ミンディの苛立ち
「許せない! 許せない! 許せない‼ あの女、絶対に許さない!」
「ね、姉様……」
顔を真っ赤にして寮の談話室のなかを歩き回るミンディに、ヨシュアが困り果てている。
エミリア──正確には、その連れ竜人青年ロコから逃げだしてしまったミンディは、どうしても悔しくてならない。
憤慨した娘は荒々しく床を踏みつけながら、そのうっぷんをぶつけるものを探すように部屋の中を徘徊。苛立ちを振りまきながら歩き回る姉を見て、ヨシュアはオロオロするばかり。
「せっかくもうちょっとで学園から追い出せそうだったのに……あんな手下を連れて戻ってくるなんて……!」
「落ち着いてよ姉様……ここで怒鳴っても仕方ないよ……」
姉のキンキン声に、ヨシュアは慌てる。彼は他の生徒たちに聞かれやしないかと心配しているようだが、怒り狂ったミンディは、それどころではない。そればかりか、なだめようとする弟を睨み、容赦なく怒鳴りつける。
「うるさい! だいたいあんたも情けない! あんな女の連れに負けるなんて!」
「そ、そんな……だって相手は竜人族だよ……かないっこないじゃないか……」
弟の反論はもっともだったが、ミンディは余計に怒って彼を睨む。そんな、『すべてお前のせいだ』とでも言いたげな姉の顔には、ヨシュアも内心ムッとする。
(あんなの、どうしろっていうんだよ……)
自分だって、あの竜人族の男に手をつかまれて必死に抵抗したのである。しかし、その腕力は尋常ではなかった。
彼が渾身の力で腕を引き抜こうとしても、相手はびくともしなかったのである。
まるで、手首が固く重い大岩のなかに封じ込められてしまったかのように、引き抜くことはおろか、その場から一歩下がることすらもできなかった。
相手がひ弱なエミリアだけならともかく、あんな屈強な種族の大人をどうしろというのだ。
しかし、ミンディはそんな弟の不満にも気がつかず、溜まったうっぷんを彼にぶつけ続ける。
「かないっこないじゃないわよ! それでもどうにかするのが男でしょう⁉ まったく……! 絶対にこのまま引き下がったりしないわよ……仕返ししてやらなきゃ気がすまない……今に見てなさいよエミリア・レヴィン‼」
「……もう僕、疲れたから部屋に帰るよ。姉様も早めに寝なよ」
ヨシュアが呆れて部屋に戻った後も、ミンディは苛立ちが収まらず、頭はエミリアのことでいっぱいだった。
弟が去り、八つ当たりができる相手がいなくなってしまったことで、彼女は仕方なく談話室の肘掛椅子に座ろうとした。
……と、椅子の上座面には、誰かが置いていったらしい書物。それを見て腹が立ったミンディは、本を乱暴に手で叩き落し、床に落ちたそれをさらに強く蹴っ飛ばす。本は壁に当たり、跳ね返って彼女の足元に転がった。ページは折れ曲がり、表紙も傷ついてしまったが……ミンディがそれを省みることはない。
空いた布張りの座面に不満顔で荒々しく腰を下ろし、彼女はひとり考える。
あの生意気なエミリアをどうしてやろう。
友人たちにどんな悪評を立てさせるか。
ドミニクにどんないじめを受けたと訴えてやろうか。
裕福な親に泣きついて、彼の両親にもエミリアの悪評を届けさせなければならない。
なんなら誰かを雇って嫌がらせをしてもいい。
そうして貶めてやって、痛めつけてやって、今度こそ誰にも見向きもされぬようにさせ、学園から追い出してやるのだ。
そうなったとき、エミリアがどんな絶望的な顔を見せるのかと想像することで、ミンディはようやく留飲を下げる。
が、その悦に入った顔は、すぐに曇ってしまう。
「ああ、でも……あのトカゲ人間をなんとかしなくちゃ……」
ミンディは不満げな顔でため息。
男爵位程度の田舎貴族の娘が、まさかあんな立派な護衛を連れて帰って来るなんて思わなかった。
護衛や使用人にも当然ランクがあり、優秀で力のある使用人は、それだけコストがかかるもの。
最強種と謳われる竜人族の使用人など、雇用費は相当な額であるはずで、それこそ人族ならば、王族くらいにしか叶わないはずなのである。
ミンディの家もかなり裕福だが、あんな護衛は親にねだっても絶対に雇えない。
ゆえに彼女は悔しくてたまらない。
「なんでなのよ……! 父親がトカゲ人間と再婚したからその伝手なんでしょうけど……あんな護衛を連れて来て、わざわざわたしに見せびらかすなんて……本当に腹が立つ女!」
……いや、エミリアは別に、ロコを連れてきたかったわけではないが……。そんなことはこの娘には関係がないらしい。ミンディはあれを“自慢”と受け取り、いっそうエミリアが憎い。
と、ここで、屈強なロコを思い出した彼女は心配になる。
あんな護衛を連れてきたということは、もしかしてエミリアは自分に仕返しをするつもりなのだろうか。
それは根拠のないまったくうがった考えだが、後ろ暗いところがある者は往々にして疑り深い。
もし自分がエミリアにしたのと同じような仕返しをされ、悪評などを立てられたりしてしまえば。学園ではあまり成績のよくない彼女は教師たちから冷遇されて、卒業すらも危ぶまれてしまうかもしれない。
もとより教師たちは生徒同士のいざこざにはあまり口を挟んではこないが、成績優秀者のエミリアは、ミンディよりも受けがいい。
それを利用して陥れられたらどうしよう。留年などしてしまえば、自分の評判が落ちてしまう。
「え……そんなの絶対に許せない……でも、きっとそうなんだわ……どうしよう……なんとかしなきゃ……!」
ミンディは、エミリアが考えてもいない報復を警戒しはじめ、苦々しい顔で爪を噛み、対策を練る。ここは、なんとしても先手を打ってやらなければ。やられる前にやるのである。
「………………」
不安に駆られた娘はすっかり猜疑心に憑りつかれた。
椅子の肘掛に身を預け、考え込む。その表情は鬱々として憎しみに満ちている。
……ゆえに彼女は気がつかなかった。
そうして苦々しい思考にふける彼女を、談話室の入口に現れた誰かが見ていた。
その青年は、そこにいるミンディに気がつき声をかけようとして──ふと、彼女の足元に転がっている書物を見て目をまるくする。
彼はその書物を取りにここに来た。父に贈られたもので、昨日の夜ここで読んでいて、その時うっかり忘れてきてしまったものなのである。
その大切な書物が床の上で無残な姿になっているのを見て。ドミニクはそれが置いてあったはずの場所にどっかり座り込んでいる娘を見て眉間にしわを寄せる。
彼女には、たびたびこうした行いが見られる。
裕福な家の娘であるせいか、あまり物を大切にしないのである。
一度着た服は着たくないと捨ててしまったり、ドミニクが贈ったプレゼントも高価なものでなければ喜ばない。
思わずムッとして見ていると、不意に、自分に気がつかないままのミンディがブツブツとつぶやいた。
「……見てなさいよエミリア……絶対に思い通りになんてさせない……きっと学園から追い出してやるんだから……」
その憎々しげな言葉を耳にして、彼は瞳を瞬いた。
(……エミリア……?)




