第八話
皇太子の執務室。
「………………」
一心不乱に羽ペンを走らせる美貌の皇太子。
「アルフレッド様……あまり根を詰めては……」
シルヴァンが心配そうに、アルフレッドへと声を掛ける。
「良いんだ。
公務をしている方が気が紛れる。」
だが、アルフレッドは書類から目を上げることなく答えた。
「…………先ほどから、同じ書類で一向に進んでおりませんが……」
「………………っ」
困ったように微笑むシルヴァンの指摘に、アルフレッドの肩が揺れた。
「我が主君は、白い霧の中を彷徨う美しき狩人のごとく!
ああ……!
光の女神が与え給うた美しき試練なので……」
「シルヴァン……少し、静かにしてくれないか?」
普段の穏やかなアルフレッドらしからぬ物言い。
己の口から飛び出したとは思えぬ言葉に、アルフレッドは微かに目を見開く。
「……すまない、シルヴァン。
私は少し疲れているようだ……」
カーマインを相手に回廊で魔力を暴走させてしまったことも……そうだ。
変わらないはずの日常が変化し、アルフレッドは戸惑っているのだ。
数日置きに見ていた……真っ直ぐな少女の紫水晶の瞳。
美しい紫がかった黒髪を靡かせ。
自信満々に微笑む……アルフレッドの諦めを知らぬ唯一無二の相手。
「(……彼女が私の前から姿を消して……数ヶ月。)」
何故……アルフレッドに、旅立つことを相談してくれなかったのか?
何故、アルフレッドに告げることなく旅立ったのか?
何故、婚約者のアルフレッドには届かない手紙が、カーマインには届くのか?
「………………っ」
数多の"何故"が振り積もる雪のように、積み重なるのに……答えが分からない。
「……ヴェノム侯爵令嬢のことですか?」
「……何故だろうな。
何故、ヴァイオレットは私に何も告げることなく、旅立ったのか?」
彼女はずっと……アルフレッドだけを見つめ、諦めることなく挑戦を続けていたと言うのに。
ヴァイオレットが追い求める唯一は……アルフレッドのはずなのに。
「彼女の目的は、私を倒すことでは無かったのか……?」
「……おやおや……まさかとは、思っていましたが……」
数多の令嬢達に言い寄られ、笑顔で交わす完璧な光の皇太子。
誰に対しても公平に振り注ぐ太陽のごとく。
……意識的に婚約者すらも、公平に扱っているのかと思ったら……。
……どうやら、とんだ勘違いだったようだ。
「シルヴァン?」
不思議そうにシルヴァンを呼ぶアルフレッド。
「……それもまた……美しい……!
完璧な美とは対極!
敢えて完成させない、欠けているからこその美しさ!
欠けているからこそ、人はそこに美を見出すのです……!」
「……今日は、絶好調だね」
今にも踊り出しそうなシルヴァンに、アルフレッドはため息をつく。
「絶好調……言い得て妙!
我が麗しの主君の無自覚な恋心を見守ることに致しましたから!
あゝ……!恋に惑う完璧な美貌の何と美しきことか……!」
「…………は?」
……誰が……誰に?
普段の穏やかな表情が消え去り、まさに虚を突かれた顔。
「ふふ!
誠に恋とは不思議なものだと思いませんか?
気が付けば落ちている!
追い掛けられている内は気が付かない。
しかし!
追い掛けてもらえない、失って初めて気が付く恋心!」
シルヴァンは、華麗なるポーズをやめてアルフレッドを真っ直ぐに見て微笑む。
「我が君、光の皇太子アルフレッド様。
貴方様の恋心は、まさにその典型でございます。」
「…………」
シルヴァンの言葉に固まる。
「……恋……?」
恋……?
アルフレッドが……ヴァイオレットに、恋をしている?
「恋しい女性の視線が他の男に移ってしまう。
恋しい女性が、他の男に微笑み掛ける。
恋しい女性を、他の男が見詰める。」
シルヴァンは、畳み掛けるように言葉を続ける。
「己を見て欲しい。
己の側にいて欲しい。
他の男を見ないで欲しい。」
「…………っ!」
シルヴァンが語れば語るほどに、赤く染まっていくアルフレッドの美貌。
「己の唯一無二の存在。
己だけの愛しいヴァイオレット・フォン・ヴェノム嬢!」
「っ……シル、ヴァン……もういいっ……!」
片手で口元を覆い、赤く染まった顔を隠そうとする。
だが、耳や首筋まで赤く染まり、全くもって隠しきれていない。
「……わた、しは……彼女が、好きなのか?」
カーマインの言葉が蘇る。
とっくの昔に……アルフレッドの心は、全ての者たちに平等などではなかった。
「…………っ……」
恋心を自覚したアルフレッド。
「(……最も……此処からの挽回が困難を極めるでしょうね。)」
赤く染まったアルフレッドを見て、シルヴァンは冷静に考える。
散々……アルフレッドは、無意識の公平さのもとにヴァイオレットを蔑ろにしたのだ。
エスコートもせず。
婚約者同士の会話も皆無。
シルヴァンとしては、ヴァイオレットは王妃の役割を担うだけの存在と割り切っているのだとすら思っていた。
「……壁が高いほどに恋心とは燃え上がるとは、言いますが……」
ポツリと呟く。
果たして……ヴァイオレットは、アルフレッドのことを、どのように思っているのか?
……恋の大嵐の予感がします。
アルフレッドの恋路の険しさを予測し、シルヴァンは苦笑してしまうのだった。
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