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第二話 なんでもない

 時刻は二十一時を過ぎた頃。

 悠月ゆづき渡辺家わたなべけの庭園にいた。本来であれば源家みなもとけの人間である自分が敷居をまたぐことは許されないが、今はほとんどどの人間が㰷眼(しがん)退治に出払っているため、広い家は静まり返っている。

 欠けた月が浮かぶ空には雲が一つもない。今日は夜が透き通っている。

 けれど悠月ゆづきは顔を上げることが出来なかった。

 未来から来たという芽衣めいは倒れてしまった。元々腹部に傷を負っていて、立っているのもやっとだったはずなのに、全てを話してくれた。

 けれどその傷もおそらくは悠月ゆづきを助けてくれた時に受けたものだろう。

『お願いします……私にとって皆さんが最後の希望なんです……だからこれ以上言い争ったりしないでください……お願いします』

 芽衣めいが意識を失う前に紫黒しこく色の右眼から黒い涙を流してそう言った。 

 死の兆候ちょうこう。おそらくあの右眼はもうすぐ死ぬ。

 だから、これ以上はもう戦わせられない。

悠月ゆづき、もう入っていいよ」

 縁側えんがわに立つ波留はるに声をかけられた。未来の芽衣めい渡辺家わたなべけの敷地の中でも母屋とは別の場所にある当主専用の離れで今は眠っている。

 波留はるが障子を開けて部屋の中に入ると、悠月ゆづきも後ろに続いた。

 穏やかな寝顔は、ずっと昔から変わらない。けれど枕からはみ出るように広がった長い黒髪を見ると、やはり自分の知らない世界を生きて来た芽衣めいなのだと改めて思い知らされる。

 悠月ゆづきは静かにその隣に座った。

「ごめん。今、回復術を使える人もみんな出てて応急処置しか出来なかった」

「ありがとう、それだけでも十分だよ。あと……ごめん」

「謝らないでよ。別に悠月ゆづきが悪い訳じゃないんだからさ」

 波留はるは当主だ。渡辺家わたなべけの人間が戦っている中、こんな所にいて良い訳がない。それなのに、二人の芽衣めいを一緒に運んでくれて、こうして治療までしてくれた。

芽衣めいちゃんね、お腹の怪我だけじゃなくて、他にも体中に小さい傷がたくさんあったの。最近できたものもあれば、もう消えないかもしれないものも」

 未来の芽衣めい悠月ゆづきの死を目の当たりにして、一体どれくらいの時が経ったのだろうか。

「ずっと……ずっと独りで戦ってきたんだろうね」

 少なくとも、小ぶりな顔を包み込んでいた短い髪がこんなに長くなるまでの歳月が経っているのは明らかで、それだけ多くの絶望を見てきたのだろう。

「学校の屋上で切っ先を向けられた時、」

 悠月ゆづきがそう口にし出したのは自分の中で、整理がしたかったからだ。

「震えてた。今思えば芽衣めいおびえてたんだと思う」

 黒刀の切っ先が微かだが不安定に揺れていたのを思い出す。きっとその選択を取ること自体が辛かったはずだ。悠月ゆづきだって、芽衣めいに刀を向けるなんて想像もしたくない。

「今思えば俺の太刀筋を見切ってたのにも納得だよ」

 一番近くで悠月ゆづきのことを見てきたのだから癖も分かって当然だ。でも知っているだけなのと、それを実践するのとではまるで訳が違う。絶対に血の滲むような努力がそこにはあったはずだ。

 それも本当ならば、芽衣めいが手にする必要のなかった戦う力を得るための……。

「二人は一人っ子で従兄妹いとこ同士だけど、本当の兄妹みたいで……って、私から見ればうち以上にそうだったかな。とにかく仲が良くて羨ましいなって思ってた」

 うちもそこそこ良いとは思うんだけどね、と最後に波留はるが淡い笑みを浮かべて付け加えた。

「俺と芽衣めい従兄妹いとこじゃなくて本当の兄妹なんだ」

 つかえることなく、すんなりとそんな言葉が出てきた。

「え?」

 思いもよらなかったのだろう、波留はるも驚いたように声を零した。

「家の皆も隠してるから、俺も知らない事になってる」

「兄妹って……お母様が違うとか?」

 悠月ゆづきはゆっくりと首を横に振った。

「ちゃんと同じ両親から生まれた血の繋がった兄妹だよ」

「その事は芽衣めいちゃんも知ってるの?」

芽衣めいはまだ小さかったから覚えてないと思う」

 誰にも言ったことがない話だ。どうして急に口にし出したのか、悠月ゆづき自身にも分からない。だから、「なんでもない話さ」と、そんなふうに前置いてから言葉を続けた。

「俺は【雷光眼らいこうがん】を開眼させたのが早かった……らしい。それで、ちょうど同じくらいの時期に親父……今の当主の子供たちが亡くなってしまったのがきっかけで、養子に出されたんだ」

 元々親父には二人の子供がいて、悠月ゆづきもその姿の事をおぼろげだけど覚えている。

「……おじ様と悠月の本当のお父様の関係は?」

「兄弟だよ。親父が兄で、本当の父親が弟。今も別に仲が悪い訳じゃない」

 子を失った親のかなしみはきっと計り知れないはずだ。なぐさめとして悠月ゆづきが養子に出されたのではないのだろうけれど、全くその気持ちが分からない訳ではない。

 悠月ゆづきもその逆を経験したのだから。

「本当の母親は俺が七歳の時に病気で亡くなってるんだ。わんわん泣き続ける芽衣めいの手を握って、日に日に弱っていく母さんをてた」

 自分も同じように泣きたかったけれど、泣けなかった。母さんと呼んであげたかったけれど、呼べなかった。抱きしめてあげたかったけれど、抱きしめられなかった。

「俺は別の家の子で、母さんも父さんも今まで隠し通して来たんだから、何も知らずにかせて上げたかった。息子は強い子に育ってるって安心させたかった。でも、」

 あの時の感情は今も覚えている。

「それはちょっと苦しかった」

 声がかすれて、思いがあふれ出てしまいそうになる。だから悠月ゆづきは振り切るように言葉を続けた。

「母さんが亡くなる前にお願いされたんだ」

「なんて?」

 波留はるが柔らかな声音で尋ねてくれると、悠月ゆづきは時間をかけて口を開いた。

「『悠月ゆづきさん、芽衣めいの事をお願いしてもいいですか?』って。俺は兄なんだから当たり前だろって思った。でもそんなふうには言えないから、『分かりました』って約束したんだ」

 だから芽衣めいを守りたかった。守らなければならなかった。そして確かに守ったのだろう。けれど先の未来の自分は死んでしまった。芽衣めいを一人残し、孤独の牢獄に閉じ込めて。

 今思えばあの約束はただの自己満足だったのかもしれない。

 ふと、自嘲じちょうに似た笑みが零れそうになる。

「ぜんぜん、」

 波留はるがそう言うと悠月ゆづきの頭を軽く小突いてきた。

「なんでもなくないじゃん。バカだね悠月ゆづきは」

 それこそ、何でもないような優しい笑みを向けてくれる。

「……そうだな」

 気付くと悠月は自然な笑みを浮かべていた。

「私も弟たちがいるからさ。もしも芽衣めいちゃんみたいな現れ方されたら…………許せないね」

 誰に対して向けられた言葉なのかは分からない。けれどそこに波留はるの明確な怒りが含まれている事だけは分かった。

「ごめん、悠月ゆづき。そろそろ私は行くよ。家の皆が待ってる」

 波留はるが立ち上がって障子をけた。

「いや、こっちこそ皆が戦ってくれてるのに長話してごめん」

悠月ゆづきも謝り過ぎだって。……それじゃあ、」

 ゆっくりと障子が閉ざされていく。

「またあとでね」

「ああ」

 振り向かずにそう言うと、木同士の合わさる軽い音がして障子は閉ざされた。

芽衣めい、これまでありがとう。俺を一人にしないでくれて」

 悠月ゆづきは呟くと、静かに眠る芽衣めいの手を握った。こんなふうにするのはもう何年ぶりだろうか。

酒吞童子しゅてんどうじは兄ちゃんがなんとかしてくる。だからゆっくり休んでてくれ」

 そっと手を置くと、悠月ゆづきは立ち上がった。そして掛けられている黒刀を手に取ると、刃を確認して腰に帯びた。

「それじゃあ行ってくるよ」

 悠月ゆづきは外に出ると、母屋にいるもう一人の芽衣めいの元へと向かった。

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