第十一話 酒呑童子
「波留、一瞬でいいから陽動を頼めるか」
「いいけど……どうするつもり?」
今出川通に湧く奇形の㰷眼どもを蹴散らしながら二人は進む。
「勝爺を救出して、御苑のどこか安全な場所に避難させる」
東西に七百メートル、南北に千三百メートルもある広大な敷地の国民公園———京都御苑の内側に京都御所は存在している。そこにはほぼ森と言える樹林帯があり、勝爺を避難させることが出来るはずだ。
「綾奈さん聞こえてる? 誰かに勝爺の事を頼みたい」
『聞こえてます! ですがこちらも今は……』
綾奈の緊迫した声から下賀茂神社の状況は窺える。碓井家が合流したと言えど、まだ劣勢なのだろう。悠月は込み上げる焦りの感情を押し殺すよう静かに綾奈へ告げる。
「分かった。頃合いを見てでいいからお願い」
波留の視線がこちらに向くが、悠月は黙って首を横に振った。
「だったら渡辺家の人間を呼ぼうか?」
「ありがたいけど、勝爺がそれを受け入れるとは思えない。それに、そっちも余裕があるとは限らないだろ」
「まぁ、そうだけど……」
進む道路の交差点に酒吞童子の巨体な背中が見えた。ここまで来るのに人間の返り血を大量に浴びたのだろう。元々血濡れのように赤みがかっていた肌は、髪も含めて今は更に赤黒く染まっている。
会話の歯切れは悪いが、もう切り上げて最低限の手立てを打つしかない。
「一先ず陽動だけはお願いしたい」
「了解。それじゃあ御苑の中で落ち合うでいいよね?」
「うん。こっちも合図を出すからそれで波留も退いてくれ」
了解、ともう一度波留が重ねると、その場で足を止めて地面に刀を突き立てた。
「【天炎万丈———千本桜】」
交差点全域に深紅の光が満たされると、瞬間的に炎の花びらが無数に宙を舞った。普通ならば裂傷に火傷を負わせられるが、酒吞童子が相手ならば文字通り足止めにしかならない。
悠月はその隙に全速力で道路を駆け抜けると、崩れた建物の下で倒れている勝爺を見つけた。
「遅れてごめん勝爺」
白髪頭にやせ細った体が微かに動いた。全身の裂傷に加え、右腕を失くしているがまだ意識はある。
「……悠月か。お前今までどこに……」
それ以上の有無は言わせずに勝爺を肩で担ぐと、悠月は黒刀を夜空に掲げた。
「【雷槌閃】!」
無数に舞う炎の花びらで酒吞童子の姿は見えないが、上空から波留に合図として見えるよう雷の落撃を食らわせる。
「この瞳力……ようやく来たか。小僧!」
酒吞童子が喜悦を表して叫ぶが、悠月としてはここで紫黒色の隻眼の瞳術に捕まる訳にはいかない。すぐさま離脱すると、京都御苑へと入った。
敷地の東側にある迎賓館付近が樹林帯になっており、その鬱蒼とした中にはベンチが点在している。そのうちの一つに勝爺を座らせると、少し遅れて波留も合流した。
勝爺が眼を元の目に戻し、傷だらけの顔で天を仰いだ。
そこにはやるせない感情が大いに含まれている。それでも勝爺は六十八歳で、悠月が物心ついた頃には既に前線から退いていた。
だから前当主として本当によく戦ってくれたと称えられるべきだ。
「勝爺、あとで綾奈さんが救護を送ってくれるから、それまでここで待てる?」
「救護はいらん……こんな死に損ないの老いぼれに人員を割くな……」
弱々しい語気だが、こんな時でも変わらない頑固さに悠月は少しだけ安堵した。
しかし、時間がかかっても救護を呼ぶのは決定事項だ。こればかりは絶対に譲らない。それにここで押し問答している時間はない。
綾奈が必ず救護を送ると信じて悠月は話を変える。
「ところで、どうして勝爺は一人で戦ってたの?」
勝爺が言い淀むにように一度口を閉じると、そこから徐に話し出した。
「……あやつとの戦いが始まってすぐ、連れて行った源家の人間の半分が死んだ。その後は生き残った者と術協の者も含めて、よその守備に回らせたんじゃ……」
それからは何もかも吐き出すように長いため息をつくと、目を閉じた。
「死ぬのは儂一人で十分じゃと思っておったが、生き残ってしまった。これじゃ姉ちゃんにまた怒られてしまうわい……」
「いや、まだなんとかなってるのは勝爺のおかげだ。だから後は俺たちに任せて休んでてよ」
「気休めはよせ悠月。儂はただあいつに遊ばれとっただけじゃ」
そう言って項垂れた様子の勝爺だったが、「俺たち……か」と呟いて目を開けた。
「おぬし。渡辺家の若頭じゃったな。名は?」
「波留です」
真っ直ぐな深紅の瞳と共に波留は言葉を返した。
「……借りを作ってしまったようじゃな。儂が生きとる間に必ず返す」
「お爺様。お言葉ですがこれは私の意思です。だから借りだなんて言わないでください」
いつもの調子ならとっくに怒声が飛んできてもおかしくないが、今ばかりは勝爺もしおらしい。それどころか、「まったく」と自嘲するように鼻で笑った。
「生意気な小娘め、誰がお爺様じゃ。いいか、悠月を籠絡しようものなら儂が直々にその首を撥ねてくれることを努々《ゆめゆめ》忘れるでないぞ。波留」
「はい」
波留が短く答えると、今度は勝爺の視線が悠月に向く。
「悠月。手短に話す、よく聞け。酒吞童子の紫黒色の眼は時を止めるが、その中で事象を確定付ける事まではできん」
悠月はその言葉を聞いて未来から来たメイが言っていた話を思い出した。
「……分岐点」
「そうじゃ。攻撃をかわせなかった先に、傷を負うという事象が確定する。だから奴が時間を止めたとしても攻撃が届く前には必ずその瞳術は解かれる」
勝爺の言うことは理解できる。それでもタイミングは相手次第な上に、一瞬のうちに消えて突如目の前に現れるのだから、回避できるかどうかはもはや半分運の様なものだ。加えて、奴にはそれ以外にも七種類の瞳術がある。
「それと、これはあくまで仮説じゃが、あの瞳術には実質的に制約されるインターバルはない」
「つまりその瞳力が尽きる、もしくは一定値を切るまではいつでも行使できる、という事ですね?」
波留の言葉に、勝爺が頷く。
「それこそ幸いなのはあの紫黒色の術眼が片方だけという事じゃ。異種眼持ちは燃費が悪い。片眼と両眼では術に要求される瞳力量がまるで違う」
「……あの隻眼の瞳力を削り切ることが勝つための前提条件ってことか」
「ああ、儂にはあの瞳術を何度も使わせる事が出来なかった。だがお前たちなら、あるいは……」
勝爺が言い終える前に遠くの空が鋭い破砕音を立てて割れた。
御苑の外郭を覆う障壁結界が破られたのだ。更には木々をなぎ倒すような轟音が次々に響き、酒吞童子が中央にある京都御所を目指して暴れ回っているのが分かる。
「行け悠月。油断なく神経を研ぎ澄ませ」
「分かった。ありがとう」
悠月は藍色の瞳で勝爺に頷くと、波留と共に走り出した。
轟音が響く方向を頼りに樹林帯を抜けると、悠月と波留は道が整備されている砂利道に出た。左側にはまさに京都御所を囲う外壁の築地塀があり、その真横を通って北上していく。
京都御所はかつて政治の中心地であったと同時、皇室の宮殿でもあった。一方でその周囲の御苑には皇族である宮家や貴族の公家の邸跡が残されている。悠月の視線の先では木々のみならず、それらを蹂躙する酒吞童子の姿が映った。
酒吞童子も悠月と波留の存在に気付き、動きを止めた。
「逃げたかと思ったぞ、小僧」
顔以外に浮かぶ十四個の眼を体中に泳がせて酒吞童子が砂利道へと歩いてくる。対峙するのは外壁が内側に凹んだ奇妙な作りをしている猿ヶ辻———北東角の表鬼門とされる場所の前だ。
「まさか。うちの爺ちゃんを逃がして来ただけさ」
「そうか、まだ生きておったかあのじじい。あやつも悪くはなかったが人間、年には勝てんようだな」
邪悪な笑みと共に口元の牙を剥き出しにすると、酒吞童子は右手の大刀を肩で担いだ。それから左手で長い栗色の髪をかき上げる。
「では、そろそろ始めようか。頼光の血を引く小僧よ」
酒吞童子からドス黒い瞳力の気配が漏れた。
———来る!
瞬間、紫黒色の隻眼が発光した。しかし悠月に予想や思考をする時間などはなく、ただ全神経を研ぎ澄まして、反射的に黒刀を振るうしかない。
酒吞童子が突然消えたかと思うと、次の瞬間には左斜め前にその姿を現した。既に攻撃の動作に入っており、薙がれる大刀が顔の間近まで迫っている。
それでも、悠月は見事にその初撃を黒刀で受けた。しかし、
———重すぎる!!
全身の骨が軋む。見ると、酒吞童子の右肩にある朱色の瞳が光を放ち、同色の瞳力を大刀ごと帯びている。【鬼舞眼】———身体能力の限界を強制的に引き出す瞳術だ。
「私を忘れてもらっちゃ困るんだけど、赤鬼さん」
波留が深紅の瞳を最大まで深く染めると、炎を纏った刀で酒吞童子の大刀を弾き返した。瞬間、剛腕が浮き上がると、すかさず悠月は黒刀の刃を突き立てる。
「【霹靂神】!」
雷と共に酒吞童子の右腕が弾け飛び、大刀も地面に落ちた。だが酒吞童子は怯むどころか、むしろ色濃くした邪悪な笑み共に右腕をこちらに向けてくる。
右肩の【鬼舞眼】が移動し、今度は紅梅色の瞳が現れると光を放った。地面へ落ちるはずだった黒い体液が、重力に逆らって欠損した右腕の断面に収束する。【圧束眼】———体液を自在に操る瞳術だ。
「【閂】」
形成された平たくも巨大な鏃が黒い体液の尾を引いて軌跡を描く。
悠月と波留はそれぞれ距離を取って回避する。
しかし、鏃は追撃してくることに加え、刃の如く鋭さを持つ黒い体液の尾は鞭のように撓って、二段攻撃を繰り出してくる。
「波留!」
悠月はその名を呼ぶが、もはや二人にそれ以上の言葉は要らない。
まさに阿吽の呼吸。波留が炎を纏った斬撃で黒い体液の尾を断ち切るのと同時、悠月は雷撃で鏃を相殺し、【圧束眼】の攻撃を防いだ。
「いいぞ! もっと余を楽しませろ、英雄の子孫ども……!!」
酒吞童子が怒声にも似た歓喜を叫ぶと、全身を泳ぐ濁りきった眼の光が強くなる。
一瞬の判断が生死を分ける死地に、悠月と波留は踏み込んでいく。




