第一話 鏡
「ここは……」
目を覚ましたメイは見覚えのない和室の空間に困惑した。
だが次の瞬間には半ば飛び跳ねるように上半身を起こして辺りを警戒する。それはいつからか身を守るために染みついてしまった反射的な動きだった。
「———っ!」
左腹部の辺りに激痛が走った。悶えていると、長い髪がはらりと肩から滑り落ちる。
恐る恐る確認してみると、包帯が丁寧に巻かれていた。それに服装も和洋折衷の黒装束ではなく、何故か寝間着である淡い赤色をした小袖を着ている。
状況が思い出せない。何故自分は治療を受けて、こんな所で眠っていたのか。どこで意識が途絶えたのかを、一つ一つ探るようにメイは記憶を辿った。
———そうだ、延暦寺で悠月様を助けて、それから……。
瞬間、メイは息を呑んだ。
そうか、自分は情けなくも全てを話してしまったのだ。
「あの……こちらに誰かおられるのですか?」
障子の向こうから声がした。月に照らされて映る小さな影。
メイはまたも反射的な動きで立ち上がって身構えた。
瞬間室内を見回すが、どこにも黒刀が見当たらない。
「———っ!」
血を流し過ぎたか、突如襲われた立ち眩みにメイはたたらを踏んで倒れてしまう。
その直後、障子が勢いよく開いた。
「大丈夫ですか!」
うつ伏せの状態から抱き起こされ、もう一度布団に寝かされる。
すると、その時にどうしても視界に入ってしまった。
藍色の裁着袴に脚絆と白色の水干。見覚えがないわけがなかった。そして、顔を包み込むように切り整えられた短い髪から覗く黒い瞳。それは間違いなく———
昔の弱い自分だった。
瞬間、メイはかけられた手を振り解いて目を逸らした。
目の前にいるのは弱い頃の自分のはず。それなのに、何故かこんなのが未来の自分だと思われたくなくて……いや違う、本当はそうじゃない。
向けられた瞳が余りにも純粋で、真っ直ぐで、とてもじゃないが見ていられなかった。
それは決して術眼による違いなどではない。
きっと、今の自分は酷く怯えた目をしている。
「大丈夫……ですか?」
向こうがこちらに気付いている様子はない。
この時間軸において、彼女こそが本物の芽衣だ。だから今の自分は偽物のメイに過ぎない。
「……ごめん……ちょっと、気が動転しちゃって……」
「凄い汗です……それにお腹の傷も」
昔の自分がそう言うと、枕元にあったタオルを差し出してきた。
「私の眼で治しますので、少しの間じっとしていてください」
タオルを受け取って額の汗を拭うと、メイは黙ったままじっと俯く。すると程なくして、昔の自分が【帰復眼】で傷の治療を始めた。
顔は見れない。けれど昔の自分が何かを話し出そうとするのを感じ取ると、メイは先に口を開いた。
「君は、確か源家の者だったね……」
長く垂れた髪の隙間から昔の自分がびくりと肩を震わすのが見えた。
「……申し訳ありません。よその家の者が渡辺家の中を勝手にうろついてしまって」
ここが渡辺家の屋敷ならば、状況から察するに倒れてしまった自分を波留が運んでくれたということだろうか。
「いや、大丈夫だよ。私も渡辺家の人間ではないから」
言ってすぐ、しまったと思った。
でも昔から嘘をつくのは苦手だったから仕方がない。一番近くにいた人もそういう面は不器用だった。だから、似ていると思えた事が昔は嬉しかった。
「良かった……てっきり怒られてしまうかと思ってドキドキしました……」
昔の自分が微苦笑混じりに言ったのが分かった。けれど、メイは顔を上げずに会話を続けた。
「でも、源家の君がどうしてこんな所にいるの?」
「……分かりません。悠月様……私のお仕えしている方と、複数名で延暦寺まで行ったのですが、その後倒れてしまって……気づけばこのお屋敷で眠っていました」
声だけじゃなくて、何故か不思議と瞳力からも感情の様なものが伝わって来た。悔しい思いと同じくらいに悠月を心配をしているのがよく分かる。
すると、視界の端に見覚えのある鞘が目に入った。
「……それは?」
「私のお仕えしている方の刀です。私が眠っていた応接間に置いてあったのですが、姿が見当たらなくて……」
瞬間、理解した。悠月が自分の黒刀を持ち出したのだと。
「……彼は今頃、私たちのために戦ってるよ」
ぽつりとそんな言葉が出てくると、昔の自分が驚いたのが分かった。
「悠月様のことをご存じなんですか……?」
「……良く知ってるよ。彼は本当に馬鹿な人だ」
「悠月様が……ですか?」
見なくても分かる。その真っ直ぐな瞳に怒りが滲んでいる事が。
だから今度は語弊がないようにきちんと伝える。
「うん、彼は馬鹿だよ……いつも優しい嘘をついて」
悠月は真っ直ぐな人だった。でも正直な人ではなかったと思う。そう感じたのは悠月が目の前で息を引き取って、何度も同じ時間をやり直すようになってからだ。
自分を含めた源家の人間は皆、悠月に完璧な『源悠月』であることを求めた。そして実際、悠月にはその願望に応えるだけの才能も度量もあった。
だから自分も気づかなかった。そして押しつけ続けた。才能や度量があったとしても、本人がそれを願うかはまた別の話しなのに。
誰も悲しませないために自分自身を犠牲にして、嘘をついて、ずっと生きて来たのだと思う。
「……」
目の前の昔の自分はそれ以上、何も言ってくる事は無くて、暫くすると治療が終わった。
「ありがとう。助かったよ」
俯いたままお礼を言うとメイは立ち上がった。
「あの、これから戦いに出られるんですよね?」
きっと向けられているのは縋るような眼差しだ。一瞬、迷ってからメイは口を開く。
「……うん、彼の所に行くよ」
「お願いします、私も連れて行ってください!」
今度は瞳を覗き込まれて目が合った。すぐさま視線を逸らそうと思ったけど、涙を滲ませる真っ直ぐな瞳に吸い込まれそうになって体が硬直する。
———ああ、きっとこの子も死ぬほど後悔する。
瞬間、そんな考えが脳裏に過ったが直ぐに否定した。だって、今も自分は後悔しているのだから。
現代か未来かは関係ない。それはどちらの源芽衣においても同じ事だ。
「分かった。一緒に行こう」
やっとメイから、昔の自分の目を見て言葉を交わすことが出来た。
「ありがとうございます!」
そう言うと、昔の自分が枕元に置いてある紫苑色の袴と薄い桃色の長着を手に取った。
「こちらが着ておられたお召し物ですか?」
「いや、私のじゃないよ。これは……誰のだろう」
見覚えのない着物の一式にメイは首を傾げた。
「もしかするとですが……これは波留様が用意してくださったのかもしれません」
何かを思い出すように昔の自分が柔らかく笑うと、言葉を続けてくれる。
「昨日、こんな格好しかしない私に波留様が言ってくださったんです。弟様たちは着ないだろうから、お下がりの着物を上げるって。もしかすると、あなたにも……」
「可愛い……」
自分の知らない話だ。けれどスカートのように裾が広がる袴を間近にして、思わず呟いてしまった。しかもそんな言葉を暫く口にした覚えがなくて、耳が熱くなるのを感じた。
「はい、似合うと思いますよ!」
こっちの気も知らないで言い切ってくれる。純粋な目をした人間はこれだから怖い。
「……ありがとう」
でも、だからこそもう一度、昔の自分のように誰かを頼りたいと思った。
「着付け、手伝ってもらってもいいかな?」
「任せてください!」
何の疑いもない満面の笑みを、昔の自分が見せてくれる。なんとなく、自分はこんなふうに笑っていたんだと思うと、少しだけ照れ臭くなる。
「あの、そういえばなのですがお名前を伺ってもよろしいでしょうか?」
当然と言えば当然な問いか。しかし、アドリブの利かないメイは虚を突かれたように固まった。
「あ、失礼しました。聞いた側が先に名乗るのが礼儀でしたね。私は芽衣です」
昔の自分が間をもたせてくれた。向こうは気付いてないとはいえ、自分が自分に気を使っているのはどこか可笑しな感覚だ。
「奇遇だね」
やっぱり嘘は苦手だ。つくのも、つかれるのも。
「私の名前もメイだよ。よろしく、芽衣」
性格なんて中々、変えられるものじゃない。融通の利かない性格をする自分も、自分なんだ。
「私たち、同じ名前だったんですね。よろしくお願いします、メイ様」
芽衣がくすりと笑うと、メイも釣られて同じように笑った。




