第四話 そんなことは今更
「さっきの、」
昼過ぎの晴れた空の下。一番奥の景色がよく見えるベンチに波留が腰掛けると、空いている隣をポンポンと叩いて悠月を見てきた。
座れということなのだろう。悠月は促されるまま波留の隣に座った。
「本当はあの人の眼を瞳力で焼き切って失明させてやろうかと思ったんだけど、逸らされちゃった。顔を固定してやればよかったかな」
吹いた風に波留の長い髪が靡いて表情は読み取れない。けれど、その声音は恨み節を言っているにもかかわらず、酷く悲しそうなものに思えた。
「冗談だよ、なんか言ってよ」
「波留……」
名前を呼んで、何かを言わなければいけないと思ったけれど、その先の言葉が出で来ない。
「瞳術は万能じゃない。芽衣ちゃんの回復術だって傷は塞げても壊死した腕までは治せないし、私と悠月だって戦う力はあっても、誰かを救える力がある訳じゃない。それに、私たちはいつの日か自分の眼が化け物になるかもしれない事を、常に頭のどこかで考えながら生きてる」
遠くを見つめたまま波留が言葉を続ける。
「今回の事は同じ瞳術使いが腹いせでやったって言うなら別に何とも思わなかったと思う。私もたまにこんな世界ぶっ壊れたらいいじゃんって思う時があるから」
でもさ、と紡ぐ波留の手は無意識のうちに拳を作っていた。
「私がそうしないのはさ、家族や渡辺家を支えてくれる人がいて、悠月や学校の友達がいるからなんだよ……皆の事を考えたらそんな馬鹿な真似は絶対にできない」
悠月は黙ったまま頷いた。例えこの世界のことを呪っても、自分にとって大事な人たちまでを呪う気にはなれないし、不幸になって欲しいとも思えないのは一緒だ。
「……なんで私たちの世界の事も知らない人が犯した失態を尻ぬぐいしないといけないんだろうね。ノリで最強の化け物を復活させられたなんて、堪ったもんじゃない。私らは命を掛けてるんだから、こんなの公平じゃないよ」
「でも……あの人だって、そんなつもりでやったわけじゃないことは波留も分かってるだろ」
そんなことは今更だった。
誰に言われなくたって、悠月も波留もずっと前から分かっている。
波留がゆっくりと首を横に振った。やはり理解はしていて、だけれどもやるせない気持ちが心を覆っているのが表情に現れた。
「昨日、うちに仕えてくれてる人が一人亡くなったんだ。そっちは?」
「……幸いにも死人は出てなかったけど、怪我人は結構出た」
そっか、と波留が呟いて続ける。
「当主として薄情かもしれないけど、亡くなった人と私は別に親しかったわけじゃいから、不思議と惜しんでも悼む気持ちはあんまりないんだ。……でもね、酒吞童子の封印が解かれることがなければ、きっとその人は死ぬこともなかったし、怪我人も出なかった。だから、」
光さえ帯びていないが波留の目には明確な怒りが滲んでいた。
「知らなかったら何をしても許されるなんて道理はないんだよ」
しかし言い切ってすぐ、波留はぶつける相手を間違えたと言わんばかりにバツが悪そうに悠月から視線を逸らした。
「ごめん……別に悠月を否定したいわけじゃないから」
「ああ、それは分かってる」
波留が薄い笑みを浮かべると長いため息をついた。
「でもなんか吐き出したらちょっと気が楽になったかも」
そして、まだ夏の様に真っ青とまでいかない五月の空を見上げて、突然、「あーあ」と残念そうに、けれど痛快そうに続けた。
「全部ほっぽり出して、どこか遠くに行けたらいいんだけどなぁ」
波留が当主になったのは異例も異例で、まだ生きている前当主の祖父が一時的に引き継ぐのが一般的だった。少なくとも源家でならそうなる。
ずっと隠してきたのだろうけれど、その重荷に少し参っていたのかもしれない。
「ごめん、やっぱ今のはなし。怒られるから忘れて」
「なら一緒に逃げるか」
それこそ波留が茶化して、その心が逃げてしまう前に悠月は言葉を重ねた。
実際、そんなことは出来やしない。けど、それでも……。
波留が一瞬、目を丸くした。しかし次の瞬間には盛大に吹き出して、大笑いを浮かべる。
「やっぱり馬鹿だね悠月は。真面目な顔してそんなこと言う、普通? どこかの誰かが聞いたら勘違いするかもしれないから、その言い方は止めた方がいいよ」
あはは、と尚も笑い続ける波留を見ながら、「誰だよそいつ」と悠月は胸中で悪態づく。少しでも気が紛れればと思って口にしたのだが……これでは本当に馬鹿みたいだ。
けれど、今の波留の笑顔は正真正銘、ただの十七歳の高校生のものに見えた。
「誰も逃げたいとまでは言ってない。私は背負うよ」
波留が立ち上がると、目の前の柵の手すりに両肘をついて腕を組んだ。そして広がる京都の街並みを見ながら、小さく何か言葉を口にした。
「え?」
最後に、「———心配だよ」とだけ聞こえた気がして、悠月は思わず聞き返した。
「さっきの事だけど……ごめん。芽衣ちゃんにも後で謝っといて」
波留がそのままの体勢で言ったが、続けられたのは先程と全く別の言葉な気がする。
悠月はそれ以上聞き返すことはせず、ただ申し訳なさそうにしている波留の後ろ姿を見つめていた。
すると、背後から数人が歩いて来る気配を悠月は感じて振り返った。
「謝り過ぎだよ波留。それに芽衣には自分で謝ってくれ。ほら」
その言葉に波留が振り返る。視線の先には芽衣がいて、その後ろには明日香に透哉と逞真の姿がある。
波留は観念したように淡い笑みを浮かべると、頭を深々と下げた。
「芽衣ちゃん、さっきは驚かせちゃってごめんね」
「そ、そんな、頭を上げてください波留様。私なんかに謝らないでください……!」
そんな二人のやり取りを悠月が見ていると、透哉が目の前までやって来た。
「それで悠月、話はどうだったんだ?」
「ああ、封印を解いたのはやっぱり俺たちが助けた男性だった」
そこまで言うと悠月は立ち上がった。そして透哉だけでなく、全員に聞こえるようもう一度話しを再開する。
「皆聞いてくれ。ここからは家同士の問題が絡んでくる。だから話をするなら先に意思確認をさせてほしい」
悠月は集まった視線を確認すると続けた。
「能面の敵の件でうちに疑いがかかる今、俺がこんなこと言えた義理じゃないかもしれないけど、正直言って家同士の状況は最悪だ。一触即発の可能性だってあるのに、どの家も我先に酒吞童子を討とうと躍起になってる……内輪でこんなに争ってるんじゃ、敵を前にしても絶対に勝てやしない。仮に勝てたとしても、その後の事を考えると情勢はもっと酷くなるはずだ」
だから、と全員の目をもう一度見つめ返して、悠月は力強く言葉を紡いだ。
「俺は、どの名家よりも先に俺たちで酒吞童子を討ちたいと思ってる」
それを聞いた波留が真っ直ぐ手を上げた。浮かべる笑みは不敵で頼もしい。
「私は渡辺家の当主としてではなく、一人の瞳術使いとして参加する」
「俺も親父が戻って来るまでの家の事は兄貴たちが勝手にするから別に問題ない」
手さえ上げなかったものの、すぐに応じてくれたのは透哉だ。
後は明日香と逞真なのだが……。
「な、なによ」
逞真以外の全員から視線を浴びた明日香が少し上ずった声を上げる。
「明日香もお願い。力を貸してほしいの」
波留が芽衣への謝罪の時と同様、深々と頭を下げた。
まさか波留からそんな頼まれ方をされると思ってなかったのだろう。明日香が目を丸くすると、妙な空気感が生まれた。そして、それを嫌ったのか、
「あー、もう。分かったわよ! 私も行けばいいんでしょ!」
やけだと言わんばかりに吐き捨てる。それからは少し照れ臭くなったかのか、早口で言葉を捲し立ててきた。
「勘違いしないでよね。私もこれ以上、被害が出るのは嫌だし、家同士でごちゃつかれるのも鬱陶しいから行くだけであって、力を合わせようなんて微塵も思ってないから」
「俺だって元から卜部となんか一緒に戦う気はさらさらない」
「はぁ? 何よその言い草! 喧嘩なら買うわよ?」
「俺はお前らがこなく———」
「ま、まぁ、お二人とも落ち着いてください。皆でがんばりましょうよ」
仲裁に入ったのは芽衣だった。逞真だったならば言い返したはずだが、年下相手にそこまですることはなく、明日香と透哉の言い合いは直ぐに収まった。
ようやくと言ったところか。ずっと話し出す機会を窺っていた逞真が控えめな手を上げた。
「あ、あの……悠月君、僕はやめ———」
「あんたも行くわよ、逞真」
半ば遮るように明日香が言うと、逞真がたじろいだ。
「え、でも僕は……。それにこんなことバレたらいよいよ母ちゃんに、」
はぁー、と明日香が長いため息で、あからさまに遮った。
「私が言うのもあれだけどさ。あんた、女になめられて恥ずかしいとか、悔しいとか思わないの? どうせ家でだってお姉さんや妹にも言い返せないんでしょ」
まさに明日香らしく、手厳しい口調に言葉だ。
逞真も思わず黙り込んで俯いてしまう。
「いいわ、逞真も連れていくから話を進めてちょうだい悠月」
逞真が来てくれるならそれは文字通り百人力だ。だが本人の意思確認も無しで、死地になりうる場所へと連れて行くわけにはいかない。
「逞真、無理はしなくてもいい。もちろん家の事もあるだろうし、いつもの任務以上に厳しい戦いになる」
けれど、以外にも早く逞真から返事が来た。
「うーうん、僕も……行くよ」
逞真が俯いたまま答えた。その言葉からはまだ躊躇いを感じる。けれど同時に、その葛藤を抱えた上で決心したのだという想いが伝わって来た。
「逞真君もありがとう。これで百人力だよ」
波留が答えた。まるで心の内を見たのではと思わせられる言葉に悠月は苦笑する。
「二人が来てくれるのも透哉君のおかげだよ、ありがとう」
「別に。礼を言われるようなことじゃない」
続けられた波留の言葉だったが、透哉からは素っ気ない答えが返って来た。




