第九話 八つの瞳術
「これはこれは。申し訳ございません。お見苦しいところをお見せしました」
星熊童子の謝辞をよそに酒吞童子が瓢箪と盃を置いて立ち上がった。
長い栗色の髪の隙間から、十五個あると言われる術眼のうちの一つ———濁った紫黒色の瞳を悠月は見た。
「ですがこんな奴らなどすぐに———」
星熊童子の言葉の途中、酒吞童子が一瞬にしてその前に立つと、頭を拳で叩き潰した。
「へ、」
星熊童子からは声にならない音が漏れ、黒い体液の飛沫と共に二つの錫色の眼が地面に転がる。
「音如きで速さ自慢とは……滑稽だな」
酒吞童子が表情ひとつ変えずに星熊童子の眼を踏み潰す。
悠月たちはその光景をただ啞然と見ていた。
「おい、茨木。どこにいるか。姿を見せよ」
酒吞童子が見回すように声を張ると、先ほど星熊童子が下りて来た階段から新たに四体の㰷眼が姿を現わした。他よりも小柄な一体は先頭を歩き、その後ろを横並びに続く三体が二メートルはある一振の大刀を抱えて歩いてくる。
それぞれ人並みの体躯だが、星熊童子同様やはり内側に邪悪さを秘めているのが分かる。
「はい、酒吞様。茨木童子はここにおります」
先頭を歩く㰷眼が口を開いた。ひび割れた褐色肌に、長い茶髪から覗く瑠璃色の瞳は濁りを含んでいるにも関わらず、気味が悪いほど美しい光を放っている。
「茨木よ、お前の勧めでこやつに星熊の名を与えてやったが、全くもって弱いではないか」
「さて酒吞様。こやつと言うのはどこでしょう?」
酒吞童子が自身の足元を見る。しかしそこにはもう星熊童子の姿はなく、刀と黒い体液の絨毯しか残ってない。
呆れたように首を傾げる酒吞童子をよそに茨木童子と名乗った㰷眼が、悠月たちに向かって嫌悪の視線を向けてくる。
「品性のない人間どもめ……もうこんな所までやって来るとは。昨晩の事といい、鼻の利く奴がいるとは思っていたが貴様らがそれか?」
悠月はその問いには答えず、視線を前方に向けたまま背後の逞真に声をかける。
「逞真、もう動けるか?」
「う、うん、大丈夫!」
芽衣ちゃんもありがとう、と逞真が声をかけて立ち上がる。
「答えぬ気か……ん? そうか、貴様らは……!」
訝し気な視線を向けて来た茨木童子だったが、突然口元を歪めて語気を強めた。
「どうした茨木よ?」
余裕。いや、恐れるに足らないとでも思っているのだろう。酒吞童子が隙だらけにも背を向けて茨木童子の方を見る。
しかし悠月は一切の集中を欠かすことなく波留、透哉、逞真と共に前へ出て密集陣形を組んだ。
「先に後ろの三体を倒す。俺たちで仕掛けるから明日香は隙を狙って———」
しかし、悠月が言い終える前に一つの影が動いた。
「透哉!」
突如、単独で透哉が走り出した。名前を呼ぶが止まる気配はない。しかも飛び込む先は後ろの三体ではなく酒吞童子だ。その首を刈り取るように大鎌を振りかぶる。
「酒吞様、こ奴らですが……」
茨木童子が言い終える前、酒吞童子が顔だけ振り返って透哉の方を見た。長髪で隠れた左首の辺りから藍白色の光が二つ漏れると、目の前に半球体の盾を生み出した。
甲高い金属同士が弾けるような音が辺りに響く。
「ほう、そういうことか茨木。こやつの眼、碓井ではないか」
酒吞童子は一歩も動くことなく、透哉の大鎌を防いだ。
「目標変更だ! 先に酒吞童子を狙う!」
悠月は全身に雷を纏うと、酒吞童子の側面を取って神速の一閃を狙う。
しかし、まるで悠月の動きを読んだかのように、酒吞童子は降り抜く直前の刃を右手で握ってきた。
「なっ!?」
今度は右首の辺りから二つの橙色の光が漏れている。二つ目の瞳術だ。
「そっちは……。おお、その眼は頼光か!」
如何にも愉快そうな声を上げる酒吞童子に対して、今度は逞真が正面に入り、【剛䞠眼】の光度を最大限に上げて斧を振り下ろす。
しかし、その直前に酒吞童子の額からまたも二つの光が漏れる。今度は鉛色だ。後方で三体の㰷眼が抱えていた大刀が宙に浮き、酒吞童子の左手元に飛んでくると、それを掴んで逞真の斧を受け止めた。
「ほう、今度は坂田か」
防がれたものの逞真の一撃は酒吞童子の足首までをコンクリートの地面にめり込ませた。
「【炎喰———」
上空から炎の斬撃を飛ばそうとする波留が構える。しかし酒吞童子は全く焦る様子を見せず、握る刀を悠月ごと振り払うと、傷で黒い体液に濡れた手のひらを波留に向けた。
頭頂部辺りから二つの紅梅色の光が漏れる。直後、滴る黒い体液が鏃の形状となり射出され、波留の腹部を貫いた。
「っ……———斬】!」
痛みに喘ぎながらも波留が斬撃を飛ばすと、酒吞童子の顔面に直撃する。
「……明日香!!」
地面に落ちながら叫ぶ波留を【拡縮眼】で大きくなった麟太郎が背でキャッチする。
「この炎は渡辺か……いや、少し違うな……それに女というのはどういうことだ?」
独り言のように自問する酒吞童子を狙い澄まして明日香が拳銃を構える。
しかし引金を引く直前、酒吞童子が左の手のひらを向けてくると、藤色の怪しい光を放つ二つの眼が現れた。
それを直視した明日香は手から拳銃を滑らせるように落とした。そして、苦しそうにもがき始めると涙を流してその場に倒れてしまう。
「明日香様……!!」
芽衣が悲痛な声を上げて明日香の元へ駆け寄る。
「……だい……じょうぶ…………うっ……!!」
すぐさま体を起こした明日香だったが苦痛に顔を歪ませて嘔吐する。
「弓ではないが……その眼は卜部だな。今のを耐えるとはいい精神をしている。しかし、これも女とは……一体どういうことか」
髪が多少燃えた程度で、酒吞童子はほぼ無傷で立っている。
復活したばかりだと言うのにこの圧倒的な力。
状況を考えれば悠月の中での選択肢はもう撤退しかなかった。そして波留が負傷した今、広範囲で足止めが出来る瞳術を持っているのは一人だけだ。
「一時撤退する。透哉、時間を稼いでくれ!」
しかし、声が届いていないのか透哉は動く様子がない。
「透哉!!」
悠月は怒号を飛ばすように叫んだ。
その間にも酒吞童子の首元に現れた四つの術眼から六、七個目の瞳術が放たれる。
「どれ、さっきのお返しだ!」
酒吞童子が左手に持つ大刀を含めて朱色の瞳力を纏うと、軽く逞真の斧を押し返した。そして右拳に黄蘗色の瞳力を纏い、逞真の腹部めがけて振り抜く。
咄嗟に逞真も斧の腹で防御の構えを取るが、陶器の様に容易く叩き割られてしまう。
「うっ……!!」
ほとんど直撃に近い威力を受けた逞真は吹き飛ばされると、地面を転がって意識を失った。
「なんだ? まだ貴様には防御の瞳術しか使っておらんぞ。本当に碓井か?」
酒吞童子が本来の目元にある紫黒色の隻眼で透哉を見下ろした。
「まぁいい。死ね」
大刀が振り下ろされる。
しかし、その直前に悠月は透哉を抱えると、酒吞童子の攻撃をかわした。
「速いな。流石は頼光と言ったところか。だがつれぬなぁ。今日は酒を持ってきてはおらぬのか? また血酒でも飲み交わしたいものだがな」
酒吞童子が調子付いて言うと、茨木童子が隣に来て口を開いた。
「酒吞様、僭越ながら申し上げさせていただくと、あの不肖な輩どもは千年前に寿命を迎えて既に死んでおります。ただ、目の前のこやつらはその血縁です」
それを聞いた酒吞童子が訝しむように茨木童子を見ると、続けて悠月や一同に視線を向けた。
「そうか、どおりで瞳術に多少の違いがあるわけだが……どうもあれから千年が経ったと言われても実感が湧かんな。それでもまぁ……こやつらがあの頼光とその四天王の血縁か」
やはり術眼を見て得心したのか、酒吞童子は境内一帯に醜悪な嗤い声を響かせる。
「熊、虎熊、金、手を出すなよ。こやつらは余の得物だ」
隙だらけに見えるというのに、悠月はその一挙手一投足に警戒せざるを得ない。
「透哉、大丈夫か」
隣で片膝をつく透哉を一瞥する。
「あ、ああ……」
声はか細く震え、一瞬だけ見えた眼は完全に恐怖で染まり切っている。これではもう戦うことはできないだろう。
「透哉、俺が時間を稼ぐから逞真を担いで山を下りろ」
続けて悠月は振り返らずに背後へ向けて声を上げた。
「明日香、動けるなら芽衣を連れて山を下りろ! 麟太郎もだ! 波留をそのまま連れていけ!」
「何言ってんのさ悠月……私もまだやれるよ……」
体をよろめかせながらも波留が歩いてくる。腹部の傷からは鮮血が滲み、白色の長着は深紅の袴に引けを取らないほど赤く染まっている。
「麟……あんたが皆を先導するんだ。任せたよ」
血の気の引いた主の顔を見て、麟太郎がその場から動けずに固まる。
「言うこと聞け! 麟!」
波留が叫ぶと、麟太郎は血に濡れた法被と毛並みをびくりと震わせた。そして逡巡の末に無念さを押し殺すと、高く吠えた。
「明日香殿、背中に掴まってください!」
いい子だ、と明日香と芽衣の元に向かった麟太郎を見て波留が呟く。
「透哉も早くしろ! 明日香も芽衣を頼んだぞ!」
「悠月様……!!」
「……ごめん、芽衣ちゃん!」
悠月は背後で一斉に動き出す音だけを聞いて目の前の酒吞童子を見据えた。
「話は終わったようだな。せっかくだ、少し本気を見せてやろう」
酒吞童子が長い髪をかき上げると、本来の目元にある紫黒色の隻眼がはっきりと露わになった。更に残りの十四個の眼も先ほどあった位置から変わり、体内を蠢いて移動する。
これが酒吞童子だけが可能と言われる取り込んだ術眼を自在に操る特異体質の本領だ。




