16.我が儘な欲望と鼓動
◇◇◇
忙しい日々はあっという間で、就活に明け暮れた秋が過ぎ、世間が忙しい師走に私の就職先も無事に決まった。地元の企業だ。
就職が決まったからと言って安堵してばかりもいられない。卒業に向けて研究室の卒業研究や研究発表もあった。
一つ一つをきちんとこなし、無事に私は大学を卒業した。
大学の友人とは離ればなれになる。卒業式では沢山写真を撮って、謝恩会で騒いで、朝まで二次会、三次会へと行き、離れてしまう寂しさを隠して大学の思い出を語り合い笑い合った。
明るくなってから東京のマンションに帰り、泥のように眠った。
丸一日寝て潰して、翌日出掛ける準備をしていた。
東京のマンションも明日には引っ越して実家に戻るので、段ボールの山だ。大方荷造りは終わっていて、日用品くらいしか出していない部屋は寂しさを感じる。まあ、一年だけしか住まない予定だったので家具付きの部屋だったし、物も殆ど増やさなかった為、元々こんな部屋だったかもしれない。寂しさを感じるのはここを去るという気持ちからなのだろうなと思う。
準備が終わりマンションを出た。外は夕方の少し冷たい春の風が吹き、温かみのある色味の花弁や鮮やかな緑を揺らしている。
電車に乗り、車窓から見えるこの景色ももう見なくなるのかと思った。やたらと派手な色をした家とか、やたらと主張してくる看板とか、沢山の建物が建っている中にドンと生えている大きな木とか。
新宿で降り待ち合わせの場所まで行くと、まだ約束の五分前なのに既に立って待っている姿が見えた。
「福島!」
私の声に顔を上げ、少し照れ臭そうにする。相変わらずの恥ずかしがり屋の照れ屋だ。
今日は久し振りに福島と会う約束をしていた。夏に地元で会った以来だった。私が就活で忙しかったのと、お互いに卒業の為に慌ただしかったのとで、なかなか会えなかった。
就活中は地元に居ることが多かったけれど、それでもお互い東京にいるのに全然会えなくなるものなんだなぁと実感する。これで私が明日から地元に戻ったら、本当に会わなくなってしまうのだろう。
駅から二人並んで歩き、目的地に到着する。福島のバイト先のピザ屋だ。福島はつい先日バイトを辞めたらしい。今日は福島が就職祝いと引っ越し祝いで奢ってくれると言うので、ここが良いと私がリクエストをした。
ここは二度目だ。友人を連れて初めて来た日以来、行くことは無かった。地元に居ることが多かったのもあるけれど、何だか福島に態々会いに来ているみたいで照れ臭かった。
でも料理は美味しいし、店長さんにも寝袋を借りたり少しお世話になったので感謝の気持ちを伝えたかった。それに福島が四年間バイトしたところだから、引っ越す前に行きたいと思った。
店内に入るとまだお客さんが少ない時間で、店長さんや店員さんに親しげに話し掛けられた。促されるままに窓辺の隅の席に誘導され、テーブルには予約の札が置いてあった。どうやら福島が話を通しておいてくれていたらしい。当の福島は皆さんに色々とからかわれている様子だ。
(そうか。男女が二人で居たらデートだと思われても仕方ないのか)
福島に悪いことをしただろうか。グループ数人で来たらこんな風にからかわれることも無かっただろう。夏に地元で会った時も、あの香水の女性に彼女だと勘違いされたし。福島の性格からしたら彼女でもない女をバイト先に連れてくるとか、恥ずかしかったに違いない。
「なんか、ごめんね?」
席に座りながら謝ってみた。
「良いよ。気にすんな」
出てくる言葉はそうでも、照れてるのか耳が少し赤い。入社式を前に髪を短く整えたらしく、ばっちり見えてしまっている。何だか可愛いなと思ってしまった。
メニューを見ながら福島にお薦めを教えて貰って、季節のピザにした。近況報告をしながら話していたら直ぐに料理が運ばれてきた。菜の花とプロシュートのピザだ。春の香りと苦味に程好い塩味が美味しかった。
「引っ越したら食べられなくなるのが勿体無いな」
あまりの美味しさに地元にも店を出して欲しいと思ってしまう。
「……東京に、遊びに来たらいいだろ」
福島がポツリと言う。
その通りだ。二度とここに来られない訳ではないのだ。
「そうだね。そしたら、また福島が一緒に来てくれるの?」
「……ああ」
「恥ずかしくない?」
「……まあ、なんと言うか、顔見せの良い口実になるし」
きっとバイトを辞める時に「たまには顔を見せに来い」とか言われたのだろう。
「ふふっ。そっか。ありがとう」
私は笑顔で笑いながら言う。でもどうしてか寂しさを感じてしまうのだ。
社交辞令として言ってるんじゃないかと思ってしまう。初めくらいは本当に一緒に来てくれそうだけれど、その内仕事が忙しくなったり、連絡も少なくなって徐々に疎遠になっていくのだろう。福島に彼女が出来たら連絡も取りづらくなる。私にだって新しい彼氏が出来るかもしれない……?
そんな日がいつかくる。
いつからかそんなことをよく考えてしまっている。福島とのこの関係のことを考えてしまうんだ。
食事を終えてお店の方々にお礼を伝えて店を出た。
春の強い風が建物の間を通り抜け、どこかで咲き始めた桜の花びらが数枚道路を転がっている。始まった闇の中でも薄ピンクは浮かび上がって綺麗だけれど、入学式の前に咲いてしまう桜は三月の別れの季節の花に見えてしまうのは私だけだろうか。
お店から暫く歩いて立ち止まる。
「どうした?」
突然立ち止まった私に福島が問い掛ける。
「福島の家、新宿駅まで歩かなくてもこの近くの地下鉄から乗っても帰れるでしょ?だから新宿駅まで行かなくてもここで良いよ」
数日福島の家に居候させて貰っていた私は、普段どの路線を使っているのか、どう使い分けているのかある程度分かっていた。
福島と合コンした日も、福島は地下鉄で帰れた筈なのに私に合わせて新宿駅まで付き合ってくれた。きっと夜に女一人で歩かせるのは悪いと思ったのだろう。
優しいのだ。ちょっと不器用だけど。
「……いや、駅まで行くよ」
その言葉が聞けただけで私は十分だった。
「ううん。ここで」
福島の優しさが嬉しかった。私は試してしまった。でもそれ以上は求めてはいけない。
散々甘えて迷惑を掛けた。離れても優しい福島は私を気に掛けてくれるだろうけれど、迷惑を掛けたくは無い。もうこれで連絡もしない。会わない。次会える日を期待してしまうから寂しく思うのだ。徐々に気に掛けて貰えなくなることを実感したら喪失感から苦しくなることだろう。だからもう会わない。
福島の新しい恋の邪魔はしたくない。彼女が出来るまで……と思ったこともあった。優しい福島が私のことを思い出さなくなるまで、とも思った。でもそれは結局甘えているのだ。そして縛りつけているようでもある。縛りつけることも、福島が新しい恋を見つけるのを見てしまうのも、福島が私を忘れていくのを感じることも、どれも私は耐えられないだろう。
徐々に疎遠になっていく寂しさより、会うことはないと、今決めてしまう方が良い。
「さようなら、福島。ありがとう」
泣いてしまいそうでちゃんと顔が見られない。それでももう会えないのなら焼きつけておきたいとも思い、笑顔を作り顔を上げる。福島は驚いた様な唖然とした様な表情をしていた。
もう会わない代わりに気持ちを伝えるくらいは、最後の我が儘として許して欲しい。
「大好き。元気でね」
いつから私の中の福島が大きくなったのか、自分でもよく分からない。
小学生の頃に福島に告白された時から私の中に存在していた。私にとって初めて告白された思い出は、これからも変わらずに忘れることもなく残るんだ。
福島の中にも私という存在が小さくとも残るだろうか。残したいとも、忘れて幸せになって欲しいとも思うけれど、最後に気持ちを伝えた時点で残してやりたいという我が儘な欲望があったのかもしれない。
福島の反応を見ずに、自分勝手に言い逃げする為に駅まで走った。
私にとって人生初めての告白だったから、恥ずかしかったんだ。
◆◆◆
「元気でね」
中学の卒業式の前日、屋上に繋がる階段で宮崎が言った。あの時と同じ言葉。
俺はあの時宮崎の背中を見送った。引き留めることも無く、宮崎も振り返ることは無かった。それぞれの道を歩むものだと思い込んでいたから。
優等生の宮崎と不良の俺とでは住む世界が違うと思っていた。
小学生の頃は世の中のことなんて何も知らなかったから、俺の中で生まれた感情をそのまま宮崎に伝えた。それなりに恥ずかしさはあったけれど。あの頃は素直だった。それ以上を求めることすら知らず、自分の感情に素直だったから伝えたい衝動に駆られるまま想いを伝え、返事も聞かなかった。それで満足だった。
でも今は……今でも俺はどこかで住む世界が違うと思っているかもしれない。
宮崎の「さようなら」は悲しみが込められていた気がする。もう二度と会わないと。
じゃあ「大好き」は?
宮崎は知らない。俺がどれ程お前が好きか。
宮崎は気がつかなかった。俺がどれ程お前の側にいて欲情したか。
今あの背中を追いかけなければ、俺は一生後悔するだろう。住む世界が違う?住む世界って何なんだ?中学の時に勝手に思い込んで、そのまま縛られていただけでは無いのか?本当に住む地域が離れて二度と手に入れられなくなる。
宮崎の背中しか見えなかった。胸の高鳴りのせいか体が浮いているように軽い。宮崎は道行く人を避けながら走るから、その後ろは道が作られており走りやすくて直ぐに追いついた。
腕を捕まえて強く引き寄せた。
「行くな」
息が上がっている。恥ずかしくて顔は見せられないので、後ろから強く抱き締める。腕の中の宮崎も息が上がっていた。
「大好きって……今さら友達としてとか言っても、遅いからな」
息が上がっているのは走ったからだけじゃない気がする。この胸の激しい音が腕の中の宮崎にも伝わっているだろう。鼓動と一緒に俺の気持ちも伝わればいい。
「……私は、結局欲張りだね。福島の優しさに甘えて」
「好きな女に甘えられたら嬉しいに決まってる」
これまで付き合ってきた女に甘えられても困るばかりで、どこか冷めていて面倒だとも思ったことがある。それなのに宮崎には幾らでも甘えられたいと思うし、幾らでも頼られたいと思う。もっと甘えれば良いのに。そうすれば俺は喜びで心が満たされる。
都心の人通りの多い道で抱き締めて、気にもせずに足早に通り過ぎて行く人も居れば、興味本位でジロジロと見てくる人も居る。
多少は周りの目が気になった。だけどどうしても宮崎を離したくなかった。やっと伸ばすことが出来た手だ。小学生の頃は手を伸ばすことを知らず望まなかった。中学生の頃は手を伸ばしたところで届かないと端から諦めていた。大学生になり再会しても、俺には手を伸ばす資格が無かった。そしてこの一年は傷ついた宮崎に手を伸ばす勇気が持てなかった。
「まだ……側にいていい?」
宮崎を抱き締めている俺の手に、手を添えて聞いてくる。冷たい手だ。彼女の体は温かいのに。
その冷たい手を握る。
「側にいて欲しい。まだ、帰るな」
明日には宮崎は引っ越してしまう。今日はまだ離したくなかった。離れたくなかった。一緒に居たかった。
お互い直ぐに入社式を迎えて仕事が始まる。どのくらい忙しくなるのかも分からない。どのくらい会えるのかも分からない。友人として会えない半年も寂しかったのだ。恋人として会えない日々はどのくらい寂しいのだろうか。
春の夜の風は冷たい。走って暑くなった体を冷やしてくる。でも宮崎と分け合っている熱はまだ冷ましたくない。
宮崎の冷たい手を引いて家に帰った。
今度は部屋から連れ出し暴力から逃れる為ではなく、俺の、彼女として。
家に着く頃には繋いだ手は温かくなっていた。




