第九十八話 命を賭して
真っ暗闇の世界の中心に、黒い山がそびえ立っている。
直径百メートル、全高五十メートルの巨大黒球(半球)。その外観を見れば、自然にできたものとは言い難い。しかし、人工物とも言い難い。何しろ、製作者がこの世界の造物主なのだ。
創世の女神ネフィリアの寝床、通称「繭」。
ベッドにしては大き過ぎる。一体、女神はどれ程の巨躯なのか。それを確認する為には、外殻を完全破壊、或いは消去する他無い。その所業に関しては、思うところは多々有る。
神罰が当たるのではないか?
女神でなくとも、睡眠中にベッドを吹き飛ばされたら怒る。しかし、それ以外に女神を起こす方法は無い。少なくとも、私が思い付く限りのことは、ドラゴン達が試していた。
私達には、女神に起きてもらう必要が有った。彼女を起こさなければ、この世界からの脱出は叶わない。
故に、私、魔王ウィルミア・デストランドと仲間達は全力で女神の寝床を破壊する。そのように決断した。今更「止める」とは言わない。
それでも、実行した後のことを想像すると、頭から血の気がザザッと音を立てて引いた。それに伴って、視界が暗くなる。
しっかりしろ、魔王ウィルミア・デストランド。
私は頭を振って意識の回復を図った。その最中、掠れた男性の声が耳に飛び込んできた。
「大丈夫だ」
「え?」
私は咄嗟に声がした方――左隣を見た。すると、私の至近に黒い鱗鎧に身を包んだ痩身の侍が立っていた。
私の王子様(仮)、愛洲来寿様。
来寿様は、糸のように細い目で私を見詰めていた。その為、二人の目がバッチリ合ってしまった。その瞬間、私の胸がトゥンクと弾んだ。
「!」
私は思わず息を飲んだ。すると、視界に映った来寿様の口が開いて、そこから掠れた声が零れ出た。
「俺が、お前さんを守ってやる」
「!!!」
俺が守ってやる。私にとって、特別な意味を持つ言葉だ。それを聞いた瞬間、胸が一層熱くなった。その変調を意識すると、目頭も熱くなった。涙が勝手に溢れてくる。しかし、零さない。私は歯を食い縛って全力で堪えた。
今は、作戦行動中だ。
来寿様に対する想いは、今は封じ込めておく。これを解き放つのは、繭の殻に村正を突き立てた瞬間だ。
私は、敢えて来寿様に返事をしなかった。無言で視線を逸らした。続け様に顔を正面に向け、凡そ二百メートル先を睨み付けた。すると、私の視界に直径百メートルの巨大黒球(半球)が映り込んだ。
女神の安眠を守る防衛機構、神秘真鍮の繭。その威容を見詰めていると、私の眉間に深い皺が刻まれていく。
果たして、魔王の超電磁砲が通じるか否か。それを試すべく、私、及び魔王軍の精鋭達は横一列に並んで繭と正対した。
私を中心に、私の左手側に来寿様。
私の右手側に初夢――富士子、鷹乃、茄子華。
来寿様の左手側に松太郎、竹次郎、梅三郎、蹄鉄。
蹄鉄の左手側にドラゴンの顔をした少年、アトゥルム。
茄子華の右手側にドラゴンの顔をした少女、アウルム。
繭への攻撃は、私と来寿様が担当する。その際、ドラゴン達もブレス攻撃を行う手筈になっている。「繭からの攻撃」を分散させる為だ。
繭からの攻撃。即ち、神秘真鍮の触手である。それを断ち割るべく、来寿様と真銀人形達は抜刀していた。
打刀の刀身から、毒々しい色や、虹色の光彩が溢れ出している。それらの色は、私が掛けた女神の大魔法「鬼神の妖刀」に因るものだ。
妖刀であれば、神秘真鍮の攻撃(触手)を防ぐ(斬る)ことも可能だ。尤も、防御に関してはこちらの攻撃中に行うことになる。
防御を担当する人形達は、私達の真正面に立つことはできない。私達の頭上を飛んだり跳ねたりすることになるだろう。それなりに難儀な行為だ。もしかしたら、討ち漏らすかもしれない。しかし、こと私に関しては大丈夫。
私の正面の防御は来寿様が担当する。今は横並びに立っているが、魔法を発動した際は前後に並ぶことになる。
尤も、超電磁砲発射の瞬間は、防御ができない訳だが。
神秘真鍮の触手が私達に届く方が速いか? 私達の攻撃が繭に届く方が先か速いか? 勝負である。
「では、始めるぞ」
私は静かに攻撃開始を宣言した。すると、来寿様がズズイと前に出た。
私の視界に、黒鱗鎧をまとった来寿様の逞しい背中が映り込んでいる。それを見ているだけで胸が熱くなる。その昂りもまた、魔力と共に繭にぶち込むつもりだ。
全ての想いをぶつける。それを決意した瞬間、私の視線は二百メートル先の黒い球面に吸い込まれた。
黒い威容が私の視界に入った。その瞬間、私は――「超高速二重詠唱」を開始した。
「「メソポタミアの神々の王、荒れ狂う嵐。そのお力、お借り致します」」
私が呪文を唱えると、私の左右の空間に旋風が巻き起こった。呪文の詠唱が進むほどに旋回速度が増していく。それに併せて風の威力も増していく。
旋風の間に挟まれて、私の体が飛んでしまいそうだ。その可能性を直感した瞬間、私は魔法を解き放った。
「「風の支配者の竜巻っ!」」
二本の巨大竜巻が、繭に向かって真っ直ぐ前に伸びていく。それを合図に、ドラゴン達がブレス攻撃を開始した。
竜巻、炎、金色の光――三つの奔流が黒い球面にぶち当たった。その瞬間、球面から無数の突起物が生えて、勢いよく飛び出した。
神秘真鍮の自動反撃機能「触手」。
無数の触手群が、大瀑布と化して私達に襲い掛かる。その光景は、私に魔弾豪雨を彷彿とさせた。
魔弾豪雨。放てば百発百中、当たれば絶命は必至の確殺魔法だ。しかし、私達には届かない。
触手の豪雨が迫った瞬間、毒々しい色と虹色の光彩が暗闇に閃いた。その刹那、斬られた触手が宙を舞う。
触手の攻撃は、来寿様と、真銀人形達が完璧に防いでいた。
触手群は、目にも止まらぬ超速で次々斬り捨てられていく。その様子を横目で見ながら、私は次の呪文を詠唱した。
「「地獄の窯よ、開け。その最下層、永久凍土に縛られし受刑者、裏切者ども、皆、声を上げよ。その怨嗟の嘆きを現世に吐き出せ」」
先に放った竜巻の中に、細かな光の粒が混じり出した。呪文の詠唱が進むほど、粒の量が増していく。その現象に伴って、私の周囲に霜が張り出した。私の体までもが凍り付くかと錯覚した。その瞬間、私は魔法を解き放った。
「「絶対零度の吹雪っ!」」
左右の竜巻は「旋回する絶対零度の氷柱」と化した。その現象を直感した瞬間、私は前にいる来寿様に向かって声を上げた。
「来寿っ、こちらに来いっ!」
「応っ!」
来寿様は、神秘真鍮の触手を斬り裂きながら、私に向かって急接近する。そのまま私の左隣に立つや否や、右手で私の腰を抱いた。トキメく行為である。しかし、呆けている場合ではない。来寿様にも、悲しいかな、その気は無い。
来寿様は、私の腰を抱きながら、左手の村正で触手を斬り刻んでいる。その光景を間近に見て、私は最後の呪文を唱えた。
「「ギリシャ神話の最高神のお力、お借りいたします」」
呪文の詠唱に合わせて、左右の氷柱に雷光が迸った。呪文の詠唱が進むほど、雷光の明るさが増す。それが目も眩むほど大きくなったところで、私は右手を伸ばして村正の柄を掴んだ。それと同時に、魔法を解き放った。
「「天帝の雷霆っ」」
絶対零度の氷柱が光り輝いた。その内部一杯に雷光が迸る。その現象と同時に、氷柱の間に強力な磁場が発生する。
磁場の磁力が、強力に私達の体を前に押し出した。その刹那、私は叫んだ。
「「ちぇすとおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!!」」
私の声に、来寿様の声が重なった。その事実を直感して、私の胸の奥がカッと熱くなった。
とても、とても熱い。それこそ、サラマンダーを丸呑みしたと錯覚するほど。その超高温を意識した瞬間、目の前に黒い球面が有った。
超至近距離。繭との距離は一メートルも無い。村正の刀身は、その中ほどまで埋まっている。その事実を直感した瞬間、私は溜め込んでいた想いを魔力と共に解放した。
私達の邪魔をするもの、全て消えて無くなれえええええええええええっ!!!
私の想いに、私の魔力は全力で応えた。村正が刺さった個所を中心に、神秘真鍮が吹き飛んでいく。
このまま全て吹き飛ばすっ!
私は魔力全開で「消えろ」と念じ続けた。繭が全て消し飛ぶまで念じ続けるつもりだった。ところが、ここで予想外の邪魔が入った。
私が念じ続けている最中、唐突に来寿様の声が耳に飛び込んできた。
「ミアっ!」
来寿様が、私を呼んだ。その声を耳にしたときには、既に私の体は後方に弾き飛ばされていた。
余りに唐突な出来事で、私は全く対応できなかった。
私は思い切り尻餅を撞いた。お尻に痛みが奔った。尾骶骨が割れたと錯覚した。とても、痛い。しかし、その痛みは直ぐに忘れた。いや、意識できなかった。
より一層衝撃的な光景が私の視界に映っていた。
私の前に、来寿様が立っている。私を庇うように、繭の前に立ちはだかっていた。その足下には――血が滴っていた。
来寿様の頭、上腕、太腿――真銀鱗に覆われていない箇所から、真っ黒な触手が何本も突き出ている。一体、何が起こったのか?
私は現況に付いて考えようとした。しかし、考え事をしている場合ではなかった。
私の視界の中で、来寿様を刺し貫いた触手が激しく蠢いた。その現象を直感した瞬間、来寿様の全身が断ち割られていた。




