エミリアの偏愛
ヨシュアの息を呑む音が聞こえた。
拳の衝撃もやってこなくて。エミリアはおそるおそる目を開ける、と……。
「うぶっ⁉」
驚きすぎて、変な声が出た……。
目の前に、ニカッと笑ったドラゴンの顔。
橙色と黒いウロコがまだらになったような肢体に黄橙色のツノ。なんだかとても人懐こそうなアンバーの大きな瞳の出現に、エミリアの口が開く。誰だ。いや……ちょ……顔近づけ過ぎなのでは、と思ったが。ドラゴン顔の正体はすぐに分かる。
「あ、俺です俺。ロコです。お嬢様、数時間ぶりですね!」
「え……ロコさん……? あ……竜人態……?」
察したエミリアは、肩に入れていた力を抜いた。
ヨシュアの腕をつかんで、ごつい手をひらひらと振っているドラゴン顔の青年はどうやらロコであった。
彼のこの顔を見たのが初めてのエミリアはびっくりしてしまったが、相手が彼と分かってホッとした。まだ出会って間もないが、ロコは一応味方である。グンナールやグネルと重なる姿を見て安堵して。が……。次の瞬間エミリアの顔がハタと怪訝に固まる。
「あら……ちょっと待ってください……ロコさん……? あなた、どうやってここに……? 学園長の許可は……」
「え? あれ? ははははは」
「……、……え?」
ロコは、とりあえず何かをごまかすように笑っている。ヘラヘラした顔を見たエミリアは、まさか無断侵入したのかと愕然。慌てて問いただそうとするが、そばで「おい! だ、誰だお前! 手を放せ!」と、ヒステリックな怒号が。
「あ、ヨシュア……」
ロコの登場で、一瞬うっかり彼のことを忘れていた。
そうであった。ロコの胡散臭い顔を怪しんでいる場合ではなかった。
ロコにがっちりと腕をつかまれているヨシュアは、そこから己の腕をひきぬこうとしているが……どうやらロコの力が強すぎて歯が立たないようだった。
びくともしない手を見て、ヨシュアの顔は、信じられぬものを見る目。
彼は人族としては結構しっかりした身体つきの青年だが、竜人態のロコと比べると、ひょろりと細い棒きれのようにすら見えるから不思議だ。
ロコのほうは、さほど必死になってヨシュアを捕まえているようすもない。どうやら相当握力があるらしい。
ロコはもがいている青年を一瞥。エミリアに問う。
「お嬢様、どうしますこいつ? グネル法で言うと、絶海の孤島とかに放り出しの刑とかですけど」
「(グネル法?)……ええと……とりあえず、解放してあげてください……」
ヨシュアは口は威勢がいいが、明らかに竜人態のロコに戸惑い彼から“早く離れたい”というようす。しかし放すよう言うと、ロコの瞳が剣呑に細くなった。
「え、でもこいつ、今お嬢様のこと殴ろうとしましたよね?」
言ってロコは、瞳を見開いてヨシュアに顔を近づけていった。
鼻と鼻がつきそうなほどの間近から、ドラゴンの瞳に瞬きもせずに凝視されたヨシュアは「ひ」と、短い悲鳴。すっかり委縮し、必死に逃げようともがいているが、ロコに腕を固くつかまれたままでそれができぬらしい。そんな青年を、ロコは高い上背を利用して上から見下ろす。
「男のくせにちびっ子を殴ろうとするようなヤツ、俺は許せないなぁ」
「……(……もしかして……“ちびっ子”て、わたしのことかしら……)」
エミリアが、当然彼女以外該当者などいないであろうロコの発言にひっかかっている間も、ロコはヨシュアに覆いかぶさるように威圧。
口調は相変わらずだし、口の端は持ち上がっているが……その目はカケラも笑っておらず、まるで魔力を放っているかのように強烈。
これにはいくら偉そうでも、所詮は商家のお坊ちゃまに過ぎないヨシュアでは叶わないのは明らかで。彼はすっかり怯み圧されて。床の上に縮んでいくように座り込んでしまった。
視線を動かすと、床の上でわざとらしく泣いていたミンディも、弟を威圧するロコを見てすっかりうろたえている。
さきほど彼らを『トカゲ人間』などと言って侮っていた彼女たちも、まさかここにその『トカゲ人間』が現れるなんてことは想像もしていなかったのだろう。ミンディは、ちょっと気の毒になるくらい青ざめていた。
「……ロコさん、もうそれくらいに」
「ええ……? でもグネル法が……」
「絶海の孤島は結構です!」
エミリアは、逃げるように去ってくハウン家姉弟を見送ることもなく、すぐに外に出た。
少し離れた場所にある出入口から外にまわってみると、あたりはもうすでに薄暗い。茂みの下などは真っ暗で。エミリアはあわあわとペンダントとグンナールのウロコを探した。
「どこ……⁉ どこなの⁉」
必死に低木に頭を突っ込む目は涙目。
背後についてきているロコのこともすでに頭にないようで、彼に協力を乞うことも忘れている。
暗がりでちょこまかと動き回る後ろ姿を眺めながら、ロコはやれやれと肩をすくめる。
……先ほどは、実に危ないところであった。
もしあそこでロコが止めなければ、エミリアを殴ろうとした男は間違いなく彼女の中に潜むグンナールの血紋竜に反撃されていただろう。
そうなれば、丸腰の青年は流血するくらいでは済まなかった。
血紋竜には、彼女に対するグンナールの情の深さが影響している。その執拗さを身をもって経験済みのロコは、あれは人族ではひとたまりもなかっただろうとため息。
(まったく、無知な野郎が危ないことしやがる……)
グネルが彼をエミリアに付き添わせた理由の一つは、こういった事態にも備えてのこと。
学生という立場のエミリアが、本人が知らぬうちに大きな力を備えてしまったことは、学園生活では悪影響及ぼす可能性があった。
もし、自分でも意図せぬうちに他の生徒を傷つけるようなことがあれば、きっと彼女は大きなショックを受けてしまうだろう。
本当ならば、エミリア本人に血紋竜のことを知らせ、注意をうながすべきなのだが……。
現状、その危険性を知る竜人族勢はそれを控えていた。
グンナールはゲレオンに連れていかれたし、グネルはエミリアと息子の仲が家族以上に深まることには慎重な立場で、ゲレオンに至っては大反対中。
誰も、エミリアにその制御を教えてやれる者がいないのである。
(……ま、俺は命令に従うだけだけどさ……)
彼の視線の先には、学園の建物沿いに並んだ茂みの一つに頭を突っ込んでいるエミリア。低木の下にたまっていたらしい枯れ葉やら枝やらを両手で必死にかき出している姿を見て、ロコは内心うへぇ……と、思った。
おそらくあそこには、ゴミやら虫やらその死骸やら……さまざまなものがあるはず。
それなのに、そんなことはお構いなしで手を突っ込み、頭を突っ込み、そのたびに「ないっ!」と、嘆き悲しんでいる姿を見ると……どうにも胸が痛むのである。
(……やべ……可哀想になって来た……)
ロコは、両手でドラゴン顔を覆って苦悩。
実は……例のウロコとペンダントはすでにロコの手中。
許可なくしては学園には入ってこられないはず、と、いうエミリアの予想に反し、隠密行動が得意な彼はずっとエミリアの傍に潜んでいた。
別に無断侵入したわけではない。とうに許可は得ているのである。
しかし、なぜ彼がエミリアから隠れるような真似をしているかというと、そこには彼に与えられた二重の命令が関わっていた。
『あの娘から、グンナールのウロコをとりあげてこい!』
──と、感情的に彼に命じたのはゲレオン。
しかし先出のとおり、そんな命を帯びた彼に、その妹はまったく別の命令を下したわけだ。
『……エミリアに何かあったら火山口に沈める』
……どちらかというと後者のほうの命令が怖いわけだが……大まかに言えばどちらもロコの主。
どうしたものかと困っているところに、今回のいざこざに遭遇した。
ミンディが投げたペンダントに例のウロコが入っているのはもちろんすぐに分かって、ロコは正直これはしめたと、思った。
しかし……。
エミリアが悲壮な顔で茂みに何度も頭を突っ込んでは、メソメソしながら地面まで掘り返しているのを見て、ロコは、ああ……と、ドラゴン顔をすぼめる。なんだかとても、見ていられないのである。
(いくらあの性悪娘の投てき力が強くても、土ん中には埋まんないでしょうよ……)
これは本当にどうしたものか。ロコはとてもとても困った。
この娘が探すものが、すでに自分の懐にあるだけに、非常に胸が痛むのである。だが、彼はゲレオンの命令も遂行せねばならない。
(うーん……でもこのままだと俺は火山口に沈められる……)
まあ、彼には四分の一火竜の血が流れているので多分死にはしないが、熱いのはイヤだ。
ゆえに、ここはなんとかこの捜索を止めさせたいロコは、考えて……そうだ! と、己の身をまさぐった。
幸い自分にも黒いウロコはあるのである。彼はこっそり装備している革鎧の下から、特に黒いウロコを一枚はぎ、もはや号泣状態と化したエミリアの背中に声を掛ける。
「あ! ありましたよお嬢様! ペンダントとウロコです!」
「えっっっ⁉」
するとエミリアは叫ぶように反応し、瞳を大きく見開いて、速攻で彼のもとへ駆けよって来た。ビタリッと張り付くように彼女にすがりつかれたロコは、その勢いにギョッとする。
彼の手をのぞきこむ彼女は、頭には葉っぱ、顔には涙と鼻水、手には爪の中まで土汚れ。……こんな娘を騙すのは非常に胸が痛むところだが……彼女は人族。きっとウロコの見分けなどつくまいと、ロコはにこやかにエミリアにそれを手渡した。
「はい、これですよね?」
「あ、あ……! ありがとうございます!」
ペンダントを見た瞬間、確かにそれが自分のものだと確認したエミリアは、深く安堵した顔をした、が。
「よかっ……よかったありがと、う、ロコさ……、……、……、……」
「あれ?」
彼女がウロコに視線を向けた瞬間。暗がりでそれを凝視した瞬間。彼女の動きはピタリと止まる。とたん怪訝そうな表情となったエミリアに、ロコはギクリとした。
と、次の瞬間、エミリアの顔が天を仰ぐ。ギャオンと怒号のように言った。
「違いますうっ! これ、お義兄様のウロコではありませんんっ!」
「え……えぇ……?」
エミリアに断言され、ロコは仰天。思わず目を丸くする。なんと言っても、それを見分けるまでの時間が早かった。
けれどもそれは同じ黒いウロコで、形状もそう変わらないはず。それなのに、即座に『違う』と確信した娘にロコは唖然。エミリアは嘆く。
「このウロコは、お義兄様のとは匂いが違います!」
「匂い⁉」
「これはロコさんの抜けウロコか何かでは⁉ とにかく、お、お、お義兄様のではないです!」
抜け毛、みたいな意味合いなのだろう……。断言されロコがポカンとしているうちに、エミリアは彼の長い鼻先に「お返しします!」と、ウロコを乗せた。そしてペンダントだけをポケットに入れ、再び茂みのほうへ。
その迷いのない行動に、ロコは己のウロコを鼻先の乗せたまま思わず漏らす。
「……ぇえ……や、やばぁ…………」
彼は、彼女のグンナールへ向ける偏愛を思い知らされた……。




