13.無資格の友人と非情の恋人
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今日はバイトが休みだから困ったことにやることも無く、宮崎のバイトが終わるまでソワソワしながら時間を潰した。
やっと試験が終わったのだから勉強をする気になんてなれないし、まだ提出期限が先の課題をやるにもこうも気がそぞろでは集中出来ない。
家に一度帰っても特にやることもない。大学の友人と少し喋っていたが、皆予定があるようで暫くすると解散した。一人大学の図書館に行って何か本でも借りようかと彷徨い歩いてみるが、真剣に本を選ぶことが出来ず、棚に並んでいる背表紙の活字を眺め見るだけで頭に入ってこない。
こんなにも浮わついた状態なのも、思わず誘ってしまった食事だろう。
宮崎とは現在一緒に暮らしていて一緒に食事も取っている。一緒に買い物に行くこともあるし、宮崎の寝顔を見てしまったこともある。それでも一緒に何処かに出掛けたことは無いのだ。二人っきりの外食は初なのだ。つまり、デートなのだ。
誘ってしまった時は気がつかなかった。バイトで疲れた宮崎に食事の支度をお願いする気になれなかった。かと言って俺は料理がイマイチだから代わりに作って腹でも壊したら一大事。だから外食を提案したのだが、後になってこれはデートでは?と思い至った。よくよく考えればテイクアウトでも良かった筈なのに、意外にも宮崎が外食を楽しみにしている様だったので今さら変更も出来ない。
嫌ではない。ただデートだと認識してしまえば男として満足させたいとか楽しませたいとか格好つけたくなり、緊張してしまうのだ。
何処の店が良いのだろう。何を食べたいだろう。幾つかジャンルごとに店をピックアップしておこうかと、図書館の閲覧席に座りながらスマホで探した。何も本が手元に無いのに閲覧席を使うのが申し訳なくて、雑誌コーナーで適当に手に取って持ってきていた。良く見ればグルメ関係の本だった。
(……気合い入りまくりなヤツみたいだな)
自虐をしながらも本当にそうなのだから受け入れるしかない。閲覧席でスマホの充電をしながら、宮崎のバイトが終わる時間までずっと店の検索をしまくっていた。
少し早いかなと思いながらも浮き立つままに図書館を後にし、待ち合わせをしている宮崎のバイト先近くの駅にいた。店が見えるくらい近いが、さすがに中までは覗けない。
何処から出てくるのだろうかと店の入り口を見る。出入りするのは客らしき人ばかり。もしかしたら建物の反対側に裏口があってそこから出入りしているのかもしれない。
今日は雪でも降りそうなくらい寒く、夜が始まった空もどんよりとした雲が広がっていた。天気予報では雪予報では無かった。雨予報でも無かった。確か曇り予報だった。こんな日は鍋料理が良いかもしれない等と考えながら宮崎が来るのを待っていた。
けれど、バイトが終わる六時を過ぎても来ない。
少し今後のシフトについて話し合っているかもしれないと思いながら、駅に出入りする人が横を通り過ぎていくのを宮崎じゃないだろうかとチェックしていた。
寒い中ただ突っ立っているだけなので体が冷えていき、スマホを何度目かの時刻確認で見た時、六時半を過ぎていた。
宮崎は今スマホを持っていないので、連絡の取り合いが出来ない。急に体調が悪くなって帰った可能性もある。そう思い至ってバイト先に確認してみるべきだろうと、店に行ってみることにした。
入り口のガラス扉から中を覗くが、店員と客が数名居るが宮崎らしき人は居ない。迷惑だったら申し訳ないなと思いながらも心配なので店内に入った。そしてエプロンを着けている店員に声を掛けた。
「あの、バイトの宮崎はいますか?宮崎の友人なんですけど」
「宮崎さんですか?もう帰りましたよ」
「帰った……?」
気がつかずにすれ違ってしまったのだろうか。急に不安になる。何処かで俺のことを探していたら大変だ。今日は特に寒いのだから。
「帰ったのはいつ頃ですか?」
「一時間前です」
「一時間前!?」
結構前だ。早く上がることになってしまったのか?それとも俺が終わる時間を勘違いしていた?もしくはやっぱり体調不良か?
「体調が悪くなったとかですか?」
「ちょっと疲れた様子だったんですけど、ちょうど彼氏さんがお店にいらっしゃって、一緒に帰られました」
え────……
急に目の前が真っ白になる感覚がした。
彼氏……?
一緒に、帰った……?
帰るって、どこに?まさか俺の家に帰ったなんてことは無いだろう。彼氏と同棲していた部屋に戻ったということか?
宮崎の意思で帰る筈は無いだろう。それなら帰ったのでは無く連れていかれたのでは無いだろうか。
もしくはちゃんと話をつける為に付いていった?確かに連れ出した頃に比べたらかなり回復している様子ではあるが、いつか消える痣とは違い植え付けられた恐怖はそう簡単に克服出来るものでは無いと思う。
夜中、扉の向こうで寝ている宮崎の魘される声を何度か聞いたことがある。叶うのなら抱き締めてやりたいと何度も思ったが、扉を開けて部屋に入ることは出来なかった。俺にはその資格は無く、嫌われるのも、俺を怖がって家を出ていってしまうのも避けたかった。
「ありがとうございますっ」
教えてくれた店員にお礼を伝えて直ぐに店を出た。俺は駅までの道を周りの目を気にすること無く走り出していた。
◇◇◇
同棲を初めてから何度も通ったバイト先からマンションまでの道を、今どこを歩いているのか分からなくなる程緊張した状態で歩いていた。
自分の意思では歩いていない。体が覚えている道を足が勝手に動いている様だった。
逃れることは出来ない。強く肩を抱かれ、離れることは許されないのだと直接言われた訳では無いのに悟ってしまう。無言の圧を隣の先輩から感じる。
道行く人には寒い中体を寄せ合っている恋人に見えることだろう。
そして私がこんなにも恐怖を押し殺しているなんて思いもしないだろう。
助けて、なんて言えたら良いのに、言えないのは何故何だろう。バイト先で叫べば良かったのに、声に出すことが出来なかった。どうしてなんだろう。「優しい彼氏さんですね」「素敵な方ですね」なんて、先輩の優しげな笑顔に皆が好印象を持ち、バイトを早々に上がらせられてしまった。
先輩に肩を掴まれれば、首裏を掴まれた猫の様に大人しく従うだけだ。マンションに一生着かなければ良いのにと思う程、近づくにつれ怖くなってくる。最寄駅からマンションまでの道は、数歩前の地面を見つめている視界がぐらぐらとする程に頭が恐怖で支配されていた。
マンションを選ぶ時、駅近が良いなんてどうして思ったのだろう。この道が一生辿り着かない迷路にでも変わってくれたら良いのにと、自分で逃げられないからあり得ない方法を願ってしまっていた。
無情にももうマンションに着いてしまった。
私、この後どうなる?考えるのが怖い。そして体が震え出す。
「こんばんは」
マンションのエントランスで誰かに声を掛けられた。でも顔を上げられない。どうしたら良いのか分からず、判断力が無くなっていた。
「こんばんは」
先輩が応対してくれた。
「お二人揃ってのお帰り?」
「はい。そちらも今帰りですか?」
「ええ。今日は一段と寒いわね」
この声はお隣さんだろう。会話に入ることも顔を上げることすらも出来ない。何故出来ないのだろう。言ってはいけない、黙っていなくてはいけないと、そんな強迫観念にかられているようだ。
お隣さんなので一緒にエレベーターに乗り込み、同じ階で降りる。他愛もない会話をお隣さんと先輩がしているのを震えながら聞いた。
もう部屋は目の前だ。あそこに着いたらどうなるのだろうか。もう逃げられない。数週間前の自分に戻ることになる。戻るだけならマシかもしれない。逃げた私を先輩が許さなかったら、あれ以上に酷いことにならないだろうか。
怖い。
今、ここで、逃げられない?
逃げてもいいの?
また追い掛けて来て捕まるかもしれない。
怖い。
お隣さんに助けを求められない?
お隣さんに迷惑が掛からないだろうか。
でも、お隣さんから話が大きくなっていって……大事になったらどうなってしまうか想像がつかない。誰にどう迷惑が掛かってしまうか私では考えが及ばない。
「顔色が悪いようだけど、大丈夫?」
ハッと気がつくとお隣さんが私の顔を覗いていた。
「ああ、ちょっと体調が悪いみたいで」
「……あら、そう。今日は寒いものね。気をつけて」
「お気遣いありがとうございます」
何も言えない私の代わりに先輩が全部答えてしまう。きっと私に喋らせない為なのかもしれない。
もう部屋の前まで来ていた。もう鍵を開けて入るだけだ。
「それじゃあ失礼します」
先輩が挨拶をして鍵を開けると、促されるままに部屋に入った。
数週間振りの部屋は、思わず目を見開いてしまう程に荒れていた。ガチャッと後ろで扉がしまった後に鍵を掛ける音が聞こえた。
「宮」
ビクッと肩が上がり体が冷えていくのを感じた。私の目の前に先輩が立つ。顔が見られない。ただ震えているだけの私の首をガッと片手で掴み、勢いのままシューズクローゼットに体を押しつけられバンッと大きな音がした。そしてその衝撃で置時計が玄関タイルの上にガシャンと落ちた。
「どうして逃げたの?」
首を掴む手に力がこもり、苦しくて仕方がない。また痣が出来てしまう。やっと……福島が買って来てくれた湿布を毎日貼って治ってきていたのに。
「どこにいたの?」
更に手に力が込められ息が出来ず、必死に私の首を掴んでいる先輩の手に縋る。
「誰かに話したの?」
訳の分からない涙が頬を伝い、固定されてしまっている首から上を左右に振った。
私が首を振ったことで誰かに話したことを否定したと思ったのか、私の首を掴んでいる手を離した。
やっと入ってきた酸素を必死に取り入れようと小刻みな呼吸を繰り返し、力が入らずその場に座り込んだ。思わず掴まれた首に手を当てるが、もう掴んでいる手が無い筈なのにまだ掴まれ絞められているような感覚がした。
「また話は後で聞こう。取り敢えず、部屋の片付けしてよ」
涙が滲む目で廊下を見る。先程も荒れていると思ったが、あちこちにチラシがグシャグシャになって放置されていた。ポストに入っていたチラシを怒りのままに投げ散らかしていたのだろうか。毎日、私が逃げたまま戻ってきていないのを帰宅する度に思い知り、怒りが込み上げてきて……?
私はあのチラシの様になるのだろうか。とても外出できないような見た目になって。
先輩に背を押されるまま部屋に上がり、リビングに入る。そこはもっと酷かった。いろいろな小物が床に転がって、キッチンにはガラスや陶器が割れた破片も散らばっていた。
怒り狂って暴れた跡ではないだろうか。
これの片付け?
私はもう彼女じゃなく、家政婦なのかもしれない。
数十分掛けて部屋の片付けをした。
先輩と揃いで買った食器も割られ、先輩と旅行に行った時に撮った写真が飾られた写真立ても壊され、先輩からプレゼントで貰ったプリザーブドフラワーもグシャグシャになっていた。
置きっぱなしにしていた私の洋服も幾つか破られていた。よく着ていた服だ。先輩が覚えていた服だから私への憎しみで破ったのだろうか。
それらを見せつける為に私に片付けをさせているのだろうか。私のせいでこうなったのだと言わんばかりに。
愛はもう消えているのだと感じた。
それは先輩だけでなく、私も。
「終わったの?」
急に話し掛けられビクッとする。
片付けは分別が終わっただけで、脱ぎ捨てられ放置されていた洗濯物の洗濯はまだだし、どう処分したら良いか分からないごみも幾つかある。そして掃除も途中だ。リビングは大まかに終えたけれど、それ以外はまだだ。
終わってないと言って良いのだろうか。遅いと怒られる?でも終わったら尋問が始まることだろう。
怖くて返事が出来ないでいた。それが気に入らなかったのか、腕を引っ張られ寝室に連れていかれた。そしてベッドに押し倒される。
「それで、どこにいたの?」
私の上になり、見下ろされる。
この目だ。この目を見ると私は動けなくなる。
「話せないの?バイトではちゃんと声出てたよね?」
喉はカラカラだ。ずっと水分を取ってないし、さっき首を掴まれたので張り付くような痛みもある。唾液すら出てこない。口を少し開くけれど声は出ない。
尋問に答えないからか思いっきり頬を叩かれた。
「俺を無視するの?」
もう声なんて出る気がしない。きっと正直に答えたところで気に入らずに叩かれるだろう。
ただ震えている私の頬をまた叩く。
「知ってるんだぞ。男の所にいたんだろ?」
知ってる……?私が福島のところに居たと、想像では無く、確信を持っている……?
「宮が居なくなった日、インターフォンの録画記録を見た。若くイケメンな男の姿が写っていた。そいつの所にいたんだろ?」
録画、記録……?
福島が写っていた?
セキュリティの高いマンションに住んでいることが、こんなにも恨めしく思うことも無いだろう。
ああ……消せば良かった。
録画記録にまで気が回らなかった。
あの時は、冷静な判断なんて無理だった。深く考えることが出来なくなっていたから。
否定も肯定もしない私に苛立ったのか、私の首に噛み付く。
「いたっ!」
思わず痛みに反応して声が出た。
「声、出るじゃないか」
噛み付かれたところがズキズキとする。顔が歪むのが分かった。
「痛い方が良いってことか」
そう言うと私が履いているデニムに手を掛け、抵抗する私に構わず無理矢理脱がせた。
怖い目のまま私を見て笑う。
「その男に抱かれたのか?」
首を振って否定するけど、先輩の動きが止まる様子は無い。
私を犯そうとしているんだ。恋人なら愛を伝え合い確かめ合う行為かもしれないが、同意が無いこの行為はレイプでしかない。
愛が無いことを思い知る。先輩は私を性欲処理の人形で、都合の良い家政婦にしか思っていない。
股を無理矢理開かれ涙が流れた時、部屋にインターフォンの音が鳴った。




