第六話 京都御所決戦⑤
酒吞童子が狂歓し、波留とメイを薙ぎ払う。
やはりそこに焦りはなく、あるのは常軌を逸してもなお加速する狂気。もはや自らの命さえも興の一部に過ぎないのだと、理性の欠落が表情から具現化し、邪気が最高潮に到達する。
これがかつて人間だった者が行きついた成れの果ての姿。一体なにを見て呪えば、こんなふうになるのだろうか。
改めて目の当たりにするその異質さに悠月は呑まれ始めていた。
自力か経験か、はたまた正しさに限らずとも存在する信念や執着の差か。自分には何が足りなかったか、何があれば勝り得たのか、と過去形の思考ばかりが頭の中を巡る。
「悠月様!!」
まだ幼い、けれど聞き馴染みのある声が隣に来て悠月は眼を見開いた。
「芽衣……どうして戻って来た……!」
「勝爺様ならもう大丈夫です! それより、諦めてはいけません!」
芽衣の悲痛な叫びに、悠月はその選択を無意識のうちに取ろうとしていたことに気が付いた。
ここで死ねば、芽衣はメイが味わった絶望を知ることになる。また、自分のせいで孤独の牢獄に閉じ込めてしまうことになる。それだけは絶対に避けなければならい。
———まだ死ねない!
黒刀を強く握り直す。芽衣も立ち上がろうとする悠月に寄り添って肩を貸してくれる。
酒吞童子の隻眼に映るのは悠月のみ。もはや成す術がないと言えるこの状況において、まだ諦めようとしない無謀で不屈な瞳に対し、敬意に似た感情を抱いて真っ向から潰しにかかる。
「死ねぇ! 小僧!」
悠月が一歩前に出て黒刀を構える。そこに絶望が乗せられた酒吞童子の剛腕が振るわれる。
「———!?」
しかしその瞬間、悠月の視界が眩い閃光に包まれた。
すると、後ろに立つ芽衣が何かを呟いた。その口調はどこか半信半疑で、悠月も眼前の光景にやっと焦点が合うと、状況の理解が追い付いた。
見慣れた藍色の長着に黒の袴。白色を基調とした笹竜胆の家紋が描かれた羽織を着ているその体格は本当の父親とは似つかないほど厳かで逞しい。
「親父……」
紫宸殿に雷光が落ちて来た。
「紀与婆から状況は聞いている。悠月、よくもたせたな」
悠月の前に現れたのは源家の現当主である源龍彦だ。雷を纏った右腕で刀を握り、酒吞童子の剛腕を抑え込む一方で、左手には見慣れない赤い瓢箪を下げている。
「貴様も頼光の子孫だなぁ!」
酒吞童子が拳の乱打を繰り出す。
龍彦はそれを表情一つ変えずに刀でさばいていく。
しかし、その周囲の白砂には拳から流れる黒い体液が広く散布されていた。
「【乱刺】!」
【圧束眼】の紅梅色が濃く光を放と、白砂に染み込んだ黒い体液が針の形状に圧縮される。
しかし瞳術が行使される直前に周囲で、瞳力が波立ったのを感じた龍彦は距離を取るように高く跳躍し、それらを回避した。
無数の黒い針の攻撃は空振りに終わる。だが酒吞童子は続け様に【踊游眼】の瞳術を使う事で、本来単発に過ぎなかった黒い針に追尾の機能を与えた。
空中で無防備の状態の龍彦に向かって、またも無数の黒い針が襲い掛かる。
「親父……!」
悠月が叫んだ。しかし龍彦から冷静さが消えることはない。そのまま落ち着いた様子で真下の地面に向かって刀を投擲した。
「【墻霆ノ陣】」
刀が地面に突き刺さった瞬間、龍彦が瞳術を行使した。
一見、何も起きていないように見えるそれは、刀を中心にした半径三メートルの円に入り込んだ瞳力を感知し、全自動で地面から放電される防御術だ。
黒い針の雨に対し、同じく雷の針の雨が全てを迎撃する。
「ほう、今のは見たことがないな」
酒呑童子は粘り気のある口調に加えて、品定めでもするかのように隻眼に卑陋を浮かべると、高揚を隠さずに叫ぶ。
「いいぞ! 貴様の【雷光眼】が如何ほどか篤と余に見せてみよぉ!」
「悪いが化け物に正々堂々を通す道理はない。———【瞬雷】」
龍彦は全身に雷を纏って走り出す。連続した動きで牽制を織り交ぜて間合いを管理すると、最後には側面から刀を振るう。
しかし、それらの動きは片方だけの【活眼】で捉えられ、【堅無眼】によって防がれてしまう。
「こんなものかぁ! 貴様の【雷光眼】は!」
狂ったように滾りを見せ、酒吞童子が吠える。
だがその直後、龍彦は左手に持っていた瓢箪を酒吞童子めがけて放り投げた。それは空中で一筋の雷に曝されると真っ二つに割れ、中から透明な液体を吐き出した。
「あ、がぁぁぁぁあああ!!」
顔面に液体を浴びた酒吞童子が突然暴れ出し、紫宸殿のみならず京都御所全体を揺らす絶叫が轟いた。
「今さら小賢しい真似を……!」
酒吞童子が赫然と龍彦を睨みつける。血濡れのように赤い皮膚は爛れ、高ぶっていた瞳力の光が不安定になり始める。
悠月は何が起きているのか理解できず、眼前の光景にただ唖然としていた。
「神便鬼毒酒だ。東京を出る前に藤原家に用意させた」
悠月の元まで下がった龍彦が淡々とした口調で続ける。
「だがお前たちが消耗させた後でも効き目はこの程度だ。それに、そう長続きもしないだろう」
神便鬼毒酒はかつて源頼光が酒吞童子を討つためだけに造らせた猛毒の酒の名だ。そして、藤原家は頼光の友として共に酒吞童子を討った藤原保昌の子孫の家系。
源家の頼みだから藤原家は聞いてくれたという事なのだろうか……。
しかし、そこに大人同士の思惑が絡んでいる事は間違いない。現に藤原家の力を借りてしまった事が龍彦は気に食わないのだろう。厳かな表情に少しの苛立ちが含まれている。
それでも、神便鬼毒酒によって酒吞童子の瞳力が弱まっているのは明らかだった。
「悠月、俺が時間を稼ぐ。お前は祝詞を上げろ」
「———っ!」
悠月は一度口を開いたが、何も言えずに視線を落とした。万全の状態の龍彦ならば今の酒吞童子に対して一人でも時間を稼げるかもしれない。
だが、肝心な悠月の瞳力が足りないのだ。
「私が支えます! 私の眼なら足りない分の瞳力を補完できるはずです!」
荒い息を上げながら藍色の雷の尾を引いて現れたのはメイだ。確かにメイの持つ眼は紛れもなく元は悠月の眼。全ての瞳力をかけ合わせれば、届き得るかもしれない。
「お前は……」
メイを見た龍彦が眼を大きく見開き、悠月の背後に立つ芽衣を一瞥する。今の一瞬で正体に気付いたのだろう。しかし、それには何も言わず龍彦は酒吞童子へと向き直った。
「やれるな、悠月。任せたぞ」
龍彦が再び藍色の雷を纏うと、酒吞童子を引き付けるべく走り出す。
「……二人とも頼む」
悠月がそう言うと、芽衣が体を支え、メイが握る黒刀に手を重ねてくれる。
「「はい!」」
悠月は天に黒刀を掲げると、もう一度瞳を〝裏〟の緋色へと変化させた。瞳力を高めると同じくメイの瞳も藍色から緋色へと変わっていく。
「———凝結する光の雫。吹き乱れる白亜の柱———」
痛みはあるが問題ない、瞳力もこれならいける。何よりも温かな心を二人から貰っている感覚が悠月にはあって、それが力になっていた。
———これで終わらせる!
「———遠く地を震わすその歩みは天の怒りと我は知る。故に貫くは死、振り払うは闇。今、空の代行者となり裁きの雷で治めよう———」
夜闇に緋色の光芒が走り、紫宸殿が大量の静電気に覆われる。
「【天帝雷槍】!!」
悠月は黒刀を酒吞童子に目掛けて全力で振り下ろした。
夜空を真っ二つに引き裂く極大の緋色の雷槍が天から放たれる。
半壊した紫宸殿の屋根は吹き飛び、紅白色の回廊が完全に崩壊する。光に遅れて轟く雷鳴は、まるで天体が崩れ落ちるかのような音を立てて京都御所そのものを大きく揺らす。
酒吞童子をギリギリまで引きつけていた龍彦は、鋭くも膨大な瞳力の塊が落ちて来るのを感知すると、【雷光眼】の力で即座に離脱した。
「ちっ! 舐めるなよ、小僧!!」
酒呑童子が吠え猛る。そして右腕に残された全ての眼を集めて上空の雷槍に向けた。
展開されるのは【堅無眼】による藍白色の盾だ。しかしそれだけでなく、いずれの眼も黒い涙を流して極限まで発光させると、盾を支えるために全ての瞳力を出し切る。
極大の雷槍と、これまで亀裂すら入らなかった藍白色の盾が衝突し、拮抗する。
「ぬァアアアア!!」
右腕だけでは支えきれないと判断した酒呑童子が左手を添えて制御し、雄叫びを上げる。
「はぁぁぁぁぁ!!」
強大な瞳力同士に当てられたことで黒刀に罅が入るが、悠月は構わず叫んだ。
より重く、より鋭く、より速い雷槍をイメージし続けた先———藍白色の盾に初めて亀裂が入った。
悠月はその一瞬の隙を見逃さず、全瞳力を振り絞った。
「これで終わりだ! 酒吞童子!!」
とうとう黒刀がへし折れる。
しかし、それと引き換えに藍白色の盾が完全に崩壊すると、一気に雷槍が酒吞童子の体を貫いた。




