廻眼
夢を見た。愛する人を残して死ぬ、そんな救われない夢を。
初夏が訪れつつある五月末。夜更けの京都市内の山中で源悠月は㰷眼と対峙していた。
藍色の長着に黒色の袴。腰には鞘、手には刀を握り、源家の家紋である笹竜胆が背に描かれた白色の羽織をはためかせ、悠月は双眸に藍色の光を宿す。
一方で㰷眼と呼ばれる存在は三メートルを超える体躯に黒ずんだ斑模様の皮膚をしている。他にも白濁として虚ろに光る瞳を始め、鋭利な爪や牙に二本角など悍ましさを上げればきりがない。
まさしくその姿は日本書紀に古くから登場する怪異のそれだった。そして、両者の瞳が発光しているのは術眼———瞳力を宿した特殊な眼が起こす現象だ。
———ああ、この眼も泣いている。
悠月は対峙する㰷眼を見てそう思った。
眼は真実を語る。
言葉に出さなくても、脳で否定したとしても、眼は生きて全てを見ている。
対峙する㰷眼はおおよそ鬼の様な姿をしているが、元は人間の眼だった。
けれど死んで、背負い続けた負の感情を吐き出すと㰷眼へ変貌した。
こうなればもう戻ることは叶わず、何かや誰かを呪うことでしか存在を保てない。
悠月は無意識のうちに㰷眼の瞳から視線を逸らした。
直後、悠月の瞳に宿る藍色の発光が強まる。瞳力を消費して行使する瞳術の前兆だ。
「【瞬雷】」
全身に藍色の雷を纏うと、電気特有の乾いた音を置き去りにして、㰷眼の前から姿を消す。次の瞬間、後ろを取った悠月は躊躇うことなく刀で背中を貫いた。
「【霹靂神】!」
内側に大量の雷が迸ると、雷鳴と共に㰷眼が破裂する。
飛び散った肉片は瞳力の供給が無くなった事で徐々に灰となり、最後には地面に眼だけが残った。しかしその眼もひと度、冷たい風が吹けば夜闇に霧散する。
㰷眼の瞳力が完全に消失した。
悠月は周囲に同じような気配がないことを確認すると刀を鞘に納めた。
これで今日の任務は終わりだ。後は従者である芽衣が追いついてくるのを待つばかりだが、㰷眼を倒した以上、こちらから山を下りればいいだけのこと。
そう思い、悠月が振り返ろうとした瞬間だった。
「源悠月、」
何者かが背後に立った。いや、一瞬で湧く様に現れたと表現する方が正しいか。
だがそれもありえない。周囲には瞳力はもちろん生き物の気配すらなかったはずだ。
「最強の怪異退治として名を馳せたかの頼光公の血を引き、同じ【雷光眼】を持つ者よ」
低く押し殺すような冷たい声に殺気は含まれておらず、漂うのは計り知れない不気味さだけ。
言語を操る㰷眼も存在するが、それならば常に微量の瞳力が漏れ出ていて、必ず気づくことができた。それが無かったということはこの者は人間という事だ。
それも悠月と同じ瞳術使いであることは間違いない。しかもかなりの上手だ。現に今も背後からはほとんど気配を感じない。
悠月は息を呑み、慎重に口だけを動かす。
「……何者だ? ここまでやってどうして俺を殺そうとしない……」
訪れる沈黙。膨らむばかりの不気味さに肌が粟立ちながらも、悠月はもう一度、今度は別の問いを口にした。
「目的は俺の眼か……?」
「酒吞童子が千年の眠りから目を覚ました」
それが求めている答えでないことは明白だった。けれど聞き覚えのあるその名について、悠月は問い返さずにいられなかった。
「……あの三大怪異の酒吞童子のことを言っているのか?」
「二日後、京都に向けて百鬼夜行が行われる。そうなれば平安の世以上の悪夢が起こることになる」
「どういうことだ……! 何故お前がそんなことを知っている!」
再び訪れる沈黙。悠月は問いただすことを諦めると藍色の双眸で足元を見た。これまで雲に遮られていた月光が徐々に地へと差し込み、自分と相手の並ぶ影を濃く映し出す。
体格はおそらく自分よりも小さい。思えば声音も女や若い男のものだった。何より、影に映る姿からして武器を持っている様子はない。
悠月は息を呑んだ。この【雷光眼】の速さでなら相手を捉えられるはずだ……。
「ゆ、悠月様ぁ!」
しかし、動き出そうとした直前、前方から芽衣の慌ただしく走る姿が見えた。藍色を基調とした平安装束と呼ばれる水干の袂を大きく揺らしている。
「———!」
瞬間、悠月は切らしてしまった意識を背後に向け直した。
しかし、気配はもう消えている。振り返ってもみるが、やはりそこには誰も立っていない。
背中を伝う汗が下着に張り付く。㰷眼との戦闘中もそうだったはずなのに、一度意識すると何故か急な不快さが込み上げてきた。
「悠月様……いつもの事ではありますが……は、速すぎます……!」
芽衣が目の前までやって来ると、足りない酸素を何度も大きく吸い込みながらそう口にした。しかし呆然とした様子の悠月の藍色の眼を見るとすぐ表情を変える。
「……どうかされたんですか? ……まさかお怪我を!」
小ぶりな顔を包み込むように整えられた芽衣の短い髪からまん丸な瞳が覗き込んでくる。
悠月は瞳力を解くことで藍色の眼から、普段の黒目に戻した。
「何でもない。今日の任務も無事に終わったよ」
言葉だけでなく、首を横に振ることで気持ちの切り替えを図る。芽衣に心配をかけないことに越したことはない。
「……そうですか」
まだ少し窺うような表情をする芽衣だったが、「ああ」と悠月が平然と頷きを返すことで、濁りのないガラス玉の様な瞳で笑った。
「それじゃあ帰ろうか」
「はい!」
快活に返事をする芽衣の容姿は中学二年生にしてはまだまだあどけなく幼い。更には裁着袴といったズボンのような見た目に脚絆も相まってか、今の風貌は大昔の公家の童そのものに見える。時代が時代なら美男子と間違えられていたかもしれない。
「ここから一番近い結界の出口は分かるか?」
「ちょっと待ってくださいね」
芽衣が帯にしまっていたスマートフォンを取り出すと地図アプリを開いた。
「このまま山を下って南東に向かえば神社があるので、そこの鳥居を使って〝表〟に戻りましょうか」
悠月は芽衣と一緒に歩き始めると、山中の木々の間から〝裏〟の街並みを眺めた。市内の南北を繋ぐ一番大きな通りである油小路通を始め、見慣れた京都特有の碁盤の目には明かりさえ灯っているが、騒音はおろか車の一つも走っていない。
〝裏〟———すなわち結界の中は普段生活している〝表〟に対して鏡の様になって存在している。おまけに建造物のほとんどが〝表〟の複製で出来ているため、普段と変わらない景色がこうして悠月たちの前に広がっている。
「そう言えば高等部も来週からテスト期間ですよね? ここのところ夜は任務が多かったと思いますが勉強の方はちゃんと進んでいますか?」
目下、全くもって学生には嬉しくないイベントだ。先ほどの出来事に対してまだ拭えない蟠りが胸中にあったが、それを吹き飛ばすほど面倒くさい感情がせり上がって来る。
「……一夜漬けでなんとかするよ」
「もう、だめですよ悠月様。私たちは瞳術使いである前に一人の学生なんですから。学生の本分は何ですか? そう、勉学です」
芽衣は従者であるが、三つ歳が離れた従妹でもある。だからと言って母親のようなお叱りを受けるとは思わず、悠月は口ごもってしまう。
「……別にいいだろ、毎回張り出される学年四十位以内には俺の名前あるんだから」
「ギリギリじゃないですか。それも暗記科目でカバーしているだけですよね」
「……」
続けられるお小言に悠月はとうとう黙り込んでしまう。
「普段から勉学に励んでいれば悠月様ならもっと上位の成績が取れるはずです。少しは波留様のことを見習ってください」
「芽衣、あれはあいつが超人でおかしいだけなんだよ」
「そんなことありません! 悠月様にだって絶対にできます!」
何故当の本人よりも芽衣の方が熱くなっているのか。本当に良く出来た従者を持ったと苦笑を浮かべざるを得ない。
しかし、そうは言っても逢魔時にかけて動きが活発になる㰷眼との戦闘を日常とする傍ら、学業とのバランスを取るのが難しいのは事実だ。
悠月は芽衣がいる手前、ため息をつく事を堪えると、もうすぐやって来る朝の下を黙って歩いた。




