第六話 自分にはなにもない
透哉は制服から灰色の袴に白の長着へと着替える途中、昨夜のことを思い出していた。
碓井家は京都市右京区の嵐山付近に本陣を敷いて㰷眼退治を行っていた。しかし、やはり戦いは厳しいもので、倒しても次から次へと㰷眼は山から現れた。
そんな中、当主代理として指揮を執っていたのは一番上の兄だった。
兄は色付の㰷眼を先頭で叩くため精鋭で山に入り、それ以外の者は平野部に流れて来た弱い㰷眼を退治する受皿の役割を担っていた。
そして、透哉が配置されたのは後者だった。
兄や姉が前線で戦う中、一人後方で従者と共におこぼれの㰷眼を倒す。それはどうしようもない屈辱だった。
惨めさに駆られた透哉はより多くの㰷眼を倒すため、持ち場を離れて一人山中に向かった。碓井家に仕える者たちの声を無視し、従者が追ってくるのさえも振り払って。
家の中に味方はいない。
透哉がそう思い始めたのは十歳を超えた頃からだ。
碓井家の四人兄弟の末の子として生まれ、誰よりも期待をかけられて幼少期を過ごした。でもその理由は二人の兄と姉には【洯清眼】が遺伝しなかったからだ。
千年も続く一族だ。長らえさせるには他の血と交わる必要があった。それでも、代が変わる頃には毎回、半数以上の子が【洯清眼】を持って生まれてきた。それに親が他の術眼でも隔世遺伝により、その子が【洯清眼】を持つ場合だってあった。
だから未来では偶然や不運という言葉で片づけられるだけなのかもしれないが、今の代の碓井家の人間で【洯清眼】を持って生まれたのは父と透哉だけだった。
父は厳しい人だった。それでも透哉にとっては憧れだった。
期待に応えたかった。だから碓井家が代々操る武器の大鎌だけでなく、剣術も槍術も人一倍鍛錬を積んだ。
けれど、一番上の兄の様の様に強くなれず、二人目の兄の様に大きくもなれず、姉の様に賢くもなれなかった。
自分は本当にただ【洯清眼】を持っているだけだった。
『透哉さん以外に【洯清眼】が遺伝すれば良かったのに』
家の中でその言葉を聞いた時、自分には味方がいないことを知った。だから長年、自分に仕えてくれている従者であろうが、今では誰一人として信用していない。
自分の価値は戦いの中でしか示せない。
だから透哉は単独で山の中へと入って行った。
曲がりなりにも生まれながらにして一級に認定される【洯清眼】だ。山に入っても問題なく、透哉は戦えていた。けれど侮りか焦りか。色付の㰷眼に不意を突かれ、透哉は死に直面した。
こんなところで終わるのか、と思う反面、不思議と心は凪いだように静かだった。
しかし、そこに現れたのが能面野郎だった。
たった一閃で㰷眼の首を落とし、姿を消した。
透哉は命を助けられたことに気付くと、辺りを見回した。そして家の者には誰も見られていないことを確認すると安堵した。これ以上、恥を上塗りしたくなかったからだ。
けれど直後から、そんな思考をしたことに激しく後悔した。死を目の当たりにして何も感じていなかったはずの心から、情けなさと怒りが溢れ出て爆発しそうになる。
これこそ、自分が弱い証拠なのだと思い知った。
透哉は地面に落ちた大鎌を拾い上げると、能面野郎を追いかけるために無我夢中で走った。思いの外、近くからは兄たちの声がして一気にその場まで駆け抜ける。
山岳道路の開けた場所。そこで兄たちは言葉を解する色付の㰷眼と対峙していた。強敵なのだろう、八名の精鋭がそれぞれ役割を持って、堅い陣形を組んでいるのが一目見て分かった。
けれど、そんな相手にも関わらず、またも能面野郎は一人で退治してみせた。
ほんのひと時の間。その場の空気感は静まり返ったが、次の瞬間には一番上の兄の号令の下、碓井家の精鋭たちが一斉に能面野郎に襲い掛かった。
【洯清眼】の移植を受けた一番上の兄の瞳術はもはや全てにおいて透哉のそれを上回っている。そして次男や姉の術眼も一級に認定されている言わば箔付きだ。残りの五人でさえも、歴戦の猛者と言っても過言ではない強さを誇っていた……誇っていたのだ……。
能面野郎は【雷光眼】の力を最大限に活かして接近戦に持ち込むと、兄や姉を赤子の手をひねるように容易くねじ伏せた。
結果的にその場にいた碓井家の精鋭たち八名は殺されるどころか、怪我をすることもなく惨めに負かされた。
その刀技は惚れ惚れするほどに美しかった。
しかしそれは同時に透哉の中で激しい憎悪にも似た嫉妬の感情を生んだ。
何者でもないはずの能面野郎が状況をかき乱し、自分の世界を壊していく。独りなくせに、誰にも求められていないくせに、そんな力を持っている事がただただ腹立たしかった。
「クソが……」
昨夜に抱いた怒りが内側からせり上がって来るのを感じると、透哉は追憶を断ち切るように目の前の姿鏡を殴りつけた。手の甲からは少量の血が滴る。
しかしそんなことを気にもせず、透哉は割れた姿鏡の前で水色の羽織を着た。本来であれば橘の実と花を象った家紋が描かれているが、その背中にはない。
まだ自分にはそれを背負うだけの資格がない。
別に当主になりたいわけじゃない。けれど認めてもらえないことは酷く苦痛だった。
———俺があの能面野郎も酒吞童子も倒してやる。
透哉は大鎌を背負うと誰にも何も言わず家を出た。




