第二十九話
砂漠に住む蠍が敵を仕留めるが如く繰り出されたスコルピオスの短剣。
シャンデリアの明かりに反射して鋭く光る白銀に、周囲の貴族たちから悲鳴が漏れた。
「あ゛……こっのような場所で剣を抜くなど……!?」
首筋に短剣を添えられたジャンドラ大臣は恐怖に体を震わせ、側にいたシルフィーは小さな悲鳴と共に身体を竦ませた。
「剣を抜くだけの理由を与えたのは、貴様らだろう?」
冷徹無比な冷たい微笑を称えた美貌のスコルピオスの瞳がジャンドラ大臣を射抜く。
「我が名の下となっている"蠍"を砕くとは、友好とやらが聞いて呆れる。
その砕かれた蠍の髪飾りとやらと同じように、私への暗殺でも企て近付いたということ、か」
「しょっしょんなっ、滅相もないっ……!」
スコルピオスから立ち上る凄まじい殺気にジャンドラ大臣は青を通り越して、顔色を紙のように白くした。
「この国を切り分けるパイだと揶揄した人物の口から友好という言葉が飛び出るのは不思議ですね。」
「奪える国土は奪っておくに限る。
最も、今一番欲しているのは砂漠の乙女だがな」
「巫山戯たことを。
ヴァイオレットは物では無い。
意志のある誰よりも美しい女性であり、私の婚約者だ」
「意思があるからこそ、白い結婚を望んでいるようだが?
ならばこそ、愛する女の意思を優先して貴殿との婚約から解放してやってはどうだ?」
「断る。
彼女の心を射止めようと足掻いている最中だ。
貴殿こそ、ヴァイオレットを諦め、蠍らしく砂に埋もれてはどうだろうか?」
「有り得んな。
砂漠生れの男は、強く美しい女を好む。
……ヴィーほど生命力に溢れ、気高く強く美しい女を見たことがない。
貴殿の方こそ、光云々と言われる皇太子らしく城の天辺で、一人寂しく輝いていればいい。」
「ヴァイオレットへの称賛の言葉は賛同する。
彼女ほど美しく気高い女性は……」
「皇太子っ、殿下……たすけっ……!」
首元に短剣を添えられたままのジャンドラ大臣を挟んで口論するアルフレッドとスコルピオス。
二人の間に挟まれ、無視されたジャンドラ大臣は、短剣がいつ何時己の首を掻き切るかと気が気ではなかった。
「……ああ、貴方ですか。
何故、貴殿が私に助けを求めるのですか?」
心底わからない、といった表情のアルフレッド。
そして、いつの間にか壁際に退避したハロルドが、指先に黒い蜂をとまらせて嗤った。
「へ……」
「お前は、私の敵でしょう。
私が勇気を出して、初めて贈った愛する婚約者への贈り物を台無しにした相手を助ける義理はない。
……彼が殺らなければ、私がお前たち一族郎党を極刑に処すつもりですが?」
「な゛っ……」
「そっんな……嘘ですわ、皇太子殿下……」
肥溜めに落ちた石ころを見るよりも冷え切ったアルフレッドの眼差し。
スコルピオスに相対できる自分たちの味方だと思ったアルフレッドの言葉に、ジャンドラ大臣とシルフィーは絶望する。
「ど、うして……どうして、ですかっ……!
いつもの光の皇太子殿下らしく有りません!
……もしかして……あの、穢らわしい乞食女にたぶらか、しゃれ……かはっ……?」
必死の形相で叫んでいたシルフィーの声が不自然に途切れる。
「シッ、シルフィーっっ?!」
「ガハッ、げェ゙……ッ……ッッ……?!」
喉元を掻き毟り、尋常では無い様子で苦しむシルフィー。
「「っ?!」」
突然の事態に驚愕し、アルフレッドとスコルピオスは飛び退き、シルフィーから距離を取る。
「あ゙、ぅ……っ……」
「ひっ?!」
ふらふら……と父親のジャンドラ大臣に手を伸ばし、その震える指先は届くこと無く、白目を剥いて泡を吹いて倒れた。
――キャアァァァァァァッッ!!!
舞踏会の会場は阿鼻叫喚のドツボとなった。
「……なに、が……」
「おい、光の皇太子。
サンライト王国の歓迎とやらは過激だな」
「そんな訳がないでしょうっ……!」
ピクピクと痙攣するシルフィーを前に、アルフレッドとスコルピオスは動揺を隠せない。
「……おやおや」
発生した惨事に周囲の貴族たちが悲鳴を上げ、我先にと舞踏会の会場より逃げる人波に逆らい現れた男。
「……いけませんね……」
細い弧月のように目を細め、両方の口角を吊り上げたハロルド。
「見たところ、彼女はまだ息がある。
……早く医務室に運べば、助かるかもしれませんよ?」
「いっ、いむしつ……!」
場違いな笑みを浮かべた冷静な声音。
「ああ……でも……」
天啓を得たとばかりにシルフィーを抱き上げたジャンドラ大臣に向かって、ハロルドが首を傾げる。
「御存知ですか?
古い物には魂が宿るそうですね。
……御息女が砕いた蠍の髪飾り…………とても古い物のように見えましたが……?」
曰く付きの物では無いと良いですね?と微笑んだハロルドに、ジャンドラ大臣だけではなく、アルフレッドとスコルピオスの背中にも寒気が走る。
「ひっ、ひ……ひいぃぃぃぃぃぃっっ……!!!」
青を通り越し、どす黒い顔色になったジャンドラ大臣が、転がるようにシルフィーを抱えて走って行く。
「おやおや……倒れたご令嬢は、食あたりですかねえ?
僕には縁が有りませんけれど、今の季節に出回る高級な二枚貝の中には、食あたりを起こしやすい物があるらしいですよ?」
ニコニコと無害そうな笑みを浮かべるハロルドに、アルフレッドとスコルピオスの頬が引き攣る。
「あ、の……ジェノム侯爵子息、いったい何を……?」
「んん?
何のことですか、皇太子殿下?
ああ、二枚貝のことですか?
あはは!
お恥ずかしい話なのですが、貧乏な僕には高級な食材なんて縁遠くてよく知らないんです……!」
「い、や……二枚貝のことでは……」
「…………砂漠の乙女の兄は、鋭い牙を隠して擬態することが得意らしいな」
はっきりと切り込めないアルフレッドに変わり、スコルピオスがハロルドに問い掛けた。
「はて……?
何のお話ですか?
牙というものは分かりませんが……剣や魔術を振るうだけが、勝つための方法では無いとは思っています」
ニッコリと笑顔だけを残して、アルフレッドとスコルピオスに背を向けるハロルド。
「……恐ろしい男だな。」
「…………」
「ふむ……妹の夫として取り込むのも有り、か?」
「……それ以前に、ヴァイオレットとの婚姻を彼に認めて貰うことの方が……困難を極めるでしょうね」
「…………確かにな」
ヴァイオレットを妻にと望む二人の男は、暫し未来の犠牲になるかもしれないハロルドの底しれない恐ろしさに遠い目をしてしまうのだった。
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