毒の恋情 ①
竜王国ケルンタールは今日も天気が最悪だった。
降りそそぐ雨と鳴り響く雷。
国民たちは、皆一様にため息をつく。
そんな中、喜びに満ちて馬車に揺られる竜人族の令嬢がいた。
長いまつげにふちどられた黒紫の双眸。背が高く、堂々とした美貌の娘。その背に流れる艶やかな髪は、頭頂は黒く、毛先に向かっては鮮やかな紫色。その長さは床につきそうなほどだが、隅々まで手入れが行き届いていて、自らがその世話をするわけではない彼女の富貴をよく表していた。両耳の上にはやや短めの紫紺のツノが髪飾りのようにはえていて、それを際立たせるように金と紫水晶を施した飾りが揺れている。
細面に浮かぶ唇はずっと船のように弧を描いていて、嬉しさが抑えきれぬ頬は薔薇色。瞳は嬉々と輝いていた。
彼女は馬車の中で、ずっとあえぐように繰り返す。
「グンナール様がお戻りになった……ああっ、早くお会いしたい……早く……早く……早くっ!」
苦しげにもらされる名前は何度つぶやかれたか分からない。見開かれた瞳はどこか病的ですらあって、彼女の想いの強さが見て取れた。長く鋭い爪が時折焦れたように、いら立つように馬車の壁を掻く。
そんな彼女の呻くような声が外にもれるたび、御者や護衛たちが恐々とした顔をするが……もちろん従者たちのそんなようすは想い人との再会に想いを馳せる彼女には露ほども気にかけられなかった。
彼女の名前はアダルギーシア。
竜王国には大きく分けて七種の竜人家門が存在するが、その頂点には種族長たる公爵が君臨し、竜王の家臣として家門を取りまとめている。
その毒の公の娘が彼女アダルギーシアであった。
彼女の馬車はほどなくしてある邸の中へ入っていった。
馬車がその前庭で停められると、彼女は待ちわびたように外へ飛び出る。しかしそこには土砂降りの雨。護衛が慌てたように、彼女に降り注ごうとする雨を魔法で防いでいる。
彼女は非常にわがままで、たとえ自分のせいで身体が雨に濡れても平気で配下を罰する。
今は想い人のことで頭がいっぱいなようだが、彼のもとへはせ参じた彼女が、その男に会うために着飾ったドレスがもし雨に濡れようものなら、その責め苦は必ず護衛や付き人が負うことになる。
「お、お嬢様お待ちください! まずは面会の申し入れを──」
一目散に想い人の気配を追って邸の中を掛け進んでいく令嬢を、付き人は必死に止める。だが、彼女はけして止まらない。
「必要ないわ。わたくしとグンナール様の仲だもの。ここはわたくしの家も同然よ」
「し、しかし、グンナール様はいつも──」
勝手に邸に入らないでくれと言っていた、と、付き人が言おうとした瞬間、早く彼のもとへと先を急いでいたアダルギーシアがピタリと足を止め、カッとなったように付き人を怒鳴る。
「お前! あの方の名前を軽々しく口にするなと言っているでしょう⁉ 毒が欲しいの⁉」
雷のように怒鳴られた娘が、ハッとしたように口を押えて青ざめた。身をすくめて低頭する彼女を、アダルギーシアは汚らわしそうに睨んでいる。
「も、申し訳ございません……」
「忌々しい……!」
消え入りそうな声で謝る娘を睨み、アダルギーシアは暗い双眸で吐き捨てた。
彼女はいつもこうだった。
他の若い娘がグンナールの名を口にすることにすら怒り、家の者であれば罰する。そうでない相手であれば壮絶に恨み、どうやってその者に毒をもってやろうかと考える。
グンナールに対する執着がひどく、他の娘の接近を許さない。彼に嫁ぐのは自分だとすっかり決めつけていて、この邸も自分のものだと考えている。
ゆえに、この家の隅々まで、彼女が立ち入って咎められる場所などあるはずもなく、面会の申し入れなど不要。彼女の将来の夫は、彼女が来るといつもどこかへ行ってしまうが、それも自分に対する愛ゆえとアダルギーシアは信じて疑わない。
自分は高貴な家の特別な娘で、格別美しく、誰にでも求められる存在だ。
彼に釣り合うのは自分しかいないと、父も母も常々言っているし、彼もそれを承知しているはず。
おそらく寡黙な性格の彼は、自分があまりにも美しいゆえいつも恥ずかしがっているのだ。
だからこうして自分が足しげく彼のもとへ通ってやるのは、むしろ奥手な彼のためである。
……と、いう、かなり偏った思考のアダルギーシアは、ゆえに、もちろん本日も遠慮なくその邸の中を闊歩した。
邸で出迎えた者たちは、いつものように彼女を慌てて制止しようとしたが……自らの魔力をさまざまな毒に変えられるアダルギーシアを止められる者はその場にいなかった。毒耐性のない者が無理に彼女を止めようとすると、アダルギーシアは遠慮なく毒を振りまいて押し進むのである。
竜人族の家門は力の強い者が頂点に立ってきたこともあって、毒の公の娘ともなると、その力は非常に強力で、厄介。
家人たちが慌てて対応しているうちに、いつもどおり押し進んだ娘は、愛しの気配を追って奥の書斎へ。
その前室までたどりついたとき、彼に会う前に身づくろいをしようと立ち止まって、あらと、気がついた。
「……まあ、ゲレオン様もいらっしゃるの……?」
どうやら慌てて解毒薬を飲んできたらしいグンナールの執事に訊ねると、彼はそうだと頷く。
「は、はい、さようでございます。あの、かなりお怒りですので、今日はおやめになったほうがよろしいかと……」
「……」
男の言葉に、アダルギーシアは不満を顔に浮かべる。
「こんなときに……なぜそんなに怒っておいでなの……? グンナール様に何か問題が?」
「そ、れは……」
苛立ちながら訊ねると、男は平静を装いながらも一瞬瞳に恐れをよぎらせた。そのわずかな動揺が自分に対する不安だと直感し、アダルギーシアは怪訝に目を細める。
そして察する。
おそらく……今書斎の中で交わされている話は、自分が聞けば怒るような話なのだ。
それを敏感にさとったアダルギーシアは、執事ににっこり微笑みかける。
「ごまかそうとするなんて、生意気ね」
その暗い表情に彼がギクリとした瞬間、彼女の身体からは猛毒の煙が噴き出していた。それを間近で吸ってしまった男は、うっと喉を絞めあげられたような声をもらしてその場に崩れ落ちた。床の上で気を失った男は、先んじて飲んでいた解毒薬のおかげで息はあるようだが……瞳を閉じたままピクリとも身動きしない。
そんな男に、アダルギーシアはフンと鼻を鳴らす。
「しばらく眠ってなさい」
この暴挙には、彼女についてきていた付き人らも慌てているが、アダルギーシアに冷酷な目で睨まれた者たちは沈黙。せめてと令嬢の毒にあたった執事を介抱している彼らをおいて、アダルギーシアは気配を消して、目の前の前室へ滑り込む。
すると、途端に誰かの怒声。
『──グンナール! 今すぐ! あの娘に与えたウロコの血紋を解け!』
扉越しのゲレオンの怒声を耳にしたアダルギーシアは、一瞬意味が分からずその場で立ち尽くした。
あまりに不可解な言葉を聞いたような気がして、とっさには理解ができない。
それは、彼女からするとありえない事態を示唆していた。
(……血、紋……? 今……血紋と言った……?)
もちろん生粋の竜人族であるアダルギーシアは、それが何を意味しているのかを承知している。
彼女はそれをグンナールが自分に与えてくれるのを、ずっとずっと心待ちにしているのである。
(……え……何……いったい……誰の……)
幸いといっていいのか……どうやら書斎の中はゲレオンの放つ激しい怒気に満たされていて、誰も彼女の気配に気がついた様子はない。
息を殺して静かに扉に近づき戸板に耳をつけると、かすかに息を吐く気配がした。
それが愛しい男の息づかいだと分かったアダルギーシアは、扉の前で胸を震わせる、が……。
次の瞬間、その声はきっぱりと告げた。
『嫌です。わたしは絶対に彼女への求愛を取り下げたりはしません』




