第八話 明日を求めて
「悠月君たちが酒吞童子を討ちました!」
綾奈の声に下賀茂神社の境内が歓喜に沸いた。そこには碓井家の姿もあり、札で簡易的だが障壁結界を張り直すことにも成功していた。加えて周囲に湧いていた㰷眼の数も相当減ってきている。
「やりましたね、勝爺様!」
「ああ、流石じゃ……あやつら、ほんとにやってのけるとはのう」
綾奈の隣で胡坐をかいて座り込んでいる勝爺が安堵するように言った。
勝爺は芽衣から治療を受けていたところを救護の者に拾われ、こうして合流する事ができた。そしてその時、本陣に戻らず悠月の元へ向かおうとする芽衣を止めることはしなかった。
見知らぬ百人より、愛する一人の応援が勝る。
ただそれだけのこと、だから勝爺は芽衣行かせた。
「痛だっ……!」
勝爺は反射的に言葉を漏らして頭を押さえた。
どうやら叩かれたらしい。しかも軽くというよりかはむしろ強くだ。そして、そんな事を出来るのはこの家で一人しかいない。
「ようやった」
紀与婆が一瞥することもなく、勝爺の前を通り過ぎて行く。
「綾奈よ、まだ気を抜いたらいかんぞ」
「は、はい!」
綾奈はその声に身を引き締め直して、撫子色の瞳で索敵を再開する。
しかし、各戦線も拮抗はしても、劣勢に陥っている所はもうほとんどない。これも各家の当主が戻って来た事が大きい。押し返す流れが来ている。
それに酒吞童子が討伐された事が広まれば士気がもっと向上することは間違いない。まだまだ落ち着くには早いが、一晩かければほとんどの㰷眼は掃討できるはずだ。
綾奈は最後にもう一度、悠月たちを視た。
しかし、そんな状況の好転に緊張の糸が緩んだのも束の間、綾奈の撫子色の瞳には不穏な影が映った。
「……?」
値千金を上げたはずの悠月たちの様子がおかしい。糸が緩むどころか更に張り詰めるような……。
「え……」
それが誰なのかは分からない。だから、一緒に戦ってくれていたはずの女性が悠月に襲い掛かるのを視て、綾奈はただ言葉を漏らした。
味方でいてくれたから、それ以上は何も考えないようにしていた。
けれど、一つ疑問が生じると次々に溢れ出してくる。何故、この女性は【雷光眼】を使っているのか。何故、酒吞童子と同じ紫黒色の眼を持っているのか。何故———
悠月はそんなにも苦しそうなのか。
綾奈の内側に理解したくてもできない焦燥がこみ上げて来る。
視ると、その女性の右眼からは大量の黒い涙が流れ、徐々に体を吞み込むように蝕んでいた。
暗黒を纏ったかのような鱗に、片方だけの角。何より紫黒色の瞳が余りにも不気味に光を放っている。
『違う……悪いのは全部俺なんだ……』
通信は生きている。けれど悠月の右耳はもうほとんど音を拾えてなくて、邪魔にならないようこちらからの発信は既に切断してある。だからこれは悠月の一方的な呟きだ。
『俺が弱かったから……。ごめん……メイ……』
刃を交えながらも嘆くように悠月が言うのを、綾奈は聞いている事しかできなかった。
* * *
「どうなってんのよ、あれ!」
メイが悠月に襲い掛かっているのを見て、明日香はただただ困惑した。
「わ、分からないけど。でも……」
「ああ……多分あの右眼が完全に死んだんだ」
蝕まれるメイの姿を見てしまえば、透哉の言葉に納得せざるを得なかった。
「あの緋色の雷は龍彦でなく、息子がやったとはな」
明日香は聞き覚えのある声に肩を震わせて振り返った。
丸に三つ柏の家紋の羽織を着た小柄な男。手には明日香が持っていたものと同じ拳銃を握っている。
「ちっ、家の方を立て直して急いで来てみたら。あんたらもいたのかい」
七宝に木瓜の家紋が描かれた羽織を着た大柄の女。手には巨大斧を持っている。
「なるほど。将嵩が隠そうとしていたのはこの事か」
橘の実と花を象った家紋の羽織を着た長身の男。この男も手に大鎌を持っている。
三者三様。それぞれが干渉し合わない一定の距離を取り、明日香たちを囲む。
「バカ親父ども……」
現れた三人の家の当主たちを前に明日香は指先に瞳力を集中させる。
「何をしてる。そこをどけ明日香。完全に㰷眼化する前にあの女を殺さねばならん」
「……うるさいわね! 遅れて来たくせして今更お呼びじゃないのよ!」
気圧されながらも唇を引き結ぶと、明日香は言い返した。
「逞真、今すぐそこを退くなら今回の愚行もまだ許してやるわよ」
青ざめた様子の逞真が一歩後ずさった。それでも、
「母ちゃん、ごめん。それはできない」
逞真は、逞真自身の意思で強く一歩を踏み出すと拳を構えた。
「恥知らずな息子め。将嵩に続いてとんだ醜態を晒してくれる」
「将兄はその恥とやらを忍んで皆を守ったんだ。何もダサくない! そして俺も皆を守るためにここにいる!」
透哉も震えた手で氷刀を構えながらも叫ぶように言った。連戦続きに怪我の事もあるが、それを度外視にしても父親たちには勝てる気はしない。それでも———
「とうとう引き下がれないところまで来ちゃったわね」
「は、半殺し……じゃすまされないかな……」
「その時はその時だ。さいあく悠月に責任取ってもらって源家の世話になろう」
三人共諦めるつもりはない。
「お前たちがどういうつもりかは知らんが、邪魔をするならば覚悟は出来ているんだろうな」
「どういうつもりもないわよ!」
明日香は区切って一息吸い込む。そして毅然と言い切って凄んだ。
「私らの大将がどうにかするから下がってろって言ってんのよ! バカ親父ども!」
* * *
【雷光眼】までも食われてしまえば、いよいよ手が付けられなくなる。下手をすれば酒呑童子を超える㰷眼を生み出してしまうことにもなるだろう。
「何をしている悠月! 早くそいつを殺してやるんだ!」
防戦一方の悠月を見て、父である龍彦は声を荒げた。
何故、弟の娘である芽衣が成長した姿でここにいるのかは知らない。
だが、事前に知らされていた酒吞童子と同じ紫黒色の眼に、悠月の【雷光眼】を持っている時点で、おおよその予想はつく。それに悠月の太刀筋が明らかにおかしいのも、傷つけることを拒んでいるからだろう。
でも、だからこそ化け物になってしまう前に殺してやる必要がある。
子の尻ぬぐいをすることは親の役目だ。例えそれが恨まれることになったとしても。
「許せ、悠月」
せめて一太刀で終わらせてやれるように、龍彦は刀を水平に構えて全身に雷を纏った。
「【瞬雷】」
そして踏み込み、芽衣の首元に目掛けて神速の一閃を振るう。しかし———
「悪いねおじ様。悠月の邪魔はさせないよ」
甲高く弾ける刃の音に飛び散る火花。龍彦の前に深紅の瞳が立ちはだかった。
「桜玄の娘……」
「やだなおじ様。当主同士なんだから、名前くらいはちゃんと知ってるでしょ? お爺様だって私の名前を覚えて呼んでくださったんですよ」
波留の右腕は使い物にならないのか垂れ下がり、顔も無理やり拭ったように血が伸びている。こんな状況にも関わらず、煽り口調になるのは父親譲りと言ったところか。
「そこをどけ。このままでは第二の酒吞童子が生まれることになるぞ」
「寂しいなぁ。親が子の事を信じてあげないんですね。悠月はまだ諦めていませんよ?」
いちいち鬱陶しい煽りにこれ以上付き合ってなどいられない。
龍彦は刀を構え直した。
「いくらお前が天才だと言われていても、そんな状態で俺に敵うと思っているのか?」
「さぁ、どうでしょう。案外やっていみないと分からないかもしれませんよ?」
若さ故なのか、どうなっても構わないと言わんばかりの危うさが波留には漂っている。
龍彦はそれを純粋に不気味だと思った。
「メイちゃんを殺したいなら、私を殺してから行ってください」
薄く浮かべる笑みに、冗談なのかどうか判別がし難い言葉の一つ一つ。
窮鼠猫を嚙む。瞬間、そんな言葉が龍彦の脳裏に過った。如何に満身創痍と言えど、こちらも殺す気でかからなければこの女に嚙み殺されかねない。




