毒の恋情 ③
書斎の主の椅子にはゲレオン。
グンナールはその正面に座らされ、彼の椅子の四つ足からそれぞれ一歩程度の間近には、ゲレオンの配下たちが立っている。
竜人態で威圧的な彼らは、ただグンナールを見張っているだけではなく、この場から逃亡せぬように各々魔力で縛る役目を請け負っている。
入り口の扉脇にはまた別の竜人族が立っていて、ゲレオンがやいやいと怒り狂っている間も、彼らの鋭いまなざしはずっとグンナールに注がれていた。
……ただ……彼らの険しい表情の中には、どことなく哀願するような感情もにじんでいた。
(お願いだから、事を荒立てないでほしい……)と。彼らの視線は、これ以上ゲレオンを怒らせないでくれと切に訴えていた。
……まあ……そんな勤め人の悲哀は(気の毒だが)ともかく。
この念入りな配置からは、叔父の『絶対に逃がさん』という執念を感じ、グンナールは呆れるやら腹が立つやら。
もういっそ、ご期待通りの抵抗を見せ、即刻エミリアのところへ行ってやろうか。……とも思ったが。
けれども残念なことに、予定では彼女はもうとっくに男爵領を立ってしまったはずで。グンナールは、いったんその願いを諦めなければならなかった。
いくら彼が彼女に会いたいと思い詰めても、まさかエミリアの学び舎にまで押しかけるわけにはいかない。
ましてや今の彼のそばには、こうして泣いたり怒ったりのゲレオンがいるわけで……こんな叔父を引き連れて会いに行くわけにいくだろうか。
たとえ無事に彼女のもとへたどり着くことができたとしても、ゲレオンが張り付いてきていれば──……。
癇癪で雷を落としまくる竜人族男が、屈強なる戦士たちを大勢連れて現れれば、エミリアや学園側がどれだけ驚くことか。
彼女に迷惑がかかることは明白。
「……」
やはり現状では無理だなと判断した青年は、落胆の息。
芽生えたての恋心は繊細で。義理の家族という微妙な関係性を考えても、できるだけ慎重に行動したかった。十分な準備もなく衝動で会いに行けば、すべてを台無しにしかねない。
落胆した男は、エミリアの前ではあれだけ幸福そうだった表情をすっかり曇らせて、伏目がちの瞳には深い憂い。
(……しばらくは、会いに行けそうにないな……)
そう思うだけで、どうしても気が沈んだ。
こうなると、頭の中は彼女のことでいっぱいで次から次へと不安が湧いてくる。
(……どうしているだろうか……無事学園にたどりついたのだろうか……?)
(男爵殿と離れて寂しがっているのでは……?)
(帰りの馬車の揺れに苦しんだかも……ウロコの加護はうまく働いているだろうか……)
できることならば、自分の翼で王都まで送り届けたかったのに、と、思うと、どうにも悔しい。
(エミリア……)
真っすぐなミントグリーンの瞳が頭から離れず、恋しさのあまりため息は無限にでもこぼれそう。
すっかり寂しくなってしまった彼を、しかし目の前の麗人は険しい顔で叱咤する。
「……おい……お前、わたしの話を聞いているか⁉」
涙目でああだこうだと説得を試みるも、ちっとも耳に入っていないようすの甥を見て、ゲレオンは恨めしげ。と、グンナールが顔を上げる。
「すみません、聞いておりませんでした」
「お、おのれ……!」
すぐさま平然と返してきた甥に、ゲレオンは苦々しい。
何やら切なそうな顔をしていると思ったらこれである。
誰の事を考えていたのかは分かりきっているが、その顔が自分に向いた途端、感情が干上がるように乾いたことが気にいらない。
苛立つ男の雷はグンナールの足元の床を激しく打ち、そこに立っていたゲレオンの配下たちが驚いたようにその場から跳び退いた。床には黒い焦げ跡が。
けれども肝心のグンナールは微動だにもしない。彼は半分が地の性質で、雷はほぼ無効。痛くもかゆくもないのである。
「……叔父上、お連れの者が迷惑していますよ。おやめください」
「っ誰のせいだと思っておる⁉」
「申し訳ありません。しかし雷で脅されずともおっしゃりたいことは心得ております。母の再婚の件もあって、血族らの抵抗は必至。無策では対抗できぬので一旦エミリアからウロコを返してもらってこいと──そのような話ですね?」
簡潔にまとめたあとに、グンナールはそのままの顔で「嫌ですが」と断じる。
最後の一言に、ゲレオンは激昂して発光。ギラギラと稲光をほとばしらせはじめた叔父に、グンナールは鉄仮面の下でげんなりしている。
「……お、お前は……! 本当に分かっているのか⁉ お前の父親の親族たちは、グネルの人族との再婚をけしてよく思ってはいない! そこへ来て……さらにお前まで同じ道をたどれば、お前はやつらから見限られることにもなりかねないのだぞ⁉」
父親の一族は、現在のグンナールの後ろ盾でもあって。ゲレオンは年若い甥からそれが失われるのを案じているらしい。
と、叔父は「おまけにだ!」と、吐き捨てるように叫ぶ。その顔は痛恨という表情で、げんなりと青い。
「お前が人族の娘に求愛したなどということが分かれば……お前を熱愛しているアダルギーシアが激怒するのは避けられんぞ⁉」
途端、グンナールの眉間に一瞬のしわ。
「そうなれば……絶対に毒の公が黙ってはいない、あああああぁぁぁ……あの陰険で粘着質な親子と対立するなど……あやつらに比べたら、グネルと肉弾戦で殴り合っている方がいくらかマシだぞ⁉」
「……ゲレオン様、落ち着いてください」
その者らの厄介さを思い出してか、ゲレオンは背後にあった椅子にすがりつくように沈んでしまった。
そんな叔父をなだめながら、そうだったとグンナールは険しい顔。
正直なところ、エミリアのことで頭がいっぱいで彼女らのことはすっかり忘れていた。だが、確かにその親子は厄介だった。
毒の公は非常に気位が高く、叔父が言う通り陰険。その娘ももれなくその性質を受け継ぎ、そして病的なほどにしつこい。
彼女に長年付きまとわれているグンナールは、ゲレオン以上にその厄介さを知っている。
彼らはとにかく人の話を聞かない。
再三の拒絶も意味をなさず、すっかり自分をグンナールの婚約者と決め込んでいる娘は、もう十年は彼に付きまとっている。
面と向かってはっきり『君を妻にする気はない』と、伝えても、『そんなに気後れしなくて大丈夫ですよ、あなたは十分私にふさわしいですから』と、なぜか嬉々とされる。
しかめつらで『愛していない』と言っても、『照れていらっしゃるのね? 可愛いお方♡』……と、こうくる。
まさに、暖簾に腕押し。違うと言っても無駄だった。彼女の中で凝り固まった考えは鋼鉄のように強固。
ある意味そこまで己のことを信じられるのは羨ましい性質だが、彼女が自分にいい顔をする裏で、彼に近づく女性をことごとく害しているのを知っているグンナールは、やはりどうしても彼女を好きにはなれない。
そのせいで、彼は彼女の身内でもないのに彼女の行いの後始末をせざるを得ない場面もしばしばで。
それがかえって『わたくしのために動いてくださるのね!』と、彼女の気持ちを助長させることにもなり、彼が他の異性たちから足が遠のく原因ともなった。
そんな──彼女とのあまりに疲れる攻防を思い出し、グンナールは胸に不安をよぎらせる。
確かに、彼女にエミリアのことを知られれば大変なことになる。
これまでも、彼が少し話したくらいの行きずりの女性にですら嫉妬して、排除しようと躍起だったアダルギーシア。
もし彼女がエミリアに手を出したら。
「………………」
「? グンナー………………」
固い表情で黙り込んだ甥に気がついたゲレオンが、どうしたと彼に声を掛けようとした、その瞬間。ブッと、鈍い音がした。
とたん、グンナールの周囲では、彼を囲んでいた男たちが何かに押されるように倒れ込む。
青年を椅子に縛り付けていた四重の魔力の鎖が引きちぎられていた。
砕けた魔法に驚くゲレオンは、しかし甥の顔を見て叱咤をのむ。
拘束を強制的に解き、その場で立ち上がったグンナールの表情は、これまで見せたことがない気迫に満ちていた。双肩からは闘志がほとばしるようで、瞳は赤々と燃えていた。穏やかなはずの甥が内にある激情を抑えもせず露わにする姿に、叔父も、その屈強な配下たちも一瞬言葉が出なかった。
(……エミリアに、手出しをさせるわけにはいかない……)
その危険を予感して憤りながら、グンナールは、しかしどうしても納得ができなかった。
アダルギーシアからの難を逃れるために、エミリアからウロコを取り返してこいという叔父の言葉には、どうしても。
それはあまりにも理不尽ではないだろうか。
押しつけの愛に配慮して、なぜ自分の愛情が制限されなければならないのだろう。
これまではアダルギーシアの恐ろしいほどの執着に呆れ果てて、ただ避けていたグンナールも、こたびこそは決意しなければならなかった。
(……戦わなければ……)
──同刻。
竜王国のとある豪邸では、黒紫の身体のドラゴンが血眼で邸の中を蹂躙しつくそうとしていた。
自宅にたどり着いたものの、そこに期待していたはずの華々しい贈り物がないことに絶望した娘、アダルギーシアである。
怒りのあまりか竜態と転じた娘は、目につくあらゆるものにウロコに覆われた身体をぶつけるようにしてひっくり返し、中を鋭い爪で引っ掻き回す。けれども、それは一向に見つからない。彼女は苛立ち絶叫する。
「っどうしてなの⁉ なぜ……⁉ グンナール様の血紋ウロコはどこにあるのよっっっ‼」
絶対にあるはずなのよと叫ぶ金切り声には、竜人族仕様で頑丈に作られているはずの邸ですら切り裂かれてしまいそうだった。これには居合わせた使用人たちは皆怯え、誰も令嬢を止めることができない。
アダルギーシアは肩で息をしながら、目の前に引き倒された戸棚を苛立ち紛れに爪で切り裂いた。
探しても探しても見つからない求愛の印に、彼女の中に薄々と不安の暗雲が立ち込める。
「まさか……違うわよね……? グンナール様の血紋ウロコを与えられたのは、別の女だなんて……まさか……そんなこと、あるわけがないわよね⁉」
その狂人じみた絶叫に、客観的意見を物申せる者などこの場には一人としているはずがない。




