毒の恋情 ②
──求愛。
扉の前で聞き耳を立てていたアダルギーシアは──……息を呑んで愕然と扉を見上げた。
もちろん彼女がそこに見ているのは、無機質な戸板などではなく、その向こうにいるだろう愛しの男。
(求、愛……)
取り下げないと断言されたその言葉を心の中で繰り返し、呆然として。しかし、次の瞬間、その表情はなぜか光り輝いた。
見開かれた瞳は喜びに満ちていて、頬は紅潮。鋭い牙ののぞく唇は震え、その奥からは熱い吐息(※猛毒)がもらされた。
(ああ……なんだ……わたくしのことを話しておいでだったのね!)
アダルギーシアは、ホッと胸をなでおろす。
彼が愛をよせる相手は自分しかいない。ならば、彼が愛を求めるのも自分で間違いない。
そう受け取ったアダルギーシアは、ハッとした。……ということは、彼は自分にすでに血紋ウロコを与えていてくれたということになる。
黒髪の娘は、きょとんとして首を傾けた。
(あら? どうして? わたくし、受け取っていないわ? なぜ?)
彼女はそれを自分の話だと信じて疑わず、そして何かに気がつき取り乱す。
(あ! そうだわ! そうなのね! きっとグンナール様は……わたくしの邸にウロコを届けてくれたのよ! もしかして……行き違いになったの⁉)
これは大変だと焦った竜人族の令嬢は、静かに扉から離れて前室から辞する。
グンナールがせっかく贈ってくれた血紋ウロコを、彼が愛する自分が受け取っていないとなれば、彼がどれだけ落胆するか分からない。
これはいけないとアダルギーシアは、急いで自分の邸に戻ることにした。
前室を出たアダルギーシアは、そこで倒れた執事の周りに集まっている自分の付き人たちを見て冷たく言い放つ。
「帰るわ。……何をしているの、その男は放っておきなさい!」
「え、あ! お、お嬢様⁉」
言ってさっさと歩いて行ってしまった娘に、付き人たちは仰天。
彼らが介抱していたのは、令嬢が毒で退けたこの家の執事である。彼に対する暴挙は、ともすればこの家の主から、彼女が不審を抱かれる元ともなりうる。……だというのに、令嬢はそのようなことはもう頭にないらしく、真っすぐ玄関に向かって突き進んでいく。
そもそも彼女は再会を熱望していた男に会いに来たはずで、このUターンはかなり不可解。
ちなみにだがアダルギーシアは竜人族だが翼はない。移動はもっぱら馬車で、これを下僕の生み出す魔法馬にひかせている。
例え彼女がどんなに気まぐれでも、彼女が移動したいと思ったときにその準備ができていなければ、下僕が叱られるのが日常とあって。状況はちっともつかめなかったが、使用人たちは令嬢よりも先に玄関に到着しなければと必死で彼女を追いかけた。
そんな家人たちの気も知らないで、自分の邸にグンナールの血紋ウロコが届いているはずと信じて疑わない娘は夢心地であった。
「もう! グンナール様ったら、なんで先に言ってくださらないのかしら! あの方は本当に恥ずかしがり屋ねぇ」
憤慨したと思ったら、唇は弧を描き「もしかして……わたくしを驚かせたかったのかしら?」と上機嫌。くすぐったそうにコロコロ笑って「本当に可愛らしいお方」と悦に入る。
「まあ、そうよね。これだけ待たされたんですもの。何か特別な演出があっても当然よ。だってこのわたくしとの婚約だもの。誰よりも立派で華々しい贈り物がなくては」
鼻高々という顔で微笑むアダルギーシアの予想では、きっと今頃邸には血紋ウロコと共にたくさんの贈り物が届いているはず。
でもどうしてその場に求婚者のグンナールがいてくれず、彼は自分を待たずにこの邸に戻っているのだろうと考えて、そうだわ、と、アダルギーシアは足を止めて後ろを振り返る。来た道を睨み、先ほど聞こえてきたもう一方の声の主を思い出した。
「さてはゲレオン様ね……きっとあの方がグンナール様を無理やり連れ戻したんだわ!」
以前から、ゲレオンはグンナールの結婚には慎重な態度で、アダルギーシアが父伝手に婚約を急ぐよう申し入れても、なかなかそれを聞き入れてはくれなかった。
それを恨みに思っているアダルギーシアは忌々しそうに毒の息を吐く。
「本当にあの方はワガママね……ぜんぜん若者の気持ちを分かっておいでではない! 愛し合う二人を引き裂こうなんて……老害が!」
吐き捨てたアダルギーシアの顔は強い執念に満ちて暗く、身は怒りに震えていたが……しかし、それはすぐにねっとりとした愉悦に代わる。かの者をあざ笑うかのように鼻を鳴らし、まあいいわ、と、含み笑い。
「だってグンナール様は『絶対にアダルギーシアへの求愛を取り下げません』と言ってくださっていたもの。わたくしの勝ちだわ」
……実際の彼の言葉とは絶妙に違う気がするが……耳にした言葉の記憶を自分の都合のいいように解釈した彼女は足取り軽く家路を急ぐ。
きっとその我が家には、夢のような光景が待っていると疑わない踊るような足取りである。
ただ……その後に従う家人たちは彼女の嬉しそうな言葉を聞いて、物申さずも、しきりに不安そうな目を見交していた。
グンナールが彼女に求愛など、本当なのかと疑問を持っている目である。
彼、彼女らは、いつもアダルギーシアについて歩き、彼女がどれだけグンナールに迷惑をかけているか、また、どれだけ彼に避けられているかを知っている。
しかし令嬢の執念はすさまじく、さらには彼に近づく女性たちへの嫉妬深さも地獄の沼かというほどに底なし。両親たち──毒の公爵夫妻が、彼女と同じく自分たちに都合のいいようにしか物事をとらえない性質であることも影響しているのだろうが、とにかく一度こうと思い込んだらとてもではないが、使用人たちには止められない。
彼らは皆、恐れていた。
彼女のこの大きすぎる期待が、もし現実にならなかったとき、この令嬢がどれだけ荒れるかは身に染みて分かっている。
そんな厄介ごとが新たに発生したとは露知らず。
書斎の中のゲレオンは、ほとほと困り果てていた。
大きな肘掛椅子に片腕を突いて、顔面を押さえる彼の目の前には真顔の甥。その両側にはゲレオンの屈強な配下が四名、甥を封じ込めるように立っているが、甥の表情に恐れはない。
ゲレオンがグンナールを強制的に国に連れ帰り、こうして対峙してもう結構な時間が経つが……甥はずっとこの調子。
その真顔はただ表情がないというわけではない。それは、誰に何を言われても、どんなに言葉を重ねられても、けして意思は変わらないと確信を持った顔。それでも時折わずかに表情が変わりもするのだが、甥はどうやらこちらの徒労を憐れんでいるようなのである。
いくら言われても、気持ちは変わらないのにご苦労なことだ、という……。つまり、ゲレオンの必死の説得は少しも功を奏していないというわけで。
これにはゲレオンが時折癇癪を起して、書斎の中は大変な有様。
しかし、それでもやはりグンナールの態度はずっと変わらなかった。
もうすでにゲレオンの心は折れはじめている。美しい長髪をぼさぼさにした竜人族の男は、怒り疲れたようで、今度はさめざめと嘆きはじめる。
「グネルといい、こやつといい……どうして私の親族はこう奔放で頑固者ばかりなのだ⁉ 揃いも揃って人族の親子に心を奪われ、私に盾突きおって! 老臣たちに『血族が』だ『このままでは種族が滅ぶ』だの責められ、やり玉に挙げられる私の気も知らず!」
「……」
ゲレオンが怒鳴ると、部屋の中に雷が走る。が、それは彼の配下の結界によって、グンナールの大事な書物には届かなかった。
そんな叔父を感情なく眺めていたグンナールは、ひとまず怒り狂っていた叔父が、次の段階に入ったことを察する。
母と叔父の兄妹ゲンカを長年見てきた彼は、ゲレオンの怒りのパターンを熟知している。
泣きの段階に入ったのなら、終結は近い。……もしここで変な横やりさえ入らなければ。
「……叔父上、どれだけ責められても、お泣きになられても、わたしの意思が変わらぬことはよくお分かりになったはず。ここはもう少し建設的な話をいたしませんか」
グンナールは努めて感情を抑えて叔父に言う。
彼も平然としているようで、本当は胸の中は苦い。叔父の立場も分かるが、正直なところエミリアとの別れを強制された憤りは当然あった。
彼女には大事なことを告げるつもりだった。そのことを考えると、つい消化不良の想いが胸を焼くのである。




