第十話 雷炎演舞
臭いを辿る麟太郎に先導されて着いたのはやはり本殿の裏側だった。
肝心の井戸には蓋がされている。しかし、それを囲うように設置されている木の柵の封印を見るや否や、全員の表情に暗雲が立ち込む。
「なんだよこれ……なんとか体を成してるけど組み上げ方がめちゃくちゃだ」
過去に訪れた際は瞳力を込めて描かれた術式と紙札とが幾重にも重ねられていた。元々、風化は著しかったが、今は術式が所々消え、札も規則性を失った貼り方になっている。
「見てください、柵の側面が壊されています! これって……」
芽衣の言葉に全員が息を呑んだ。封印がある以上は柵に干渉することは出来ない。しかし、それが壊されているということは、一度この封印は解かれていることになる。
悠月は波留に視線を送ると互いに頷き合った。意見は一致しているらしく、悠月は辛うじて成立している札の一部に手を伸ばして引き剥がした。
封印が解かれる。先行して麟太郎が柵の内に入ると井戸に向かって鼻を近づけた。
「……間違いありません。この中から人の臭いがします」
麟太郎が言うのであれば間違いないのだろう。
悠月はすぐさま井戸の蓋を開けて身を乗り出した。
周囲よりも一層冷たく異質な空気を纏う虚空の深淵。そこには微弱ながら瞳力とは異なった精気の光を放つ、二つの目が浮かんでいた。
「人だ! 生きてるぞ」
悠月はすぐさま井戸の中に降りた。
「大丈夫か!」
虚ろな意識状態にあるのは男性だった。しかし口元が微かに動くだけで返事がない。
こんな暗闇にいたのだ。精神に異常をきたしても何らおかしくはないだろう。
悠月は男性を抱えるとすぐに井戸から出た。見たところ大学生だろうか。右腕には大きな爪痕の傷があり、時間が経っているのか腐敗が進んでいる。
「芽衣、みてやってくれ」
「は、はい!」
芽衣が怪我の具合に驚きのあまり瞬きつつも、男性の患部に自身の持つ【帰復眼】と同じ柑子色の光を当てて、治療に取り掛かっていく。
悠月はその様子を視界に納めながらも、目下の状況に背中から嫌な汗が滲むのを感じた。井戸の中にはただの人間が入っていて、本来封印されているはずの酒吞童子がいなかった……。
———これでは本当にあの声の言っていた通りではないか。
「……波留様。境内の外に㰷眼がいます」
同じく状況に思案顔を浮かべていた波留に対して、麟太郎が押し殺すように低く唸った。
「何体?」
「……囲まれています。纏う瞳力はそこまで強力に思えませんが十三……いえ、増えて十六体になりました」
「なかなかの数ね……まさしく罠ってところかしら。麟、私と悠月はここら一帯の㰷眼を相手するから、あんたは芽衣ちゃん連れてこの人を病院にまで送り届けな」
「分かりました」
波留の言葉に首を垂れた麟太郎が、その瞳に宿る杏色の光を強くした。術者の大きさを自在に操る事ができる【拡縮眼】だ。通常の五倍ほどの大きさになった麟太郎の見た目は、もはや犬ではなく巨大狼であり、表情も一層勇ましく見える。
「芽衣殿、頃合いを見てそちらの方と一緒にお乗り下さい」
「分かりました、もう少しで応急処置が終わります!」
芽衣の言葉の直後、境内を覆う障壁結界に低く空気が振動する音が聞こえてきた。
見ると、鬼や巨大蜘蛛、大蛇を始めとするこの世の生物とは異なる㰷眼の群れが障壁結界を壊そうと、外から攻撃をしてきている。
「波留様、どうぞお気をつけてお行きください」
「うん、ありがとう」
波留があくまで冷静な口調で言うと、麟太郎の頭を撫でて境内の外に向かう。
「悠月殿、波留様のことをよろしくお願いいたします」
「任せろ。そっちも芽衣のこと頼んだぞ」
「はい。必ずやお守りいたします」
間髪入れず麟太郎から頷きが返って来る。その表情は、まるで波留の従者なのだからと当然だと豪語しているようで頼もしい。だからこそ悠月も信頼して芽衣を任せられる。
「悠月様、お気をつけください!」
男性の応急処置を終えたのか、立ち上がった芽衣が額に浮かぶ大粒の汗を拭って言った。
きっと心配そうにしているのだろう。容易にその表情が目に浮かぶ。
「ああ、行ってくる」
悠月は半分だけ振り返って頷くと、先を歩く波留の元へと向かった。
「それじゃあ、やってやろうか悠月」
「ああ、まずはこの目の前の奴らからだな」
㰷眼の群れからの攻撃はガラスのように存在する透明な障壁結界に阻まれて、境内まで届かない。二人はほぼ同時に抜刀すると進路を確保するため、前方に瞳術を放った。
「【炎大蟻地獄】!」
「【渦雷】!」
渦状の炎と雷が演舞するように合わさると、直撃を受けた㰷眼の群れが消し炭になった。開けた視界を前に二人は障壁結界の外へと一気に出て残りの㰷眼と対峙する。
悠月は雷を纏い神速の動きで近接戦闘を行う。一方で波留は中距離から火炎の斬撃を飛ばす戦い方を中心とし、近接戦闘は流れの中でのみ最小限に留めている。
二人に隙はなく、敵に反撃の余地はない。
だがそれも首塚大明神を囲う㰷眼たちが瞳術を使えない個体ばかりだからだ。
対峙する㰷眼の表面に浮かぶ術眼は白濁とした瞳のものだけ。それらは悠月や波留と違って『色付』ではなく、瞳力に覚醒はしても瞳術を習得せずに死んでいった眼だ。
この日本において火葬はおろか、埋葬もろくにされず遺棄された死体は、遡ればごまんとある。それらのうち、無自覚のまま開眼させ、怨念を孕んで死んでいった者たちの術眼が他の瞳力や瘴気に当てられた事で、㰷眼へと変貌するのは最も多いケースである。
だが、ここまで数が多い事は普段ではあり得ないことだった。
「波留、気付いてるか?」
悠月は大体の片が付いたところで、波留と背中合わせになると問うた。
「スマホの通知が鳴りやまない事ならキヅイテナイヨ」
「何で片言なんだよ……。ていうか気付いてるんだろそれ」
帯にしまっているスマートフォンが互いの背中越しに振動し合っているのが分かる。おそらく連絡は術協と家の者からだろう。
「多分この㰷眼の大量発生はここだけじゃない。京都中で起きてるはずだ」
「でしょうね!」
火炎の斬撃を飛ばすのと同時、波留が息むように言った。そして更に言葉を続ける。
「まさか悠月の聞き間違いで明日じゃなくて実は今日が百鬼夜行でしたなんて事ないよね?」
「流石にそれはない」
はっきりと悠月が言い切ると波留がため息交じりに、「だよね」と肩を落とす。
「黙って出かけたこと婆様に怒られるかなぁ……」
まだまだ余裕がありそうなことに悠月は安堵すると、再び雷を纏って最後の㰷眼の群れに切り込んでいく。しかし———
「まさかこんなにも早く封印の異変に気付く者がいるとわな」
山中の木々の合間から二つの濁った紺青色の光が覗く。それがゆっくりとこちらに向かって歩いて来るのを悠月と波留は視認した。




