第十九話
「ヴァイオレット……その背中の傷は……?!」
白い背中に斜めに走る、引き攣れた大きな刀傷の跡。
「ああ、オリースト帝国でちょっぴり失敗しただけですわ」
何の問題も無いと笑うヴァイオレットへ、アルフレッドはすぐに言葉を返すことが出来なかった。
「っ…………ヴァイオレット、すぐに違うドレスを準備させ……」
「必要有りません。
それに、時間的にも間に合いませんわ」
「だが……!」
ヴァイオレットは知らないのだろうか?
この国において、淑女の傷跡は恥とされる。
どんな立派な淑女でも、それを理由に婚約破棄や離縁されてしまうことだって有るのだ。
「家族にも言いましたが、普段から悪口を言われることには慣れきっておりますので。
所詮は、傷跡という悪口の種類が一つ増えるだけですわ。
それに、この部屋に来るまでの道中で、既に背中を見せて歩いておりますもの。
ご立派な紳士淑女の皆様方の度肝を抜いてやりましたわ!」
悪口など笑って吹き飛ばしてやると胸を張るヴァイオレット。
「最も、父も一度は傷跡を理由に婚約破棄を申し出ていたのでしょう?
何でしたら、今この場で婚約破棄して下っても構いませんわ!」
婚約破棄破棄してくれるのか、と瞳を輝かせるヴァイオレットに、アルフレッドは泣きそうに顔を歪める。
「しない。
死んでも婚約破棄なんてしたくない。」
「もの凄く残念でしてよ!」
泣きそうに歪んだアルフレッドの顔に、ヴァイオレット少しだけ不服そうな顔をした。
「……私は…………私が、側に……!」
アルフレッドが側にいたならば。
怪我をさせないように守れたかもしれない。
危険から遠ざけることも出来たかもしれない。
「(……私は……ヴァイオレットを守ることも……いや、せめて怪我をした瞬間に駆け付けることが出来たなら……)」
怪我をしたとしても、傷跡も残さずに回復魔法を掛けることが出来た。
アルフレッドが側にいたならば……!
「もしも、回復魔法で傷跡を残さずに済んだと考えているならば、結末は変わらなかった可能性の方が高いですわ!」
「え……」
「私、回復魔法を含め、魔法が効きにくい体質ですもの!」
「っ……それ、は……」
アルフレッドは、初めて知った事実に目を見開く。
魔法が効きにくい。
何のことはないようにヴァイオレットは言う。
だが、それは……!
「(……回復魔法が治療の主流なのに……その、回復魔法が効かない……っ?!)」
そんな危険なリスクを背負って、ヴァイオレットは旅をしていたのか?!
「危険と分かっていながら……オリースト帝国の皇子を庇ったのか……?」
「いいえ、身体が勝手に動きましたの!
それに、オリースト帝国の皇子だから庇ったのではありません!
私は、怪我をしそうな人がいたから助けただけですわ!」
「………………」
何も言えなくなる。
目の前に傷付きそうな人がいたから助けた。
それは……光の皇太子と呼ばれたアルフレッドがして来たことと同じこと。
アルフレッドが助けようとした存在が顔も知らない不特定多数ならば、ヴァイオレットは目の前の人を助けた。
「…………ヴァイオレット……」
何故、ヴァイオレットが傷付かねばならない?
何故、ヴァイオレットが助けねばならない?
他の誰が犠牲になっても…………っ?!
「(っ……私、は……今、他の誰を犠牲にしても……ヴァイオレットに、死なないで欲しいと……)」
アルフレッドは、自身の思考の変化に愕然とする。
…………いや、変化ではない。
もともと……アルフレッドにとって、ヴァイオレットだけは特別だった。
それこそ、七年前の初めて出会った……その日から、特別だったのだ。
「それよりも、さっさと参りましょう。」
思考の海に沈んだアルフレッドの意識を引っ張り戻すヴァイオレットの声。
「だが……」
本当に、このまま悪意の塊のような貴族どもの前に……アルフレッドの大切な人の肌を晒す必要が有るのだろうか?
「……いつものいけ好かない笑顔も浮かべず、体調でも悪いのですか?」
歯切れの悪いアルフレッドに、ヴァイオレットは眉を寄せる。
何を思い悩んでいるのか、ヴァイオレットには全く分からない。
「……ぶっちゃけますが、私の背中の傷跡に対して罵った方々は青褪めると思いますわ!」
「何を…………」
ニヤリと笑うヴァイオレット。
その理由を考え、アルフレッドも思考を巡らせば、一つの結論に達する。
「……ヴァイオレット。
婚約者の立場の私からすれば、あまり嬉しい話題では無いよ。」
ヴァイオレットの言いたいことが分かりはしたが……正直に言えば、もの凄く嫌だ。
だが……これも自業自得だと、全く歓迎できない話題を振られる覚悟をした。
「ふふ! 文化の違いってビックリですわね!」
「……そうだね」
小さくため息を付くアルフレッド。
「………………」
「ヴァイオレット?」
そんなアルフレッドを不思議そうに、ヴァイオレットは見詰める。
「……旅より戻ってから……皇太子殿下は、私の大嫌いないけ好かない笑顔をあまり浮かべなくなりましたわね。」
「大嫌い……」
好かれてはいないと覚悟はしていたが…………大嫌い……。
「ヴァイオレット……私の笑顔は、そんなに嫌だったのかい?」
「嫌でしたわ!
だって、皇太子殿下は別に誰も好きじゃなかったでしょう?」
「っ?!」
真っ直ぐなヴァイオレットの言葉に、アルフレッドは固まってしまう。
「私は、不特定多数に対する慈愛の心など持ち合わせておりませんの!
だって!
私は、私の手の届く範囲を守ることに大忙しですもの!」
ヴァイオレットには、強い魔力なんて無い。
魔法も効きにくいというハンデすら有る!
だけど……それを上回る知能があると信じてる!
そう思ってなきゃ、やってらんない!
「誰も特別ではない平等な笑顔など、私から見れば、嘘くさくて胡散臭いこと極まりないものでしたから!」
完璧、完全。
歴代最強の力を持った、誰からも愛される光の皇太子。
不完全で、嫌われ者のヴァイオレットとは正反対の存在。
「そのいけ好かない笑顔を歪ませたいと思っていましたが…………」
一度、言葉を切る。
「今の表情ならば、歪ませる必要は有りませんわね!」
今のアルフレッドならば……嫌いじゃないかもしれない……!
「何を悩んでいるかは知りませんが……。
そうですわね、今の皇太子殿下のことは……以前よりも好ましく思いますわ。」
「………………っ……なっ……はっ?!」
初めてかもしれないヴァイオレットの明るい笑顔。
そして、好ましいという言葉。
アルフレッドは顔を真っ赤にして、動揺してしまうのだった。




