溺愛の空 6 エミリアは、泳げなかった
「──ん!? っぶ⁉」
その異変に、一瞬気を取られて動きを止めたゲレオンが、見事にグネルの平手打ちを頬にうけて吹っ飛ばされた。
「おほほほ! ざまあないわねゲレオ──あら⁉」
一瞬勝ち誇ったグネルも、遅れて異変に気がつく。
眼下の海面から、突然何かが海を割るようにして突き上がってきた。
海水をかき分け、山のように隆起してきた砂と岩の大地。海水を音を立てて滑降させ、露わになった岩肌には、グネルたちの騒ぎを恐れて岩陰に隠れていたらしい魚たちが、驚いたように跳ねている。濡れた岩底に生えた海藻は水の自由を失ってへたりこむ。この光景にグネルは唖然。
隆起した海底だったものの頂点に立っているのは、彼女の息子。ずぶ濡れで岩に足をかけ、殺気立つような魔力を四方に放ち、持ち上げた大地を見据えている。
「え……あ、あの子……いったい何をやっているの……⁉」
グネルは絶句。
彼女の息子グンナールは、地と火の魔力を持つ竜人。どうやらその力を使って、地下の岩しょうに働きかけ、あたり一帯の海底を無理やり海上にまで引き上げてしまったようだった。
それは、息子の力を考えれば可能なことではあるが……大量の魔力を費やす。
おまけに偉大なる大地に干渉する魔法は、神や精霊の怒りさえ買いかねない。竜人族たちは、魔力も力も強く、人類の中においては最強を誇るが、やはり天地を司る存在たちは無視しては生きていけない。もし何かがあって、そうすべき時でも、そちらの方面には礼節が必要。彼女たちはそれを同族たちに説く立場にある。
これは、普段小憎らしいほどに冷静な彼女の息子らしくない所業であった。
いったい何故? と、唖然とする母をよそに。男は自らが作り上げた小島の上で、必死に何かを探している。
「エミリア! どこだエミリア!」
その悲痛な叫びを聞いて、グネルは戸惑う。ここでやっと巨体から煙を上げるほどに怒っていたグネルの顔に正気が戻ってくる。
「え……? エミ……バルドハート……?」
あの子ならあっちにいるが……という目でグネルはチラリと継子を置いてきた陸のほうへ視線をやる。──と、彼女の大きな目がギョッと点に。
そこでは、エミリアが何故か砂浜にいくつもの穴を掘り、砂まみれでその穴の中を凝視していた。
いったい何事かとグネルが慌ててそちらに向かおうとした瞬間、エミリアの頭がハッとしたように海を振り返る。どうやら、彼女もグンナールの呼ぶ声に気がついたらしい。
振り返った彼女の顔は、愉快なほどに砂だらけ。頭からパラパラと砂を落としながら、その唇がつぶやいた。
「ごの声……グンナール、ざま……?」※まだ声枯れてる。
自分を呼ぶ義兄の声にただならぬものを感じたらしい。彼女は険しい顔で立ち上がり、声がしたほう──海へと一目散に駆けていく。
「ど、どう……⁉ グンナールざま⁉ どうがなざっだんでずがっ⁉」
砂に足を取られ、転びまろびつグンナールのほうへ駆けていく継子に。グネルが慌てる。
「バ、バルドハート!?」
どうやら気が動転しているらしいエミリアは、そのまま義兄に向って一直線。躊躇なく波のほうへ駆け込み──そして……。
いきなり海底が隆起したせいで迷惑そうに揺れていた大波に、あっさりとさらわれて行った……。
「うっぷ⁉」
「バ──ババババルドハート!?」
グネル絶叫。当の本人は、波間でひっくり返り、浮かびつを繰り返し、びっくりしたように、
「あら⁉ わ、だじ……泳いだごとがございまぜんでじだあぁぁぁ…….……」……などと、言葉を残しつつ、アップアップ。
無理もない。内陸で生まれ育ったエミリアは、何気に海は今回が初見である。
「あ゛──………………」
「ぎゃー!?」
遠ざかっていく継子の枯れ声に。グネルが大慌てで彼女に向かってはばたく──、が。
「グンナッ、グンナールざ、まっ⁉」
海辺に届いた叫びが、義兄の声であることはすぐにわかった。
絞り出すような響きの痛ましさに胸を突かれ、驚いたエミリアは、つい声がするほうに駆けてしまった。その先が海であることは考えなかった。ただ、こんな苦しそうな声を出す義兄に、いったい何事が起こったのかとそれだけが心配で。
口の中に海水を感じながらも、目的の方向に向かってなんとかもがいていたエミリアは……ふいに、自分の身体がふわりと浮くのを感じて瞳を瞬く。
「あ……グンナールお義兄ざま……」
気がつくと、空を舞う義兄がそこにいた。
翼を羽ばたかせた竜人態の彼の腕が、彼女の両脇をつかみ、荒れる海からすっぽりと救い出してくれる。
ホッとした。でも、エミリアはすぐに不安になった。
空中で彼女をそっと持ち上げ、彼女の頭に大きな手を添えて強く抱きしめた義兄は……なんだかとても、泣き出しそうな顔をしていた。
(……、……、……うぅ………………)
極めて居たたまれない状況に陥ってしまった……。
エミリアは、羞恥と申し訳なさと困惑の感情のせめぎわで、強張った顔面を、熟れた果実のように火照らせている。




