第三話 言葉を交わす
未来から来た芽衣が渡辺家の当主専用の離れで波留に治療されていた頃。逞真、明日香、透哉は母屋の客間にいた。そして三人の傍には布団で眠るこの時代の芽衣がいる。
「明日香……さっきは悪かった。……改めてごめん」
逞真は部屋の隅に座る透哉がそう言うのを見て驚いた。
言われた本人も同じだったのだろう。芽衣の真横に座る明日香が目を見開くと、後ろを振り返った。けれど肝心な透哉は俯いたままで、視線が合わない。
「……私の方こそ殴って悪かったわね……ごめん」
しかしそれで良かったのだろう。素直な言葉を伝えるにはどうしても気恥ずかしさが伴ってしまうのだから。
逞真は少し不謹慎に感じながらも、気付けば笑みを浮かべていた。
「今、透哉が明日香のこと、卜部って言わなかったね」
二人の視線が一斉に逞真の方に集まる。
「よ、余計なこと言うなよ逞真……!」
「し、静かにしなさいよ、芽衣ちゃんが眠ってるんだから……!」
声が裏返っている透哉に対して、明日香はそれ以上に声が大きい。
別に揚げ足を取りたかったわけじゃない。けれど狼狽する二人を見て、逞真の内側からは込み上げて来る感情があった。
「なんだか懐かしいね」
バツが悪そうに二人が黙り込むのを見て、逞真はしまったと思った。けれど、何故か今は引き下がりたくなくて、徐ながら決心するように口を開いた。
「……ぼ、僕はとろいから、いつも言いたいことを言い逃しちゃうんだけど……」
見えないけれど、確かにそこにある壁。それを飛び越えるように逞真は言葉を紡いだ。
「また皆と話がしたい、かな……家の事とか……」
「あーあ」
投げやりな口調で言ったのは明日香だ。上を向いて、「馬鹿馬鹿しい」と呟く。
それを聞いた逞真は瞬間、心が青ざめるような感覚を味わった。
「私たち、いつからこんなふうになっちゃったんだっけ」
しかし、すぐに勘違いだと理解した。それに明日香の表情は物思いに耽っているようで、言葉とは裏腹だ。とても誰かを馬鹿にしているようには見えない。
だからか、逞真も恐れずに思っている事を言うことが出来た。
「昔は『ごめんなさい』も『ありがとう』も素直に言えたよね」
すると、それを聞いた明日香が目を丸くした。
「そっち?」
「そ、そっちじゃなかったの?」
「多分どっちもじゃないか」
透哉の気まずそうなツッコミの後に一瞬の間が生まれると、三人揃って吹き出した。眠る芽衣の前で笑い声を抑えながらも、確かに自分たちが今、同じ思いである事を実感する。
きっと、明日香が言ったのは自分たちの関係性についてだ。けれどそれも、逞真が言った素直さと通じるところがあるのだと思う。
成長するという事はその分、打ちのめされるという事だ。現実を理解して、それでも生きていかなければならないことを知ると、人は出来るだけ傷つかないように自分を守るようになる。
その上で、ともすれば弱さのように映る素直さを隠してしまうのだろう。
「私、透哉が家の中でも落ちこぼれだなんて初めて聞いた」
明日香がそう言うと、すぐに首を振って続ける。
「ああ、別に馬鹿にしようってわけじゃないから。ただ単にそうなんだって思っただけ」
数秒の沈黙の末、言われた透哉が口を開いた。
「それ、何の捻りもなく真っ直ぐ馬鹿にしてきてないか?」
「違うわよ……!」
「い、今のは明日香が悪いと思う……」
不満げな視線と共に明日香が唇を尖らせると、少ししてまた話が再開する。
「……私は別に落ちこぼれだなんて思った事はないけど、多分同じ感じ。【正飆眼】の扱いに関してはお兄ちゃんや弟の方がセンスはある。逞真のところは?」
投げやりなパスに逞真は苦笑を浮かべながら続いた。
「ぼ、僕は明日香に言われた通りだよ……母ちゃんと姉ちゃんにいつも怒られてばかりで、妹にもなめられてる……」
「結局のところ、悠月と波留が特別なだけなのよね」
波留がいないからか、それともフルネームで呼ぶこと自体をやめたのか。明日香がため息をつきながら言うのに対して、透哉が物珍しそうな視線を送る。
「なんだ。悠月はともかく、波留の事も認めてるんだな」
「年上ぶった態度は気に食わないけど、波留には瞳術の才能があって、強いのは確か。それに、この年齢で当主をやれって言われても私には絶対無理」
仏頂面な上に言い方に加えて刺がある。言った傍から素直じゃないけれど、これが明日香の抱く本音だというのが良く分かった。
「なによ逞真。言いたいことがあるなら言いなさい。今だけは何も言い返さないであげるから」
何も言わずに黙っていたが、かえってそれが良くなかったのだろう。逞真は明日香からの鋭い視線を受け止めると、少しだけ思った事を口にした。
「……実際、波留ちゃんは年上なんだから、ぶってはないんじゃないの……?」
「私は露骨なところが気に食わないって言ってるの!」
言い返してるじゃん、とは流石に逞真は言えなかった。
それでも明日香の言う通り、あの二人は特別だ。波留は言わずもがな、悠月も既に〝裏〟の眼を開眼させていて、実力だけならいつでも当主になれる程だ。
しかし、特別だから当然なんてことはなくて、苦しみもすれば葛藤も必ずあるはずだ。
明日香もそれを理解しているから波留を僻むのではなく、認めて一目置いているのだろう。
「そう言えば、二人は当主になりたいとか思ったことあるのか?」
「そ、それって、認めてもらうためにはって話してたこと……?」
逞真が聞き返すと、透哉は曖昧な表情を浮かべて頷いた。
「それもある。でも俺は別に当主になりたかったわけじゃない……」
「まぁ、当主になるってことはイコール認められたって事になるしね。ちなみに私は一度たりともなりたいなんて思った事ないわ。むしろクソ食らえよ」
明日香が清々《すがすが》しく言い切った後に、「でも」と力強く付け加えた。
「透哉の言う、認められたいって気持ちは分かる。私はね、女だから仕方ないとか、しょうがないって言われると死ぬほどムカつく」
逞真と透哉が思わず絶句した。
その様子を見てか、それまで威勢よくしていた明日香が急に慌ただしい表情を浮かべる。
「な、なによ……私なんか変なこと言った?」
「い、今時、このご時世にそんなこと言う人いるの……?」
「いないわね」
「いないのかよ」
透哉の的確なツッコミに、明日香は少しバツが悪そうに口を開く。
「いないけど、そういう雰囲気ってちょっとあるじゃない。うちは次の当主になるのがお兄ちゃんだって皆思ってるから、それが気に食わないの」
しかし、最後には腕を組んでツインテールを揺らすと、ご立腹なのが良く伝わって来る。
「じゃ、じゃあ、明日香はうちに生まれてくる方が良かったね」
「それは嫌よ。あんたん家の女性陣は見るからに皆強そうな見た目だし。私はね、しなやかでクールな強い女を目指してるの」
瞬間、逞真は透哉と目が合った。そこに言葉はなくても、「それは言っても大丈夫なのか」とか、「その路線は無理だろ」などの言いたいことが、これまた良く伝わって来る。
それに、しなやかでクールな強い女、と言われてすぐに思い浮かんだのは波留のことだ。そういう意味ではもしかすると、明日香は憧れているのかもしれない。
「だから私は当主になってくれって頼まれるようになって、それを嫌だってすっぱり断ってやるのよ」
ふふん、と何故か得意げになって言う明日香に、逞真と透哉は苦笑を浮かべた。
「で、逞真はどうなのよ?」
「……ぼ、僕は思ったことあるよ……一応……」
これだけ恥ずかしい真剣な話をして来たのだから、二人は笑ったりしない。逞真もその事は分かっているけれど、自分の感情を言葉にするのはまだ少しの怖い。
「へぇー、以外だな」
「うん、以外。なんも考えてないと思ってたわ」
「ひ、ひどい……!」
「それで、なんでそう思ったんだ?」
「確かに。そこが一番重要ね」
逞真の気も知らないで二人がテンポよく話を進める。
「……う、うちの姉弟は僕以外が女の子だから……一番体の大きい僕が皆を守りたいって思った事が……あった」
今度は明日香と透哉が顔を見合わせた。けれど、その表情は単に驚いただけの様子だ。
「ちゃんと男らしい理由じゃない。どっかの誰かさんとは大違いね」
「おい、それは俺のこと言ってんのか」
「誰とは言ってないって言ってんでしょ」
「まぁまぁ……」
逞真の話題だったにも関わらず、結局とりなすように二人を宥めなければいけなくなった。でもその空気感は気軽で、もうこれまでの刺々しさは一切ない。
すると、淡く微笑みながらも明日香が急にため息をついた。
「私、二人のこと勝手に決めつけてた……うーうん、二人だけじゃない。悠月も波留も……。私たち、思ってた以上にお互いのこと知らなかったわよね」
明日香の声音はとても優し気なのに、表情は憂いを帯びている。
「ほんと、知らなかった……芽衣ちゃんがあんなに頑張り屋さんだったなんてことも……」
その視線の先には静かに眠る現代の芽衣の姿がある。
『お願いします……私にとって皆さんが最後の希望なんです……だからこれ以上言い争ったりしないでください……お願いします』
そう口にしたのは目の前にいる芽衣ではないけれど、言わせてしまったのは紛れもない自分たちだ。幻滅させ、絶望を与えてしまったからこそ黒い涙を流させたのだろう。
「……いつも悠月君の後ろに隠れてたのにね……すごいよ、一人きりで……」
懐かしいわね、と明日香は口にしながらも、全くその表情は笑えていない。
「うちの生意気な弟と変わって欲しいって本気で願ったこともあったわ」
最後に皆で遊んだのは小学一年生の頃だったはずだ。他の名家の子供と遊んではいけないと言われていたけれど、まだ六歳の自分たちにはその理由が理解できなかった。
ただ同じ境遇の子供たちが集まって仲良くしていただけ。
それなのにある日、親にバレてしまってとにかく怒られた。逞真自身、まだ術眼を開眼させていないうちで、あんなに怒られたのは生まれて初めてだった。
それ以来、年上の二人はどうだったか分からないけれど、透哉と明日香とは話さなくなった。
「昨日、俺は芽衣ちゃんに助けられたんだ」
透哉が呟くと、悔しさを噛みしめるように続けた。
「俺のことなんて見向きもせずにどっか行くから、悔しくて追いかけた。そしたら色付の㰷眼に苦戦してる兄貴たちの前に飛び込んで、それも瞬殺してた」
俯いた透哉が頭を掻いて、「ふざけんな、って思ったんだよ」とやるせなさを吐き出すように言った。
「独りなくせに、誰にも求められていないくせに、なんでそんな力を持ってるんだってむかついた。その能面の内側で弱い俺のことを笑ってるんだろとも思った。でも……そんなことなくて、むしろ逆で……。本当は誰よりも強い思いで戦ってた」
そうね、と明日香がゆっくり頷いた。
「今思えば何にも分かってない私が、芽衣ちゃんの前で透哉に説教垂れてたなんて、ほんと恥ずかしいわ…………。そう言えば今、何歳なんだろうね……まだ年下なのかな」
最後に独り言ちるように明日香が言った。でも、そんなことを確認したって意味がない事を明日香だけではなく、皆きっと理解している。
決心したのはこうして自分たちの前にいる中学二年生の芽衣なのだから。
「罪滅ぼしってわけじゃないけど、俺はあの子の力になりたい」
透哉が真っ直ぐな思いを乗せて言った。それに対して、逞真も明日香も頷きをみせる。
「僕も、同じこと考えてた」
「私もよ。年下の女の子におんぶにだっこされたままじゃ格好がつかないわ」
もう誰も思いを馬鹿にしたり笑ったりしない。まだ少しだけど、自分たちはお互いの事を知るようになった。
すると、廊下の方から足音が聞こえて来た。それはこちらに近づいてくると障子の目の前で止まった。声を聞かなくても人影で誰なのかは一目瞭然だった。
「入るぞ?」
一応、声をかけてくれた悠月に対して、「うん」と明日香が返す。
人影が一つだった時点で分かっていたが、部屋に入ってきたのは悠月だけだ。
「波留は?」
「先に行ったよ。あいつは当主としての役目があるからな」
「悠月はどうするの?」
「俺は———」
その目はここいる誰よりも決心しているように見えた。
「酒吞童子を討つ」
その言葉に逞真は、透哉と明日香を見た。二人とも同じように強い目をしている。
「悠月君、僕たちも一緒に行く。今度こそ一緒に戦う」




