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エッセイのプロムナード  作者: 多谷昇太
スクールカーストへの考察

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スクールカースト=純文学?

ところで、ここに於て奇しくも前記の幼稚なる(?)スクールカーストや異次元指向の昨今若年ライターたちのトレンドと、純文学は重なりはしないでしょうか?もちろん両者の作品の技巧面や高尚・低俗の違いは無視しての話ですが。もし互いの指向性に於て一致するものがあるならば、はたして文学の系譜は断ち切られたとは云えなくなるのかも知れません。些か脱線しますが有史以来過去様々な文明と国家群がその盛衰興亡を繰り返して来ました。ここで問いたいのは果してその過程に於ては何の必然性や連続性もなく、唯の偶然や力関係だけでその歴史絵巻が繰り広げられて来たのかということです。専制→中世→共和制→民主制(あるいは共産制)という社会の進歩があり、それに平行するように文学の内面における進捗がありました。すればそこには必ず何かの必然性と連続性を見ざるを得ず(これを称して社会と文学の両輪とするわけです)、あたかも「歴史(もしくは時代)の目」とでも云うべき何者かの意志さえもが感じられることです。この両輪のうち方やの「社会」を人間多数、人々におけるそれぞれの関わりと見、方やの「文学」を人間一個の深まりと見るならば、近年漸々にして両者における統一的な模索が始まったとも見れる次第。そこに於ける媒体は?と問うにそれが前記の若者トレンドの異次元指向なのではないでしょうか。換言すれば「魂」を媒体として…と云えるのかも知れません。

 実は私、この間からツイッターを始めたのですがそこに実に興味深いツイートを一つ発見しました。そのまま引用すれば「俺一人が、俺一人だけが人間やねん、廻りの世界は皆ウソやねん」というもの。これは何かというに臨死体験をしたある青年のその折りの感想でして、こう表現するしか他に彼には方法がない…とのことらしい。察するにこれこそが魂の感覚であり、それは肉体の死とともに蘇るものですから、臨死体験ということで畢竟彼はそこに一度足を踏み入れたのでしょう。

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プロムナードが時に歩く(=読む)に堪え難い、恥っさらしな「引越し顛末記」だったりして申しわけありません。不快をもよおした方はここを飛ばされて結構です。以後はできるだけ歩くにまともな道(エッセイ)を敷くつもりですが、しかしこの難所の「引越し顛末記」はあともう一章ほど続ける予定です。
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