていた。
マメール山脈は雄大な自然と、数千メートルを越える山々で構成されている極めて人気の高い絶景スポットではあるものの、徒歩で横断することはその険しさから非常に困難であり、二人は現実的でないと考えていた。
となれば山脈を越える手段は三つである。
第一に車やバイクでの移動。
第二に熱狂都市ルカと芸術都市フランを繋ぐ飛行機。
第三に鉄道で山脈横断する方法である。
まず、第一の車やバイクでの移動は論外。そもそもカノンと夏樹はそれぞれ15と16歳であり、免許はおろか取得できる年齢にすら到っていない。
第二の飛行機への搭乗 …これもまた厳しい。搭乗には身分証の提示などが必要であり、先日の事件から恐らく追われる身となった二人には非常にリスクの高い手段である。
となれば第三の鉄道で山脈を横断することが一番安全である。そのため山岳鉄道のある港街、ブルステンへ向かうことに決めた。
幾日かの旅の末、紆余曲折ありながらも地中海の一つボレアス海の沿岸にあるブルステンへたどり着いた一行。
本来ならここでマメール山脈を横断する列車に乗って、芸術都市フランまで行く予定だったが、駅に着くとなんと、山岳鉄道が大規模な土砂の滑落により、停止していたのだ。
「列車の運転は数日見送ります。か、しばらくは野宿だな…」
旅の資金については夏樹が小杉のアタッシュケースから少し盗み…頂いたお金とカノンの貯金が残っているため当面は困らない。しかし、宿となれば話は別だ。
近年は身分証や緊急連絡先の記入を求める宿も多く、その上未成年で旅をする男女など、駆け落ちして家から逃げ出した様にしか見えない。警察を呼ばれるのがオチだろう。
ここ数日の旅で、運良くチェーンではない、個人経営の宿を見つけられた時に限り入室出来ることはあったが外に泊まった日も少なくはない。
「またですか?うへーん嫌だぁぁ………あ!そうだ」
何かを思いついた様に目をパチリとさせ、人差し指を立てるカノン。
「鉄道が復旧するまで、しばらく泊まれそうなところ…一つ知っていますよ!」
さっきまでの落胆はどこへやら、満面の笑みを浮かべている。果たしてその場所とは…
「ー私の故郷。アールグレイ村です」
ブルステンの街からバスで数時間。さらに徒歩で歩くこと一時間。やって来たのはマメール山脈半ばに位置する自然に囲まれた場所「アールグレイ村」だ。
「んー、懐かしい風ですねー」
人通りの少ないここでは、風と、風に揺られた草花の音だけが響き渡っている。しばらく歩くと、開けた場所に出た。それほど多くはないレンガ造りの家々に幾つかの風車小屋が建っている。
「ここが私の故郷なんです!」
いつにも増して嬉しそうにしているカノン。普段から明るく振る舞っている彼女だが、元々は一人で始めた旅。不安も多々あったのだろう。
「故郷か…」
夏樹が思い返すのは、自身の故郷「風吹村」だ。あの場所も確か、こんなふうに風がよく吹いていた。
川のせせらぎ、翡翠の囀る声、友人たちと一緒に虫取りに入った森、うるさい程に鳴き騒ぐ蝉の音…この村とは全然違っていたはずなのに。風がノスタルジーを運んでくる。
「…夏樹くん?」
立ち止まって、どこか遠くを見つめる夏樹に心配したカノンが声をかける。
「あぁ」
即座に意識を取り戻し、何でもないかのように振る舞う夏樹だったが、様子が少しおかしいようだ。それを誤魔化す様に天を仰いで…
「行くぞ」
「えっ!待ってくださいよ~」
村に入って行くのだった。
「変わらないなー、ここも。」
中に広がっていたのは、外と同じく静寂に包まれた光景。あまりにも音がしない物だから、誰も住んでいないのかと疑ってしまう。
「あれ?今日は誰もいないのかな…あっ!」
カノンが視線を向けた先にいたのは庭先でオリーブの木の世話をしている老人だった。
「ルドルフおじさ〜ん!」
「ん?おぉ!」
ルドルフと呼ばれた老人が振り返る。
「カノンちゃんじゃないか!生きておったのか!!」
髪が全て白色に染まった皺だらけの老人とは思えない程元気に、門を飛び越えてこちらへやって来る。
「今までどこに行っておった!急に出て行くなんて手紙を残して消えたもんじゃから、村中大騒ぎだったぞ!」
鬼気迫る気迫に驚きつつも、少し反省した顔をするカノン。
「ご、ごめんなさい。おじさん…だって言っても止められるって思ったから…」
「何を言っとる!当たり前じゃろ!!マリーちゃんもいなくなった今。この村の住人にとってお前が唯一の孫みたいなもんじゃ!」
頭に血を昇らせて、激怒するルドルフ。かなりの高齢のようだがそんなに怒って大丈夫なのだろうか。
「おまけに帰ってきたと思えば、こんな男まで連れて来おって…ん。男?」
夏樹の方に振り返り、目を大きく見開いてピクピクと震えている」
「お、お、お、お…」
「男じゃとおおおおお!?!?!?」
「た、大変じゃ!!!カノンが…カノンちゃんが男を連れて、帰ってきおった!!!!!!」
「ちょ!ルドルフおじさん?夏樹くんとはそういうのじゃ!!」
身体を震わせてすんごい慌てるルドルフ。同じくすんごい慌てるカノン。現場は一瞬で地獄絵図と化した。
「ええい!戦じゃ!戦じゃ!こんなどこの馬の骨とも知らんやつにカノンちゃんはやらんぞ!」
「だから違うって!…というかなんで夏樹さんは上を向いているんです??」
「…こういう光景が懐かしくてな」
何故かまたノスタルジーに浸る夏樹。故郷の村でもこういうことはあったらしい。静寂に包まれていた村はもはや跡形もなくなってしまった。
閑話休題
「ふーふーふー」
「やっと落ち着いた?」
短期間で驚き怒り興奮し続けたルドルフの体力はもう限界だった。
「はぁはぁ…何はともあれ生きてくれて良かった……早くロベールたちにも顔を見せてやれ」
地面にへばりつきながらも、何とか言葉を繋ぐ。
「ロベールおじさんたちか…うん。よし!それじゃあ行きましょうか!夏樹くん」
次に、村を少し離れた先にあるロベール夫妻の牧場を目指すことにしたカノンたち。「ワシはまだ認めておらんぞーー」の声を背にして歩き出すのであった。
先に広がっていたのは無数の果樹である。ここ、アールグレイ村では山の傾斜を利用してりんごや、さくらんぼなどのフルーツを栽培しており、また気温の低さから害虫も発生しにくく、生えてくるのも下草ばかりなので年寄りの多い村人でも管理がしやすい。
そう言った理由もあって、ジューシーで甘い果実がとれることから、中々に人気の高い場所でもある。
現在は6月上旬…残念ながら果樹の花々はどれも散ってはいるものの、雑草を全て抜き取らない事で自然な循環を目指す草生栽培という手法が取り入れられていることもあり、ピレネー山脈の絶景と並んだその姿は北方区域特有の美しさを醸し出していた。
「ここのフルーツはとっても美味しいんです!いつか夏樹くんにも食べてほしいなー」
「…機会があればな」
「さっきから元気がないですね?」
この村に来てから少し様子がおかしい夏樹。せっかくの帰郷だが、カノンとしては夏樹にも、もっと楽しんで欲しい気持ちがあった。
「きっと、次の牧場は楽しいですよ!…私は苦手ですけど」
少し歩くと山小屋が見えて来た。あそこがロベール夫妻のいる牧場らしい。周りを見てみると、広大な高原の中で大きな角を二つ、頭から曲がって生えている白い動物が放し飼いにされている。
一見すると山羊のようにも見えるが、ふわふわの丸い毛皮を纏っていることから、きっと羊なのだろう。
ミルクを生産している牧場だと聞いていたが、羊毛も同時に作っているのだろうか。疑問に思いながらも小屋の前のフェンスを開けて中に入る。
「気をつけてくださいね。ここの牛は…」
すると、突然巨大な塊が夏樹たちの方に向かって突っ込んできた。
「!!」
圧倒的なまでの質量を有する何かが爆発的な勢いを付けてこちらにぶつかろうとしている。それは夏樹にとって死をイメージさせるには十分すぎる程のエネルギーを感じさせる。
「何故わからなかった?」まず脳裏に浮かんだのは疑問であった。これほどの存在をあらかじめ予測できなかったなんて
…まるで殺気を感じられなかった。もし敵による攻撃なら余程の手だれなのだろう。そのまま躱す間もなく「それ」とぶつかってしまい、夏樹は…
ー無事であった。
「ンモオー」
「こら!このバカ牛!!」
目の前にいたのはただの牛だった。あの死を感じさせるほどのエネルギーはどこへ行ったのやら、こそばさを感じる程に優しく、夏樹のことをペロペロと舐めていた。
「なんだコイツ…」
すっかり拍子抜けしてしまった夏樹。
「大丈夫ですか?ここの牛はイタズラ好きな子ばかりなんですよ。昔いたジャクソンって奴の影響を受けたみたいで…」
「普段は私を狙うんですけど、今回は夏樹くんだったみたいですね…確かに夏樹くん結構抜けてるとこありますし、舐められやすそうですもんね!」
笑顔のまま、無自覚で毒を吐くカノン。動物は人の中身を見抜くというが、夏樹はそんなに自分は舐められるような人間なのだろうかと不思議に思った…最も今、物理的に舐められていたが
騒ぎを聞きつけたのか、小屋の中から老夫婦が出て来た。二人はカノンを見つけると驚いた顔をする。
「おぉ!カノンか!帰って来たのかい!!」
先程のルドルフもそうだったが、余程カノンはこの村で可愛がられていたのだろう。会う人みんな大袈裟過ぎる程に再会を喜んでくれている。
「どこに行ってたんだ…全く心配したぞ!してそちらの人は…うん?」
「お、お、お、お、」
「あ…」
「男ぉぉぉぉぉ!?!?」
ーーーーーー
「うまいな」
もはや恒例となった流れを終え、二人は小屋の中で牛から絞ったばかりの牛乳を吟味していた。
小屋の中はどうやら牛舎になっていたようで、牧草の匂いがこもり、充満しているものの、管理が行き届いているのか牛の老廃物による悪臭はそこまで酷くない。
「でしょでしょ!でももっと美味しいのはこれですよ!」
「これは…チーズか?」
夏樹の前に出されたのはチーズと思しき物体。今飲んでいる牛乳を加工した物なのだろうか。
一つ手に取って口に入れてみる。すると
「!」
口の中に広がったのは非常にクリーミーで濃厚な味。普通のチーズに比べて、少し甘味があり、口の中でとろけるかのような感覚は、まるで一時の夢のような切なさを感じさせる。味覚と触覚をフルに生かした極上の体験に、夏樹は思わず固まってしまった。
「……美味」
「ね?すごく美味しいんですよね。実はこれ、羊のミルクを使ったチーズなんです」
なるほど…どうやら外で放牧されている羊たちは羊毛のためではなく、羊のミルクを取るために飼われていたようだ。
山脈近くに位置する気温の低いここだからこそ、牛だけでなく羊も育てることが出来るのだろう。
「元気出ましたか?」
「…あぁ」
知らない内にカノンを心配させていたことに気づく。少し昔を思い出していただけだったのだが、気を遣わせてしまっていたようだ。
「なら良かったです!それじゃあ、最後に私の家に行きましょうか」
再び戻って来た夏樹たち。カノンの家は少し古びているようで、長期間家を空けていたこともあり、表庭の草花は枯れていた。
扉を開けて中へ入ると、靴や服が綺麗に整頓された玄関にお出迎えされる。少し埃被っているようだが、どこか落ち着くような雰囲気を放っている。
靴を脱ぎ、居間へ進めば暗い部屋に窓から夕陽が差し込んでいるのが見える。中は本棚に囲まれており、今時珍しくテレビはないようで、ラジオだけがぽつりと置かれている。
「ん?これは…」
ふと棚に目をやる夏樹。そこにあったのは小さな額縁に飾られた一枚の写真だ。中には今に比べて幼いカノンと、赤髪の女性が写っている。
「この人が私のお姉ちゃん、マリー・エーデルスです」
隣に立っていたカノンが話す。
「両親は私が物心つく前にテロ事件に巻き込まれて死んじゃったんです。頼れる親族もいなくて、それでお姉ちゃんとこの村に来たんですよ」
「歳は離れていたんですけど、私を養うため軍に志願して…すごく優しい人でした」
どこか懐かしそうなカノン。写真に写っている二人はとても幸せそうに笑っていて、仲睦まじい姉妹だったことが分かる。
そのまま家を見てまわっていると、気づけば日も完全に沈み夜になった。
「それじゃあ、そろそろご飯にしましょうか。ロベールおじさんたちからいっぱい食材を頂いたので、今日はご馳走ですよ!」
カノンの手料理は旅の中でも食べたことはない。そのため不安が過ぎるが…
「じゃーん!羊チーズのカプレーゼに、川で獲れたアクアフィッシュのマリネ。デザートにモンターニュ牛のバニラアイスです!!」
見た目はかなり良い。見ているだけで食欲を引き立てられてしまう。いや…大事なのは味だ。実際に食べてみなければまだわからない。
ひとまずフォークを使い口の前まで運ぶ。そのままゆっくりと一口噛んでみると…すごく美味しかった。 食材が良いことももちろんだが、何より料理に使われた食材同士のバランスが絶妙に良いのだ。
各食材がお互いの良さを潰さず、むしろ絡み合うようにして味を昇華し、料理そのものがワンステージ上の世界へ辿り着くように調節されている。
家には一人でいることも多かったらしいので、料理が嫌でも上手くなったのかもしれない。
フォークを持つ手は止まらずに、気づけば完食してしまった。そんな様子を見て満足そうにするカノン。
そのまま、お腹いっぱいになった二人は、幾度か会話を交わし、旅の疲れを癒すよう、すぐ眠りに入るのだった…
次の日
「カノン?」
目を覚まして居間へ出た夏樹。しかしどこにもカノンの姿がない。
「…?」
部屋の前まで行ってみるものの、扉は開けたままになっている。どこかへ出かけているのだろうか
……………暇だ。しばらく待ってみたが何もすることがない。仕方ないのでカノンが帰ってくるまで少し散策に出かけることにした。
カノンの家から少し歩いた先に、崖が聳え立っていて、その下には洞窟がある。実は昨日、前を通った時から気になっていたのだ。
洞窟を覗いてみると、意外と広くて、奥からは光が漏れている。そこまで危険な場所ではなさそうだ。
試しに入ってみたところ、ある異変に気づく。
「これは…花か?なんでこんなとこに」
洞窟の地面からは白い花が咲いていた。いくら短い洞窟とはいえ、こんな陽も当たらない場所に何故花が咲いているのか…しかも奥に進むほど花の数は増えているようだ。
警戒しながらも、いよいよ出口を辿り着いた夏樹。洞窟を出た先に待っていたのは…
ー色鮮やかに咲き誇る花たちの楽園。
風にゆられて舞い飛ぶ花びら。その中心には一人の少女が立っている。白と水色のワンピースに、麦わら帽子を被っていて、花畑に彩られたその姿はまるで天使のようで…
ここが死後の世界なのだろうか。そう思ったのも束の間、夏樹の存在に気づき、後ろを振り向く少女。
「なんだ、お前か」
「…なんだとはなんですか」
目をジトーっとさせながらこちらを見つめるのはカノンであった。
「というか、夏樹くん?なんでここに」
「昨日からあの洞窟が気になっていてな。それで入ったらここに辿り着いた」
ひとまず状況を説明する。しかし何故カノンはここにいるのだろうか。見たところ、ここにあるのは山脈周辺で咲く花だけではなく、熱帯から寒帯まで幅広い種類の花があるように見える。
「ここは、お姉ちゃんが作ってくれた楽園…秘密の花園なんですよ」
「お姉ちゃん?お前の姉は軍人じゃなかったか?」
「そうなんですけど、良く遠征に行っていて、その帰りに花を取って来てくれたんです」
なるほど。つまりここは姉が世界中で集めた花々で生み出された場所らしい…いや、そんなことあり得るのだろうか。花が根付く環境は幅広く、例えここが花にとって最高の土地であるとしてもあり得ない。言うなれば砂漠に咲く花と雪の上に咲く花が共存しているようなものだ。
こんなことができるとすればカノンの…いやこれはもはやそんな領域を超えている。
「夢覚<花葬> それがお姉ちゃんの能力」
「この楽園は私が夢覚に目覚めたきっかけであり、お姉ちゃんが世界中で見た花を呼び出して作った場所。そして」
「ーお姉ちゃんがまだ生きている証明なんですよ」
そんなことが可能な夢覚者が実在するというのか。これほど広大な花畑を維持することの出来る力の持ち主など。それこそ御伽話に出てくる伝説の魔法使いくらいのものだろう。
「私の夢はただ一つ。またお姉ちゃんと一緒にこの花畑を眺めること、ただそれだけです」
そう話すカノンの目には強く、諦めることすら知らない。そんな希望の色が宿っている。
「少し、ここを案内してあげますよ」
カノンは夏樹に手を伸ばし、そのまま花畑へ引っ張っていく。
「これがチューリップで、あっちがラベンダー。あっ!あれは向日葵ですね!」
無数の花の中で踊るように回りながら、あっちこっちを見渡して、花の紹介が始まった。
「ハイビスカスに、クリスマスローズ、ハマヒルガオに、珍しいリュウゼツランの花!場所、季節問わずいっぱいの花がありますよ!」
この花畑には本当にたくさんの種類の花があり、その色鮮やかさには、村を滅ぼされて以降、怒り以外で滅多に心が揺らぐ事がなかった夏樹ですら、感銘を受けてしまう。何より…
「そしてこれが、私の大好きなエーデルワイスの花です!」
髪飾りに付いているのと同じ白い花を指差して、高揚から頬を赤く染める。そんな嬉しそうなカノンを見ていると、何故だか温かい気持ちになってしまうのだ。
「薔薇はないのか?確かお前の姉が好きだったんだろ?」
「薔薇は、お姉ちゃんが消えてから何故か無くなっちゃいました…すごく綺麗な赤い薔薇だったんですけどね」
カノンにとっても大切な花だったんだろう。その顔は少し残念そうだ。
「また咲かせるためにも、お姉ちゃんには絶対戻って来てもらわないといけないですね」
「…いつか見つかればいいな」
「きっと大丈夫ですよ。あの人はとても強い人でしたから」
そうして、二人は花畑を後にする。彼らが去った後には無数の花びらだけが舞っていた。
それから更に数日経ち、山岳鉄道が復旧したという知らせが届く。夏樹とカノンは身支度を終え、アールグレイ村を出た。
「カノンちゃん!行かないでおくれー!!」
「もう、今生の別れじゃないんですよ?」
ルドルフなどはかなり泣き喚いたが、そんな別れを惜しむ村の人たちにも挨拶を済ませて、二人は再びブルステンへと向かう。
「結局その服で行くんだな」
カノンはいつものインパネスコートを脱ぎ、前に花畑で着ていた白と水色のワンピースを着用している。
「この服は、私が誕生日だった時にお姉ちゃんがくれたものだから、せっかくだと思って着てみたんです。…似合ってますか?」
「まあまあな」
返ってきた答えにカノンは思わず笑ってしまう。
「こういう時は嘘でも綺麗だってって言うんですよ」
遠ざかっていくアールグレイ村。カノンにとっては二度目の離郷であり、辛い気持ちもあるだろう。
それでも、一度目の旅立ちよりは寂しくない。だって
「いつか…また二人で帰ってきましょうね」
ーもう一人ではないのだから




