第八話 陥ちる
目の前に㰷眼がいたならば先陣切って戦うつもりだった。
けれどトンネルを出た直後から、悠月はその光景を前に足を止めてしまう。
線路は壊れ、辺りの木々は無惨にも折れ散らかり、山の地形そのものが穿たれている。そして、山の頂上からは真っ赤な火の手が上がっていた。
だが、それだけではない。
耳を塞ぎたくなるような無数の呻き声。周囲には魑魅魍魎の㰷眼が跋扈していた。まさしく延暦寺一帯が地獄を彷彿とさせる大魔境と化している。
続々と悠月以外の一同がトンネルを抜けて来るが、同じようにして足を止めて言葉を失う。
しかし、その間にも㰷眼たちは動き出している。鴉のような羽に、一本角と白濁とした一つ眼の小さな翼獣たちが坂道の進路を覆って一直線に滑空してくる。
「全員、戦闘態勢!」
悠月は双眸の藍色の光を強めると、闇を振り払うように雷の斬撃を正面に飛ばした。
「【雷鳴斬】!」
翼獣が雷で焼き切れると、一瞬だけ前方に終点のケーブル延暦寺駅が見える。
「最小限の戦いで境内まで走る! 俺が進路を開くからついてきてくれ!」
悠月は前方の翼獣の群れを始め、線路を塞ぐ大蜘蛛のような見た目をした萌葱色の術眼を持つ㰷眼を切り伏せて進む。
「透哉君と私は左右から中距離の攻撃をしてくる相手を迎え撃つから、」
波留が左にいる海洋生物のような㰷眼に炎の斬撃を飛ばしながら指示を続ける。
「逞真君は隊列に突っ込んでくる相手を! それと明日香は上空の天狗もどきを撃ち落として! 麟と芽衣ちゃんは私の前で走ることだけに集中して!」
胴体と明らかに不釣り合いで大きく長い赤鼻。上空を飛ぶ蒼黒色の術眼を持つ天狗もどきが羽を広げると、そこから針のような黒羽の雨が降ってくる。
波留が炎の斬撃を飛ばして、隊列を襲う黒羽を一蹴する。
「鬱陶しいやつね、あんた!」
明日香は一つ舌打ちをすると、上空に一発の弾丸を放った。
浮遊する天狗もどきはそれを回避しようと後方に下がる。しかし翡翠色の光を纏った弾丸は弧を描くように軌道を変え、見事右眼に着弾した。
天狗もどきが制御を失って空から落ちる。明日香は更にそこを狙って、左眼も撃ち抜いた。
しかし、そんな明日香の高等技術を称賛する暇などなく次が来る。
「逞真君、右!」
炎と氷塊の攻撃をものともしない人型で牛頭の㰷眼がいる。黄丹色の術眼を持つそいつは刀を振りまわしながら隊列の中央に突っ込んでくる。
ここで倒しきる必要はない。逞真はそう考えると、斧の初撃で刀を狙ってへし折り、坂道から牛頭の㰷眼を蹴り落とした。
悠月の指揮と波留の指示の下、一同が全速力でケーブル延暦寺駅まで駆け抜ける。
そのまま山沿いのコンクリート道を進むと、見えてくるのは境内の入り口にあたる『比叡山』、『延暦寺』と書かれた二本の寺号標だ。
しかし、それらは無惨にもへし折られてしまっていた。
———障壁結界が破壊されている。
しかし、これはあくまで境内への侵入を防ぐためものだ。
要である延暦寺の結界の構成は複雑になっており、一帯の〝裏〟を維持する楔は根本中堂という建物の中にある。加えてその敷地の周囲にはまた別の障壁結界が張られている。
それに、悠月たちが〝表〟に戻されていないという事が、まだ結界の楔は破壊されていないという何よりの証拠だった。
「このまま根本中堂まで走る!」
隊列を維持したまま全員が境内の中を駆けるが、㰷眼の数は進むほど増えるばかりで、辺りには原形を留めず崩壊している建物が目につく。
悠月たちはなんとか根本中堂の付近まで辿り着くが、参道には大量の㰷眼が障壁結界を破壊しようと群れを成していた。一方で背後にも大量の㰷眼が迫ってきている。
「このまま突っ切る! 全員先に行け!」
悠月は空に刀を掲げて足を止めると、皆を先に行かせる。
「【雷槌閃】!」
雷の落撃が地面で弾けて周囲の㰷眼を灰にする。
全員がその合間を縫って根本中堂の障壁結界の内に入ると、悠月も一直線に合流した。
「【炎円獄爛】」
悠月が障壁結界の内側に入った直後。波留の瞳術によって結界外に円柱の逆巻く炎が出現すると、背後から迫っていた大量の㰷眼を燃やし尽くした。
一先ず周囲の㰷眼を蹴散らし、安全圏へと辿り着くことができた。
「……全員無事?」
波留が肩で息をしながら問うが、悠月と透哉以外は座り込んでしまっている。
「ちょっと……! どうなってんのよこれ……百鬼どころか、ここら一帯に千は余裕でいるんじゃないの……!」
明日香が嘆くのも無理はない。昨日の比ではない上に、こんな数の㰷眼は悠月だけでなく、きっと波留でさえも見たことがないはずだ。
はっきり言ってこの規模で京都への侵攻となると想像以上だ。
「うっ……!」
立ち上がろうとした逞真が痛みに耐えるようにたたらを踏んだ。致命傷ではなさそうだが、袴が破れている右の太股から出血を起こしているのが見える。
「私が見ます! もう一度座ってください」
「……ごめん僕が一番頑丈なはずなのにこんなドジしちゃって……」
「いえ、気にしないでください」
芽衣に促されると、逞真は座り直して治療を受け始めた。
「悠月、とりあえず私から術協に連絡して、比叡山の〝表〟一帯の人払いをしてもらうようにするよ。あっちも事態を把握して既に動いてくれてたら助かるんだけど……」
「どうだろうな……延暦寺なら必ず守人がいるはずだけど、ここには誰もいない……」
波留が電話をかけ始めると、悠月は火の手が上がっている方角を見た。
延暦寺には三つの区画があり、悠月たちがいるのは東塔だ。残りの二つが西塔と横川という区画で、方角的に燃えているのは前者の方だろう。
加えて時刻は十八時半を過ぎた頃だ。燃えるように赤い夕焼けも相まって、悠月はどこか落ち着かない感覚を覚える。
「透哉、逞真の治療が終わったら鎮火をお願いしたい。頼めるか?」
「ああ、それくらいは」
〝表〟に㰷眼を出さないためにも現時点で最も防衛が必要なのは眼の前の根本中堂だ。しかし、まずそのためには山一帯を燃やし尽くし兼ねない火を消す必要がある。
「やっぱりまだ術協に連絡は入ってなかったみたい。ここら一帯の人払いはお願いしたけど、京都の西の方でも㰷眼が出てるって」
波留がスマートフォンをしまいながら言った。
「……そっちはほぼ確実にこの大軍勢を東からぶつけるための陽動だろうな」
「そうだろうね。でも、やるべきことは何も変わってないよ。私たちは、私たちのやれることをやろう」
波留が毅然と言い切ると、悠月も頷き返した。
まずは根本中堂の死守、そしてこの比叡山のどこかにいる酒吞童子を討つことだ。後の掃討戦なら、それこそ術協なり、各名家の人間に任せてしまえばいい。
「こいつは驚いた。もう新しい人間が来とるとは」
声がしたのは根本中堂の向かいに位置する長い階段の上からだ。全員がその先に視線を向けると、双眸から濁った錫色の光を放つ一体の㰷眼が下り来ていた。
「それにしても男は不味い。やっぱり食うなら女の肉だな」
二本角に浅黒い肌と脈打つ血管の様な筋。右手には刀を、左手には人間の千切れた左足を持っている。体躯は人間とほぼ同じだが、なればこそ凝縮された凶悪さを秘めているように感じる。
「【天炎万丈———刀刺】」
波留が刀を地面に突き刺すと、㰷眼の足元から全身を覆い尽くす刀を模した炎の柱が上がる。
「オイオイ、挨拶もなしにいきなりとは。人間様は怖いな」
しかし、㰷眼は刀で炎を振り払うと、何事も無かったかのように階段を下り続ける。
「そういうあんたも元は人間でしょ」
「そんなのは忘れたさ。げっ……焼いても不味いもんは不味いな」
波留の言葉に㰷眼が愉快そうな嗤いを浮かべると、左手に持つ足をひとかじりしては、そこらに投げ捨てた。
先ほどの波留の一撃を容易く凌いだことに加えて漂う秀逸な邪悪さといい、この㰷眼は間違いなく一級の術眼に匹敵する強さを持っている。
「止まれ」
「言われなくても止まらざるを得ないだろ? この結界があるんだからよ」
刀を構えた悠月に対して、㰷眼は肩をすくめると障壁結界の前で立ち止まった。
「女が一、二、三か。よし、そこのお前、女ども全員こっちによこせ。そしたらお前の事は楽に殺してやるよ」
「横柄なうえに内容もキモイのよあんた!」
明日香が拳銃を構えると、距離にして二十メートル程先にいる㰷眼へ一発の弾丸を放った。
「どいつもこいつも話を聞かねぇやつだな」
㰷眼が刀の切っ先を弾丸に命中させると、刃こぼれさせることなく真っ二つに割いた。
しかし、その初弾は陽動だ。続けて明日香が二度引金を引くと、先程とは違い翡翠色の光を纏った弾丸が飛ぶ。この近さでは曲げることは出来ないが単純な加速は可能だ。
その速度はもはやライフル弾の域に達している。しかし———
「なっ!?」
「まぁ、威勢のいい女は嫌いじゃねぇけどな」
明日香の驚く姿をよそに、今度は刀を使わず㰷眼が回避した。
「そこからどうするつもりだ。障壁結界の内側にいる限り、俺たちが優位なのは変わりないぞ」
「さっきからお前なんなんだよ? 偉そうで鬱陶しい、女を差し出さねぇんだったらさっさと死ね……って、ああ……結界が邪魔なんだったなっ」
㰷眼が最後の言葉を息むように言うと、左腕で見えない障壁結界を殴った。四方に囲まれた空間が揺れ、鐘を突いたような低く伸びる音が辺りに響く。
「まぁ、オレはお前ら人間と違って卑怯な真似はせん。だから先に教えといてやるよ」
そう言うと㰷眼は障壁結界に刀を突き立て、捻った。
「オレの術眼は音を斬る———【共音眼】だ」
見ると、㰷眼の瞳からは邪悪な錫色の光が強く漏れ出ている。
結界は瞳力によって保持、保護されている。そのため生半可な瞳力では不可能だが、瞬間的にでもその総量を上回れば破壊することは出来るには出来る。
だが、これは違う。瞳力の押切ではなく、この㰷眼がやっているのは———瞳術による干渉だ。
「くっ———!」
振動と共に硝子のように割れた障壁結界の残滓が宙を舞う。
「行くぞ人間、オレは星熊童子。我らが死王、酒吞童子様から名を授かった四天王の一人だ」
星熊童子と名乗った㰷眼が一歩踏み込むと、逞真と芽衣に向かって刀を振るう。その動きはまさに音速だ。
だが、悠月はすぐさま【雷光眼】の力で追いつくと、その攻撃を弾き返した。
星熊童子の口元に笑みが浮かぶ。
「へぇ、速いな」
「卑怯な真似はしないとか言ってた割に初手から怪我人狙いとはな」
「お前ら人間は昔、酒吞童子様らを酒で弱らせてから首ちょんぱしたんだろ? それよりは全然、良心的だと思うがな」
直後、星熊童子の背後を取った透哉がその首を撥ねようと大鎌を振るう。
「㰷眼が良心を語るなんて愚かなだな」
「あ? なんだよ、この陰気臭いチビ」
星熊童子が刀を首元に滑り込ませると、その攻撃を受け止めた。更に大鎌から抜け出すのと同時に刃先を刀で絡めて、悠月の方へと透哉を引っ張る。
ぶつかりそうになる手前、上段切りを繰り出そうとしていた悠月は刀を引くしかない。
その隙に星熊童子が刀で悠月の首を狙おうとしてくるが、間髪入れずに明日香が弾丸を打ち込むことで引き剥がした。
「【氷結縫】」
悠月との接触を回避した透哉が、すぐさま星熊童子の足元に水色の光を浮かび上がらせると、瞬時につま先から膝までを凍結した。
「【氷晶牢———剣山】」
連続した透哉の瞳術。足元から幾つもの氷柱が伸びて、串刺しを狙う。
しかし、星熊童子からは余裕の笑みが消えない。
「言っただろ?」
最初の波留の攻撃を払ったように、星熊童子がたったの一振りで全ての氷を割った。
「オレの瞳術は音を斬るって。氷も音は鳴ってるんだよ」
「くっ……!」
それでも透哉はすかさず幾つもの氷槍を上空に生成すると、一斉に飛ばす。
「【氷槍雹】!」
「【炎喰斬】」
しかし突如、真横に回り込んでいた波留がタイミングを合わせるように炎の斬撃を放った。
「波留!?」
透哉自身、全く予想していなかったのだろう。言葉だけでなく表情にまで出ている。
それを見た星熊童子が今度は呆れた表情を浮かべる。
「おいおいしっかりしてくれよ。それに、どこ狙ってるんだよ」
波留の放った炎の斬撃は星熊童子の目の前を通り過ぎていく。
だが直後、その攻撃は透哉の生成した氷槍と衝突し、銃声よりも重く強烈な破裂音を辺りに響かせた。
超高温物質と言える炎の斬撃は衝突した直後から氷槍を融解し、発生した水分を急速蒸発させたことで水蒸気爆発を起こしたのだ。
瞬間的に水飛沫と蒸気が星熊童子の周囲に立ち込み、視界が真っ白になる。
「お前は音を斬るんだろ」
波留の手によって意図的に作られたその物理現象の機会を悠月は逃さなかった。
星熊童子は明日香の一発目の弾丸を斬った。でも二、三発目はそうせずにかわした。つまり、音のしない攻撃は斬ることができない。
「じゃあ音を置き去りにする雷の一太刀はどうだ」
「ちっ———!」
完全に出遅れた星熊童子の右腕を悠月は神速の一閃で肩から切り落とした。
黒い体液が吹き出し、根本中堂の前庭を濡らす。
「この程度で……調子に乗るなよ、ガキどもがぁ……!!」
星熊童子が吠え猛る。しかしその直後———
「どうした星熊。だいぶ手こずっているようだな」
いつの間に現れたのかは分からない。
「———!?」
突如、悠月の視界には階段に腰かける新たな㰷眼の姿が映った。
垂れる長い栗色のくせ毛の間から生える五本角に、大口と剝き出しの牙。四メートルはあるだろう巨体の肌は血濡れのように赤く、そこから伸びる剛腕にはそれぞれ瓢箪と盃が握られている。まるで浮世絵から抜け出してきたかのような風貌。間違いない、こいつが———
「酒吞童子様……」
星熊童子が動揺と共にその名を零した。
纏う悍ましさは悪鬼の王として歴史に名を刻むに相応しい。
気付けば悠月の全身の肌も粟立っていた。




