<15>
「やったなエド!」
拳を突き出すと、エドワードも拳をぶつけてきた。これで万事終わりだ。そう思ったのだが、エドワードはそうではないらしい。
「じゃあリッツ、救出活動を手伝おう」
「え……?」
「人が大勢埋まってると知って、黙って戻れるか?」
言われてようやく思い出した。そういえば大量の人が閉じ込められているのだった。名前を知らなくたって、二週間に一緒に生活していれば、顔を思い出すことぐらい出来る。
「無理。だって一緒に風呂入ったり、飯喰ったもん」
リッツはラヴィを振り返った。
「ラヴィ、俺とエドの分、ツルハシくれよ。で、ファンと一緒に宿舎帰っててもいいよ。これって仕事外じゃん? シャスタ、お前も帰ってるか?」
尋ねると、ラヴィは自分の分のツルハシをあっさりと担いだ。
「僕は後輩にまで、人がよすぎるって言われる男なんだよ?」
いいながらラヴィは、三人分のツルハシを担いだままさっさと坑道の奥に入っていってしまう。そういえばリッツは、以前ラヴィに実際にそう口に出していったことがあった。
「じゃあ僕、外からトロッコ押してきますね!」
シャスタが飛ぶように駆けだしていく。ファンはため息をついた。
「待ってよ、シャス。僕も行こう」
大股でシャスタを追うファンを見送っていると、エドワードに肩を叩かれた。
「行くぞ、リッツ」
「うん!」
ラヴィを追おうとするエドワードに、リッツが続こうとした時、カルに呼び止められた。
「お前たち、今欺されたと気がついたのだろう?」
「? うん」
頷くと、カルが眉をしかめ、じっとリッツとエドワードを見ている。
「なのに手伝うというのか?」
リッツは首をかしげた。
「うん。だってさ、俺たちが欺されてたのと、事故でおっさんたちがみんな閉じ込められたのって、別じゃん?」
「別……なのか?」
呆然とカルが目を見開く。
「別だろ? 自治領主も聞いたら色々あって俺たちを試したみたいだし、そんなの仕方ないじゃんか。人を信用できないから試すっての、今の時代にはよくあることだしさ。だけど抗夫のおっさんたちが俺たちを欺したり、試したりしてねえもん。俺、一生懸命働いてる陽気なおっさんたちは好きだ」
頭を掻きながら言うと、カルの目がエドワードを見た。
「お前さんもそれでいいのかね?」
問われたエドワードが、楽しげに笑う。
「リッツは俺の半身だ。こいつが言うのなら、俺も同じさ」
「お前たち……」
言葉のないカルを置いて、リッツたちは崩落現場に向かった。
崩落現場の救助活動には十時間以上の時間を要した。最初はエドワードたち五人と、他の抗夫の十五、六人で行っていたのだが、交代制で働いていて休みを取った抗夫たちが坑道に駆けつけてからは、格段に仕事が進んだ。
崩落による死者は五名だけだったが、怪我人が多く、坑道から救出された人々は担架に乗せられて病院に運ばれていく。
エドワードは周りを見渡した。最初から最後まで働きづめだったためか、土埃まみれのリッツの手足が軽くふらついていることに気がつく。エドワードの手には既に力が入っていない。
「お前たち」
カルに声を掛けられてそちらを見ると、カルは屈強な男たちを従えていた。
「後始末は夜番の者たちがやる。そろそろ上がってくれ」
カルの言葉に、近くにいたリッツが深々とため息をついた。
「助かったぁ……」
言いながらリッツがツルハシを投げ出す。最初の意気込みはどこへやら、もうすっかり疲れ切っているようだ。ラヴィがそれを笑顔で拾った。そのままラヴィはエドワードの方へやってくる。
「さ、エドワードのも預かるよ」
ラヴィは全く危うげ無い足取りでやってきて、あっさりとエドワードのツルハシを取り上げる。三本のツルハシを持っているのに、全く動じない。
ふと目をやると、シャスタが自分の押してきたトロッコにもたれて居眠りをしていた。その隣ではファンがトロッコを背にもたれ、膝を抱えている。同じ傭兵部隊にいるラヴィとファンだが、得意な仕事は違うようだ。
「エド、腹減った~」
情けない声を出してリッツがエドワードの肩に手を回してくる。ずしりとした重みに、エドワードはよろめいた。
「重いぞ……」
「だってよぉ。腹減るし、しんどいんだもん」
「俺だって辛いんだぞ?」
「……んじゃ、どっちかが倒れないように支えとこっと」
にんまりと笑って、リッツはふざけたようにエドワードの肩を抱く。どうやらリッツには、まだふざける余裕があるらしい。
「お前な……」
歩きかけて気がついた。膝が震えてふらついている。動けないのは実はエドワードの方だった。先ほどのカルの言葉ですっかり気が抜けて、力が入らないのだ。
それでも一歩踏み出そうと力を込めると、よろめいてしまい、あっさりとリッツに支えられる。
「あ……悪い」
「ん? べっつにぃ」
リッツはへらへらといつも通りに笑った。
「俺がよろけたら、エドが支えてくれよな」
「……任せろとは言い難いな」
苦笑すると、リッツも笑った。
「たまには頼ってくれよ、エド」
「癪だが、その言葉に甘えるとするよ」
考えても見れば朝から坑道を掘り、昼過ぎに崩落が起きて、現在はもう真夜中近い。休憩も取らず、食事も一食抜いているから、足腰に力が入らなくて当たり前だ。
それに傭兵として厳しく鍛えてきたリッツよりも、グレインで書類相手に働いていたエドワードの方が、格段に体力がないのだ。どうやらリッツはそれに気がついて、こうして懐いたふりをして、エドワードが頼りやすい状況を作ってくれたらしい。
「なあエド、今日の労働さ、給料出てたらいくらぐらいかなぁ……」
本当にお互いに支え合うような状態でよろよろと歩きながら、リッツが尋ねてきた。
「抗夫の給金は結構高いぞ」
「そっかぁ……じゃあ、一日どれぐらいかなぁ?」
「一日だいたい五千ベルセぐらいらしい」
「ふ~ん。じゃ、俺たち今日は二日分ぐらい働いちゃったから、一ギルツのもうけだ。つうことは、三十日で十五ギルツだから……おおっ! 俺の一月の給料ぐらいある!」
「週に二回の休日があるから、十二、三ギルツぐらいだろうな」
「つうことは騎士団って高給取りなんだな」
「知らなかったのか?」
「うん。そっかぁ、高給取りかぁ……」
妙なことに感心している。騎士団は命を張っているのだから、多少は高給取りなのだが、そんなことに気がついていなかったらしい。
「俺、ちょっと高給取り」
「お前が高給取りなら、俺は更に高給取りだな」
「そうなの? だから奢ってくれるんだな」
だらしなく笑ったリッツは、何かに気がついたのか顔を上げる。
「あ、いいなぁ、あれ」
へらへらしながらリッツが指さしたのは、かなり先を行くトロッコだった。岩石が半分ほど積まれたトロッコには、シャスタとファンが積まれていて、ラヴィが押している。
「俺たちも乗せて貰う?」
「……さすがにラヴィが気の毒だ」
「そりゃそうか」
残念そうな顔をしながらもリッツが諦めると、奥の方から何かを打ち崩す音が聞こえてきた。夜番の人々が、救出活動を終えた広間を、再び掘り始めたのだろう。
「……事故があっても休み無しか……」
ため息をつくと、リッツも頷いた。
「抗夫の仕事って本当に大変だよな。こんなに苦労してんのに、貴族に好きにやられたら、堪ったもんじゃないぜ」
「そうだな。俺もアイゼンヴァレーと組むことで貴族を牽制したいと軽く考えていたけど、鉄を得るのは簡単な事じゃない。分かってないと交渉なんて上手く行くはずもなかった」
ため息をついたその時だった。不意にカルの叫び声が聞こえた。
「坑道が崩れるぞ!」
「え?」
振り返ると、今リッツたちが通っている坑道の奧から、もうもうと土煙が上がっているのが分かった。それに伴って、今通っている坑道がどんどん崩れていく。
「やばい……ラヴィ! 急いでトロッコを押して逃げて!」
リッツが大声を上げた。振り返ったラヴィも事態に気がついて走り出す。
「エド、逃げよう!」
リッツに腕を掴まれて頷いたが、数歩で足がもつれる。だが坑道はどんどん崩れていた。目の前の巨大な岩が頭上から落下してきて、すぐ後ろに落ちた。その反動で地面が揺れ、エドワードは地面に転倒していた。
「足が……動かない……」
転倒した際に何処かを打ったようで、元々震えていた足が言うことを聞かなくなった。
「エド!」
青ざめた顔でエドワードを引き起こそうとするリッツに、エドワードは怒鳴った。
「逃げろ、リッツ!」
「嫌だ!」
「リッツ!」
怒鳴りつけたのにリッツは首を縦に振らない。大小様々な石が頭上から落ちてくる。
これまでかと思った瞬間に、大きな揺れが襲ってきて衝撃と共に、痛みが襲い、目の前が暗くなった。
ばらばらと石が落下してくる感覚を覚えていたのだが、ふとエドワードが気がつくと、石の崩落が止んでいた。
一瞬だけ意識を失ったらしい。
「止まった……?」
呟いたエドワードは、自分がうつぶせになっていて、重たい何かの下敷きになっているのに気がついた。身動きをしようとしたのだが、その何かは重くて、びくとも動かない。
壁際に灯されていたランプも全部消えていて、坑道は暗くて何も見えない。そもそもどうしてうつぶせに倒れているのか、自分がどうなったのかも分からないのだ。
ため息をついて救助を待つしかないと覚悟を決めた時、エドワードは気がついた。
一緒にいたはずのリッツはどこだろう。
「リッツ……いるか?」
うつぶせのまま声を掛けたのだが、上手く声が出ない。とにかく自分の上にある何かをどかさないとと、手探りしてみるとそれが柔らかくて、布をまとっていることに気がついた。
まさかと思って必死で腕を背中に伸ばしてみると、案の定そこに少し硬い髪が触れた。
この坑道にいたのは、エドワードたちだけで、しかも一緒にいたのはリッツだけだ。
つまりエドワードの上にいるのは間違いなくリッツだ。
「リッツ、おい、リッツ?」
尋ねたが返事がない。
「リッツ、無事なのか、おい!」
体を動かして、リッツを揺するが、全く反応がない。悪い想像ばかりが頭をよぎる。
この状態から考えると、おそらくリッツは、崩落の瞬間に身をもってエドワードを庇ったのだ。
エドワードが必死で手を動かすと、自分の肩口当たりにリッツの顔があるのが分かった。
「おい、起きろ、リッツ、おい!」
必死で頬を叩いたがぴくりともしない。
「リッツ、おいっ……」
必死で叩いていると、掌が生ぬるいもので滑った。
その生ぬるいものは、エドワードの肩をじんわりと暖かく濡らしている。
その液体は金臭い匂いがした。
戦場に立ったエドワードがよく知る、血のにおいだ。暖かい血の感触に、エドワードは自分の血の気が引いていくのが分かった。
これはリッツの血だ。
状況を確認しないと……確認しないと……もしかしたらひどい怪我を負っているのかも知れない。
もしそうなら、このままでは死んでしまう。
それに気がついた時、全身に鳥肌が立った。
リッツを失う? リッツがいなくなってしまうのか。エドワードの元から……。
それは今の安定している状態から、元のエドワードに戻るということを意味する。
一人で街の雑踏に紛れ、誰にも知られないことで、自分が普通にいられることに安堵するしか救いのなかった頃に。
「誰か……誰か!」
思わず叫んでいた。
「ここにいるんだ! 誰か助けてくれ! ラヴィ、ラヴィ! いないのか! カル爺!」
声が聞こえない。こもったように自分の声が響くだけだ。
「頼む! 誰か、来てくれ! こいつを助けてくれ!シャスタ! ファン! 誰でもいいから!」
叫んだエドワードの背で、微かにリッツが動いた。
「リッツ? リッツ、気がついたか?」
声を掛けると、リッツが微かに息を吐き、咳き込んだ。
「リッツ!」
「ん……エド?」
リッツがぼんやりとした声を出した。安堵しつつも、必死で背中に手を回しリッツをなで回す。
「大丈夫か? お前生きてるな?」
「うん……」
弱々しく答えるリッツに、エドワードは焦る。こんな声をしたリッツを見たことがない。
「エド……」
「何だ?」
「無事に、生きてる?」
「生きてるぞ。大丈夫、お前が庇ってくれたお陰だ」
力強く言ってみたが、リッツの口調は相変わらず力がない。
「そっか……よかった」
再びリッツが小さく息をついた。
「リッツ?」
「お前が死んだら……夢から覚めちまう」
小さく、ただ呻くような言葉だった。でもその中に微かな孤独が漂っている。
「リッ……ツ?」
「まだ俺は夢の中にいられるんだな……」
「なんだそれは、おい」
リッツを揺すったが何の反応も示さない。
「よかったぁ……」
それきりリッツは動きを止めた。
「リッツ、おい、リッツ!」
徐々にリッツの体温が冷えていくような気がして、恐怖が押し寄せてくる。
何を犠牲にしても生き残る覚悟は出来ていない。
まだそんな覚悟は出来ない。
それが唯一無二の親友であるならばなおさらだ。
「誰か! こいつを助けてくれ!」
エドワードは暗闇に向かって、ただ助けを呼ぶことしか出来なかった。
崩落事故から三日後、エドワードたちは初めてアイゼンヴァレーの自治領主の執務室に呼ばれた。微かな緊張感を持って通された部屋のソファーに座っているエドワードの隣には、頭に包帯を巻いたままのリッツがいる。
エドワードを庇って怪我を負ったリッツだったが、血まみれだった見た目よりも軽くすんだ。怪我を負って意識を失った時に、疲れも手伝って爆睡をしていたのである。
流れ出ていた血は頭を切ったせいで、大量の出血の割にはひどい怪我でもなかった。
ラヴィに岩をどけられ、リッツをどけられた時には、エドワードもほぼ意識を失うように眠り込んでいたらしく、救出された時の記憶はほぼない。
気がつくと綺麗に整えられた自治領主の屋敷の部屋のベットに寝かされていて、隣のベットでは怪我を治療されたリッツが大いびきをかいていたのだ。事故から丸々一日が過ぎていて、どうやらずっと眠っていららしかった。
目を覚ましたエドワードがリッツを起こして、あの時に何があったのかを聞いたのだが、リッツは何も覚えていなかった。
ただエドワードの上に岩が大量に注ぐところだったから、とっさにエドワードを押し倒して自分が盾になったのだという。
そしてリッツは、気を失う前にエドワードに何を言ったのかは全く覚えていなかった。エドワードはリッツの『夢から覚める』という言葉がとても気に掛かったが、何となく本人に尋ねるのは憚られた。
あの言葉には、どことなく不吉で、そして悲しげな響きがあったからだ。
体が動くようになったエドワードは、この部屋の隣にシャスタとファンが、そしてその隣にラヴィがいるのを発見した。事情を知っているのはラヴィだけだったから、話はそこで聞くことが出来た。
あの崩落事故は、巨大な岩盤の崩落だったそうだ。奧の広場で行っていたのは岩盤を壊す作業だったのだが、この岩盤が思いの外大きく、五人が通っていた坑道にまで続いていたらしい。だから岩盤を切り崩したせいでバランスを崩して坑道が崩れ落ちたとのことだ。リッツにその話をすると、リッツは不機嫌そうに『とんだとばっちりだ』とむくれていた。
「エド」
不意に呼ばれて我に返る。横を見ると、いつものように真っ直ぐな目でエドワードを見るダークブラウンの瞳が目に入った。ギルバートやダグラス隊に犬扱いされてしまう程に、エドワードを絶大な信頼で見つめる瞳。
……エドワードの背で死にかけた時の言葉は、どんな顔で語っていたのだろう。
思い起こしてみれば、リッツはエドワードが自分の立場を明かした日から、エドワードに自分の孤独を話してくれなくなってはいないか? ちゃんとそれを聞かせてくれないと、お前ばかり荷が重くなりはしないか、リッツ。
そう思ったが、この場では何も口に出来ず、ため息をつく。
「何だ、リッツ」
「ボーッとしてるけど、どうしたのかなって」
どうやら一人で物思いにふけってしまったようだ。エドワードは小さく首を振った。
「何でもない。いよいよ領主のお出ましだな」
「うん。いい奴だといいな」
「そうだな」
微かに頷き会った時、扉が開いた。エドワードは扉の向こうの人物に向かって、さっと立ち上がる。リッツとシャスタ、ファン、ラヴィも同じように立ち上がる。だが入って来てのは他でもない、数人の男を従えたカルだった。
「ん? カル爺?」
リッツが目を丸くする。
「リッツか。怪我はもういいのか?」
カルに聞かれたリッツは頭を掻いた。
「大丈夫に決まってるさ。だって俺、半分寝てたんだもん」
「そうだったな」
言いながらカルは、目の前の椅子に座った。一緒に来た男たちが、カルの後ろに立ち使用人とおぼしき女性が、お茶を目の前に置いた。
「さあ、いいお茶だ。覚めないうちに呑め」
くつろいだ雰囲気でお茶を手にしたカルに、エドワードは苦笑した。まさかと否定したが、そのまさからしい。
「どうした、エド?」
「……俺の負けだ、リッツ。お前が正しかった」
「え? 何が?」
「アイゼンヴァレーの自治領主は、お前の言ったとおり、カル爺だ」
リッツの手が止まった。
「へ?」
「お前の直感が当たったな。俺は外した」
「え……ええっ!」
リッツの手から紅茶が零れる。
「こらリッツ。執務室を汚すでない!」
「うわぁ、ごめん! カル爺」
焦るリッツにカルがため息をついた。
「何じゃ、気付いておったのか。つまらん」
カルはそういうと、自分の手にあったティーカップを戻し、表情を改めた。
「グレインよりようこそお越しくださった。私がアイゼンヴァレーの自治領主カルヴァン・ストーンだ」
そういったカルが手を伸ばす。エドワードは笑いながら手を取った。
「お目にかかれて光栄です。ジェラルド・モーガンの名代で伺いました、エドワード・セロシアです」
「モーガン候の実の息子さんですな?」
カルに笑われて、エドワードは肩をすくめた。やはりサラディオと同じように、ジェラルドが作り上げたエドワードの出生の秘密は、こちらにも流れているらしい。
「という噂もありますが、基本的には秘密です」
「基本的にはか。なんじゃ、複雑だな」
カルはそういうと、再び紅茶を手に取った。
「わしのことはカル爺で構わん。どうせ抗夫たちもわしが自治領主だと知らぬものも多い」
一緒に作業していた時の口調に戻ったカルに、リッツが遠慮無く尋ねる。
「なんでさ、カル爺。自治領主だっていった方が仕事進むんじゃねえの?」
「馬鹿もん。自治領主が毎日坑道にいて心が安まるものか」
「じゃあ行かなきゃいいじゃん。何で行くんだよ?」
当然の疑問を口にしたリッツに、カルが難しそうな顔で頷いた。
「そりゃあお前、坑道にいかねえと落ち着かないからだろうよ。わしは根っからの抗夫なんじゃ」
「ふうん。じゃ、自治領主をやめちゃうってのは?」
リッツは遠慮がない。エドワードは肩をすくめて様子を窺う。シャスタはハラハラしているようだが、カルを相手にするにはこのぐらいで丁度いい。
「馬鹿をいえ。お前らみたいなやつらが時々来るから、遊んでられんわい。お前らは坑道に行ったが、大抵はここで大暴れてして武器を我らに突きつけるのさ」
言われてみると、先ほどから後ろに控えている三人は、みな武器を携帯している。
「大変なんだな」
「大変じゃ。おちおち坑道に潜ってもいられん。特に戦乱の足音が聞こえるこの時分にはな」
「ふうん」
リッツは何か納得したようで、満足げに紅茶をすすった。その姿を見ていたカルが、のんびりとした口調でリッツに尋ねる。
「ところでリッツよ。誠の王は見つかったかな」
リッツは飲んでいた紅茶を思いきり吹き出した。だらだらと拭きこぼした紅茶にまみれながら、リッツがカルを凝視する。
「な、な、な……」
言葉にならないリッツに呆れたように、カルが近くに置かれていた布を放る。
「汚いのう。執務室を汚すなと言っているじゃろうが。掃除する使用人の身にもなれ」
「ご、ごめん……っていうか、何で知ってるの?」
こぼした紅茶を拭き、服を拭いたリッツに聞かれたカルが手を伸ばすと、後ろに控えていた男が新聞を取り出した。
「二週間もあれば、お前さんたちが何者なのか調べることは可能じゃ。こうして王都の新聞がここにも届くしな」
カルが開いたページを見てリッツが絶句している。エドワードはつい笑ってしまった。
そこには大見出しで『精霊族リッツ・アルスター氏、誠の王はシアーズに居らずと明言す』と描かれていたのだ。しかも少し小さい文字で『アルスター氏、誠の王を求め、北へ』の文字もあった。しかもそこに載っている似顔絵が、またリッツにそっくりなのだ。
「どうして王都の新聞がここに?」
動揺しているリッツの代わりにエドワードが尋ねると、カルは何事もないように新聞を受け取って畳んだ。
「王都の情報は今後の鉄生産量の重要情報になる。シアーズから入ってくる物資と一緒に、新聞はまとめて一週間分づつ入って居るわい」
「……知ってたんだ……」
リッツががっくりとうなだれた。
「何を落ち込んでるんじゃい。今頃この事件はユリスラ各地に新聞と共に広がってるぞ?」
「ええっ! ユリスラ中に!?」
「そうじゃ。わしもまさかこんなに大変な人物が引っかかってくるとは思わなかったぞ」
軽く言ったカルだったが、その視線が真っ直ぐにエドワードを向いた。エドワードはその視線の強さに戸惑うが、視線を逸らさずに受け止める。
「共にいた二週間で分かった。リッツの選ぶ誠の王はお前さんだな、エドワード?」
エドワードは答えられない。それを明かすにはまだ早すぎる。黙りこくるエドワードに、カルは頷く。
「まあ言えぬ事もあるじゃろうな。だがまあ、お前さんたちには恩が出来たし、お前さんたちが気に入った。お前さんたちの持ってきたこの書面にサインしようではないか」
カルが取り出したのは、北部同盟の盟約書だった。そこには既に、アイゼンヴァレー自治領主カルヴァン・ストーンのサインが入っている。
「それでは……」
エドワードが身を乗り出すと、カルはにんまりと笑った。
「そう、契約成立じゃ。貴族ではないお前さんがリッツの言うように誠の王になるならば、それに賭けるのもまたいっこうじゃ」
カルがにっこりと笑った。
「未来の王、エドワード。そうなるのを楽しみにしとるぞ」
カルに手を差し出されて、エドワードはその手を握った。
「もしリッツが俺を選ぶなら、ご期待に添えるよう頑張りますよ」
冗談交じりに笑うと、カルが楽しげに口元を緩めた。
「命がけで庇うほど惚れられておいて、リッツが他を選ぶことはなかろうさ」
「分かりませんよ。こいつは気が多そうだ」
軽く言ってリッツに笑いかけると、リッツは口を尖らせた。
「気が多いもんか。俺はエドがいい」
ボソッと呟いたリッツに、カルが笑う。
「では決まりだな。では誠の王に、これをやろう」
カルが後ろの男に命じて、もう一枚の紙を取り出した。
「何だいカル爺?」
紙を受け取って驚いた。
「これは……」
エドワードの声に釣られるように、リッツが手元を覗き込んできた。
「金鉱脈の権利書?」
読み上げたリッツが、首をかしげる。
「金ってすっげぇ金になるんだろ? んなもんくれていいのかよ、カル爺?」
「構わん、契約通りじゃ。それを掘り当てたのはお前たちだからな」
意表を突かれてエドワードはカルを見つめる。
「俺たちが掘り当てた?」
「そうじゃ。お前たちの素性を調べ、根性を調べるための時間稼ぎの坑道から金が出た。あそこは鉄鉱脈から離れているから無駄を踏ませるために掘らせたんだが、とんだ儲けもんじゃ」
カルは本当に嬉しそうに笑った。エドワードは掘削が半分を超えた当たりから、妙にカルの仕事が熱心になったことを思い出す。
おそらくカルは抗夫しか知らない何らかの金の手がかりを発見して、必死に金を探していたのだろう。
「お前たちが寝ている間に、専門の抗夫に掘らせたら、出たぞ。巨大な金鉱脈が。これはおそらく十億ギルツは下らん。その権利をお前たちにやろう」
「十億ギルツ!? 俺の給料の……ええっと……俺の給料の……」
指折り始めたリッツに、エドワードがため息をつく。
「お前の給料の約五百万年分だ」
「ごひゃく……」
リッツが忙しく瞳を瞬いた。どうやらリッツの理解の範疇を超えた値段らしい。
「……俺が千年生きても使いきんない……」
「何年グレイン騎士団から給料を貰う気だ?」
リッツの計算にため息をつく。そんな二人に、カルは満面の笑みで告げた。
「まあ、全額じゃあない。生成や、売買なんかの金はかかる。だから抗夫たちの代金とその他経費を差し引いた、残りの売り上げをお前たちにやろう。それだけでも数億ギルツにはなるだろうよ」
あまりに突然の話に、エドワードは言葉が出ない。北部同盟に参加して貰えただけで十分のはずなのに、今後内戦になったら必要な資金まで調達できてしまったのだ。
「エドワード。わしは貴族が嫌いだ。だが奴らの剣の大半はここアイゼンヴァレーから出た鉄鉱石じゃ。わしらの鉄鉱石がわしらと同じ民衆を苦しめる物になるのは不快で仕方ない」
振り向いたカルの目が、リッツが帯びている剣に向けられる。リッツはそれを感じたのか居心地悪そうに、身じろぎした。リッツの剣だって、ここの鉄鉱石を元に作られているのだ。
「だが色々と感づきながらも採掘を手伝い、命の危機を感じたお前さんなら、我々の石をつまらぬ事には使わんだろう。お前さんとリッツに賭けてみることにした。わしら抗夫は元々出るかでないかのギャンブラーだからな」
エドワードはカルの手を取った。
「ありがとう、カル爺」
「いいさいいさ。その代わり、期待しておるからな」
「最大限の努力をします」
エドワードは金鉱脈の権利書を見つめて頷いた。
徐々に歴史を作り上げるスタート地点に近づいていく。それがいつ始まりか分からなくても、足下は既に固まり始めている。
エドワードはリッツを見た、リッツもこちらを伺っていたようで、すぐに視線を受け止めて笑顔を見せる。そんなリッツの笑顔の中に、暗闇で聞いたリッツの言葉が蘇った。
『お前が死ぬと、夢から覚める』
エドワードは友を得た幸福な現実にいるのに、リッツは夢の中にいるのだろうか。それが少し気になった。
だがその理由を聞くことが、エドワードにはやはり、その時出来なかった。
王国暦一五三五年二月中旬。
グレイン、オフェリル、サラディオ、アイゼンヴァレーの四自治領区が連合し、王都シアーズを越える生産性を持つ北部同盟として機能し始めることとなった。




