第十一話 分かり合うには程遠く
「ありがとう芽衣ちゃん。私はもう大丈夫だから逞真君の方を見てあげて」
大木にもたれかかった状態の波留がそう言うと、長い息を吐いた。その傍らには身を寄せる麟太郎の姿があり、主の怪我の具合をずっと心配そうに見つめている。
「……分かりました。傷口は塞ぎましたが、だいぶ出血しているようなので無理はなさらないでください……」
芽衣が立ち上がると、次は逞真の方へと向かう。
辺りはすっかり夜になり、遠くに見えていた比叡山の暗い緑が今は炎で赤く染まっている。
悠月たちは比叡山より東側、つまり京都とは逆方向の山中で、芽衣たちと合流した。逃げている最中に〝裏〟の結界が破壊され、辺り一帯が〝表〟に還ったのは確認している。
今は〝裏〟に入るために使う札を、木に貼って四方を結び作った障壁結界の内側に一同はいる。距離にして縦横十五メートルほどのそれは、あくまで簡易的でしかないため耐久性は低い。だが、もしもの急襲を考えると、ないよりはマシだった。
芽衣がゆっくりと膝をつき、逞真の治療を開始する。
その近くには波留を抱きかかえて先導してくれた能面の女の姿もあった。
「ご、ごめんね芽衣ちゃん……二回も治してもらうことになって」
逞真が痛みを堪えるように腹部を抑えて言った。
「私は大丈夫ですから……。それより、逞真様も生きておられて良かったです」
「……頑丈さだけが僕の取り柄だから」
出血こそしていないが、骨は折れているはずだ。しかし、あの酒吞童子の一撃は逞真だからこそ、この程度で済んだのは間違いない。
とりあえず全員の命が無事であったことに悠月は深く安堵した。しかし……。
「あんたが勝手な真似するから私たち全員死にかけた上にこんなことになったんでしょ! 一体どういうつもりだったのよ!」
これまで静かだった山中に明日香の怒鳴り声が響いた。
「なんとか言いなさいよ、透哉!」
何も答えない透哉の胸倉を強く掴みにかかる。
「明日香。皆が無事だったんだ、一先ずそれ以上のことはいいだろ」
「いいわけないでしょ! たった今もあんなのが京都に向かってるのよ!」
すかさず止めに入った悠月だったが、明日香はそれを撥ね除けて続ける。
「いい? これから大勢の人が死ぬ、家の人間だけじゃない。関係ない普通に生きてる人や学校の友達だって! あんたにその命の責任が取れるの!」
一向に口を開こうとしない透哉に対して、とうとう明日香が手を上げようと振りかぶる。
「取れるのかって聞いてんのよ!」
しかし、その腕を掴んで止めたのは能面の女だった。
「離しなさいよ! あんたには関係ないでしょ!」
明日香は振り解こうとするが能面の女の力が強く離れない。睨み合うように無言のまま時間が流れると、明日香が押しやるようにして透哉の胸倉から手を引いた。
それを見た能面の女も、同じく明日香から手を離す。
「私は、あんたが何か変わろうてしてるんだって思ってた」
虫の居所が悪そうにする明日香が呟くように言う。しかし、次の瞬間には透哉に対して語気を強めて続ける。
「悠月が私たちに言ったこと覚えてる? 当主たちがいない今、俺たちが最高戦力になり得ると思うって。私は馬鹿なんじゃないかって思った。でもね、同時にもしかしてとも少し思った。あんたもそうだったんじゃないの? だから付いて行くって言ったんじゃないの!」
さっきだって、とそこまで捲し立てるように早口だった明日香の声音が、萎れるように弱々しくなっていく。
「あの星熊童子とかいう㰷眼と戦った時、私一人じゃ絶対に勝てなかった。でも補い合えば勝てるって皆を見てそう思った……だから酒吞童子だって倒せるって本気で思ったのよ……」
「俺は……」
ぽつり、と喉に張り付いた言葉を透哉はもう一度絞り出して話し出す。
「俺は俺の手で、酒吞童子を倒したかった……そこの能面野郎も……それだけだ……」
「はぁ? あんた何ふざけたこと言って———」
「俺はお前らとは違って家の中でも落ちこぼれなんだよ! だから認めてもらうには……」
両の拳を握りしめる透哉の表情は苦々しくて、溺れてしまわないために必死で叫んでいるように見えた。けれどそれが、明日香にはどう映っているかは分からない。
ただ唯一、分かることがあるとするならば、明日香も引き下がる気がないといことだ。
「だからなによ! 認めてもらいたいって結局そんなの自分の為だけの都合じゃない!」
「ああ、そうだよ! 俺は自分の為に生きてるし、戦ってるんだ! でも人間なんて皆そうだろ。本物の自己犠牲なんてありやしない!」
「あんたね! ひねくれるのも大概にしなさいよ! 死を覚悟して私ら逃がそうとしてくれた悠月と波留に同じこと面と向かって言えんの!」
顔を真っ赤にした明日香が今度こそ透哉に殴りかかった。悠月だけでなく、能面の女すらも止める暇がなく、顔面に拳が直撃した透哉は勢いよく地面に手を付く。
それでも怒りが収まらない様子の明日香は身を乗り出して透哉に殴り掛かろうとするが、逞真の叫び声にその足が止まる。
「芽衣ちゃん大丈夫!」
全員が逞真の方を見ると。腕の中にはぐったりとしている芽衣の姿があった。
「芽衣!」
悠月は急いで駆け寄ると、その状態を確認する。
「大丈夫か!」
「……はい、大丈夫です」
額に大粒の汗を滲ませ、努めて笑顔を浮かべながら芽衣が続ける。
「ちょっと瞳力を使い過ぎただけですから休めば問題ありません……。それよりも悠月様、私はさっきのこと……怒っています……だからまた後で絶対にお話を……」
そこまで言うと芽衣の眼からは瞳力の光が消え、意識を失った。
相手を傷つけるのと、癒すのとでは訳が違う。それは瞳術においても同じことで、回復術は攻撃術と比べても要求される繊細さが段違いな上に瞳力の消費も激しい。
「ゆ、悠月君……」
「大丈夫、意識を失ってるだけだ。逞真が気にする必要はないよ。それより逞真の方こそ怪我は大丈夫か?」
「うん、呼吸も大分しやすくなったからある程度は動けるとは思うけど……」
口ごもるように言う逞真の視線の先には明日香と透哉がいる。
悠月は羽織を脱いで地面に敷くと、芽衣を静かに寝かせた。
「明日香」
声をかけたのは波留だ。少しだけ苦しそうにしながらも明日香に歩み寄っていく。
「悠月と私のために怒ってくれたのは嬉しいけど、殴るのはダメ」
「何言ってんの。悪いのはこいつ———」
「私たちが殴って欲しいって言った?」
尚も反論しようとする明日香だったが、波留の言葉にゆっくりと口を閉ざした。
「それにさっきの言い方だと、私たちがまるで死ぬ気だったみたいに聞こえたけど?」
追撃された波留の言葉に、「あ、」と明日香が声を漏らしてバツが悪そうにする。
「……それは、ごめん」
「まぁ、フルネームじゃなくて名前だけで呼んでくれたのは久々でうれしかったけどね」
「あっ、」
今度は、しまった、と言わんばかりに明日香が口を開けると、波留は薄い笑みを浮かべた。それから、笑みを消して今度は透哉の方を見やる。
「透哉君も一応聞いとくけど、明日香は謝った方がいい?」
明日香の気持ちを汲んだ上でそう言ったのだろう。
透哉もゆっくりと首を横に振った。
「……いや、俺が悪かった……」
波留が小さく頷いた。そして最後に視線を向けたのは能面の女だった。
「ねぇ。あなた、そろそろ素顔を見せてもいいんじゃないの?」




