第二話 京都御所決戦①
紫宸殿の夜に混濁した紫黒色の光が強く浮かび上がった。
悠月は全神経、全細胞に至るまで最大限に緊張を高め、その反応に備える。しかし———
瞳術が行使されない。瞳力を高めただけで、陽動だったのだ。
ほんの一瞬、足を止めてしまった悠月に向かって酒吞童子は鉛色の瞳の光を強くした。【踊游眼】———自身の瞳力を纏った物質を自在に操る瞳術だ。
がたがた、と瞬間四方から音が鳴り、周囲に散らばっている瓦礫が連続して飛来する。そして、その時にはもう綻びが生じ始めていた。
悠月は瓦礫を回避していくが、一瞬足を止めてしまった事が尾を引いてしまう。
それ単体だったならば問題なかった攻撃が連続することによって着実に綻びを大きくし、悠月の判断力を限定するに追い込んだ。
最後の回避先を酒吞童子に読まれ、大刀が薙がれる。
悠月は咄嗟に黒刀を構えたが、体勢と重心が悪い。逸らす事が出来ず、受けようにも踏ん張りが利かない。
甲高い金属音も一瞬、悠月は左腹部に深手を負うと、大刀の勢いそのままに吹き飛ばされた。紅白色の回廊に突っ込み倒れ伏すと、着物を伝って地面に鮮血が滲んでいく。
聖域はもはや見る影もない。元は均されていた南庭の白砂は荒れ、穿たれた事で下地となっている砕石が露わになっている。そして、紫宸殿そのものも半分は崩れ落ちていた。
紫黒色の隻眼は五度使わせた。間隔はまばらだったが、完全消耗にはまだ遠い。だいいち酒吞童子は隻眼の瞳術を乱発しない。いや、する理由がないのだ。
合計八つの瞳術をそれぞれ組み合わせれば、その戦術パターンは二百通りを超す。
隻眼に頼らずとも化け物は化け物なのだ。
一方で悠月と波留は二人。如何に【雷光眼】と【焔閃眼】が一級の術眼であると言えど、これまで大きな深手を負わずに戦えていたのは、奇跡だった。
「波留……!!」
悠月は明日香の絶叫が夜闇にこだまするのを聞くのと同時、【神火ノ羽衣】を纏った波留が酒吞童子の大刀によって両断されるのを霞む視界で見た。
「器用なものだな、」
酒吞童子が感心するように言うと、橙色の光を放つ眼が視線で何かを追うように背中へと移動する。【活眼】———超常的に引き延ばされる感覚で相手の動きを読み切る瞳術だ。
「渡辺の小娘」
「それはどうも……」
直後、両断されたはずの波留は陽炎のように歪んで消え、羽衣を脱ぎ捨てた本物が酒吞童子の背中に斬りかかった。
「【影赤空】……!」
しかし、その動きは読まれている。酒吞童子は振り返ることなく背後に大刀を構えると、波留の斬撃を易々と防いだ。
「だが所詮は子供騙しだな」
「くっ……! 【炎喰斬】!」
競り合いの最中、波留はほぼゼロ距離から火炎の斬撃を飛ばした。
だがそれとほぼ同時に酒吞童子の背部にある藍白色の眼が発光する。【堅無眼】———目の前に半球体状の盾を生み出す瞳術で、波留の炎を完全に防いだ。
これのせいで悠月たちは初撃以降、まともなダメージを与えられていない。
「一人ではそんなものか?」
悠月が四散させた酒吞童子の右腕はもう既に再生している。今度はその右腕に移った黄蘗色の眼が光を放った。【痺鈍眼】———相手の身体と瞳力に干渉し、動きと流れを阻害する瞳術が行使される。
「【狂酔金繰】」
波留に向かって黄蘗色の瞳力を纏った酒吞童子の裏拳が振るわれる。
火炎の斬撃を飛ばした直後だ。回避も、刀での防御も間に合わないと判断した波留は咄嗟に右腕を軸にして構え、瞳力による強化を図った。
「っ……!!」
バキィ、と骨の折れた音が全身を駆け巡る。
瞳力による防御と言っても、逞真のように瞳術で付与された強化に比べれば当然劣ってしまう。
波留が明日香たちの目の前まで吹き飛ばされる。しかも【痺鈍眼】によって被った全身の痺れにより、一切の受け身を取ることが出来ずに白砂の上を転がった。
「波留……」
半ば絶句するように明日香がその名を零した。
波留が刀を地面について立ち上がろうとするがその動きは鈍い。しかも顔面は血塗れで、一本にまとめられた長い髪は解けてしまっている。
「……大丈夫だよ。瞼を切っただけで眼は潰れてないから」
片眼を瞑った波留が安心させるように笑みを浮かべて立ち上がった。しかし【焔閃眼】の深紅の瞳も先ほどの【痺鈍眼】の影響で上手く瞳力をコントロール出来ずに明滅している。
「せめてまともに動けるようになるまで下がってろ」
「うん、ここは僕たちに任せてよ」
透哉と逞真が前に出る。その後ろ姿に波留も一歩踏み出そうとしたが、肩に明日香の手が置かれた。
明日香は何も言わずに前の二人と肩を並べるべく歩いていく。
「増えたか。だが貴様らでは役不足も甚だしいな。一度逃げた貴様らに何ができる?」
酒吞童子が大口を開けて嘲笑を浮かべた。
「言われなくたって役不足なのは私たちが一番よく分かってるわよ。でもね、ここにはそんな私たちを信用して頼ってくれる仲間がいる。それだけで戦う理由なんて十分よ」
「ほう、認めた上でその眼をするか。だが……」
もう十分楽しんだと言わんばかりに酒吞童子が口元から笑みを消すと、大刀を肩に担ぎ直した。
「飽きたな。そろそろ余はこの京都の地が地獄になる様を見たくなった」
これまであった道楽染みた気は完全に消え失せ、殺気だけが辺りに充満する。
「———……!!」
悠月はその気配を感じて声を上げようとしたが、口から吐き出されたのは血の塊だった。
『悠月く……ゆづ……! 聞こ……返……さい。……すぐそこ……父……ます!』
右耳の通信機から響く綾奈の声が聞こえづらい。息がしずらく、体も思うように動いてくれない。このままでは誰も守ることが出来ない……。
「う、……!!」
喘ぎと呻き声の狭間。悠月は血の塊を吐き出し続けながらも、何とか自身を奮い立たせようとする。だが、それでも体は動かない。
何よりも酒吞童子のひと際混濁した紫黒色の瞳はもう悠月の事を見ていない。
「来たか」
そう呟いたのは酒吞童子だった。
直後、悠月は紫黒色の瞳と眼が合った。そして、藍色の瞳とも。
「改めて見ると奇妙なものだな、余の眼と頼光の眼が掛け合わせられるとは」
霞む視界でもはっきりとその光は悠月に届いた。
「メイ……」
着物姿の未来のメイが視線の先で酒吞童子と対峙している。
「悠月様、大丈夫ですか!」
そして傍らに膝を付き、すぐさま治療を初めたのは悠月の良く知る現代の芽衣だった。
「……芽衣ちゃん、ごめん……」
気付くと波留が体を引きずるようにして悠月の直ぐ近くまで来ていた。
「先に瞼の止血だけして欲しい。後は悠月をみてくれたらいいから……」
「でも、波留様はそれ以外にもお怪我を! 右腕だって……!」
満身創痍。右腕はだらりと下がり、指先から血が滴るばかりで力が入らないのだろう。
「……取れちゃいないから平気だよ。それに今は命を懸ける時。そうでしょ、悠月?」
徐々に波留の瞳は明滅が治まってきている。
その再び燃え上がろうとする深紅の瞳に悠月は薄く笑みを向けた。
「……ああ。皆で絶対に勝とう」




