第十話 神瞳術
「悪いな波留……本当はそのまま行けって言ってやりたいけど、一人じゃ多分無理そうだ」
「……大丈夫。恨むなら酒吞童子が力を落としてるとか嘘ついた昨日の㰷眼を恨むから」
悠月の言葉に対して、苦しそうな表情を浮かべながらも波留が不敵に笑う。
「昨日ついでだ。俺が引きつけるから波留はその間に祝詞を上げてくれ」
「……了解」
「よし。やるぞ——————」
最後の言葉がまだ音になる直前。
酒吞童子の紫黒色の隻眼が光った次の瞬間、その姿が悠月と波留の眼の前に現れた。
「これにはついてこれまいか、頼光の血を引く小僧」
速いなんてものじゃない。これは先ほど星熊童子を瞬殺した時に使った瞳術だ。
大刀が振るわれる。
刀で受けるのは間に合わないと判断した悠月は咄嗟に波留を突き飛ばした。
迫り来る、避けられない———死。大刀が自分の体を真っ二つにするまでもう一秒もない。しかし死を目前にして、超常的に引き延ばされる感覚の中、悠月の思考が加速する。
この術眼は到底、自分たちの手に負える範囲ではない。術協が定める五段階あるうち、一級を越えた最上位の等級に位置する『禁級』の術眼。それが使う瞳術———神瞳術だ。
そして、最後にもはや意味のない思考に辿り着く。
以前にも同じ光景を目撃したことがある。学校の旧校舎。屋上。あの時も一瞬にして消え、姿を現わしていた。
能面の敵。あいつは酒吞童子と同じく———時間を止めていた。
すると、突如鳴り響いた甲高い金属の弾ける音が悠月の感覚を引き戻す。
「くっ……!」
直後、悠月は全身に強い衝撃を受けると何度も地面を転がった。しかしまだ意識が覚醒状態にある事を理解すると、すぐさま体勢を立て直して顔を上げる。
巻き込まれて吹き飛ばされるような感覚があった。けれど波留はまだ視線の先、酒吞童子の足元で倒れている。では誰か……。
「お前……」
黒の外套のフードが捲れ上がり、背まで伸びる長い黒髪が露わになる。視線の端から駆け出す能面の敵———いや、能面の女の姿を見た悠月は思わず言葉を漏らした。
能面の女はそのまま全身に藍色の雷を纏うと、一直線に酒吞童子めがけて切りかかる。
一合目。酒吞童子は胸部にある橙色の眼で能面の女の動きを捉えると、大刀で受け止めた。
直後、酒吞童子の紫黒色の隻眼が光を放つ。
すると、次の瞬間には時間が切り取られたように酒吞童子と能面の女の位置が変わり、刃同士が火花を散らした。
酒吞童子が初めて驚いた表情を見せる。
その隙に能面の女はすかさず喉元を目掛けて黒刀を突く。だが酒吞童子は左腕にある朱色の眼を強く発光させると、そのまま同色の瞳力を纏って大刀を振る速度を加速させる。
三合目。能面の女はまる酒吞童子の反応を読んでいたかのように大刀をいなした。そして勢いを利用して空中で身を翻すと、剛腕の手首を切り上げる。
酒吞童子の驚きの表情が更に深まる。
「貴様。その眼をどこで見つけた?」
言いながら酒吞童子は大刀を右手に持ち変えると、切られた左腕を能面の女に向けた。左肩の紅梅色の眼が発光し、黒い体液を鏃の形状に押し固めると一直線に射出する。
だがそれも超至近距離の攻撃なのにも関わらず、能面の女は長い黒髪に掠めるだけで、最小限の動きでかわしてみせた。
能面の女はそのまま問いに答えることなく雷を纏った黒刀を振り下ろす。悠月が得意とする【百雷破】を繰り出し、コンクリートの地面を抉ると、無数の礫を浴びせにかかった。
酒吞童子が大刀の腹で防ぎ、一瞬の怯みをみせる。
直後、能面の女は体を反転させた。そして波留を抱き上げるとそのまま後方に走り出した。
「離脱する! ついて来い!」
初めて聞いた能面の女の声は、やはり悠月が二日前に〝裏〟で聞いたものと同じだった。
悠月は酒吞童子が醜悪な嗤いを浮かべるのを最後に見ると、視線を切って走り出した。
「よろしいのですか。あのまま逃がしてしまわれて」
茨木童子はくつくつと嗤いを浮かべる酒吞童子に向かって問うた。
「構わん。それに今から追ったとて、あの速さには追いつけまい」
こうして千年前も酒吞童子の側近として仕え、共に京の都を荒らしまわったが、あの頃と考えや趣味嗜好が全く変わっていない。摘める芽は早めに摘むに越したことはないのだが。
「しかし茨木よ。余は今、最高に気分がいいぞ」
千年前、驕りが仇となって源頼光に討たれたことを、この死王はまるで分かっていない。
しかし、どの種族においても、王という生き物はそうであることを茨木童子は生き長らえてきたこの千年間でよく見てきた。特に人間なんぞは最たる例だ。
それに、万が一にも抜かりはない。この時のために京都に張り巡らされた〝裏〟の結界の全てを把握し、全国のあらゆる地から㰷眼になり得る眼を集めてきた。更には昨日の京都への襲撃で人間側の戦力は計れている。だが———
「ではそろそろ百鬼夜行を始めようか。まずはこの蔵を破壊すればよいのだな?」
「はい、そうでございます。酒吞様」
そう答えながらも茨木童子は無意識のうちに能面を付けた女の事を考えていた。
あの眼は㰷眼になる前、まだ人間だった頃に酒吞童子が失ったもので間違いない。
京都御所で今もなお厳重に封印されているはずのものが、こうして外に出ているのは術協とやらの組織からしても異常事態なはずだ。
ならば、考えられることは一つだろう。
酒吞童子は源頼光に首を落とされた際、生き長らえるためにその瞳術で自身と周囲の時を止めた。空間が固定され、ひと度干渉できなくなったその首は坂田金時の怪力を持ってしても、動かせなくなり、現在の首塚大明神の場所に封印する外無かった。
つまりはそれに準ずる力をあの能面を付けた女も使ったのだろう。
茨木童子は崩れ燃え行く根本中堂を見ながら、表情を一切変えずに酒吞童子へ呼びかけた。
「それでは参りましょう、酒吞様。再び京都の地へ」




