恐ろしき溺愛の急襲
──時は少しさかのぼる。
その男の危機は、唐突にやってきた。
場所は竜王国ケルンタール、グンナールの邸。
それは彼の伯父ゲレオンが、頑なな甥を説得しようとしていた、あの日のこと。
グンナールが決意と共に席を立ったのを、伯父はやはり良しとしなかった。
部屋を出ていこうとする甥を見た彼は、配下たちに命じてその行く手を阻み、更なる説得を試みようと追いすがる。
ゲレオンとしては、末の妹グネルの息子にわざわざ危ないことをしてほしくない。
いかに乱暴すぎる妹でも、やはり幼い頃から面倒を見てきたグネルのことは彼も可愛いのである。その息子もやはり大切で。妹親子が危機に瀕するのを彼は見過ごせない。
毒の公たちは、味方であっても敵であっても非常に危険。
いや、彼ら一族の毒という性質が悪いというわけではなく、その執念深い人品が厄介なのである。早まったことをして、彼らを早急に敵に回すことはないと考えていた。
何せ彼ら竜人族は寿命が長い。その利を生かし、徐々に、穏便に、アダルギーシアをなだめて行けばいいではないか。
人の心はうつろいやすい。とりわけ若者は、はじめは狭い世界で恋情にも盲目的になりがちだが、大人になって視野が広がるにつれ、その心も変わっていくだろう。
いかにしつこい娘でも、百年も経てば気も少しは変わっているはず……と、いうのが彼の見立てである。
そのとき安全に縁を断ち切ればいい、と。
しかしその提案に、グンナールは首を縦に振らない。伯父の引き留めに足を止めはしても、甥の目は、そんなことができるはずがないという色。
「伯父上……百年など待っておれません。エミリアは人族ですよ?」
我々とは違うのだ、と、グンナールは憮然。
「そもそも……本当ならば、数日、いえ、ほんの数刻でも離れていたくはないのです。……百年? わたしがもちません」
グンナールからしてみれば、どうにかエミリアと共に過ごせる未来を勝ち得たいという思いでなんとかこうして離れていられるが……そうでなければここにはいない。彼の性質がもう少し理性的でなければ、彼はとっくに彼女のそばに飛んでいっていただろう。
そうきっぱり言う甥の言葉に。その咎めるような視線に、ゲレオンは憤慨。
「な、なんだお前、その目は! お前はまったく……わたしの心配を分かっていない!」
少しも彼の言葉を聞き入れようとしない甥に、彼は指を突き付け牙を剥く。激昂のあまり双肩には雷を爆ぜた。けれどもグンナールはまたかという顔でため息をつくばかり。平行線の対話に、伯父の苛立つ指先が、甥に突きつけられた。
……その瞬間のこと。
再び怒鳴ろうと口を開いたゲレオン、の、右側にあった壁と窓が、唐突に激しい音を立てて吹き飛んだ。
「!」
「な──うッ⁉」
「ゲ、ゲレオン様⁉」
飛んできた壁の成れの果てが見事にゲレオンの頬に当たる。
甥への怒りですっかり頭に血が上っていた彼はそれを避けることは叶わず。ゴーンとやられた主を見て、配下たちが慌てている。
グンナールは……まあ、その程度の打撲では、伯父がどうともならぬと分かっている甥は。飛んできた瓦礫をひょいひょいと機敏に除け、視線は壁の向こうを注視。
外圧を受けて破壊されたらしい壁には大きな穴が開き、もうもうと上がる粉塵の向こうには人影。どうやら気配を消して近づいてきたらしいその人影は、瓦礫に足をかけてやってくる。
その乱入者を見たグンナールが、それが誰なのかを一目で察し、非常に迷惑そうな顔をした。
「…………はぁ……」
うんざりした様子でため息を吐く青年の横で、先ほど壁のつぶてで頬を強か打たれたゲレオンが鬼の形相で復活する。
「な──いったい何ご…………」とだ、と、怒鳴りかけたゲレオンが、グンナールと同じ人影を見てギョッとする。
彼に凝視されたその者は、丸くなった黄金の瞳と目が合った瞬間、ニッ……コリ、と、満面の笑み。見開かれた真っ赤な瞳は捕食者の輝き。不気味な輝きにゲレオンが絶句している。
「ゲレオン……みぃつけた……あらぁん、グンナールもいたのねぇ?」
「お、お、お前……グネル!?」
男爵領にいるはずの妹の乱入に、ゲレオンが唖然。どうしてここに、と、彼が言う前に、血走った目の竜人族のご婦人は、大きな瞳を見開いて兄に言った。
「お、に、い、さ、ま♡」
「⁉」
この猫なで声に、身に怖気が走ったゲレオンが、一気に青ざめて後退り、甥の後ろに逃げ込んだ。怯えたような顔の伯父に後ろから肩をつかまれたグンナールは、気味の悪いものを見る目で母を見る。
これは、嫌な予感しかしない兆候である。
蚊帳の外のはずのゲレオンの配下たちまでもが、皆、その予感に身を強張らせていた。
そんなまわりの困惑などお構いなしで、散乱した瓦礫を踏みしめ、火山鬼と呼ばれた彼女はじりじりと兄との距離を詰めていく。
「ねぇ、お兄様ったらぁ♡ なぜお逃げになるの?」
「く、くるな! お、おい! グネル今度は何を企んでいる!? そ、その寒気のする猫なで声をやめろ! く、くるな! おおおおいグンナール! なんとかしろ! お前の母がまたわたしに何かを強要しようとしているぞ⁉」
「……、……、……そのようですね……」
伯父に盾にされたグンナールにもそれは分かった。
頷き、彼は周りで動揺しているゲレオンの配下たちに命じた。
「今すぐ邸近辺を封鎖しろ。陸空すべてだ」
それを聞いた者達は転がるようにして慌てて部屋を出ていった。ほどなくしてこの一帯は魔法封鎖され、強固な魔法防衛線が敷かれる。邸の者たちもすべて退避。……どうせ始まるのだ。このあと、壮絶な兄妹ゲンカが。
グネルは息子の後ろの兄に甘えた声をかけ続け、その要求を口にする。
「お兄様、お、ね、が、い♡ わたしに……お兄様の血紋ウロコ、頂戴♡」
この懇願に、とたんゲレオンが目を剥いた。黄金色の両眼が飛び出て行きそうだった。
「は……はぁ⁉ 血紋⁉ い、いきなり何を……⁉」
驚く兄と、その前に立つ怪訝そうな顔の息子の前で、炎色の婦人は微笑む。……ただし、双眸はまるで狩人のようである。見開かれた瞳が怖い。
「とっびきり強い加護をこめてほしいの♡ バルドハートきゅんのために♡」
「!」
その名に、グンナールが弾かれたように反応。
「母上? あの……エミリアのためとはいったい……」
と、グネルは平然と答えるのだ。愕然としている実兄を置き去りにして。
「え? ああ、バルドハートきゅんにあげるんじゃないのよ? パールよ、パール。あの子にあげるの」
「……、……パール君……?」
意外な名が出てきたことに怪訝そうなグンナールの後ろで、ゲレオンがいまだ困惑深い顔で甥に問う。
「パール⁉ パールとは誰だ⁉」
どうやらその名は記憶にないらしい。戸惑う兄に、妹は笑う。
「まーあ、お兄様ったら。パールはバルドハートのペットのニワトリちゃんよぉ! ほら、忘れたの? あの子、お兄様のウロコを欲しがっていたでしょう?」
「は……はぁぁああああっっっ⁉」




