↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
二度目の初恋  作者: ぽむぽむ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
4/10

第四章 500キロの距離

6度目の人生で、涼介を信じさせるために、また同じ電話を待った。

 何度も助けてもらった親友は、毎回、初めて話を聞く。悠人だけが、その友情の続きを生きていた。

「前の俺、役に立ったか」

 電話のあと、涼介が聞いた。

「立ったよ」

「詩織ちゃん、死んだんだろ」

「お前がいなきゃ、俺が壊れてた」

 涼介は黙ってコップに水を注いだ。悠人の前に置いた。

「今の俺も、使え」

 喫茶店で、過去の人生を並べた。結婚式の日。家。国。病院。どれを変えても、死は同じ時刻に来た。

 涼介が年表の端を指した。

「変えてないものが、もう一個ある」

「時刻?」

「お前だ。毎回、詩織ちゃんの隣にいる」

 悠人は年表を見た。確かに、すべての場所に自分がいた。

 5度目の人生の若いころ、涼介と千夏の結婚式は、予定より小さくなった。

 二人は、仕事と家族の事情で、招待する人を減らした。涼介は、派手な式にしたかったと言った。千夏は、あなたが派手なら式は小さくていいと答えた。

 悠人は、会場の飾りを手伝った。詩織は、招待状に小さな絵を描いた。

 式の前日、四人は会場に残った。

 涼介は、椅子の数を何度も数えた。千夏は、席札を並べた。詩織は、花の向きを直した。

 悠人は、親友の結婚式を何度も見ていた。

 だが、この式は、前のどの式とも違った。

「緊張してる?」

 彼が聞くと、涼介は頷いた。

「当たり前だろ」

「お前、そういうの平気そうなのに」

「平気そうにしてるだけだ」

 親友は、席札を一枚持った。

 千夏の名前があった。

「この人と暮らすって、俺、まだ、ちゃんと想像できてない」

 悠人は、少し笑った。

「暮らしてから、わかることもある」

 涼介は彼を見た。

「お前は、知ってるんだよな」

 悠人は頷いた。

「でも、俺は知らない。知らないまま、決める」

 その言葉に、彼は黙った。

 親友は、怖くても、未来を知らないまま誰かと生きることを選んでいた。

 悠人は、知っている未来を変えるために、誰かの選択を奪っていた。

 翌日、式は無事に終わった。

 涼介は泣いた。千夏は笑いながら泣いた。詩織は二人の絵を描いた。

 悠人は、その絵を見て、思った。

 この人生の親友たちにも、この人生の幸福がある。

 自分の作戦のためだけに、彼らを使ってはいけない。

 その決意は、11月が近づくと、また揺らいだ。

 涼介は、年表を見ながら、紙を一枚取り出した。

「何を変えたかだけじゃなくて、何を見てたかも書け」

 悠人は首を傾げた。

「どういう意味」

「事故のとき、どこにいた。何を見た。何を見てない」

 彼は、交差点の図を描いた。車の位置。トラックの方向。妻の体。

 次に、庭の図を描いた。桜の位置。窓。食卓。

 涼介は、妻の動きに丸をつけた。

「毎回、詩織ちゃんが動いてるな」

「助けようとしたんだ」

「お前を?」

 悠人は頷いた。

 涼介は、しばらく図を見た。

「お前が危ない場所にいたのか」

「彼女が危ない場所に行ったんだ」

「同じことじゃないのか」

 悠人は顔を上げた。

 彼は、妻が死んだ場所を危険な場所と呼んでいた。妻が動く前に自分がいた場所を、同じようには見ていなかった。

 だが、その違いを深く考えると、自分が死ぬはずだったのではないかという問いに近づいた。

 彼は、その問いを避けた。

「俺は、毎回、生きてる」

 涼介は頷いた。

「そうだな」

 親友も、その時点では、別の答えを持っていなかった。

 二人は図を畳んだ。

 見落としは、情報が足りないときだけ起きるのではなかった。

 見たくないことがあるときにも、起きた。

「当日だけ離れる」

 涼介は言った。

「一生離れろって言ってるんじゃない。一日だ」

 その案は、ほかのどんな対策より簡単で、ほかのどんな対策より怖かった。離れている間に妻が死んだら、手を握ることもできない。

 けれど、もう試していないことは少なかった。

 その春、詩織が中庭で絵を描いていた。くまと、うさぎ。うさぎだけが泣いていた。

「くまは冬に眠ると、全部忘れちゃうの」

「うさぎは?」

「覚えてる。春になるたび、会いに行く」

「かわいそうだな」

 詩織は鉛筆を止めた。

「幸せかもしれないよ。何回でも好きな人に会えるんだから」

 悠人は隣に座った。

「俺が未来から来たって言ったら、信じる?」

「信じる」

 即答だった。

「どうして」

「時々、すごく遠いところを見てるから」

 言おうと思った。君は死ぬ。俺は何度も戻ってきた。今度は離れようと思っている。

 だが、その言葉を口にすれば、18歳の彼女に27年分の恐怖を背負わせることになる。

「未来の私は、どうなってる?」

「いい絵本作家になってる」

 詩織は微笑んだ。

「それだけ?」

「俺の妻になってる」

 彼女は顔を伏せた。耳が赤くなった。笑っているのか、泣いているのか、悠人にはわからなかった。

 離れるという案を決めてから、悠人は詩織の予定を以前より細かく聞くようになった。

 誰と会う。何時に帰る。どこへ行く。

 彼女は答えた。だが、3度目に同じ質問をしたとき、原稿から顔を上げた。

「さっき言ったよ」

「確認したかっただけ」

「忘れたの?」

「いや」

 詩織は筆を水に入れた。

「確認すると、安心する?」

 悠人は頷いた。

「少し」

「私は、少し落ち着かなくなる」

 彼は驚いた。

「疑ってるわけじゃない」

「わかってる。でも、予定が変わったら、あなたを不安にさせることになるでしょう。そう思うと、変えられなくなる」

 悠人はカレンダーを見た。

 自分は未来を変えようとしていた。妻の予定は変わらないようにしていた。その矛盾を、初めて言葉にされた。

「仕事の打ち合わせ、長引くこともあるの。千夏と話して、急に寄り道することもある」

 詩織は机の上の紙をそろえた。

「あなたが心配してくれるのは嬉しい。でも、毎日の行き先を全部説明するのは、少し疲れる」

 悠人は謝った。

 そのあと、しばらく質問を控えた。控えている自分を意識すると、また苦しくなった。妻の死を防ぐことと、妻を自由にすることが、彼の中で反対のことになっていた。

 涼介に話すと、親友は言った。

「27年のうち、危ないのは一分だろ」

「1分で、全部なくなる」

「だからって、27年全部をその一分に渡すなよ」

 悠人は黙った。

 その言葉を理解するには、さらに長い時間が必要だった。

 夏、詩織の絵本の展覧会があった。

 悠人は会場を設計した。壁に原画を掛ける高さを、子どもが見やすいように低くした。入口の近くに、小さな机を置いた。

 詩織は図面を見て、少し笑った。

「ここ、通る人が見てくれるね」

 悠人はバンコクの展示会を思い出した。

 彼女は覚えていないはずだった。だが、同じ場所に同じ希望を見つけるのだと思った。

 当日、会場は賑わった。

 悠人は受付を手伝った。子どもが走ってきて、机の角にぶつかりそうになった。彼は反射的に腕を伸ばした。

 子どもは自分で止まり、笑って向きを変えた。

 詩織がそれを見ていた。

「ちゃんと、止まれる子もいるよ」

 悠人は腕を下ろした。

「そうだな」

「止まれなかったら、そのとき助ければいい」

 彼は頷いた。だが、妻のことになると、その順番を信じられなかった。

 展覧会の終わりに、千夏が写真を撮った。

 悠人と詩織が並んだ。涼介が後ろから顔を出した。千夏は何度も撮り直した。

「春日くん、もっと笑って」

「笑ってる」

「眉間が笑ってない」

 詩織が悠人の袖を引いた。

「今日の顔にして」

 彼は妻を見た。

「未来の顔じゃなくて」

 その言葉に、悠人の表情が変わった。

 千夏がシャッターを押した。

 写真には、驚いた顔の悠人と、笑っている詩織が写った。

 あとで彼は、その写真を何度も見た。

 妻は、何を知っていたのだろう。

 その問いを、彼はまだ、問いとして持つことさえ怖がっていた。

 その人生では、結婚式を11月22日にした。日付を変えても意味がないのなら、妻の望む日にしたかった。

 涼介と千夏も結婚した。悠人は涼介に、告白するときの言葉を少しだけ助言した。前の人生では失敗した言葉を避けた。

「未来を知ってるって、便利だな」

 涼介は言った。

 悠人は笑った。便利という言葉が、遠い国の言葉のように聞こえた。

 2026年の秋、涼介は千夏に事情をどこまで話すかで悩んだ。

 悠人は、全部は言わないでくれと頼んだ。千夏から詩織へ伝わるのが怖かった。

「俺、妻に嘘つくの、下手なんだよ」

 涼介は言った。

「嘘じゃなくて、検査の結果が心配だって」

「それも、嘘だろ」

 悠人は顔を伏せた。

 涼介は、責めるように言ったのではなかった。だが、悠人の秘密を守るために、自分の生活にも秘密を作らなければならないことに、疲れていた。

「俺たちの記念日、先週だったんだ」

「知ってる」

「知ってるか。未来の俺の結婚式も知ってるんだもんな」

 涼介は笑った。少し苦い笑いだった。

「食事してるとき、お前から電話が来た。11月の予定の確認。俺、店の外へ出て話した」

 悠人は思い出した。

「千夏、何も言わなかった。でも、帰り道、誰のための記念日だったんだろうって言った」

 悠人は謝った。

「謝ってほしいんじゃない。俺も、自分で出たんだから」

 涼介は机に手を置いた。

「でも、俺の人生も、今しかないんだよ」

 その言葉に、悠人は顔を上げた。

 自分は何度も親友を取り戻せる。涼介は、そのことを知らない人生も、知っている人生も、一度ずつしか生きていない。

 彼の時間を、自分の繰り返しの一部にしてはいけなかった。

「11月22日が終わったら」

 悠人が言いかけると、涼介は首を振った。

「終わってからじゃなくて、今、考えてくれ」

 悠人は頷いた。

 その夜、千夏に電話した。

「食事の邪魔をして、ごめん」

 千夏は少し驚いたようだった。

「涼介から聞いた?」

「うん」

「春日くん、何か抱えてるんでしょう」

 悠人は黙った。

「詩織も、何か抱えてる。二人とも、私たちに気を遣ってるつもりで、置いていくんだね」

 彼は、返事ができなかった。

 千夏は声を少し柔らかくした。

「当日の食事は、ちゃんとする。詩織を一人にしない。でも、それが終わったら、話して。何が怖いのか」

 悠人は、約束すると言った。

 その約束を守る前に、彼はまた世界を巻き戻してしまう。

 2026年11月、机に大阪行きの切符を置いた。

 当日、悠人は現場の打ち合わせ。詩織は東京で涼介と千夏と食事をする。500キロ離れて、7時12分を越える。

「記念日に出張で、ごめん」

 妻は洗濯物を畳んでいた。

「いいよ」

「帰ったら、食事に行こう」

「うん」

 詩織は悠人のシャツを丁寧に畳んだ。いつもより丁寧だった。

 大阪へ行く前の夜、詩織は悠人の鞄にシャツを入れた。

 彼は自分で入れると言った。彼女は、もう入れたからと言った。

 鞄の底に、薄い封筒があった。

「何、それ」

「帰ってから読んで」

 悠人は封筒を取ろうとした。

 詩織が手を置いた。

「今じゃない」

 彼は笑った。

「記念日の手紙?」

「そういうことにして」

 妻は鞄を閉じた。

 悠人は、少し気になった。だが、彼女にも自分のように、記念日に伝えたい言葉があるのだと思った。

 その封筒を、彼は最後まで読まない。

 大阪のホテルで鞄を開けたとき、仕事の資料の下に入っていた。帰ってからという約束を守り、机に置かなかった。

 夕方、現場へ行く前に、妻へ電話した。

「今から出る」

「うん」

「涼介たちと、楽しんで」

「あなたも、気をつけて」

 妻の声の後ろに、何かの案内放送が聞こえた。

「外?」

「少し」

「どこ」

 詩織はすぐには答えなかった。

「駅」

「早いな。食事、7時だろ」

「寄り道」

 悠人は頷いた。最近、予定を細かく聞きすぎないようにしていた。

 その努力が、皮肉にも、妻の移動を見逃す理由になった。

「帰ったら、手紙読むよ」

 彼が言うと、詩織は黙った。

「詩織?」

「うん。読んで」

 電話が切れた。

 悠人は鞄を閉じた。ホテルの机の上に、妻が畳んだシャツがあった。

 それを見て、少し安心した。

 妻は東京にいる。自分は大阪にいる。今度は、違うことをしている。

 そう思った。

 当日、大阪の現場は風が強かった。悠人は足場を見上げ、妻のいない場所で妻の死を待っている自分に気づいた。

 7時5分、涼介から電話が来た。

「詩織ちゃんが来ない」

 悠人は返事をしなかった。

「家にもいない。電話も出ない」

「探してくれ」

 声が自分のものではないようだった。

 7時10分。胸が痛んだ。悠人は柵に手をついた。

 そのとき、名前を呼ばれた。

 詩織が走ってきた。

 ありえない、と思った。東京にいるはずだった。ここに来るには、新幹線に乗り、駅から移動し、現場を探さなければならない。偶然では来られない。

「どうして」

 上で金属の音がした。吊られた資材が傾いた。誰かが叫んだ。

 詩織は迷わず悠人に飛び込んだ。

 押された体が柵にぶつかった。鉄骨が落ちた。

 7時12分。

 悠人は瓦礫を動かした。指の皮が裂けた。妻の顔が見えた。

「東京にいろって」

「会いたかったの」

「こんなところまで」

「ひとりに、しないでよかった」

 胸の痛みが消えていた。

 妻の唇が、また、はじめまして、と動いた。

 救急車の赤い光の下で、悠人は涼介に電話をした。

「俺がいるから、彼女は死ぬ」

「まだそうと決まったわけじゃない」

「6回だぞ」

 電話の向こうが静かになった。

「次は、会わない」

「悠人」

「新歓に行かない。声をかけない。名前も呼ばない」

「お前の人生はどうなる」

 悠人は救急車を見た。運ばれていく妻の手から、壊れた腕時計が外された。

「どうでもいい」

 言った瞬間、その言葉が嘘であることを知った。どうでもよくなどなかった。妻と生きたかった。朝食を食べ、原稿の愚痴を聞き、年を取りたかった。

 それを全部捨てるしかないと思った。

「もう一度」

 今度は、君に会わないために。

 白い光の中で、悠人は妻の名前を呼ばなかった。

 目覚まし時計が鳴っていた。

 悠人は、布団の中で目を開けた。天井に、見覚えのある染みがあった。

 六畳の部屋。角の剥がれた建築家のポスター。母が持たせた毛布。

 18歳の部屋だった。

 壁の時計は、午前10時を指していた。

 これまでは、いつも桜の下で目を開けた。紙コップを持ち、ラジカセの歌を聞き、涼介に肩を叩かれたところから始まった。

 7回目の人生は、いつもより少しだけ早く始まった。新歓の数時間前だった。

 枕元でポケットベルが鳴った。小さな液晶に、カタカナが並んでいた。

「シンカン ハジマルゾ リョウスケ」

 悠人は、しばらくその文字を見ていた。

 今から支度をすれば、間に合う。桜の下には、白いカーディガンの彼女が立っている。目が合えば、彼女は泣き、はじめまして、と言う。

 そして27年後、7時12分に死ぬ。

 悠人は、ポケットベルの電源を切った。液晶が暗くなった。

 布団を頭からかぶった。

 窓の外から、遠く、河川敷のラジカセの音が聞こえてきた。

 悠人は布団の中で、声を殺して泣いた。







評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。