第九十九話 王子様の告白
真っ暗闇の中に、赤い雨が降り注ぐ。それを撒き散らしている者は、黒鱗鎧をまとった痩身の男性、愛洲来寿様だ。
来寿様の全身、真銀鱗の隙間部分に無数の触手が突き刺さっていた。それらは勢いよく蠢いて、来寿様の全身を散々に断ち割った。
その凄惨な光景を、私、ウィルミア・デストランドは、地面に尻餅を搗くという情けない姿勢で呆然と見詰めていた。
私の視界に、来寿様の半壊した無残な姿が映り込んでいる。それらは、来寿様を襲った触手群にも掛かっていた。
しかし、触手群からの追撃は無い。
触手群は「役目は済んだ」とばかりに大穴――魔王の超電磁砲で穿った傷口の奥へと引っ込んでいく。その光景を目の当たりにして、私は最悪の可能性を想像した。
繭の中身、殆ど神秘真鍮なのでは?
女神の寝床である繭は、直径百メートルの巨大半球だ。その内部が神秘真鍮で埋まっている――かもしれない。その可能性を想像すると、私の頭が重くなった。吐き気も催した。しかし、そんなことを気にしている場合ではない。
「来寿っ!」
私は立ち上がって、来寿様の許へと駆け寄った。
来寿様は、全身ズタボロになりながら、右膝を着いて堪えている。人知を超える精神力だ。
しかし、長くは持つまい。その姿が目に入った瞬間、私は消え掛けた蝋燭の炎を想起した。
誰がどう見ても致命傷。一般人ならば、医者を呼ばずにネフィリア教の神官に声を掛けている。世界中のどんな魔術師でも、治療は叶うまい。
しかし、来寿様は幸運だ。私、魔王ウィルミア・デストランドならば余裕で完治できる。
「直ぐに治すっ!」
私は来寿様の傍に跪いた。その際、膝が来寿様の血液で濡れた。その感覚が、私の心臓を凍り付かせた。
一刻も早く治療しなければ。
私は左肩を貸して、来寿様を支えた。その状態を維持しながら、右掌を来寿様の頭に翳した。続け様に、最上位の回復呪文――女神の大魔法を唱えた。
「偉大な女神の治癒」
私の右手から緑色の光が溢れ出した。それが来寿様の損傷個所を緑に染めていく。すると、来寿様の体細胞が超高速で分裂して、新たな細胞を次々生み出していった。それに伴って、傷口が超高速で塞がっていく。
回復していく様子を見ていると、時間が巻き戻っていくかのように錯覚する。実際、魔法の効果によって、来寿様の姿は傷を負う以前の状態まで回復している。
しかし、それは飽くまで見掛けに過ぎない。
来寿様が流した大量の血液や、失った体力、及び生命力は、全く回復していない。
動いて良い状態ではなかった。暫く安静にしておくべきだ。それなのに、来寿様は動いた。
「忝い」
来寿様は、私に礼を言うや否や、直ぐ様立ち上がった。その様子は、私の視界にバッチリ映っていた。
「来寿っ!?」
私は思わず声を上げていた。すると、来寿様は私の方を向いて――無理やり微笑んだ。
「大丈夫。お前さんのお陰で体は元通り」
来寿様は右拳を掲げ、親指を立ててサムズアップした。しかし、それは瘦せ我慢である。
来寿様は、今尚瀕死の状態だ。その事実は、当の来寿様本人もよくご存じのはず。それなのに、来寿様は未だ戦うつもりなのだ。
来寿様は、私から視線を逸らして巨大黒球を見た。その細い瞳に何が映っているのか? 来寿様は、黒球の表面を見詰めながら声を上げた。
「次で決めるぞ」
「!」
来寿様の言葉を聞いた瞬間、私は立ち上がった。続け様に声を上げた。
「無謀だっ!」
魔王の超電磁砲は敗れた。その事実を心底思い知らされたばかり。同じことを繰り返しても、同じ結果が待っている。
「何か別の方法を――」
急いては事を仕損じる。幸いにして、再戦の機会は無限に有る。今回の教訓を活かせば、より良い攻略法が見付かるかもしれない。
私は来寿様に再考を提案するつもりだった。しかし、私の言葉は途中で遮られた。
来寿様は、右手を掲げて、目の前にそびえる黒球の球面を指差した。
「そこを見ろ」
そこ。一体、何のことか? 私は来寿様の右手人差し指の先を辿った。すると、私の視界に黒い球面が映った。しかし、そこは黒一色ではなかった。
黒い球面に、毒々しい色をした筋が付いていた。
長さは、凡そ三センチメートル。それは何なのか? 考える必要は無かった。それを見た瞬間、私は筋の正体を直感していた。
「修復できなかったのか」
私達の攻撃は、神秘真鍮の自己修復機能を破壊した。尤も、破壊できた個所は少ない。繭全体の破壊には程遠い。それでも、私と来寿様にとっては、それで十分だ。
私達の力は繭に通じる。私達の手は女神に届く。
僅かな傷でも証左を得たことは大きい。
その時点で希望が見えた。その時点でできると直感した。今まで起こし続けてきた奇跡を想起して、私はコクリと頷いた。
「分かった。やってみよう」
私達は、再びスタート地点、繭から二百メートル離れた位置に立った。続け様に、その場にいた魔王軍の皆に再攻撃を告げた。
異論は無かった。皆、やる気満々だ。その事実を直感したところで、私は直ぐ様準備に取り掛かった。
先ず、失った魔力の回復。
私は懐から三本の試験管を取り出した。魔力回復薬である。
私は三本とも抜栓して、その中身を一気に呷った。
魔力回復薬は、私の消化器官から血液の中へと染み込んでいく。
超高濃度の魔力が血流に入り込み、その流れに乗って全身を駆け巡る。当然、脳内の毛細血管にも届いている。それを示唆する変調が、私の体に起こっていた。
私の視界は、靄が掛かったように不鮮明になった。自分が夢の中にいるように錯覚する。直立しているつもりが、体はユラユラと左右に揺れた。
眠い。しかし、眠る訳にはいかない。
負けてなるものか。
私は両手で頬を張った。続け様に、左隣に立つ来寿様を見た。すると、来寿様の横顔が視界に映った。
来寿様のご尊顔は、いつにも増して光り輝いている。とても眩しい。目が眩む、しかし、目が離せない。
私は来寿様の横顔を穴が開くほど見詰めた。その最中、私の口が勝手に開いていた。
「来寿様」
「ん?」
来寿様。ああ、来寿様、来寿様。その名を告げた瞬間、私の心臓がドクンと飛び跳ねた。その衝撃で胸が軋んだ。私の肋骨が、外皮を破って飛び出したかと錯覚した。しかし、痛みは全く覚えない。
今の私の意識は異次元、夢の世界に在る。
夢という免罪符が、私の心の箍を外していた。頭の中で考えたことや、心の中で思ったことが、私の口から溢れ出た。
「私のことは捨て置いてください」
私の脳内に、直近の出来事、腹を裂かれた来寿様の姿が閃いていた。それを意識するほどに、私の胸は激しく軋んだ。その痛みで涙が溢れた。それを零すまいと堪えた。
しかし、想いは口から零れ出ていく。
「どうか、ご自分を第一に考えて」
私にとって、何が一番大事なのか? その答えは、私の心が知っている。それを守る為ならば、私はどうなっても良い。
そもそも、私のことを大事に思ってくれる者など、自分を含めて誰もいない。そう思っていた。そう思い込んでいた。しかし、そうではなかった。
「ミア」
来寿様の声が、私の鼓膜を揺らした。魔法回復薬の副作用の為、遠くから話しているように錯覚する。それでも、不思議なことに内容は明確に理解できた。
「後悔の無いよう、今の内に言っておく」
来寿様は、私の方を真っ直ぐ見た。糸のように細い目が、「カッ」と音を立てて開いた。
来寿様の暗い瞳の中に、私の顔が映っている。真っ赤である。きっと、回復薬の副作用のせいだ。その変調の理由を想像したところに、少し硬い掠れた声が上がった。
「ミア」
名前を呼ばれた。私は即応で「はい」と返事をした。その直後、私の全身に「愛」と言う名の電流が奔った。
「俺は、お前が好きだ」
「!!!」
お前が好き。私、ウィルミア・デストランドが好き。そんな人間が、この世にいたとは。それも、私の目の前に。
その事実を直感した瞬間、私の脳が爆発した。心臓が口の中まで飛び上がった。全身の血液が沸騰した。例え錯覚であったとしても、人間の体には耐え難い。即死の状態だ。
私は夢の中から天国に旅立ちかけた。ところが、私は地上から離れられなかった。私を地上に縛り付ける存在がいた。私の目の前にいた。
アシハラの侍、愛洲来寿様。
来寿様の告げる言葉が、私を地上に縫い付けていた。
「大好きだから、お前を守る」
「――――――――っ!!!」
来寿様の言葉を耳にした瞬間、私の口から声にならない絶叫が迸った。
「ただ、それだけだ」
「――――――――っ!!!」
私としては、「私も、私も」と言ったつもりだった。しかし、全身を駆け巡る熱い想いが邪魔をして、声にならない。
そもそも、私の意識は異次元、異世界に飛んでしまっている。
私の脳内で、教会の鐘の音が煩いくらいに鳴り響いた。それと同時に、これからの人生が走馬灯のように閃いていた。
結婚、出産、幸せな家族生活を経て、一緒に墓の中に入る。来世でも、常に一緒。そんな未来しか見えない。これは確定事項である。
これから起こる全ての出来事は、私達を幸せにする。ただ、それだけ。それしかない。
私の確信が、私の口から飛び出した。
「次で決める」
私の言葉に対して、来寿様は静かに頷いた。
さあ、二回戦の始まりだ。今の私達を阻むものは何も無い。神秘真鍮の繭よ、覚悟しろ。今から跡形も無く消し去ってやる。




