怖いなら担ぐな…という話
諸々のダメージを受けながらも、努めて冷静にグンナールは説明する。……人生で、こんなに恥ずかしい説明をしたのは初めてだった。
一旦なだめられたエミリアは、不安そうな顔でそれを聞いていた。
ウロコは受け取っただけで婚約成立となるわけではないこと。
それを成立させるためには、やはり相手の同意が必要で、その後も受領の儀なるものが執り行われることが一般的だということ。
そもそもウロコを贈る行為は、婚約のときだけではなく、親愛や友好の気持ちを示すためにも行われることがあるということ。
それらを聞いて、エミリアは少し落ち着きを取り戻す。
ならば自分があの彼に、不要な勘違いをさせたわけでも、非常識な振る舞いをしたということでもなさそうだった。
『愛しい』とは言われたものの、あの青年から婚約を申し入れられた記憶はない。
ひとまずそのことには安堵したものの、しかしエミリアは、心配そうな目を自分の前に座する義兄に向ける。
竜人族の風習について教えてくれた彼女の義兄グンナール。
ウロコについての一通りの説明は聞いたはずだが……いったん話を切った彼の表情は、まだ硬い。
それはまるで、心の中に大きな心配事をかかえているかのような顔だった。
今から彼女にそれを打ち明けようとしているが、それをエミリアが受け止められるのかをとても心配している。……そんな表情だと思った。
これにはエミリアも緊張の面持ち。
(あ、あら……? ま、まだ、何かあるの……?)
エミリアは、ゴクリとつばを飲みこんで義兄を見つめる。
先ほど彼女を海から助けてくれた彼はとても果敢であった。
大波に翻弄されて目を回しそうだった彼女を海水から救いあげた力強さもさることながら、この町に運びこんだあとも、義兄の処置は実に的確で迷いがなかった。
……まあ、彼女の移動の一切を担ったり(※お姫様抱っこ)、着替えを手伝ってくれたり、広い膝の上に座らせて、彼女の髪をせっせと乾かしてくれたりしていたのは……いささか甲斐甲斐しすぎて恥ずかしかったわけだが……。
ともかく。
彼女は(やっぱりグンナール様は頼りになる)と惚れ惚れしたのである。
けれどもその彼が、今はこうして何かに迷っている。
頼もしい義兄をここまで悩ませるものとはいったい。エミリアはなんだか不安になってきて、首を亀のように縮めて彼をおそるおそる見上げた。
さっきの話だってとてもびっくりしたのだ。このうえまだ何かあるのだろうかとハラハラ待っていると、グンナールは数秒の逡巡ののち、改めて口を開く。
「……それでだな、エミリア……」
「は……はい」※緊張のあまり三白眼、下から睨む。
「実は、謝りたいことが他にもある……」
「あ、謝りたい、こと……?」
そう言った義兄の赤い瞳は、緊張に揺らいでいた。
どうやら今から語られようとしている話は、先ほど“力の象徴”の件で謝られたときよりも、もっと深刻な話のようである。
エミリアは、少し恐れるような気持ちで義兄の言葉を待った。
先ほどは、竜人族からウロコを贈られる意味を聞いてついうろたえてしまったが……もうあんなふうに騒いでは駄目だと思った。慎重な口ぶりの義兄の話の腰を折らぬよう、じっと息をひそめる。
そうしてしっかり話を聞こうと見つめてくれるエミリアのようすに、グンナールは固くなっていた心が少し和らぐのを感じた。
胸に詰まっていた息をほっと吐き、少し目を伏せて。彼はずっと話すべきか否かと迷っていたその話を切り出した。
「……騙す意図はなかった。ただ、気持ちのままに行動してしまった。直情的ではあったが、後悔はしていない」
申し訳なさそうに前置く彼に、改めて視線を向けられたエミリアは──びっくりして心臓が跳ねた。
義兄が見せた表情は、なぜかとても切なげであった。
緊張した面持ちには乾きがあって、瞳には熱望がありありと浮かんでいた。それは見ているエミリアをとても落ち着かない気持ちにさせた。なんだか顔が、ひどく熱くなる。
(お、義兄様……?)
エミリアは困惑で息が浅くなるのを感じた。
彼女にこの時点で分かったのは、どうやら義兄が何かにとても焦がれているらしいということ。
そこには自分も関わっていて、なぜか彼は自分に謝らねばならぬと思いつめているらしい。
ということは、自分は彼に何かひどいことでもされたということになるが……。
(⁉ ⁉ 分からない……分からないわ⁉)
エミリアは、まったく心当たりがなく、逆に焦る。
思い出されるのは、期間は短くとも、とにかく義兄が愛しい記憶ばかり。
素晴らしく強そうな義兄と出会い、憧れを抱いたこと。
彼のたくましい腕で、竜態の義母の突進からかばわれたこと。
邸の庭での膝枕は夢のような心地。そして、不埒なドミニク野郎など捨てちまえと背中を押されたこと。(※そんな荒っぽい口調ではなかった)
再婚式では、礼装の彼に惚れ惚れして実はヨダレに困ったことや、ニワトリ強盗から助け出してもらった恩義……。
(ぇ……お義兄様……好き……、……え? わたし達の間に……いったい何事が……? “騙す”って……いったいなんのこと……?)
これまでのことを思い返してみても、義兄の謝意と切なげな表情の理由が分からず。エミリアはすっかり顔をこわばらせている。
それがなんなのかを聞くのがとても怖かった。
この穏やかな彼が、これだけ申し訳なさそうにするということは、きっと重大なことに違いないのである。
もしかしたら……それを彼女が聞いてしまったら。せっかく新しくできた家族関係にヒビが入ってしまうのかもしれない。でも、もはや大好きすぎる義兄をここまで思いつめさせる原因がなんなのかは、知りたい気もして……。
う……と、エミリアは顔を歪めた。
(っや、やっぱり気になるっっっ!)
相反する感情に慄きながら、エミリアはひたすら背中を上に上にと引っ張った。膝の上で固めた手のひらの中にはジワリと汗がにじんできたが、それを気持ち悪いと思う余裕すらなかった。
エミリアは、苦悩しながらも決意する。
もしここで、義兄からどんな恐ろしい告白を打ち明けられたとしても、絶対に愛しい彼との関係をつなぎとめるのだ。
エミリアの目が、ギラギラと輝きはじめる。
(だって、まだ義妹としっかり認められてもいないのに……? お義兄様……ぜ、絶対、に、逃がしませんからねっっ!)※泣きそう
エミリアは、ひとり心の中でゼイゼイはぁはぁ思いつめ、グンナールに狩人のまなざし。
……そんな彼女の密かで激しい焦燥など露知らず。
ここでやっと気持ちの整理がついたらしいグンナールが、もう一度「実は、」と言った。
静かな声とは裏腹に、こちらの心中も必死である。
「エミリア、君にウロコを贈ったあの男。あれは──」
意を決したグンナールはエミリアに真実を届けようとして、エミリアもまた、義兄の言葉を漏らさず聞こうと一心だった。(※いささか前のめり過ぎる)
互いに熱心に見つめ合った二人には、一瞬相手の姿しか見えなくなる。──が、その境に、無情にも割って入るものがあった。
「っ待たんか、この! 馬鹿者め!」
「⁉」
突然の怒鳴り声に意識を割られ、エミリアが、え⁉ という顔をした、直後。
彼女の前で、彼女を見つめて何かを告げようとしていた義兄に、何者かが襲い掛かって来た。
息をつめて彼の言葉に聞き入っていたエミリアは、この急襲に驚いて目を瞠る。
……それは、あまりに一瞬の出来事だった。
どこから現れたのか……二人しかいなかったはずの部屋の四方から黒い影が飛び出してきて、あっという間にグンナールを覆いつくした。そして彼の姿が見えなくなったと思った瞬間、その姿は義兄ごと掻き消えてしまった。
「っ⁉」
エミリアが状況を把握する間もない。
次の瞬きの瞬間には、もうそこにはただからの空間があるだけ。襲撃者の姿も、彼女の目には残像のようにしか映らなかった。
「え……? グ、グンナール様⁉ グンナール様⁉」
炉辺の絨毯の上に一人取り残されたエミリアは目を剝く。
しかし何が起こったのか分からない。うろたえた彼女は、彼に渡されたウロコを手に、愕然と義兄の名を呼びながら部屋を飛び出した。
と、そのときだった。
「おっと。お嬢様はこっち」
「⁉」
扉に体当たりするように部屋から駆け出たエミリアを、廊下で待ち構えている者があった。
突然の障害物にエミリアはギョッとしたが……勢い余って立ち止まれず。彼女は顔面からその誰かに衝突。ベチッと鼻をしたたか打ち付けて「うっ⁉」と、景気よく弾き飛ばされそうになったが──。
「⁉」
直後、腕をつかまれたかと思うと、身がぐるりと一回転。抵抗する間もなく彼女はいつの間にかその者の肩の上に担がれていた。
「⁉ ⁉ ど!? な!?」(※鼻痛い)
「うっわ、軽⁉ 怖!」




