第五話 怒り
「貴様……何故分かった……!」
「んー、勘かな」
波留が首を傾げながら抑揚のない声音で言った。
「勘だと……? 馬鹿にしているのか! そのなもので仲間の腕を切り落とす奴がどこにいる!」
「そんなに怒んないでよ。あんた、あんなに冷静ぶってた割には結構短気なんだね」
波留が然もつまらなさそうに言うと、茨木童子は怒りに顔を歪めた。
「まぁ、勘って言うのは半分冗談で半分本当。実際、あんたの変化は完璧だったし……って、そういえば首塚大明神で大学生を誑し込んだのも、あんたともう一体なんでしょ?」
「そうだ。奴らは簡単に騙せた。だが何故貴様は違う!」
「何て言うのかな……。見た目が完璧なことにかまけて、中身の解像度が低いんだよ」
「中身の解像度だと? 何を訳の分からん事を言っている小娘!」
怒りと嘲りの狭間で言い返す茨木童子に対して、波留は変わらない調子でため息をついた。
「わっかんないかなぁ。あんた、人間に全く興味ないでしょ? 一言で言うとそれが出てたんだよ。どうせ首塚大明神でも不気味なくらい美人に化けただけなんでしょ」
苛立ちを募らせる茨木童子の表情はまさに鬼の形相だ。後ろにいる篤彦と宗次郎はそれだけで気圧されて後退ってしまう。
しかし、波留はそれを鼻で笑った。
「しょうがないから悠月にフォーカスして話してあげるよ」
そして想うように、けれど怒りを込めるように波留は言葉を続ける。
「悠月はね、いつもどこか自信がなさそうなんだよ。でもそれを周りに悟られないよう必死に隠しながら生きてる」
波留の言葉の意味が理解できないのか、茨木童子の表情が一瞬呆けるように固まった。
「何その顔。千年も生きてたから人間の事を知った気になってた? あ、生きてたって言っても、ご先祖様に腕を切り落とされてからは逃げてただけなんだっけ?」
歌舞伎舞踊で有名な演目の一つに『戻橋』というものがある。それは渡辺綱と茨木童子を描いた内容で、真実がどうであったかなど、現代を生きる波留は当然知らない。
「貴様ぁ……! 楽に死ねると思うなよ!!」
しかし、茨木童子にとっては、れっきとした過去だったのだろう。よほど屈辱に感じたのか、血走った眼で赫然と波留を睨みつけると襲い掛かろうとする。
「【炎円獄爛】」
瞬間、夜空に向かって逆巻く炎が出現すると、それは茨木童子を中心に円を描いた。
「ちっ———!」
「落ち着きなって。言い方はあれだけど、評価はしてるんだよ?」
それでも冷静さはまだ残していたのだろう。茨木童子がその場に踏み留まるのを見ると、波留は瞳術を解いて抑揚のない声で続けた。
「酒吞童子を滋賀へ逃がしたのも、昨日あれだけ㰷眼が湧いたのも、あんたが京都中の結界を把握してたからこそなんでしょ? ……〝表〟に繋がる綻びを見つけたのか、それとも自分で作ったか……あー、化けて人間を利用した可能性もあるのか」
少しだけ思案する素振りを見せた波留だったが、「まぁ、なんでもいいか」と、どうでもよさそうに結論付け、地面に落ちている茨木童子の右腕を刀で突き刺した。
「ほら腕、返すよ」
そのまま刀を薙ぐように放り返してやる。
茨木童子は訝しみながらも、当然それを左手で掴もうとする。しかし、斬られた右腕は手に届く直前で炎に呑まれて灰になった。
何とも言えない滑稽な表情をする茨木童子に対して波留が言う。
「ごめん、燃やしちゃった。まぁでも、」
今度は分かりやすく、そして煽るように冷笑を浮かべた。
「京都人の性格が悪いことくらい知ってるでしょ? ご長寿さん」
「———殺す!!」
茨木童子が怒髪天を突く勢いで波留に飛びかかる。しかもその左腕は瞳術により形状が刃に変化している。
「私もだいぶ頭にきてるからね。やれるもんならやってみなよ」
「まずはそのよく喋る口を切り刻む!」
一合目。茨木童子が左腕を振り下ろしてくる。見た目に至ってはただの大ぶりだが、小柄な見た目だけあってその動きは軽やで速い。
波留は正面から受け止めるのではなく、逸らした。
二合目。体勢が整っているのは波留だ。しかし、茨木童子は左腕の形状を鰭の様に変化させると、変則的な攻撃を三合目、四合目と続けて仕掛けて来る。
その間、波留はただ防御に徹していた。すると剣戟が十合目を越えた頃だ。
「どうした小娘? 口だけか!」
焦れた茨木童子が左腕の形状を元に戻すと、今度は五本の指を刃に変えて突いてくる。
ほぼノーモーションで胸を狙ってくる攻撃に対して、波留はギリギリの所で斬り上げて防いだ。しかしそのせいで脇が上がり、腹部ががら空きになってしまう。
攻防の一瞬の合間にも関わらず、茨木童子が醜悪に口元を吊り上げる。
まさしく狙った状況になったのだろう。すぐさま右足を刃の形状に変化させると、波留の腹部にめがけて蹴撃を仕掛けて来る。
甲高い刃の擦れる音が響く。
刀を滑り込ませることで、またも波留はギリギリで防いだ。しかし、その威力までは相殺することが出来ず、吹き飛ばされて橋から落ちてしまう。
それでも波留は空中で身を翻すと、水位が足首ほどしかない堀川に着地した。
茨木童子が橋の上から波留を見下ろす。
「あの男と同じ【焔閃眼】を持ちながらその程度か」
瑠璃色の瞳だけではない、侮蔑を乗せるように茨木童子が言った。
波留はそれを無視して橋の方へと戻ろうとする。しかし———
一歩目を踏み出した瞬間、体が硬直した。見ると、極小に加工された糸が体中に巻き付き、身動きを封じている。おそらく先ほどの蹴りを受けた時に細工されたのだろう。
茨木童子が橋から飛び降りると、悠々と歩みを寄せて来る。月に照らされて光を反射する糸は右足から徐々に体を這い上がって、左手の五本の指に集約された。
きひっ、と茨木童子が不気味な笑みを浮かべて糸を引くと、波留への締め上げがいっそう強まる。
「少しでも動けばバラバラだ。大口を叩いていた割にこれで終わりとは呆気ないな、小娘」
完全に拘束状態にある波留の首に糸が食い込むと、少量の血が流れ出る。
視界の端に映る篤彦と宗次郎が加勢しようと動きを見せるが、波留はそれを視線だけで制した。
千年前の先祖の後始末。そして全ての元凶であるこいつだけは自分の手で葬り去る。
「あんたさ、私たちには品性がないとか言いながら、自分は変化して人間を騙してたけど、それはどうなの? あとこの小細工も」
波留の言葉に茨木童子は目を見開き丸くしたが、次の瞬間には大口を開けて笑った。
「負け惜しみか。滑稽だな」
粘り気を含む口調とその愚かさに、波留はもう嫌気がさした。
「【神火ノ羽衣】」
それは闇を払う深紅の衣。【焔閃眼】の光量が増すのと同時、波留は全身に煌々《こうこう》とした炎を纏って、絡みつく糸を瞬時に焼き切った。
「なっ!?」
波留が走り出すと、踏み込んだ場所の川の水が沸騰する。
すかさず茨木童子は左腕を突き出すと、形状を銃口に変化させた。当然、千年前にはなかった代物だが、伊達に生き伸びて来たわけではないのだろう。
しかし、放たれる弾丸は通常のものと何ら変わりがなく、明日香の瞳術のように加速もしなければ曲がりもしない。
波留は合計三発の弾丸を刀で斬り伏せると、あっという間に距離を詰めた。
こうなれば茨木童子も近接戦闘の間合いに切り替えざるを得ない。刃に形状変化した左腕と波留の刀が鍔迫り合いのような形になる。
「調子に乗るなよ、人間風情が!」
間近で激昂する茨木童子に対して、波留は一切表情を変えない。そのことが更に怒りを掻き立てのか、茨木童子はこれまで欠損していた右腕を瞬間的に生やして刃に変えた。
はっきり言って瞳力の扱いは上手い。けれどそれも千年という時間をかけていれば当然の話しだ。再生速度もそれなりにあって、ずっと不意打ちの機会を狙っていたのだろう。
「冷静さが足りないね」
波留は左腕の刃を押し返して、瞬時に身を翻す。
「【日輪映】」
深紅の炎を纏った刀が夜闇に美しい半円を描くと、茨木童子の両腕を斬り落とした。
「あんた、そこら辺の㰷眼より弱いよ?」
そのまま流れるような動きで、波留はがら空きになった茨木童子の胸を刀で貫く。
「……これで終わりと思うなよ……!」
「あっそ」
茨木童子の射殺すような睨みを、波留は無表情で返した。
「【聖炎閃火———爆】」
深紅の瞳が光量を増すと、茨木童子は炎を伴って爆ぜた。瞳力によって形成されていた体は四散し、片方の瑠璃色の眼だけが地面に転がる。そしてその眼も灰となって消えていく。
何の余韻もなく、波留は煌々《こうこう》とした炎の衣を解くと、その場を去ろうとする。
「あの、」
声をかけたのは篤彦だった。橋の上から窺うように波留を見つめている。
「悠月さんと芽依は?」
「二人とも生きていますよ」
波留が振り返らずに言うと、篤彦は胸を撫で下した。
「訳あって芽依ちゃんはうちで預かっています。悠月の方もそろそろ前線に来ます」
悠月は捨てることもせずに、何でも自分一人で背負おうとするから、見ているこっちが落ち着かない。
———私は優し過ぎるあんたの方が心配だよ。
だから、病院の屋上で話した時も自然とそんな言葉が出てきたのだと波留は思った。
「私も行くので悠月の事は任せてください」
波留は毅然とした態度で言うと、その場を後にした。




