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燎原の覇者  作者: さかもと希夢
一対の英雄
54/179

<14>

「エド」

 ツルハシを振るっているエドワードには聞こえないらしくて、返事がない。だからリッツは、大きく声をかける。

「エドってば!」

 ようやく気がついて手を止めたエドワードは、土にまみれた手で汗を拭った。端整な顔立ちも、埃と土と、無精髭に被われてみる影もない。

 なにしろ炭鉱労働者ばかりのこの場所には、グレインの屋敷のように一人で身支度を調えられるバスルームも鏡もなく、いつも大鍋のジャガイモのような風呂に放り込まれてお終いだ。

 自分の姿を見る事が出来ないが、エドワードと似たり寄ったりなことぐらい、リッツにも分かっている。一緒にいるファンは何となくうさんくさい印象になっているし、ラヴィにいたっては、ほとんど熊だ。

 十五歳のシャスタだけが妙に綺麗なのは、小柄な彼が、まだひげ面になるには早い年齢だからだろう。それでも土まみれなのは変わらない。

 逞しいと言えば聞こえはいいが、ようするに全員がかなり汚れているのである。

「何か用か、リッツ」

 首に掛けたタオルで顔を拭く姿が妙に板に付いてきたエドワードに聞かれる。

「何でこんな事をしなきゃなんねえんだよ」

 もう幾度言ったか分からない愚痴を言うと、エドワードは軽くため息をつき、幾度目か分からない同じ返事を返しつつ、ツルハシを握った。

「これが条件なんだから仕方ないだろ」

「こんな交渉……」

 言いながらリッツはツルハシを振り上げた。

「あるもんか!」

 がつんと重たい音を立てて、ツルハシが地面に突き刺さった。粉々になった石が周りに転がり、それをシャスタが困ったように笑いながら、拾い集めてトロッコに乗せる。

「お仕事なんだから、仕方ないですよ、リッツさん」

 思いっきり年下のシャスタになだめられて、リッツとしては言葉も無い。

「わーってるよ」

 細く薄暗い坑道には、今現在六人がいて作業をしていた。そのうちの五人は、身内である。エドワード、リッツ、シャスタに加えて、ダグラス隊のラヴィとファンだ。ラヴィは、リッツとエドワードと同じように、ツルハシで岩石を掘り、小柄なファンが詰め込むといった作業を続けていた。

 リッツは大きく伸びをして腰を叩いた。剣を振るうことには慣れているが、こうして単調にふり降ろし続けるのは、結構きつい作業だ。

「少し休憩をするか?」

 エドワードに聞かれて黙って首を振る。エドワードが黙々と作業をしているというのに、リッツが休むわけにはいかない。

 この間、オフェリル高原の戦いで、少人数部隊を指揮したエドワードと、シアーズで英雄を演じてきたリッツの二人が、戦いから一月足らずでこんなところにいるのにはわけがある。

 ユリスラ王国暦一五三五年一月下旬。エドワード、リッツ、シャスタ、ファン、ラヴィの五人は、オフェリル南東部にある炭鉱の街アイゼンヴァレーにいた。

 シアーズに潜ませていた偵察隊からの書状によると、現在、シアーズは大混乱に陥っているのだという。ユリスラ軍二千が大敗して、ほとんどが寝返ったのも問題だったのだが、シアーズを一番騒がせているのは、リッツの存在なのだという。

 リッツが宣言した言葉、リッツが言った内容は、どんどん大きく広がっているらしい。何しろリッツは、誠の王を選んで共に戦うと宣言したのに、王族がいるシアーズに残らなかったのだ。

 それはつまり、シアーズの王族は誠の王ではないということになる。

 王家のお膝元に住んでいるということが、シアーズ住民の心の安定に繋がっていたのに、誠の王に王族が選ばれないという状況に、元々のシアーズ市民は戦々恐々と言ったところなのだそうだ。

 それに比べて、シアーズで難民として生活していた人々は、リッツの言葉に救いを求めた。誠の王がいて、その王がこの国を救って、自分たちを助けてくれるのだと考えたそうだ。

 街の混乱、軍の大敗で、今後シアーズからグレインへと討伐隊がすぐに送り込まれることはないと結論づけられた。

 ならば新兵訓練や、義勇兵の鍛錬に関わらない人間で足場固めをした方がいいという結論が出た。

 そこでこのアイゼンヴァレーである。

 北部同盟を結ぶために一番のネックとなっていたこの地区と何とか話し合いを持とうと、ジェラルドが様々な手を尽くしていたのだが、いつも色よい返事は貰えない。

 ジェラルドが貴族であることで、自治領主には全く相手にされなかったのである。ならば直接交渉に乗り付けるしかない。

 かといって、武力を持っての交渉は言語道断だ。エドワードが望む王道は、あくまでも革命であるから、無理矢理この土地を攻め落とすのは厳禁だ。

 結局アイゼンヴァレー攻略は、爵位を持たないエドワードと、リッツのコンビと、まだ一度もグレインを出たことのない農家のシャスタという、セロシア家の三兄弟が選ばれた。

 血のつながりはないが、グレインでの三人の扱いはこの状態に近い。

 その護衛という形で、遠距離攻撃を得意とするファンと、近距離では無敵な槍使いラヴィが選出され、アイゼンヴァレー自治領区アイゼンヴァレーの領主の館へと赴いたのだった。

 グレインから一路南へ向かい、オフェリルを横切った先にアイゼンヴァレーはある。

 ユリスラ王国と隣国フォルヌを隔てる山脈に沿うようにして広がる自治領区は、ユリスラで唯一の鉱山都市であり、鉄や金、銀、錫、銅の産地でもある。主な産出物はやはり鉄だった。

 食料は鉄鉱石や、製鉄を売った金で調達しており、不安定なこの国家情勢であっても比較的安定している自治領区と言える。自治領主同士の交流は全くないが、グレインもアイゼンヴァレーとはかなりの大口取引をしている。

 区境を越え、アイゼンヴァレー自治領区の中心、アイゼンヴァレーに入ったのは、グレインを出てから二日後のことだった。

 すぐさま自治領区の館を訪れたのだが、自治領主は五人の前に顔を出しもしなかった。困った一行に突きつけられたのは、自治領主と会うための条件だったのだ。

 今後自体がどう動くか分からない状況では、アイゼンヴァレーと長々交渉を出来るわけではない。だからその条件を呑んだのだが、その条件がとんでもないものだったのである。

 その条件はなんと『新しい坑道を掘ったところだから、二週間以内に鉄鉱石の鉱脈を探し出してみろ』という、無茶苦茶な物だったのである。

 絶対に無理だと思ったのだが、このアイゼンヴァレーを万が一にでも王国軍に接収されてしまったら、武器の製造に大きな課題が出来てしまうから、ここを押さえることは必然だった。

 五人のリーダーであるエドワードが、ため息混じりに頷くと、館の人間は笑顔で五人をアイゼンヴァレーの街外れにある巨大な鉱山へと連れて行った。

 何に使うか分からないような鉄の塔が組まれ、あちこちで煙を噴き上げる巨大な構造物がある場所の中に、古ぼけた宿舎と五人分の作業着、そしてツルハシが用意されていたのだ。

 その時から今まで、五人は他の抗夫に交じって、坑道でツルハシを振るう生活を余儀なくされている。

 新しい坑道は広く、多数の逞しい男たちが働いている。五人はその中で一つのチームとして、何股にも別れた坑道のうちの一つの坑道の発掘を任されることになったのである。

 昼間でも真っ暗な坑道では、数メートルおきにランプが灯されていて、ほのかに明るい。ここに毎日いたら時間の感覚が狂ってしまいそうだ。

 しかも素人の五人に、鉄鉱石の鉱脈なんて分かるわけがない。一日目は困惑しながらもがむしゃらに掘っていて、それでは困ると思ったのか、翌日からは、アドバイザーとして口数の少ないカルという老人が一人送られてきた。

 口うるさい割には、まったく動かないこの人物は、日がな一日あちこちの壁を熱心に観察したり、リッツたちが掘った石をルーペで眺めているだけで、手伝ってくれることはない。

 アドバイザーというだけあって、本当にアドバイスしかしてくれないのだ。

 戦力になるのは結局五人だけだった。最初は文句ばかり言っていたファンだが、数日を過ぎた頃から文句も言わなくなってしまった。文句を言う体力すらも惜しいらしい。

 最初はファンとラヴィに緊張していたシャスタだったが、同じ作業をするよしみか、どことなくファンに慣れてきていて、一緒に食事をしている姿を見るようになった。

 ラヴィは文句も言わず、いつもニコニコと楽しげにツルハシを握っている。本当にこんな性格で傭兵の世界でやっていけているのだろうかと、リッツとしては心配になってしまうぐらいに、ラヴィは人がいい。

 だがやはり素人の仕事だ。最初の意気込みや気合いは徐々に空回りし初め、あと五日で期限が切れる今となっては、焦りばかりが募る。

「お前さんがた、そろそろ夕飯だわい」

 カルに声をかけられて、リッツは手を止めた。

「やったっ! 飯だ!」

 思わず両拳を握りしめてしまった。この仕事をしていると、食べることぐらいしか楽しみがない。なにしろ仕事がきつすぎて、せっかく炭鉱の街アイゼンヴァレーの、逞しくも美しい女たちがいるのに、遊ぶ気力もないのである。女と遊ぶぐらいなら、寝かせて欲しい。

「どれどれ、どうかの。何か出たかの」

 独り言のように呟きながら、カルがトロッコを覗き込んだ。そして慣れた手つきで胸ポケットから目に装着するルーペを取り出して身につけた。

「……でていないのう」

「ホントかよ、カル爺」

「本当だとも。気になるところはあるがな」

 言いながらカルは、壁を叩き始める。色々なところを叩きながら、カルが尋ねてきた。

「お主ら、後何日アイゼンヴァレーにいるんじゃ?」

 カルは何も知らない。リッツたちを新人の短期の難民労働者だと思っているのである。

「……はぁ……今日が終わればあと四日だよ……」

 リッツは呻いた。このままではアイゼンヴァレーにただ単に二週間鉄鉱石を掘りに来ただけで終わってしまう。

「四日か。四日で掘り当ててみろ。ラッキーだぞ。掘り当てた者は、この坑道から出る鉄鉱石の売り上げの五パーセントを貰えるからな」

「へぇ……そうなんだぁ……」

 リッツは気のない返事で答えた。何しろ掘り当てるのは交渉を始める条件であって、そんな条件を付けられていないのだ。つまりただ働きだ。

 ツルハシをトロッコに詰め込んで帰り支度をしていると、エドワードがカルに話しかけた。

「カル爺、自治領主って、どんな人物なんだい?」

 気さくな口調で話しかけたエドワードに、カルは考え込む。

「そうじゃなぁ。こんな男じゃい」

「カル爺みたいな?」

「そう。代々の抗夫さ。自治領主になったところで、抗夫であることに変わりはない」

 誇らしげに胸を張るカルに、まだ体力のあるシャスタが顔に付いた土を拭きながら尋ねる。

「こんなきついことを、自治領主がやるんですか?」

「ここでは当たり前じゃ。それがこのアイゼンヴァレーだからな」

「へぇ……すごいや。ね、ファンさん」

 すっかり懐いたファンにシャスタが振ると、大きくため息を付いて、ファンはすすけた眼鏡を押し上げた。

「僕がもし自治領主だったら、こんな事をしたくありませんけどね」

 ファンは腰をとんとんと叩きながら呟く。体力には自信があるはずの飛刀使いファンも、さすがに慣れない抗夫の仕事がきついようだ。

「忘れないためだとさ」

 カルは腰袋から小さなハンマーを取り出して、壁をこつこつと叩いた。幾度も周りと中心を叩き比べている。

「忘れて自治領主の椅子にふんぞり返っちまったら、お貴族さんたちと変わらねえってのが、口癖でさ」

「ふうん。よっぽど貴族が嫌いなんだな」

 なかなか戻ろうとしないカルを待つ間だけと、リッツは腰を下ろす。カルの答えは期待していなかったのだ。だがカルはごく生真面目に答えた。

「ああ。嫌いだね」

「なんで領主はそんなに貴族が嫌いなのさ」

 座ったままカルに質問を投げかけると、カルは一瞬だけ手を止めたが、再び石を叩き始める。

「昔のことだ。ここより下のランディア自治領区で、依頼されてアイゼンヴァレーの抗夫たちのグループが貴族所有の炭坑を掘ってた時、事故があった。地下でガスに突き当たっちまったんだな。それが引火して、炭坑から炎が吹き出しちまった」

「火が……」

 エドワードが眉をしかめる。

「そうだ。火が出たんだ。普通は火を消すことを考えるもんだろ? なのに貴族は、炭坑の入り口を塞いだのさ」

 言いながらカルは不機嫌そうに息をついた。

「へ? 何で? 人はいなかったの?」

 率直に尋ねると、カルが振り返った。

「何を聞いてたんだ、若造。ガスに当たっちまったって事は、その時掘り進めてたって事だろ。人は沢山いたさ」

「じゃあ……その人たちは?」

「ああ。石炭が出たところだったからな。石炭と一緒によく燃えたよ。入り口を塞がれちまってたからさ、真っ黒に逃げようとした姿のまんま炭化してたさ。そのなかに自治領主の長男がいたってわけだ」

「ひっでー」

 そんな非人間的なことが許されるのだろうか。腹立たしい思いでカルに尋ねる。

「そんなひどい奴とどうして組んだんだよ、領主は」

「……立派な貴族だったんだと。話もよく分かる、珍しいぐらい有能な貴族だったそうだ。だけどやっぱり、自分の利益のためには労働者なんてどうでもいいのさ」

 カルのハンマーが、ひときわ高く音を立てて壁を叩いた。

「ガスが出た日はな、炭坑を国王が視察に来た日だったそうだ。自分にマイナスになると思って、国王に気付かれぬよう、炭坑を塞いだんだろう」

 小さな呟きだったが、狭い空間ではその声は思った以上に伝わった。リッツは黙ってエドワードを見る。エドワードもリッツを見ていた。何かを考えているようだ。

「だから自治領主は貴族と会ってくれないのかい?」

「そういうことだ。自分の見る目がなかった。だからどんなに立派な顔をした貴族だろうと、信じないことにしたそうだ」

 カルがようやくハンマーとルーペを手放した。

「明日はこの近辺を掘ろう。何となく鉄鉱石が近い気がするぞ」

 カルが指さしたのは、先ほどひときわ高い音を立てたところだった。

「ほんとか、カル爺!」

「ああ。わしは鉄鉱石に関する嘘はつかない」 

「よし! 絶対に見つけてやろうぜ、エド!」

 エドワードを振り返ると、最近少し伸び気味の金髪に降り積もった砂を落としながら、エドワードが少しだけ意味ありげに笑う。

「そうだな」

 その視線先にいるには、相変わらず坑道の奧を叩くカルにむけられていた。

 首をかしげてそのエドワードの視線の理由を黙ったまま尋ねたのだが、エドワードは笑っただけで、その日は何も話してくれなかった。

 翌日も、その翌日も同じように坑道を掘る作業が続いた。他の坑道からもまだ鉄が出たという報告はなく、カルの言うところを掘ってみても何も出てこない。残されたのはあと二日で、リッツは焦りばかりが募っていた。

 今日はカルが他の坑道の状況もチェックしてきたいというから、この場には五人しかいない。だがあと二日では手を抜いているわけにも行かない。

 それでもリッツは話さずにはいられなかった。

「なあエド」

 エドワードの手が止まった隙を狙って話しかけると、エドワードが顔を上げた。

「どうした?」

「お前さ、この間カル爺見て笑ってたよな?」

 回りくどい事が苦手だから真っ直ぐに尋ねると、エドワードは肩をすくめた。

「そうだったかな?」

「そうだよ。俺が不思議に思ったって気がついたのに、無視しただろ?」

「……さて、なんのことだか」

 思い切りとぼけたエドワードが、ツルハシを振り上げた。このまま誤魔化してしまう気だ。

「俺にも秘密かよ」

 疲れていたせいか、ついエドワードへの言葉が尖った。不機嫌なリッツに気がついたのか、エドワードが苦笑する。

「怒るな。俺にもまだ確証がないんだ」

「確証?」

「ああ。だから結論を出すには早すぎる」

 言いながらエドワードはタオルで顔を拭いた。汗と一緒に土が拭き取られ、水色の瞳の輝きが余計に目立つ。確かに何かを考えている目だ。でもこの状況でずっと待つのは性分ではない。

「何かおかしなのことでもあるのか?」

 更に突っ込んで聞くと、エドワードが苦笑しつつも口を開いた。

「他の坑道の抗夫にも聞いてるんだが、カル爺が何者かを知っている人はいなかった」

「え……?」

 思わぬ言葉に、リッツはエドワードのひげ面を凝視してしてしまう。

「それってどういう?」

「ああ。カル爺は、いつもこの採掘場にいるそうだが、普段は抗夫たちと行動を共にしたりしないそうだ。普段は採掘場の主任たちと一緒にいるらしい。しかも色々と過去の事件に詳しいしな」

 意味が分からない。エドワードが何を言おうとしているのかも分からなくて、リッツは眉をしかめる。

「それって、どういうこと?」

「……どういうことだと思う?」

 エドワードが何も知らなかった頃のリッツに向けたような、教師の顔を見せた。久しぶりの表情に、リッツは一瞬虚を突かれたが、すぐに自分で考えて結論を出せと言われていることに気付く。

「ええっと、いつもはお偉いさんと一緒にいるひとってことは、結構偉い人ってこと?」

「ああ。そうだ」

「それなのに、俺たちに付き合って、ずっと一緒に石を掘ってるって事だよな?」

「そうだ。そこから導き出される結論は?」

「……採掘場の偉い人」

 思いついて答えたのに、エドワードは軽く額を押さえた。

「お前な。もう少し深く考えて見ろ」

 エドワードのため息混じりの言葉に、反応したのはシャスタだった。

「あ……もしかして……僕らを監視している人ってことですか、エドワード様」

「ああ。それも一つの可能性だ」

 穏やかに微笑みながら、エドワードはシャスタに頷く。その姿を見ながらリッツは頭を必死で回転させる。すると突飛な考えが浮かんできた。思わず口に出す。

「カル爺が自治領主だったりして」

 言った瞬間に全員の視線が集まって、リッツはたじろぐ。

「え? あれ? おかしいこと言った?」

 焦ると、エドワードが笑う。

「俺もその可能性もあると思ったんだ。だがまさか自治領主自身が出てくるとは思えない。俺たちはグレインの自治領主ジェラルド・モーガンの使いだぞ? 貴族嫌いが様子を見に来るわけがない」

「あ……そうか……」

「たぶんカル爺は、ジェラルドにとってのアルバートじゃないかと考えているんだ」

 つまり有能なる執事という関係だ。

「じゃあ俺たちの行動って観察されてて、逐一逐次自治領主に報告されてんの?」

「そうだろうな」

 頷くエドワードに、リッツはホッと一息ついた。

「よかった、俺自治領主の悪口言ってなくて」

「……愚痴と文句はさんざん言ってただろう?」

「あ……あれも筒抜けってこと?」

「だろうな」

 それはちょっとまずいかもしれない。さんざんこんな交渉があるかとか、やりたくないと文句を言いまくっていたのだから。

「うわぁ、俺、どうしよ……」

 呟いた時だった。突然爆音と共に地面が大きく揺れた。ばらばらと頭上から小石や砂が落ちてくる。

「何だ?」

 身を低くして様子を窺ったエドワードに、いち早く周囲の状況を確認しようと、動いたファンが振り返る。

「そこで少し待っていてくれるかな? 俺が状況を見てくる」

 ファンの目つきは既に傭兵のそれに戻っている。

「ファン?」

「リッツ、武器は?」

「え……?」

 剣を持ってくることは禁じられていたから、腰に帯びてはいない。だがシアーズの体験からいつもリッツは胸元に短剣を忍ばせている。

「短剣はある」

「いつでも抜けるようにしておくんだ。万が一のこともある」

「万が一?」

「そう。ここの領主が既に王族側に寝返っていたら大変だろう? そうなったらお前はエドワードを命がけで守れ」

 思わず息を呑む。

「返事は?」

「了解! って俺はダグラス隊じゃねえってば!」

「似たようなもんだろう?」

「違う! 俺はな、言われなくてもエドを命がけで守るんだ」

 真っ直ぐにファンを見つめて告げると、ファンが笑った。

「ふふ。そうだったね。君はエドワードの飼い犬だ」

「だから犬じゃねえって!」

「じゃあ飼い熊かな。君の今の姿、ひどすぎるからねぇ」

「犬でも熊でもねえってば!」

 リッツの文句をあっさり無視して、ファンは歩き出した。

「ラヴィ、いざとなったらよろしく」

「任せてくれ」

 のんびりとラヴィが頷いた時、また鈍い音と共に地震が起きた。それと同時に叫び声が聞こえてくる。人よりも耳のいいリッツにはその声がはっきりと聞こえた。

「待ってファン!」

「何?」

「崩落だよ。崩落事故が起きたんだ!」

「……崩落事故!?」

 ファンだけではなく、全員の声が揃う。

「うん。一番大きな坑道の奧が崩れたって。みんながそう言ってる。誰か手を貸してくれって」

 声に耳を澄ませながらそういうと、リッツの後ろでエドワードが立ち上がった。

「行こう、リッツ」

「え?」

「手が必要なんだろう? 俺たちにも手がある」

「でも……」

 もしかするとファンが言ったように、何らかの危険があるかも知れない。迷っているリッツの肩に手をかけたエドワードが、リッツの顔を真っ直ぐに見つめて笑う。

「俺はカル爺が嫌いじゃない。カル爺の上司ならば、俺たちを欺すことはしないさ」

 綺麗な水色の澄んだ瞳に見つめられると、リッツは納得するしかない。それに人物評定はエドワードの最も得意とするところだ。

「わーった。エドが言うならそっちが正しい」

 リッツはファンとラヴィに笑いかけた。

「ってわけだから、様子を見に行こうぜ」

「全く君たちは危機意識がないなぁ……」

 ため息混じりに頭を掻きながら、ファンが笑った。目の奧にあった傭兵の鋭さはいつの間にか消えている。

「じゃあ、ツルハシは必要だね」

 ラヴィが軽々とリッツとエドワードの分まで持ちあげて、確かな足取りで坑道の入り口へと向かう。

 この坑道は、入り口が大きなホールになっていて、そこから無数の細い坑道に枝分かれしているのだ。そのうちの一つが、五人のいる坑道だった。

 五人が広場まで戻ると、そこは大混乱していた。その中にカルの姿を見つけて、リッツはカルに走り寄った。

「カル爺! どうしたんだ?」

「おお、リッツか」

「何があったの?」

「この坑道の奧で、崩落があった。坑道の奧に第二広場を作ろうとして大勢の抗夫が中にいたんだが……みんな閉じ込められてしまったわ。助け出そうにも手が足りん……」

「え……?」

 あまりに意外な言葉にリッツは目を見張った。リッツたちがいた坑道は、とても短い。どう考えても奧に広場を作ろうという状況ではないのだ。

「それってつまり……どういうこと?」

 尋ねてもカルは答えない。代わりに苦笑して答えてくれたのは、エドワードだった。

「つまり他の坑道はもうずっと先まで進んでいて、俺たちの坑道は俺たちに掘らせるためだけに作られた本道とは関係ない坑道……ということかい、カル爺?」

 カルは黙ったまま俯いている。

「意味がわかんねえんだけど、エド」

「つまり俺たちがしていたことは、鉄鉱石を掘るまねごとだったんだ」

「まねごと!?」

「そうだ。アイゼンヴァレー自治領主にモーガン侯爵の使いとして来た俺たちが、諦めない根性があるのかを試していたんだ」

「どうして?」

「ジェラルド・モーガンが本当に信頼に値する男かどうか、その臣下に重労働しても逃げ出さないかを調べることで試してたんだ。俺たちは逃げなかったし、一度も侯の悪口を言わなかった。つまり俺たちは心からモーガン候のために働いていると言うことになる」

「なるほど……」

 リッツは感心してため息をついた。

「やっぱエドは頭いいなぁ……」

「……馬鹿。お前も少し考えろ。思考を惜しむと馬鹿になる」

「どうせ馬鹿だよ」

 むくれるリッツに構わず、エドワードがカルに向かい合う。カルは緊張した面持ちでエドワードを見上げていた。

「……いつから気がついていたんだ?」

「最初から。案内された坑道が短いのに、運び込んでいた荷が多かったし、隣の坑道からの声が全く聞こえなかったから、隣が長いのは分かっていた」

「それでも欺されたふりを?」

 眉をしかめながら尋ねるカルに、エドワードは笑みを浮かべて頷いた。

「もちろんだよ、カル爺。それでも俺たちは自治領主にお目にかかりたい。例え決して鉄鉱石が出なくても、真剣に掘ってさえいればチャンスはあると、カル爺自身が教えてくれたじゃないか」

 意外な言葉にリッツは目を見張る。いつ、どうして、どうやってそんなことを教えたのか、全く分からなかったのだ。でも何故かシャスタが納得したように頷いた。

「そうですね。だって出ないって分かっているはずの坑道なのに、カル爺さんは、ちゃんと一生懸命に調べてくれてましたもの。途中から僕らを信用して、本当に出ればいいって思ってくれてたんですね」

 言われていればその通りだった。見張るだけなら本当に何もしなければいい。でもカルは数日たったあたりから本当に真剣に石を調べていたのだ。

「カル爺、どうかな?」

 穏やかに聞いたエドワードに、カルは大きくため息をついた。

「そうじゃそうじゃ。なんと面白味のない若者じゃ。リッツの方が馬鹿でいいわい」

「カル爺まで馬鹿って言うな!」

 一応抗議したが、あっさりと無視される。  

「全部認める。あの坑道はフェイクじゃ」

 がっくりと後ろでファンがうなだれたのが分かった。傭兵にとって無駄働きほど疲れるものははないのだと、前にギルバートに聞いた。

「じゃあ約束はどうなるのかな?」

 笑顔でたたみかけるエドワードに、カルがため息をついた。

「自治領主に会わせよう」

 それはカルの敗北宣言だった。 

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