若者の邪悪
理解できないことは怖い。
ましてやこの男は、ミンディと一緒になって彼女を陥れた者である。
顔面は三白眼で虚勢を張りながらも、内心ではオロオロしはじめたエミリアは思った。
(も、もういっそ……本当に引っぱたいてみる⁉)
あまりにも鈍感で、厚かましくも被害者面を崩さないドミニクのこと。きっとエミリアに叩かれれば、そこでもまた『なんで……?』と、ポカンとすることだろう。
そのポカンタイムでできる隙を狙って、完全逃亡をはかってみるか。
悪役令嬢と呼ばれている自分だ。今更彼を叩いたくらいでは、悪い評判に毛が生えるくらいのことだろう。
(それに、これは実質正当防衛なのでは……⁉ だってなんだかすごく怖いもの!)
こちらが明らかに拒絶を示しているのに、こんなにしつこく追い回してくるなんて、普通じゃない。
ヘラヘラして付きまとって、彼女が聞きたくもない話を語り続ける顔を見ると、なんだかゾワッとした。こんなの、ほぼストーカーだ。
本気で叩いて撃退しようかと思ったが……。しかし、その脳裏に、ふと別のヘラヘラした男の顔が浮かんで思いとどまる。
エミリアの新人護衛、ロコである。
(あ……でも……そうよ、ロコさんが……)
あのサビ猫のような柄の竜人族青年は、先日のミンディとヨシュア姉弟とのやり取りでエミリアを助けてくれて、すでに学園では評判が悪い。
あんなにかわいく着飾らせたというのに……周りの学生たちからは『エミリアが恐ろしい用心棒を連れて来て、ミンディたちに絡んで挙句つきとばした』と、言われているらしい。……本人がどこかでその噂を仕入れて来て、ゲラゲラ笑いながら教えてくれた……。
(く……)
いや、ぜんぜん堪えてないふうのロコはともかくとしてだ。
エミリアが気になるのは、彼を配したグネル。
彼女がドミニクを害すれば、彼はおそらく『わたしはエミリアに相談をしていただけなのに⁉』などと、被害者面をしはじめるのは目に見えている。
もしそれを学園に訴えられたとき、学園側がどう出るか。
成績優秀者という実績を見て、これまではいろいろ大目に見てもらえていたが、これ以上、痴情で風紀を乱すならと……何か罰則があるかもしれない。
そうなったとき、学生たちに『恐ろしい用心棒』と見なされているロコの学園への滞在許可を取り消すと言われたら、エミリアはとても困ってしまう。
(っグネルお義母様から預かった彼を、追放処分の憂き目にあわせるわけには……)
それは継母をどれだけガッカリさせることだろう。
(それに……グネルお義母様に『バルドハートはそんなに暴力的な娘だったの……?』とか思われたくないわ……)
エミリアは想像してなんだか悲しい。勇ましく戦うのならまだしも、逃げるために引っぱたくのは如何なものか。悩んでいると、ちみっと涙も出た。
……が。
正直なところ、『暴力的』なことにかけては、おそらくグネルに勝るものはない。そんなことはグネルは露ほども思わないだろうし。むしろ、ストーカーなんか燃やしてしまえと言いそうだ、が。
しかし、まだ義理の母子としては日が浅いエミリアは、そこまでグネルを理解してはいない。
走りながら困っていると、延々彼女のあとをついて来ていたドミニクが、ふいに彼女の手首を取った。
「ちょっと待ってエミリア」
「⁉」
断りもなく触れられたことにエミリアが慄いているが、ドミニクはそれを気にしたふうもない。
ここで唖然と彼を見たエミリアは、その背景を見てやっと、ここが校門の近くであることに気がついた。いつの間にか、学園の敷地のはじまで来てしまっていたらしい。
どうやら彼女自身、無意識のうちにミンディらと遭遇せぬよう、校舎や学生寮がある方向とは真逆に逃げていたようだ。周囲に人気がないことを見て、ここでエミリアはハッとした。
どうせなら、職員たちがいる場所に逃げればよかった。そうすれば、きっとドミニクも大人しくなったのに。怖くてそれどころではなかったエミリアは痛恨という顔。
「うぅ……っ、ちょっと離して!」
「ねえ、歩き回ってもう疲れたよ、追いかけっこは止めてどこかに座って話そうよ」
「は⁉ いやです!」
おそらく、すぐ傍にベンチがあるのを見てドミニクはそんなことを言ったのだろうが……エミリアからしてみれば、こんな意味不明な元婚約者とのんきに同席などできるわけがない。
だが、即座に拒絶された青年は、エミリアの表情を見て傷ついたような顔をする。その瞳にムッとしたものが過ったのを見て、エミリアはギクリと身を強張らせた。
「……さっきからなんなの……? せっかくわたしが歩み寄ってあげているのに……ちょっと酷いんじゃない?」
「⁉」
固く握られた手首が痛み、エミリアが苦悶の表情を浮かべる。
堪らずドミニクの手からそれを引き抜こうとするが、叶わなかった。ドミニクは、表情からヘラヘラ笑いを消して恨みがましい目で彼女をねめつける。その手にはいっそう力がこもっていた。
「なんで君はそんなに冷たいの? わたしは話がしたいだけなのに」
「話すことなどないと言ったではあ──」
「わたしにはあると言った!」
「⁉」
感情的に言葉を遮られ、エミリアはびっくりして絶句。男子の腹からの一喝に、身がすくんで動けなかった。
けれどもそんな彼女の困惑にすら、ドミニクは苛立ちを見せる。
いろいろあったが、彼女と自分はもとは婚約までしていた仲。別れたとて自分は歓迎されて当然。まるで、まだ彼女は自分の女だとでも思っているようだ。しかし、エミリアの態度がそんな想像と違うと見て、腹を立てているようだった。
「だいたいなんだよ、そもそも君がミンディをいじめたりするからこんなことになったんだろ⁉ そうでなければ、わたしだって心変わりしなかったんだし、君はもっとわたしに贖罪の気持ちを持つべきでは? おかげでわたしはあんな感情的な子につかまって、今すごく窮屈な思いをしてる。もっとこちらを敬ってほしいと言っても聞きやしない。持参金をちらつかせて両親を言いなりにしようとするし、本当に、もういい加減にしてほしい……ねぇエミリア、話くらい聞いてくれたっていいじゃない! 全部君が悪いのに、どうしてわたしから逃げたりする⁉」
彼の怒りには、エミリアに対する怒りだけではなく、ミンディに対する不満も大いに含まれているよう。そんなものを一緒くたにぶつけられるエミリアは堪ったものではない。まったく言いがかりも甚だしいが……それをドミニク本人は分かっていないようだった。
感情のままに握りしめられた手首が痛くて堪らなかった。
「……っ痛……」
男の握力は彼女からしてみれば相当なもので、皮膚は潰され、骨がきしむ。ちょうど手のひらと手首の関節のところをつかまれていることもあって、エミリアは、今にも骨を握りつぶされて、関節が外れてしまうのではと恐怖した。堪らず叫ぶ。
「ぃ、痛い! ドミニク放して!」
「そんなことしたらまた逃げだすじゃないか」
淡々とした言葉が返ってきて愕然とする。
そんなこと当たり前ではないかと目で訴えるも、沸々とした怒りのまなざしが返って来るだけで、腕の力はやわらがなかった。
エミリアは、途方に暮れた。
この男は、自分がどんなに苦痛を訴えても解放してくれないのかと思うと怖かった。
ドミニクはただの人族の青年で、一見恐ろしい存在ではない。
でも、あまりにも話が通じない。
それでもどうにか毅然と対応したい気持ちもあるのだが……そんなエミリアを、彼は腕力で押さえつける。
ただの青年のわがままと片付けるには、あまりにも一方的で、相手を無理やり屈服させようという心は非常に邪悪。この傲慢さに女人が感じて当然の恐れが、エミリアの中に暗い影を落としはじめていた。
──人族の魔力には、イメージが大切らしいです……。
ロコが彼女に教えた言葉は実際その通り。
この窮地に、彼女は当然この暴力から逃れることを求め、それが大きなイメージへとつながった。それはエミリアの中に眠る魔力を、あまりよろしくない方向へ導いていく。
(……、……怖い、)
話の通じない男は、まるで得体の知れない生き物のようだった。
エミリアの身体からは、すっと血の気が引いていき、手のひらが冷たくなる。
どうしていいか、分からない。
そんな彼女の緊張に気がつき、瞳に怯えを見てとったとき。ドミニクは、おやと思った。
ずっと威勢の良かった元婚約者が、彼にはじめて怯んでいる。
それは、婚約破棄でも彼が彼女から引き出せなかったもの。人々の前で婚約者に捨てられるという屈辱にも屈せず、毅然と尖って見せた彼女が……ここにきて、やっと自分に屈服しようとしている。
その予感に、ドミニクの優越感は、異様なほどに沸き立った。
彼女はドミニクにとって長らく追いかける対象で、なんとか振り向いてほしい存在だった。
念願かなってパートナーとなったあとも、彼女は自分より賢く勉強で頼る存在。いつしかそれが、鼻につくようになって、ミンディとは『あの子はなんか偉そうだよね』と、陰口を叩いた。
そうして味方になったはずのミンディは、最近とても高慢。
自分は選ばれた存在だと主張するように、財産と女の武器を使って彼をいいようにしようとする態度には、辟易していたところ。
誠に身勝手なことながら、彼は強気な女には嫌気がさしていた。
(え……怯えたエミリア、かわいいな……)
いつも尖っている三白眼が、迷子のような弱気に揺れている。
何をされるんだろうと息をつめ、自分だけを見つめる瞳には堪らなく加虐心がくすぐられた。
それはまったくもって歪んだ感情だが……彼の中に、素直で明るかったころのエミリアを思い起こさせた。
そして青年は勘違いする。
もしかしたら、このまま脅し続けてやれば、高慢な彼女を打ち砕いてやれるのかも。従順にさせ、理想的な恋人にできるのでは?
そして自分たちは昔のように、仲のいい二人に戻れるのでは……と。
あまりにも手前勝手なこの妄想に、若者はすっかり囚われてしまった。
それがどんなに危険な考えかは、考えも及ばない。
彼はただ、彼女より上に立ち、昔のように、いくらでも自分の話を聞いてくれた頃の彼女を求めた。
ゆえに、ドミニクは、些細な脅しのつもりで笑って危険な言葉を吐いてしまう。
「ね、エミリア、大人しくしてよ。そうじゃなきゃ、この腕……折っちゃうよ?」
「!」
その瞬間、エミリアがどんなに怖かったのか、彼は考えもしなかった。
浅はかな若者の脅し文句に、とてつもない恐怖を抱いたエミリアは、おのずイメージする。
彼を振り払いたい、今すぐ彼から離れたい。その突発的で強い願望は、無意識に彼女を取り巻く魔力に直結し、発露した。
ドミニクが身を凍らせた娘を引き寄せようとした瞬間、世界を切り裂くような大きな叫びが響き渡る。
金属をこすり合わせたような鋭い音にドミニクが驚く前に、彼は突然何かに押されたように後ろに吹き飛んだ。
「う、ぅわああああああ⁉」
爆風の圧に青年の身体は易々と宙に舞う。
そのまま彼は地面に叩きつけられ、土の上で激しく咳き込んで。何事が起ったのか分からない彼は、とっさに自分が手をつかんでいた娘に突き飛ばされたのだと思った。腹が立ったドミニクは逆上し、憎しみの双眸で彼女を探す。自分に迷惑をかけたお前は、自分に屈するべきなのに、という苛立ちそのままに怒鳴り声を上げかけて。
「エミリア! 何をす………………」
けれどもその声は、すぐに言葉尻がしぼむこととなった。
地面に転がった彼の前に、黄金色に輝く何かが仁王立ちしていた。
細い山吹色の二本脚が輝いている。
広げた白い翼は天のきらめきを振りまき、頭頂のとさかは王冠のように燦爛とそそり立つ。
「な……」
絶句する彼に、その何かは言った。
こ、
「コケエエエエエエエエエエエエッッッ‼」
「う、うわぁああああああああ⁉」
それはまさに怒号。……とてもうるさい、怒号。
そうしてその黄金色の何かに、容赦ない蹴りを顔面に入れられたドミニクは、絶叫を上げて逃げていった。
その後ろ姿を見送る勝者は、勝ち誇ったようにきらめく胸を張ってふんぞり返る。
そして彼が振り返ったとき、そこには大きなグンナールの血紋竜にふわりと守られたエミリアの姿があった。
透明な身体をまるめたドラゴンに包まれるようにして、くたりと目を閉じた彼女は、すやすやと寝息を立てていた。
お読みいただきありがとうございます。
今回少し長めです(^^;)(※ドミニク早く追い払いたかった…笑)




