第一話 名家の事情
最も多くの怪異が現れたのは平安時代だと世間では言われている。実際、当時は〝裏〟の結界がまだ無かったのだから怪異改め、㰷眼は人々にとって身近な存在だったはずだ。
〝裏〟が作り出されたことにより、㰷眼の目撃数は徐々に減るようになった。ただし、それはあくまで一般人に見えなくなっただけの話しで、その数は増加の一途を辿っている。
全ての術眼が㰷眼になってしまう訳ではない。だが平安時代から約千年を重ねて、日本の人口は二桁も増えた。その間に霊感や超能力の類———つまりは術眼の才能を持つ者が現れ続けたため、㰷眼の出現率が上がるのは当然だった。
悠月の持つ【雷光眼】の先祖は平安時代に武官として朝廷に仕えた源頼光にあり、血筋としては源氏にあたる。そのため、鎌倉幕府の初代征夷大将軍である源頼朝とも辿れば遠縁であるらしいが、武士である事で得られる権益など、歴史にある通り明治維新で既に淘汰されている。
結果だけを見ると、こうして令和の現代に残ったのは㰷眼退治という家業だけだ。幸いなのは日本国側が自分たち瞳術使いの存在を認知し続けてくれていることか。
瞳術使いがいなければ㰷眼は生まれてこない。それはまごうことなき事実だ。
しかし実際に瞳術使いが消えてしまえば現存する㰷眼たちによって〝裏〟の結界は破壊され、〝表〟は凄絶とした光景になることは目に見えている。つまりは共存共栄、持ちつ持たれつ。言い方を選ばなければ日本国側は見捨てたくても、見捨てられないということになる。
人知を超えた力を持っている分、瞳術使い側が優位な立場にある事は間違いない。だがそれも、力に対する責任という意味では、一生戦い続けなければならない運命にある。
昼休みも終わりに差し掛かる時間帯。喧騒が絶えない教室の片隅の自席に悠月はいた。
高校二年生の悠月が通うのは中高一貫の私立校だ。代々理事長を務める家系が瞳術使いの事情を知ってくれているため、一般生徒に紛れて生活をしている。
「どうしたのよ悠月。今日は朝から寝ないでぼーっとしてちゃってさ」
悠月が昨日の出来事を思い返していると、馴染みある一人の女子生徒に声をかけられた。
桜色の薄い唇にくっきりとした二重瞼と鼻立ち。大和撫子を連想させる艶やかな長い黒髪を持つ女子生徒の名は渡辺波留だ。身長は百六十センチ後半もあり、今でこそ悠月の方が高いが、中学二年生まではずっと負けていた。彼女も悠月と同じく由緒ある瞳術使いの家系の出自で、しなやかな指先からは想像できないが刀を振るう。
「そうか? 自分で言うのもなんだけど、わりと学校ではぼーっとしてると思うぞ、俺」
「いや、それは否定しないんだけどさ。任務があった次の日は朝から机に突っ伏して爆睡するのが常な悠月が、今日の午前中はちゃんと起きてたから何か変だなーと思って。違う?」
おおよそ、それが普段の悠月の日常である事に違いない。見透かしたようなしたり顔を浮かべる波留に対して、せめてもの抵抗で悠月は不服の表情を露わにする。
「……なんで俺が任務あったって知ってるんだよ」
「昨日たまたま〝裏〟で見かけたんだよ」
「だったら声くらいかけろよな」
「かけようとは思ったよ? けどそっちがあっという間に通り過ぎて行ったからかけられなかったんじゃない」
思わず口ごもってしまう。昨日は途中から芽衣のことを置き去りにしていたし、波留の姿を見落としていたという可能性もなくはない。
「で、なにがあったのさ? 来週に迫った中間テストに向けて、まさかあの悠月が真面目に授業を受けてたとか言わないよね」
「……波留は俺のこと何だと思ってるんだよ」
「んー、ぶきっちょ?」
少し考える素振りを見せたかと思えば直球で揶揄され、流石に悠月もため息をこぼしてしまう。しかし波留の視線からして、このまま誤魔化すことは難しそうだ。
「……昨日〝裏〟にいた時、声をかけられた」
「誰に?」
「分からないんだ。気が付くと後ろを取られてた……」
「なんにせよ悠月の背後を取るとはね……。それで何を言われたのさ?」
波留は感心したような口調で言うが、その表情は先ほど違って真剣そのものになっている。だから悠月も幼いころからの知り合いである波留にはありのままを伝える事にした。
「酒吞童子が千年の眠りから目を覚ました。二日後、京都に向けて百鬼夜行が行われる。そうなれば平安の世以上の悪夢が起こることになる、って」
「……冗談にしては全く笑えないわね」
表情だけなく口調も剣呑な雰囲気に変わると、波留は腕組みをして言葉を続けた。
「それ、術協には言ってあるの?」
波留の言う術協は術眼保全協会という東京に本部を置く組織の事を指している。運営は瞳術使い側だが、ここを通して日本国側から依頼や援助、報酬などが支払われるようになっている。
「まだ何も。不確かな情報な上に信憑性がないしな。それに酒吞童子が本当に復活してるなら封印先の障壁結界に何らかの異変が起こるはずだ。そうなれば必ず誰かが気づく」
それもそうね、と波留が伏し目がちに呟くと、数秒経ってもう一度悠月に視線が向いた。
「それでいつ? 早い方が良いよね」
あまりにも唐突過ぎて、悠月は思わず目を丸くする。
「なにその顔。ほんと、悠月は昔から分かりやすいんだって。どうせ一人で見に行こうとしてるんでしょ? 今日だったら私も行けるよ」
堪える気もなく波留が吹き出すと、そのまま口元に薄い笑みを浮かべた。
しかし、それよりもだ。確かに考えを見抜かれたことには一瞬焦りを覚えたが、それ以上に波留からの提案に驚かされてしまう。
「いやいや! 流石に渡辺家の当主様を借りるのはダメだって! ましてや源家の俺がそれはマズいだろ……」
「大丈夫だって。当主って言ったって私はまだまだお飾りだし。政を含めて対外的なものは爺様がやってるから。そう言えば悠月の所のおじ様も昨日から東京に行ってるんでしょ?」
「ああ……親父は今東京だよ」
源家の当主である悠月の父親は術協の定期会合で昨日から家を空けている。それは名家と呼ばれる由緒ある家々の当主も同様だ。だから本来なら渡辺家の現当主である波留も、東京へ行っているはずなのだが、学校にいるということは言葉の通りなのだろう。
「鬼の居ぬ間になんとやら、ってね」
先ほどの剣吞とした雰囲気は一体どこへ消えたのかと思うほど、波留があっけらかんと言う。しかもその態度から何か妙なものを感じる。喜楽の感情であるのは違いないのだろうが、何を考えているかまでは分からない。
「そうだ。せっかくだから明日香たちにも声かける? 人数は多い方がいいでしょ」
京都には悠月と波留の家を除き、名家と呼ばれる瞳術使いの家系があと三つ存在している。
だから悠月は今度の波留の提案を聞いて固まった。
「……それ、本当に大丈夫か? 後々マズくならないか?」
「流石に私の立場で呼び集めたってバレたら、あの子らの家がうるさいだろうから、そこは悠月が声をかけた事にして欲しいんだけど、どう?」
どう? と言われても、というのが悠月の中での率直な思いだ。
はっきり言って名家たちの仲はどこも悪い。
平安時代までの〝見える㰷眼退治〟は主君を支えるためのものであり、政治や人々に与える影響が大きかった。何よりも世間からの扱いは英雄的だったのだ。しかし時代が過ぎ去り、㰷眼の存在が人々から遠ざかるようになると、名家たちは協力し合う事をやめた。
模範や憧れといった英雄たらしめる理由を失くした人間が格好をつける義理はない。
今となっては術協での権力や派閥争いが何百年と続くばかり。確かに術協は瞳術使いたちに与えられた社会とも言えるが、それは歪で小さなものに過ぎない。
「……」
今度は悠月が腕組みをして思い悩む側になっていると、波留が徐に口を開いた。
「……私たちさ、昔は結構仲良かったじゃん。でも家の立場がどうとかで親たちからは縁を切れって言われてさ。……本当はそんなの私たちには関係ないじゃん。付き合う相手を選ぶのは自由なはずでしょ?」
笑みを浮かべているのに翳りを含む波留の表情に、悠月は何も言えなくなってしまう。
波留が渡辺家の当主になったのは今から一年と少し前のこと。中学を卒業したばかりで、まだ冬の肌寒さが残る三月に前当主である波留の父親が任務中に亡くなったのがきっかけだった。
「私ね、今の当主連中が退いたら皆とはまた仲良くしたいと思ってるんだよね」
波留の父親の訃報を聞いた時、悠月の父親は顔色一つ変えなかった。同じ当主として薄情だと思ったけれど、それほどにも家同士の繋がりは希薄なのだと改めて思い知らされた。
もしかすると波留は家同士が結託していれば、父親が死なずに済んだと考えているのかもしれない。友人や知り合い———いや、誰にも死んで欲しくない気持ちは瞳術使いとして生きる悠月も同じだ。
明日は我が身。そして手を取りあえるなら、そうありたい。
「……分かったよ。じゃあ三人にも声をかけてみよう」
「さっすが悠月! 四天王を束ねた長の血を引くだけはあるね。器量が違うや」
「関係あるか? 血筋の話しするなら俺も波留も一応は遠縁だろ」
「元を辿れば源氏ってだけでしょ。私の先祖の渡辺綱は頼光の血を引いてるわけじゃないし」
波留がいつもの調子に戻ったのを見て安堵すると、悠月は制服のブレザーのポケットからスマートフォンを取り出した。
「明日香の方は波留に任せていいか? 俺は透哉と逞真に、」
「んー、それでもいいんだけど、悠月が明日香に声かけてくれない?」
半ば遮るように口を開いた波留に対して、悠月は首を傾げる。
「代わりに私が透哉君と逞真君に声かけるから。それでもいい?」
「ああ……別に構わないけど……」
歯切れ悪く悠月が言っている途中で昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴った。
「それじゃあ決まりね。じゃあ放課後、旧校舎三階の奥の空き教室に集合でいい?」
いまいち腑に落ちないが、話は纏まっているので波留の段取り通りで問題はない。
「それでいいよ。そっちもよろしく頼む」
会話を終えると、波留もスマートフォン片手に自席へ戻って行く。
悠月も自分の握っている端末に視線を落とすと、メッセージアプリを起動した。
思えば三人と連絡先を交換したのも、波留のお節介が始まりだったか。家同士の事情を考えると、流石に悠月からはそのように言い出せなかった。
そういう意味では、『皆とはまた仲良くしたい』という波留の言葉はやはり本心なのだろう。
しかし、明日香とは〝裏〟で偶然会って少し会話する事はあっても、連絡を取るのはこれが初めてだ。何より、もうあの三人が高校生になって既に二ヶ月が経っていると思うと、少し感慨深い。
悠月は懐かしい感情を少し思い起こすと、卜部明日香とのトークルームを開いた。




